125.交錯(ヴィンセント・アレクシス・グレン・フレデリック視点)
足元が、ふらつく。
オレは慌てて壁に手をつき、ぐにゃりと歪んで見える視界を誤魔化した。
(……ただでさえリードされてる状況下。一瞬たりとも気は抜けないのに…)
いけない、いけない、と意識をしっかり保つ。
そして、再び歩き出した。
(権力のある家からの後ろ盾が必要だ――とりあえず、一つ一つ、公爵家や侯爵家あたりをまわってみるしかない。今日約束しているのは、確かチャムレー公爵家だったはず。情報も既に仕入れてあるし、取引も公爵家に旨みのある話だ、成功率はとても高い)
ほんのりと口角が上がる。
失敗続きだったのが、結構堪えていたらしい。
(少なくとも門前払いはされないはず。……その後は、時間が許す限り、近隣の大孤児院への寄付と視察に行く形になる……でも、これも成功率は高そうだな。困窮していると聞くし、オレなら十分上手くやれる)
そうして、作戦を練りつつ、足を動かし続けた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「その結果が――コレ、か」
ダンッ‼‼と、壁に拳を打ち付けた。
ひりひりとした痛みと、赤くてどろっとした液体が滲み出てくる。
寄付と視察を兼ねて孤児院に行けば、子供達に「わるい”まもの”だ!あっちいけ‼」と追い払われ。
公爵家に行けば、「協力?あの女の息子というだけで嫌よ」と嘲笑を浴びた。
熱を帯びる心に、しかし、使用人の事件から養われた冷静さが、凍り付きそうなほどにそれを冷ましていく。そして、思考はすぐに、どうやって遅れを取り戻すかというところに向いた。
だが、それも一秒で終わる。なぜなら、次の手を思い付いたからだ。
「…ああ、そうだ。公爵家なら、あそこがある。――そう、エヴァンス公爵家なら」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「じゃ、考えといてね♪」
「……わかってる」
そうして、機嫌良さそうに第二王子殿下は帰って行った。
一人残った僕は、自邸のガゼボで、「はー……」と疲労からくる溜息を吐いた。
話の内容は、ずばり、エヴァンス公爵家にこちら側に付いて欲しい、というものだ。予想出来たことなだけに、頭が痛い。
なぜなら、今回その判断は、僕に任されているからだ。
どちらに付くか――この争いが始まった日の翌日、早朝に僕は父上に任された。後継者教育の一環だそうだ。
(……そう、言われてもね)
苦い気持ちで、ぬるくなった紅茶を飲む。
リズと一緒に居て、彼らの人となりも、友人として少しは知っている。
だからこそ、頭がずきずきとして堪らなかった。
そしてふと過ったのは、第一王子殿下側に付いた、親友の姿。
(……全く、性質が悪すぎるよ……)
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
殿下の側近候補、未来の騎士団長候補、そして第一王子派筆頭として、殿下の傍に居続ける学園生活を送っていたある日のこと。
俺は、偶然、普段人ごみを避けるシス――アレクシス・エヴァンスのすぐ近くですれ違った。
一瞬、大きく目を見開いた俺とシスの瞳が、交差した。
「お!シス!」…なんて、無邪気に声をかけられたら、どんなによかったか。
シスは今のところ中立派だが、中立派も揺さぶりをかけられ続けているはず。そこで俺から声がかかるなんて、アイツも願っていないだろう。
(……あー。シスと話してぇ…、リズが恋しい…、いつもの空気に戻らねぇかな……)
ぼんやりそう考えていると、「きゃー!グレン様がこっち向かれたわ!」「いや今のは私の方に向いたのよ!」「こっちと言ったのよ、というかあなた図々しいわね!」というような言い合いの声が聞こえてくる。
こういうのは領分じゃないんだがなあと思いつつも、にかっと彼女達に笑いかけると、ぎゃああああっと言葉にならない悲鳴をあげて、言い合いを中断させた。
(――はぁ。本当に、俺にも出来ること、何か変えられること、ねぇのかな――)
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
(……退屈そう、だね)
私はそう分析していた。
何をって、今のグレンの行動をだ。
(彼らしくないサービスまでして……。まあ、関係を取り持とうとするところとかが、世話焼きな彼らしいんだけれどね)
くすっと笑うと、近くで男女問わずざわめきが起こった。
(それにしても、折角アレクシスと会えるように操作しておいたのに、逆に切ないことになってしまったね。一応、頑張ってくれている臣下にご褒美を……と思ったのだけれど、もう少し対話の時間ぐらいは取るべきだったかな)
私はそう考えつつ、先ほどの表情を思い出す。
これでいいのか、私の側に付いているべきなのか、そういう悩みが爽やかな笑みの中に見え隠れする表情を、グレンは浮かべていた。
(……うん、それでいい。悩んでくれればくれるほど助かるから。ただ、もう少しだけ我慢して居て貰わないとね)
今や、私の勝利はほぼ確実のものとなっている。
私が手回ししていた、合計五つの侯爵・公爵家と孤児院は、無事当たったようでガード出来たし、こちらの首尾は上々だ。
そうして、私は遠くを見ながら呟いた。
「絶対、耐えてみせるんだよ、ヴィンセント」