22.お前は誰だ
街で遊んだ翌日、朝からお兄様が来訪された。
あの街歩きだけで筋肉痛になるというあまりにも脆弱な己を恨みつつ、ぐぎぎぎぎと歯軋りしながら痛みを堪えていた時にその連絡が飛び込んできた。
故に、今の私の状態異常は『不機嫌』一択。
そんな不機嫌な私を呼び出したお兄様もまた、不機嫌そうだった。
こんな中で、まさか円滑な話が出来るとは誰も思うまい。
そしてその予想通り、全ての使用人を追い出した防音部屋の中で、私達兄妹は睨み合っていた。
「お久しぶりです、お兄様。お茶会以来ですね」
「ああ。久しぶりだな」
抑揚のない声が、妙実に“お前には興味がない”ことを表している。
こっちだって暇じゃねぇんだぞと思いつつも、しっかり敬語で相手する。
「…ところでお兄様?本日はどのようなご用件でいらしたのですか?」
お茶を優雅に飲んでいたお兄様は、テーブルに茶器を置くと、驚くほど単刀直入にこう言った。
「お前は誰だ?」
「……、はっ?」
淑女教育が施されていたはずの仮面は、気付いた時には、あまりの衝撃に吹き飛ばされていた。
『お前は、誰だ?』という言葉が、ひたすらに脳の中で木霊する。
今まで、変わったとは思われても、それは使用人にだけだった。
元々両親との関わりは薄くそこまで把握されていなかったし、社交界でも、まだあまり顔を出していない時期だったのが幸いし、今まで良好な関係を築けていた。
こんな風に、転生について指摘されることもなかった。
だから、端的に言えば、油断していたのだ。
これからの会話が思いやられ、一気に警戒度が跳ねあがる。
「…やはり、元のエリザベスではないみたいだな」
「……お兄様の仰る意味が、よく分からないのですが……」
一応知らんぷりをしてみるものの、やはりあの反応を見せたあとではもう遅かったようで、白々しいと言わんばかりにキッと睨みつけられてしまった。もう、視線だけで人を殺せそうだ。
確信されてしまっている以上、致し方ない。そう考え、私は潔く白状した。
「…はい…すみませんでした。貴方の言う通り、私はエリザベスちゃんではありません」
こうすることで、あわよくば怒りが収まってくれれば…と思っての行動でもあった。
しかし、私の英断も虚しく、より憎々し気に睨まれる。
お兄様も顔が整っているので、迫力が途轍もない。
何故か、お兄様の背景に怒りの炎が見えるほどには。
「何のつもりだ?答えろ」
(それもう尋問ですよね)
「……文句があるか?」
「イエ滅相モゴザイマセン」
にっこりと営業スマイルを浮かべたところ、「白々しい」と一刀両断されたので一瞬にしてさっきまでの表情に切り替える。もう、こういうところで決着はついていると思う。
(それにしても…、エリザベスちゃんとお兄様の関係って、それほど悪くなかったんだな…)
てっきり、全方位から恨まれたり疎まれたりしていると思っていたエリザベスちゃんだが、お兄様とは良好な関係を築けていたらしい。あとで記憶を覗き見てみようと思う。
それはともかく、だ。
(…このただ睨まれるだけの時間、どうやり過ごそう)
私も不可抗力でエリザベスちゃんに転生した身だ。
そして、元に戻す方法も、エリザベスちゃんを何かに憑依させる方法も、何も分からないし出来ることがない。
一応、エリザベスちゃんの亡霊に恨まれないように、エリザベスちゃんを呼び戻す方法は、我が家の私専属の“影”に探して貰っている。
だが…、それを言ったところで、怒り心頭の我が兄は聞き入れてはくれなさそうだ。
(参ったなぁ…)
思いっきり天を仰ぎたい気分だ。
なんなら、この屋敷中ダッシュして逃亡したい気分。
しかし……。
(この兄は振り切れないよなぁ…。逃げたら逃げたで、後ろ暗いことがあるって言ってるようなもんだし)
心底面倒臭いことになった。それだけが私の脳を占めていた。
すると、兄は『何のつもりだ』の答えを急かしているのか、貧乏ゆすりを始めた。
…今、『こんな兄周囲に嫌われてしまえ』と思っていたのは、私だけの秘密だ。
「で?どうなんだ」
「長くなりますが、良いですか」
「早くしろ」
「…実は、私も分からないんです」
結局、全て白状することにした。妄言上等。
そんな私を見て、お兄様が怪訝そうに眉を顰める。
「……分からない?」
「はい。お兄様は、百年前、国王陛下が、ニッポンから来たという素晴らしい料理の腕を持った女性を王妃様にしたのをご存知ですよね?」
「勿論だ」
「そのニッポンというのは、私の故郷なんです」
「……は?」
「私はあちらの世界で死にました。そして気付いたら、この子の体の中にいたんです」
「そんな荒唐無稽な話、信じられるか」
「信じて貰わなければ説明できません。そして、エリザベスちゃんの精神がどこにいってしまったのかも私は分かりません」
「………どうでもいい。エリザベスを返せ。話はそれからだ」
「無理です。方法は分かりません。私も少しばかり責任を感じ、今、私専属の影に調べさせているところなのですが、有力な情報は上がって来ていません」
「…………」
卓球のようにテンポ良く進む会話がひと段落すると、お兄様はぐっと押し黙る。
「…影を呼び出せ」
「分かりました。…来て」
私がそう一言発すると、音もなく私が座るソファの横に三人の黒服が跪く。
「貴方たちは、今からお兄様がする質問に、一切の嘘偽りなく答えて下さい。良いですね?」
深く首を垂れた三人を確認したあと、これ見よがしに「どうぞ?」と手で促してみる。すると私の煽りを軽くスルーし、お兄様は三人へ尋問を始めた。
最初に『自白の魔法をかけさせて貰う』と言い躊躇なくかけた。
そして、質問が始まったかと思えば、第一声が『妹がした全ての命令を教えろ』だった。
リーダーから、「死者の精神を呼び戻し器に入れる方法を探せ」という命令が出たと聞き出したあとは、本当に収穫は無かったのかとさらに問い質し始めた。…それはもう酷いものだった。
しかし、影達は慣れているのか、それとも自白魔法の効果なのか、淡々と事実を告げていた。
こちらとしては後ろめたいことは何もなかったので、ツンと澄ましておいてやった。
暫くしてお兄様の猛攻が落ち着くと、ふぅ……とバレないように息を吐く。
「……それで、お兄様。私の無実は証明できましたか?」
「お前の無実はともかく、お前がエリザベスを取り戻すために尽力していることは分かった。…エリザベスを奪った張本人とはいえ、無闇に問い質して済まなかった」
「いえいえ。頭を上げて下さい」
副音声で(分かればいいんだよ、分かれば)皮肉るが、当然私の副音声を聞き取れないお兄様は、「有難い」と言いながら頭を上げた。
「では、お話はそれで終わりですか?」
若干声を弾ませてそう言う。が、「何を言ってるんだ?そんな訳ないだろう」と当然のように返される。
「…何で」
「お前がエリザベスを奪ったからだ」
「そもそも、お兄様は何故そんなにエリザベスちゃんに拘っているんですか?」
「……我が儘で傲慢な、エリザベスにか?」
「…はい。そうです」
驚きに目を見開きながら答えると、初めてお兄様は、懐かしむようにふっと笑った。
「単純に、エリザベスに恩があるからだよ。大恩がな」
「恩、ですか……?」
意外な言葉に目を見開くと、兄は、懐かしむように目を細めて語り出した。




