61.刹那の応酬
試合が始まると、より一層周囲の静けさが際立った。
一瞬、これまでのイザナとの訓練を思い出し、体が怯みそうになる。けれど気付かれないように深呼吸をして、竦みそうになる足を踏ん張らせた。
そして――誰も身動きを許されないような空気の中、俺は一息に距離を詰めた。
次に、左下から一撃をお見舞いする。勢いの乗った剣だ、十分重い。にもかかわらず、イザナは片手でそれを受け止めた。
(流しもしない…ッ)
しかし諦めず、特訓の前よりも随分精度が上がった剣戟をお見舞いする。
右上から振り下ろす。しかしベストな角度で剣が交わり防がれる。
そして今度は左上、それも弾かれたなら右下から捻じ込むように。
左、右、左、右、左、右……。木同士ぶつかり擦れあうカンッ、カンッ、という音が響く。
応酬が続けば続くほど、俺の剣もイザナの剣も速くなる。弾かれた地点から相手の剣へぶつかるまでの間が、徐々に短くなっていく。カンカンッ、カンカンッ、と剣を交えるごとに、段々手が痺れていく。普段ならこんなことはない。つまり、イザナの攻撃がそれだけ重いということだ。
一発一発がズシリとくる。速度を落とさず切り返せているだけでも上々だ。
(でもそれじゃダメなんだよ……っ)
隙を見つけて、思い切り重い一発を叩きこむ。ガンッと鳴った。しかしそれは見事に受け流されてしまい、態勢が崩れる。
そこに、イザナの速い一発が振るわれた。
「ぐっ…!」
なんとか剣で防ぎ、直撃は免れた。しかし、急ごしらえだからか、完全に腕が痺れた。しばらく回復させないといけない。だがそんな隙を、このイザナが与えるわけはない。
イザナは、一ミリも変わらない柔和な笑みを仮面のように固定したまま、様々な角度から打ち込んでくる。こちらは防戦一方…つまり、攻守逆転していた。
攻めに転じたイザナは驚くほど強かった。ラピスさんみたいな剣の重さに、リズのような剣の速さ。どうにかしなければ――そう考えていた俺だが、遂に一撃を貰ってしまった。
「がっ……⁉⁉」
右脇腹に、容赦なく剣が叩きつけられる。肺の中の空気が塊になって飛び出た。
流れるような動きで、次は左の肩を強くやられた。軽く骨が砕けているんじゃないかと不安になるその痛みに、ぐっと歯を食いしばる。
しかし、剣は手放せず、打ち合いは続行していた。本当なら怪我をした箇所に手を当てて、今からすぐにでも蹲りたいところだが……、残念ながら、それを許してくれる相手ではないだろう。
その時、余裕な表情でイザナが口を開いた。
「坊ちゃん。怪我の具合が心配なので、降参して頂きたいのですが…」
「…バカ言うな。俺が途中で勝負を放り出す訳ねぇだろ」
悔しさと屈辱に、思ったよりも低い声が出る。でもそれが面白いのか、イザナは心底愉し気な表情に変わった。
「…そういえば…最近心配だったことがありまして。坊ちゃん……差し出がましいようなのですが、お辛そうなお顔をお見掛けすることが多かったように感じるのです。剣が辛いようであれば、いっそ……やめてしまえば宜しいのではありませんか?」
「………ッ」
明らかな挑発に、それでも怒りが高まっていく。
「剣の指南役としては、坊ちゃんのような将来有望な生徒を失うのは、とてもとても勿体ないと思うのですが……。やはり、生徒さんの精神が一番重要ですのでね?」
「…………」
ふざけるなと叫びたかった。
誰がやめるかと嚙みつきたかった。
けれどそれをやれば相手の思う壺で、激昂した瞬間、隙を突かれて負けるだろう。……それだけは、協力してくれた全員のためにも、何より、ここまで来た俺のためにも、やらかすわけにはいかなかった。
しかし、俺が押し黙ったことでイザナは機嫌を良くし、ぺらぺらと聞いてもいないことを喋り続ける。
