56.真剣なハニートラップ
思い切って家を飛び出してきた俺は、城下をコソコソと移動していた。
奇異の視線で見られるが気にしない。
俺は脇道に逸れた。静かだがそれほど治安は悪くない、栄えている場所としては珍しい場所が現れる。しかし俺は、更に奥へと突き進む。
(…そういえば、初めてここに迷い込んだ時は、すげぇヒヤッとしたよなぁ)
言うならば、ここは迷路だ。しかしそんな迷路の中に、幼い頃の俺は楽園を見つけた。
迷いない足取りで最後の角を曲がると、そこには、一本の大きい木があった。そこは廃れた広場で、真ん中にでんと大樹があるのだった。昔も、そして今も、そんな大樹に一本の光がさしており、神々しさすら感じるそれをただ見上げた。
「…少し、邪魔するぞ」
そう一言断ると、俺はその大樹の根本に座り込み、体を預けるようにして凭れ掛かる。
ここにくると、俺に絡みつく色々なものから解放されるような気がしていた。そしてそれは、今も昔もずっと変わらない。ここに俺以外の人がいたこともないので、勝手に秘密基地と呼んでいた。
木や草の匂い。ふわっと頬を撫でる風に、小鳥の囀り。五感から入ってくるもの全てが、荒れた心を癒していた。
「………なぁ。俺はこれから……」
――どうすれば、いいんだろうな。
そんな言葉を言ってからか、はたまた言う前にか。俺は無防備にも、そこで意識を失った。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「……ん…」
「あ。おはよう、グレン」
「あー、おはよう、リズ……」
……?
「…は?リズ⁉」
「うん。どうも、リズちゃんです。会いたかった?」
「今はどちらかと言えば会いたくなかっ…」
あまりにテンポの良い会話に、意識が覚醒していないこともあり、ついいらないことを口走る。あ、と思って口を塞ぐが、リズは全てわかっているというように微笑んでいた。
「わかってるし大丈夫。ここも、あの噂のことで来たんでしょ?」
「…リズの方にも届いてたか。やっぱりな」
「そりゃあね。でも、悪意ある脚色がされすぎだし、おまけに広まる速度も異常だし…。やっぱりあの不気味なお兄さん?あ、イザナさんだっけ?がやったのかな」
「あー、まあ…。まだわからないけどな」
目を泳がせながら、「そういえば」と続けた。
「なんでリズがここに?」
「それは勿論、グレンのあとを尾けてきたから」
「……それは、世に言うストーカ」
「違うよ?」
「いや、でも」
「ち・が・う・よ?」
「…ハイ」
圧に屈した俺は、大人しく口を閉ざした。
「…でも、申し訳ないなと思ってるんだ、これでも」
「いきなり何だよ?尾行のことなら問題ないぞ?」
「そっちじゃなくて……。その、ここ、グレンの大切な場所なんじゃないの?」
ばつの悪そうな顔で、視線を右下に逸らしながらそう言うリズ。意外と繊細なところへの気配りをしてくれるタイプらしいと思いながら、でも、それもそうだなと思う。
今までは俺の、俺だけの秘密基地だったのに、この瞬間にそうじゃなくなったのは確かに嫌だった。リズをこの場所で見つけて、この場所がリズにバレたと覚醒した頭で理解してからは、落ち着かないものがあったのも事実だ。
「…何ていうか…まあ、そうだな。大切な場所だけどさ、何も俺だけの場所じゃねぇんだし、別に気にしてねぇよ」
ただ、それを素直に言うことは流石に出来ず、当たり障りのないことを言ってはぐらかした。しかし、リズがすっと目を眇めたのを見たところ、ばっちりバレたらしかった。
それからリズは、顎に手を当て、何かを考え込んでいた様子だったが、不意に顔を上げた。そして、体ごと俺の方を真っすぐ向いた。
「……あのね、グレン。私…」
真剣な表情で眉を下げ、少し躊躇うような様子を見せるリズ。
しかし覚悟を決めたのか、再びぐっと前を向いて、真っすぐな声で言った。
「…私、グレンのことが好きだよ」
(・・・は?)
真剣な表情。若干潤んだ瞳。そして、潤んだからか若干赤く見える頬。
それらと今の言葉を考えると……、もしやこれは、”告白”…?
そこまで思考が辿り着いた瞬間、かあっと顔全体が熱を帯びた。
(いや、だって、これはどう考えても――‼)
「えっ…ちょ……っ!」
そして一呼吸置いてから、彼女の唇が言葉を紡いだ。
「……本当に、大好きなの。友人として。知り合ったばかりなのにって、そう思うかもしれないけど」
(そっち…だよなあ……ッ‼)
突然の出来事にバクバク言う心臓を、どうにか宥めすかす。勘違いしていたことも恥ずかしく、一層顔が熱くなったが、俺がそうしている間にも、真剣なリズの話は続いていく。
「…それでね。私、家族と友人には甘い方だと思うんだ。それを踏まえて言うんだけど、絶対さっきの気にしてない発言、嘘だよね」
「うぐっ……」
今日はザクザク切り込んで来過ぎだと思うが、俺への心配からなのかと考えるとどうしても止められない。そして、されるがままになっていく。
「勝手に尾けてた私が悪いけど、私が知っちゃった以上、…今まで通りには、安らげないよね」
「……リズ……」
(…なんだ、やっぱり俺を心配して言ってくれてたんだ。滅茶苦茶いい奴だな)
「だからね」
「ああ」
「私、グレンと深い関係になろうと思うの」
「ブフッッ⁉⁉」
吹き出した。正常な反応だと心底思う。
だが、自分の言っている内容を理解しているのかしていないのか、リズは一貫して真面目な表情で告げる。
「…私は思ったの。私がまだ安らげない相手だからいけないんだって。なら、私とグレンの関係が深まって、隣にいても安らげるような存在になればいいだけの話でしょ?」
「それとこれとはちげーわ!ってか絶対お前今日脳みそ腐り落ちてるだろ⁉発言もうちょっと気をつけろ‼」
「は?発言?……」
今度は耳まで赤くなった俺の顔を凝視しながら、リズがううむと考え込む。
けれどすぐに自分の発言に思い当たるところがあったのか、ぶわあああっと赤面した。
「……っ‼」
形のいい耳と輪郭を余すことなくなぞるように朱に染まる。動揺のためか、リズは一歩、右足で後ずさった。そして、二歩、三歩と、俺から距離を取っていく。
「あ……、いや、えー…」
動揺している彼女に、親指で俺の隣を指しながらこう言った。
「……とりあえず、ここに座って話さないか?」
その後、「誤解だから‼間違ってもハニトラじゃないからね‼ってなんで赤くなってんのー‼」と涙目でボコスカ殴られたのは余談である。…でも、そのおかげか、鉛のように重かった心がふわっと浮き上がっていた。




