62.在りし日の副団長
試合が終わり、審判から勝者の名があがると、周囲は忘れていた時を取り戻したかのように、一気にわっと湧いた。使用人達が「お見事です!グレン様!」「感動しました‼」「ひゅーひゅー!」と好き勝手に声を上げるが、父上はそれを許容するかのように沈黙を貫いていた。
その一方で、俺に負け、敗者となったイザナは、「な…何が……今…どうして………」と譫言のようにブツブツと呟いている。焦点がぐらぐらと揺れるイザナに、歓声の渦の中、俺は静かに声をかけた。
「……なぁ、先生。一つ言っておくことがある」
「………」
「俺は剣が好きだ。どれだけプレッシャーに苦しめられても、俺はきっと剣がなけりゃ生きていけねえ。だから、これからもずっと、手放さない」
そう宣言すると、虚ろな目で、ぼんやりとイザナが俺を映した。
「……それに、今ならプレッシャーに負ける気がしねぇんだ。俺に、温かい期待を教えてくれた人がいるんだよ」
「…そう…ですか」
「ああ。だからこれからも剣は続ける。対戦ありがとうな、先生」
対戦相手として、俺はイザナに手を差し出した。
すると、イザナはこれ以上ないほど目を見開いて――そして、ふっと笑った。
重い枷から解放されたような、そんな、晴れやかで、今日の空のように澄み切った笑顔だった。しかし、どこか寂し気にも見えた。
「……ふっ、ははっ。そうか、私は君に……負けたのか。……そうか…私が負けたのかぁ………」
今度は俺が驚いていると、イザナは俺の手を取らずに立ち上がる。そしてそれから、改めてというように俺と握手をした。
「いい試合をありがとうございました、グレン様」
「‼……こ、ちらこそ…、ありがとう、ございました」
つられてもう一度言ってしまう俺に、イザナは格好を崩した。
「ふ……、ふふふ…っ。全く、在りし日の貴方にそっくりですね、団長?」
「おい、イザナ……」
「しかしまあ、随分と礼儀正しく優しい子に育てたものです。あ、すみません――『強い』が抜けていましたね」
使用人達と俺が一緒に呆けている中で、父上とイザナだけが楽しそうに会話している。
しかし、最後の言葉だけは、妙に耳の中に残った。
(認め、られた……?)
イザナに俺の『強さ』を認められたと理解するのには、大分時間がかかった。だが、しっかりゆっくり咀嚼し終えると――、俺は、素早く二人に背を向けた。そして、落ちそうになる涙を寸でのところで乱暴に拭う。
「おやおや、泣いてしまいましたか?」
「やめてやれ……」
「ふふ、失礼しました。貴方と同じで揶揄い甲斐があるもので。……ですが、そうですね。揶揄う前に、まだ言わねばならないことがありました」
イザナの声に、維持で涙腺をキープしつつ振り向いた。
その時目に映ったイザナは、間違いなく、噂に聞く元副団長だった。寛容さと厳しさを兼ね備え、人望厚く、理性的で理知的な、あの優しい、全騎士の憧れ、その人だ。
そんなイザナは、瞳を伏せたあと、何の躊躇いもなく腰を折った。
「――‼‼‼」
「…グレン様。……今まで、本当に…すみませんでした」
それから体を起こしたイザナは、真剣で、心に訴えかけてくる真っすぐな眼差しで、俺を強く捉え射抜いた。
「謝って済むものでもありませんが……、何か、悪いものにでもとり憑かれていた気分です。君のおかげで目が覚めました。……本当にありがとうございます、グレン様。間違いなく、君の剣への想いも、強さも、どちらも一級品の本物です」
「え……っ、それって――」
「…はああ、免許皆伝ですね。生徒が先生より強くては、私のプライドに甚大な影響が及んでしまいます」
やれやれと、芝居がかった調子で言うイザナ。彼が言うように、今のイザナは、本当に憑き物が落ちたようだった。