「そういえば……。最近、剣が好きだと、よく仰っていましたよねぇ。まるで自分に言い聞かせるかのように…。……良いのですよ、坊ちゃん。剣が嫌いなら嫌いと、ハッキリ仰れば良いのです」
「――‼‼」
…目の前に映るイザナが、知らないバケモノのように見えてくる。
俺にとって、剣は、かけがえのない大切なものだ。それを知ったような口で語った上に、俺が…剣を嫌いだと……厭味ったらしく、確信めいた口調で言いやがった。
今すぐに消してやりたい。そう思った。
しかし、イザナの口は止まるところをまるで知らない。
「大丈夫。お父君が騎士団長で、貴方がどれだけ周囲から期待されていようとも……きっと、わかって下さいますよ。ですから……ほら、私に負けて心が折れたフリをして、剣から身を引いてしまいましょう?そうできるのは、今だけです」
腹が、一瞬にして煮えくり返った。
「………お前は…俺の何を、知っている?」
どすの効いた声が出る。
今まで見たことのない俺の様子に、流石のイザナもびくりと体を震わせた。
怒りが、頭と剣筋を冴え渡らせていく。怒らないように、冷静にとセーブしていたものは、いつの間にか決壊していた。
「ふざけるな……っ…ふざけるなふざけるな、ふざけるなッ‼俺は誰に何と言われようと、剣だけは離す気ねぇんだよ‼‼‼」
怒りに任せた剣筋ではなく、的確に勢いを乗せた重さの乗った剣筋を、そのままイザナに叩きこむ。左下から振られた剣は、やっとイザナの腕を痺れさせた。少しだけ、イザナが剣を持つ力が弱くなったように見える。
「……はは、坊ちゃん、らしく、ないですよ。怒りに任せて剣を振るうだなんて。ここには団長もいらっしゃるのに……」
「だから何だ?少なくとも、俺はお前じゃねぇから、見られて困ることなんて一つもねぇよ」
「……ッ。それはまるで、私にはあるというような口ぶりですねぇ……」
蛇のような目つきで睨まれる。
しかし俺もまた、負けじとキッと睨み返した。ガン、と剣がぶつかり合う。
「ああ。そうだな。そう言ってる」
「………ッ…いつからそんな目をするようになったのですか……っ‼‼」
剣がぶつかり合う音と、足が素早く地を踏む音、そして衣擦れの音と互いの息遣いが、こんな時だからこそ、鮮明に聞こえてくる。
「いつからだろうな。…だが本質は変わってねぇよ」
「そうですか?いつも私に怯えていたのに?」
こんな時でも減らず口を叩いてくる憎き相手に、黙らせるための鋭い一撃をお見舞いする。流石に受けを取られたが、それでもダメージは蓄積しているようだった。
少しだけ頭で考える余裕が出てくると、体に染みついていた、リズやラピスさん仕込みの動きを、更に意識して行っていく。足捌きは軽く、体は捻って重みを出す、そして、相手を怯ませる。何度も反復した動きを実践する。
少しずつ俺がイザナを押していく。
そして、腕に疲労と痺れが溜まってきただろうイザナが、最後の勝負に出た。ここまでイザナを追い込めたことに油断する気持ちを殺して、俺も次の攻撃に備える。
待つ間は、一瞬にも、永遠にも思えた。
しかし実際はすぐに破られたのだろう。今まで見た誰の剣よりも速く、そして重そうな剣が、俺の右からやってくる。
――そして俺は、それを受け流し、大きくバランスを崩したイザナに、遂に剣を突きつけた。
剣先は、確実にイザナの喉を捉えた。イザナはというと、愕然とした表情で目を見開き、座り込んだまま俺を見上げていた。そこには仮面など何もなく、ただ、何が起こったかわからないというような戸惑いが浮かんでいた。
そのまま時間が過ぎていく。
だが、ハッと我に返った審判が、慌てた様子で勝者を告げた。
「しょ……勝者、グレン・デイヴィス‼‼」
待ち望んでいたその声に、俺は二カッと口角を上げた。




