39.バカ姉貴とバカ義弟
ボクは、不義の子だ。クレイトン伯爵と、貴族の未亡人の間に生まれた子。
当然のように、正妻から憎まれていた。
『おまえのような者に、居場所はないの‼』
…初めて怒鳴られたとき、ボクは恐らく、四歳か五歳くらいだった。
見て見ぬふりを一貫していた義母だが、遂に耐えられなくなったのだろう。
見上げるほどの大きさの生物から、ギンギンとする大声を、しかも怒声を浴びせられて、ボクはいつも泣いていた。怖くて、寂しくて、辛くて、どうしたらいいかわからなかった。
六歳くらいからは、食事は一食になり、元々質素だった食卓が、自分の分だけパン一切れになっていた。しかも固いパンで、かじった時に奥歯が欠けたほどだった。その時に、義母にニヤニヤと見られているのも、気持ち悪くてたまらなかった。
衣服は薄く、年を重ねるごとに小さく、汚くなっていったし、替えたいとも言い出せなかったし、勝手にお風呂を使うなんて以ての外で、いつも井戸から汲んできていた。今思えば、よくある虐待だったと思う。
そんなある日、怪我と、心の痛みに耐え切れず、一番泣き顔を見せてはいけない人の前で泣いてしまった。義母だ。絶対に、怒声が降ってくると思った。それがわかっていたから、頭を抱え込むように座り、泣きじゃくっていた。
しかし、いつまでたっても怒声が降ってこない。
泣き疲れたボクは、どうしようもなくて、恐る恐る義母を見上げた。
その義母の顔は、後悔と動揺に染まっていた。
元々、義母も良識がないわけではなかったのだろう。あとから聞いたところによると、散々虐待をしてきたのに、いざ目の前で涙を流しているボクを見ると、猛烈な罪悪感と動揺に襲われたそうだ。あと、レオナードがあまりにも可愛かったのだと。…それから、義母は少しだけ優しくなった。
それでもボクは嬉しかった。侍女にも、最近は義母が優しくて、今日はこんなことをしてくれたんだよ、なんて報告するくらいに。
それからボクは、天使の皮をかぶるように自分を変えた。あの時、何かがわかったような気がしたのだ。
それに、自分に散々な扱いをした義母からのものだとしても、まだ「親の愛」を諦められない自分が、親や、周囲からの愛を得られるようになる、素敵な才能だと気付いたのだ。
そして段々と、義母だけでなく、父にも愛されるようになってきた。
…そんな時だった。
父と義母の間に、子供ができたのは。
男の子だった。「メイナード」と名付けられたその子は、ボクの努力を鼻で笑うような存在だった。いくらボクが可愛くしても、父と義母は、必ずメイナードを優先した。
(…なんで)
ボクは、裏切られたような気分になった。
ただ、愛に飢えていただけで、ただ、裏切って欲しくなかった、それだけで。
でも、「それだけ」が全然遠かった。それに気付いたときには、もう大分拗れていた。
ボクは試しに強請ってみた。可愛い声でものを強請ると、両親はすぐに応えてくれた。そしてそれをもらった瞬間に、弟に喚かれ分捕られた。その時、両親は弟を責めることも、ボクに新しいものを買い与えることもなかった。
ボクは泣いてみた。両親の関心を引きたかったから。案の定、両親はすぐに駆けつけてくれた。けれどメイナードが泣くと、両親の関心は全部とられた。
ボクは構ってと言ってみた。両親は、ボクにも甘い。しかしボクが構ってもらおうとした矢先にメイナードがすぐ拗ねると、迷わずメイナードを構う一方で、ボクは放っておかれていた。
…理不尽だ。
疲れ果てたボクは、そう思った。
実の子というだけで、あんなにも無条件に愛されて。
可哀そうな「レオナード」。
けれどそれが、不幸中の幸いか、使用人を味方につけることに繋がった。
それが、ボクの糧になった。
天使でいれば、人を誑し込んで、いいように使うこともできる、それを学んだ。