しかしそれだけでは終わらず、イザナは更に言葉を紡いだ。
「団長。ということで、私は自主退職を致します。ああでも、何かが起こって私にもその余波が来るのはいただけないので……。そうですね、私を一生無償で使っても構いませんよ」
「は?一生…無償で⁉」
「何をそんなに驚くことがありますか」
まるで俺の方がおかしいというような物言いで、イザナは肩を竦めた。しかしそれから、父上と俺にだけ聞こえるような声で「…償いも兼ねているのです」と説明した。償いというのは勿論、俺への暴力へのものだろう。
(でも……一生無償で使っても構わねぇって……それってもう、ほとんど奴隷みたいなもんじゃねぇか…⁉)
貴族に暴力を働いた平民には、鉱山での生涯の労働が課せられることがある。きっとイザナはそれを参考にしたのだろう。だが、イザナも高貴な家の出だ。そこまでやらされることはない。
それなのに、自ら奴隷になりに行くイザナを、俺は信じられないような目で見ていた。
使用人達も、当たり前のようにざわついた。
……しかし、聞こえてくる内容に違和感があった。
「イザナ様……だって、イザナ様は………」
「やめなさい、イザナ様が決められたことなのよ。それに侯爵様も言っておられないのだし…」
「そうよ、一介の使用人が口にしていいことではないわ」
「ですが……っ」
(…イザナが決めたこと?それに、父上が言っていないって……俺に、何か隠してるのか?)
俺は、父上を見つめる。するとすぐにその視線に気付いたのか、父上は更に眉間に皺を寄せ、深刻そうな顔をした。
「……父上」
教えて下さい、と言外に伝える。
それからどれくらい経ったのか、見つめ続けて折れない俺と、沈黙を貫き続ける父上、その拮抗が崩れる。
ふぅ……と諦めたように父上が息を吐くと、チラリとイザナに視線をやった。イザナは苦笑いをしたままだ。しかし口を開かないところを見るに、判断は父上に任せるが、自分の口からも語らないという意思が見て取れた。
再度父上は長い長い溜息をふぅー……っと吐くと、ようやく俺に教えてくれた。
「……本当は、墓まで持って行くつもりだったんだがな。わかった、話そう。イザナの雄姿だ」
それから父上は、俺に語った。
――曰く、幼い俺を魔物から庇ったせいで、イザナは片腕を失い、騎士を辞めることになったのだと。
「……は…?」
本当なのかと目でイザナに確認する。すると、苦笑したまま更に笑みを深くされる。それはつまり、そうだということなのだろう。全身から力が抜けていくのがわかった。
(だから俺に……、そうか、だから……)
そんな風に立ち尽くす俺に、イザナは軽い調子で言う。
「…事実として言えばそうですが、今思えば儲けものでした」
「儲け……もの?」
「ええ。何せ、次世代の英雄を救ったのですから。もしかしたら、英雄譚に私の名前が載る日も近いかもしれません」
「英、雄………」
今までイザナに言われるそんな言葉は、全て重荷になっていた。プレッシャーが心地いいのも、それをかけたのがリズだからだと思っていた。
けれど、イザナに言われた言葉を聞いて、自然と「誇らしい」「嬉しい」と思えるようになっていた。
イザナが少し大切な存在になったからか、それとも、プレッシャーという弱点を克服したのか。きっとその両方なのだろう。そう考える俺自身に対しても驚き、更に目を見開く俺に、イザナは柔らかく微笑みかけた。
「まあ精々私は、それを遠くから見守っていますよ。貴方は貴方らしく、これからも剣を愛し抜いて下さいね」
(…長年俺を苦しめてきた奴だ、今もそれは許さない。だけど同時に…俺の大切な『師匠』だった)
そう思いつつ、にこりと細められた瞳に、俺は感極まりながら返事をした。
「……ああ、当然だよ、『師匠』」




