18.気になるあの子に顔面崩壊
アシュリー公爵家騒動と夜会騒動が終わってから早一日が過ぎ、転生から約二カ月が経過した。
季節は春から夏へと移り変わり、緑と青が印象的な今日この頃。
全てがひと段落した――と思われた私の下へ、様々なハプニングが押し寄せていた。
寝ぼけ眼のまま父の書斎に案内された私は、渡された手紙を読んで沈黙していた。
「……?」
脳が理解を拒んでいるともいう。
「え~っと…何々?『リリー様との関係を取り持ってくださいまし』?『夜会前の非礼を詫びるためお茶を』?えぇ~…」
ライラとお兄様からの手紙を気だるげに仕舞い込みお母様に手渡すと、「あなた本当によくそれで友達が出来たわね…」と渋々受け取ったお母様に呆れられた。
しかし、私はそれどころではなく途轍もなく眠いのだ。眠いし、何かをするならするで、全然、全く、これっぽっちも出来ていない異世界旅行っぽいことをしたい。
つまり、殆どの招待状はお断りか延期コースに乗る。
「えーと?…第一王子殿下から?お母様これそこのごみ箱捨てといて」
「そうね。なんなら、届かなかったということにして処分しましょうか」
「…面倒だろうから、私の方から招待には辞退する旨を伝えておこう。リュカには必要ないとも」
「え⁉本当ですか⁉流石ですお父様‼」
見ての通り、両親の私達姉弟への甘さは日々加速中。当初からは考えられないほど、傍目から見ても家族仲が良くなった。
だから、第一王子からの手紙をお母様の火魔法で焼却しようとも(中身は一応確認済)、お誘いを断ろうとも許される。
ちなみに、我が家が公爵家で一番の権力を持ち、宰相を出しているからこそ許される特権である。普通のお家がこれをやったら間違いなく首ちょんぱまっしぐらだ。
「……ああ。天使をどこぞの馬の骨にはくれてやらないから安心しなさい」
「お転婆なこの子はもう一生この家に居て欲しいくらいですから…ねぇ?」
…若干狂気的な気もしなくもないが、孤児で両親が居なかった前世では得られなかった両親からの無償の愛は、ぬるま湯のように心地よかった。
しかし私は、ぬるま湯に浸るあまり、油断してしまっていたようだ。
「…あら。そういえばリズ、今日はエヴァンス公爵家の令息と約束があるんじゃなかったの?」
母の何気ない一言に顔を蒼白にするまで、そう時間はかからなかった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「はあ、はあ、はあ、はあ…っ!ぎり…っ、ぎり、セーーーフ…ッ‼」
待ち合わせ場所で木にもたれながらこちらを見やるアレクを確認すると、足を止め、ぜぇはぁと乱れた息を整える。
全力ダッシュでここまで来たので、うちの敏腕侍女三人が総出で整えてくれた髪も乱れてしまった。
既に背後から感じる怒気に冷や汗をだらだら流しつつ、「おまたせ~…」と情けない声を出した。
「……君、いつも何かやらかさないと気が済まないわけ?」
「え⁉やらかしてないじゃん。ちょうどピッタリ間に合ったよ?」
「その状態でやらかしてないって言えるリズが羨ましいよ…」
全く…と私へ歩み寄り、軽く髪を整えてくれるアレク。
子供の貴族の異性へのボディタッチとしてはぎりっぎりイエローカードといったところか。これは同世代にはやたらとモテるだろうなと、つい妬ましいような気持ちになってしまう。
それに、凄く優しく丁寧に髪を梳いてくれるものだから、お前は私の婚約者かと照れ隠しに言ってしまいたくなる。
「…それで、前から気になってたんだけど」
「ん?」
「あのスライム、何」
スライム?
アレクの視線を辿っていくと、がさがさ不自然に揺れる茂みにぶち当たる。
と同時に、茂みから見え隠れするぷるぷる禁断ボディも発見した。
「…あの禁断のぷるぷるボディ、まさか…」
私が吸い寄せられるように茂みに近付き腰を下ろすと、アレクも私より少しだけ前で屈みこむ。
すると、あの日諦めた思い出のスライム――、ぷよ丸がいた。
「ぷ…ぷよ丸ぅ……‼」
思わず感動でじわる私に、アレクが「…リズ?」と怪訝そうに眉を寄せる。
「間違いないよ……この魅惑のボディは…ぷよ丸しかあり得ない」
「……とりあえず感動の再会ってことで合ってる?」
アレクの言葉に、四回ほど力強く、こくこくこくこくと頷いた。
「あのね、この子…。見ての通り凄い可愛いんだけどね」
「……うん?」
「なんだけどね…。私この子のこと何も知らないし…勝手に連れて帰るのもぷよ丸が可哀想かなって思えてきちゃって…」
「可哀想……、ね」
「…それで、未練たらたらのまま放置してるんだけど…。こんなつぶらな瞳で見つめられたら決意が揺らいじゃうって…」
そんな私の様子を見てか、アレクは「…だったら、まずコレ見て」と何かの魔法の魔法陣を私達の目の高さに合わせて作ってみせる。
「この魔法陣って?」
「…いいから見てて」
アレクはそう言うと、魔法陣をぷよ丸へ向け、そして……発動した。
「え⁉ちょっ、アレク、何して」
「煩い。コントロール狂うから静かにして」
容赦なくバッサリと切り捨てられる。
しかし、攻撃魔法が放たれなかったので、ひとまず言われた通りに押し黙った。
(アレク、何するつもりなんだろ……?)
「……《言語変換》」
(‼あ…そういうことか!)