幼いメイナードがいる両親はもう無理だと切り捨て、今度はターゲットを使用人に絞った。
甘えて強請って構わせて、天使の皮を被った自分に、一人、また一人と酔わせていく。
メイナードに傷つけられた自信は、みるみるうちに蘇っていった。
だって、家のことは全部ボクの望み通りになる。指示をするのは上でも、実際働くのは使用人達だから。
ボクの好物は毎日並ぶし、さりげなく望んだものは翌日こっそり枕元に置かれている。気に入らないものは、「匂わせ」をしておけば彼らが勝手に処理してくれた。
ボクは、昏い悦びで満たされていた。
……実の子にどうしても勝てないという、悔しさと憎しみさえなければ。
しかしある日、転機が訪れた。
レイナー公爵家からうちに、養子の打診が来たのだ。
長男は家督を継ぐ気がなく、長女は人間性に問題があるらしいとかなんとか。
生家との繋がりは完全に遮断されるが、公爵家の人間になれる、栄誉な話だった。
ボクは最初、どうするのかと一抹の不安を感じていた。両親はメイナードを大層可愛がっている。ボクをいくら可愛がっていたとしても、養子に出されるならば自分だとわかっていた。
しかしふとボクは気付く。普通に考えて、ここに執着するよりも、公爵家の息子として育ててもらった方が、断然良いに決まっていると。ボクを支持する使用人を手放すのは惜しいけれど、公爵家でも少しレベルを上げつつやれば、どうってことはない。
ボクは、それからすぐに「どうすればメイナードに公爵家へ行きたくないと言わせるか」について考え始めた…が、その必要がないことはすぐにわかった。両親もメイナードも、お互いから離れたくない様子だったからだ。
そこでボクが「ボクでよかったら…、公爵家に送って下さい。そうすれば、メイナードも父上も義母上も、使用人さん達も…全員、幸せになれるんでしょう?」と言うと、一発で通った。これほど彼らのチョロさをありがたく思ったことはなかった。
それからは、「レオナード様が出向く必要はありませんのに…」と同情心から言うたくさんの使用人達から情報収集をして時を待った。家のことから、家族構成。そして、家内の雰囲気に、夫妻と娘の性格など。まるで不安はなかった。
そうして、待ちに待った出立の日が訪れる。
レオナードは馬車に揺られ、やがて、伯爵の屋敷より何倍もある豪華で巨大な屋敷の前へと連れて来られた。噂通り、出迎えすら空気が悪そうだった。使用人は疲れ果てており、夫妻の顔色を窺っている。夫妻も夫妻で、子供を間にいれるでもなく除け者にしている。事前の調査通りで、ボクは安心していた。
――ただ一人、エリザベス・レイナーを除いては。
明るく話しかけてきて手をとったエリザベスは、我儘で傲慢な性格などではなく、寧ろ、優しく気遣い屋さんで面白く、更には、「義」弟思いというまさに理想の姉で。ボクは、新鮮さに戸惑いつつも嬉しく思っていた。なぜなら、扱いやすそうだったから。
そんな義姉に感謝すると共に、昏い感情が芽生えていた。
メイナードに…、実の子に根こそぎ奪われた親からの愛情。それを代わりに、こいつから奪ってやろうと、そう思っていた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
(…なのに、こんな)
迫る熱気に、泣きそうになる。
レイナー公爵夫妻の実の子というだけで逆恨みし、憎んでいた相手に、縋っている。
(いや、『精々ボクを守るために強くなってね?』とは思ったし、助けられる気満々ではあるけど…!でも、こんなときに頼るのがアイツなんて…っ)
悔しさと混乱で、瞳が潤む。
そして、焼き印が押し付けられる、と思ってぎゅっと目を瞑った瞬間、思いっきり大声をあげていた。
「……助けに来いよ、バカ姉貴‼‼‼」
「――助けに来たよ、バカ義弟」
それは、今一番聞きたいけれど、一番聞きたくなかった声だった。