アレクがやってくれようとしていることに気付き、途端に目を輝かせてぷよ丸を見る。
まさか…、まさか、異世界行ったらやりたいことリストのうちの一つ、『魔物とお喋りする』が叶ってしまうのかと胸を高鳴らせる。
「…ぷよ丸?」
試しに話しかけてみる。
自分でも、自分の声が少し興奮で上擦っているのを感じた。
『……りぃ、ず?』
「~~~~~~っ……‼」
私は咄嗟に口を両手でおさえ、ずざざざっ…と後退した。
(え?今からこんな可愛い子とお話しろと?ムリゲーにも程があるだろうが‼なにこのちょっと舌足らずで幼児系な尊い喋り方⁉しかも弟適正あるとか何なん?)
『ぼく……』
「!、!」
うん、うんと頷いてみる。
ちなみに興奮のあまり声の出し方は忘れた。多分どこかの世界に置いて来た。
『いらない…?』
「いるよぉぉおおお⁉そりゃもういるよ⁉」
『ならどおしてりず、ぼく、あそんでくれなかったの?』
「ゑ⁉遊んで良かったの…?いや違うの、誤解なの。それにはね、海よりも深く山よりも高いわけがあってね……!あのね?ずっとお姉ちゃんは構いたくて構いたくて仕方なかったんだけど…怖いかなぁって思ってたの」
『こわく…?ないよぉ?』
「そっかぁ~こわくないかぁ~♡じゃあ一緒に遊ぼうねぇ~」
無事、顔面崩壊を起こした私は、手汗の滲む両手でこの神聖な存在に触れていいのか迷いに迷い、結局宙に半端に浮かせたまま終わるという何とも変態な感じになってしまった。
「…うっわ、デレデレ」
「おいなんか言ったか少年」
「……何も?」
ぷよ丸への酔ったような熱い視線をさっと急速冷凍させアレクの方を向くと、しれっとアレクはそっぽを向いた。
(おい今の完全に聴こえてたからな?事実だけど。…事実だけど!)
『りぃず…』
一瞬でぷよ丸に全意識を集中させると、「なぁに?」と気色悪いほどの猫撫で声を出した。
『りず、ずっと、いっしょが…いい……』
「……さてはこの子、暗殺者だな?私のこと殺そうとしてるな?」
「…どうせあとで『こんなに可愛い暗殺者がいるかぁ!』…って言うんでしょ」
「君同士?同士なのか⁉私は同担大歓迎派だぞ‼来る⁉来るよねこっち側⁉⁉」
「暑過ぎて夏バテするから無理」
すげなく断るアレクに「ちぇ~」とだけ言うと、それにしてもどうしようかと考えを巡らせ始める。
あれから諦めきれなかった私が調べたところ、どうやら魔物はテイムできるらしく。
テイムすれば、確かに私とずっと一緒にいられるし問題ないが…。
テイムは別名、魂の契約だ。一度結んだら、二度と切れない。
良いのだろうか…こんなに若い(?)子の未来を摘むようなことをしてしまって。
人は、個人差はあるが複数匹テイムが可能だが、魔物の方の主人は一人だけなのだから…、慎重に決めて貰った方が良いのではないか。そうぐるぐる考える。
珍しく真面目に考え込む私に、ぷよ丸がぷるんと跳ねてアピールする。
「……良いの?ちゃんと知ってる?テイムのこと。あとで別の人にすれば良かった~なんて言われたら泣いちゃうよ?お姉ちゃん」
『う~ん?りずがいいも~ん大丈夫だよぉ』
「そっかぁ大丈夫かぁ~♡」
「陥落するの早いって…」
「せっかく真剣な表情は$#>=L”#…」と伏し目がちに言うアレクを華麗にスルーし、私はぷよ丸と目線を合わせる。ぷよ丸のボディに映った私は、とても真剣な表情をしていた。
「じゃあ…テイム、するよ?」
『うんっ』
ぷるんっと体を揺らしたぷよ丸は、どこか嬉しそうだ。
私は瞼を閉じ、深呼吸してから目を開くと、ぷよ丸へ手を翳す。
「我、汝と今ここに永遠の契約を結ぶことを誓う――《使役》」
緑色に発光した芸術的な魔法陣が展開され、パアッと光り輝いたとき、合唱で声が重なるときのような、本当に微かな感覚があった。
何となくとしか言えないけれど、きっと今も私の中に在り続けている不思議な感覚は、ぷよ丸のものなのだろうと、これまでの成り行きがなくても感じ取れて。
『わ~ぽかぽかする~』
「ねぇ~ぽかぽかするねぇ~♡」
「…はぁ。まあ、良かったんじゃない?」
僅か九歳の子供とは思えない疲れたような声色に、将来は苦労人になりそうな予感がすると密かに思う。
ならせめて労ってあげなくちゃね、と、幼い子供を見守る保護者のような心境で、ぽんぽんとアレクの頭を撫でた。
「アレクも、ありがとね。あとであの魔法、教えてよ」
「………っ。…早くこっち来れば」
照れ隠しにつっけんどんな言い方になってしまうアレクを見て、なんとなく姉のような気持ちになる。
正直、アレクは滅茶苦茶に可愛いし、小さな紳士という感じがして微笑ましい。
私の精神年齢が二十三歳プラス二カ月くらいだから当然といえば当然だが、同じ背丈でも、やっぱりそう見えてしまうのだ。これだけは許して欲しい。
(ふふっ。可愛いなぁ、アレクもライラもリリーも。もしかしたらあの第一王子でも可愛く思える日が来るのかな)
「…何見てるの」
「あー、ごめんごめん。さ、ぷよ丸、行こう」
『はぁ~い』
ぽよんっとなかなかの跳躍力を見せ私の肩にぷよ丸が飛び乗ったのを確認すると、私達は開けた場所へ歩き出した。




