122.これがまさしく社交ホラー…
人ごみが、不気味に昏く蠢いている。さながら、出口の見えない夜の森にいるかのような気分だった。
間からもれてくるのは、ひたすらに嘲笑や蔑み、そして快感の嗤い声。
「……っ」
私の前の席にいつも座る子も居た。その子自体にあまり思い入れはないけれど、確か、いつもいつも、疲れるだろうに、尊敬の念を送ってきてくれた、純粋な子だ。そんな子リスのような子の表情が、ふと目に入る。
その子は、眼球の形がまるまる見えるほど目を見開いて、べたべたとヴィンセントの全身をなめまわすかのように観察していた。
「ぁ…」
思わず、バッグを取り落とす。
ばさっというような音だが、今はやけによく響いた。
(…あ、しま、しまっ……)
ギラギラとした視線を一身に受けて、呆然とする。
そんな私に、わっと周囲がなぜか湧いた。
「エリザベス様!」
「おはようございます!」
「本日もとても麗しく!」
「は……、えっ…?」
一瞬で、生徒達の顔が切り替わる。
いつもの、私の見慣れた顔だ。
てっきり、虐めが始まるのかと思っていた。早鐘を打つ心臓と冷や汗を自覚しながら、「あ、うん、おはよう…」と返す。とりあえず、そういうのじゃないとわかってほっとする。
いつの間にか、私を庇うように前に出てくれていたレオと翼に、『もう大丈夫みたいだ』と笑みを返した瞬間、女子生徒が声をあげた。
「そういえば、エリザベス様達もこちら側なんですよね?」
「………え」
翼と二人でカチンと固まる。
それなのに、レオはまるで動じていなかった。
「…ね~、姉様取らないでよ。レイナー公爵家なら、ボクも居るのに、なんで姉様?」
「もうっ!そんなの、エリザベス様の方が魅力的に決まっているからでしょう!それでエリザベス様、そうなんですよね」
はくはくと息をしていた私だったが、鼻も喉も詰まってしまったように、流暢に言葉が出てこない。怖いな、と思いながら、それでも、レオが稼いでくれた時間を想って、何とか口をこじ開けた。
「……ふふ。実は、お父様から中立派で居なさいって言われてるんだ、ごめんね」
「――」
女子生徒の顔が、能面のようになる。ヒッと言わなかった私を褒めて欲しい。
そんな女子生徒だが、すぐに「はあ…」と肩を落とした。
「でも、よくよく考えればそうですよねぇ。レイナー公爵家なんて力の大きい家、どちらかについたら大変なことになりますもの。あっ、安心して下さいな。第二王子殿下側ならばいざ知らず……、中立派ならば、牙を剥くことはありません。寧ろ!これからもお姐様のようにお慕いしていく所存です‼」
「あ、あはは。いつも、なんか、ありがとね」
雰囲気が少し怪しい箇所もあった彼女の言葉。
だがすぐに、きゃいきゃいと騒ぐ少女達の言葉に意識が上塗りされる。
「勿体なきお言葉~!」
「ひゃあ、いいな羨ましい!」
「ねえエリザベス様、私にも――」
「さ、姉様、教室帰ろ?……もう、こんな場所、居たくないでしょ?」
後半は、耳打ちでコッソリと言ってくれた。
私は、でも、イヤイヤと首を振る。
「…嫌。全部、見て行こう?」
「姉様、でも……」
「流石にこのままじゃダメだよ、レオ。とりあえず、会話が聞こえるところに行こう」
「…それなら、こっちの方が空いてるよ」
しれっと「どっち派?」の質問から逃れていた翼は、私の手を引いて歩き出す。人の少ないところを通ったおかげで、割とすぐに最前列へと割り込めた。
(うん、ここならクリアに会話が聞こえる)
殿下とヴィンセントの顔がよく見えた。ヴィンセントには、少し疲労の色が見えるが……。
「そういえばヴィンセント。最近の政の調子はどうだい?何か困ったことがあればいつでも言ってね」
「…ありがとうございます、兄上」
ヴィンセントがそう言うと――ぷっと、吹き出す声が沢山聞こえた。
少しではない。沢山聞こえたのだ。
…まるで、対話と言う名の集団リンチだ。
そしてその対話を主導しているのが殿下だということに、少しだけ殿下をわかっているつもりの私は、言いようのない違和感を感じていた。
その時、不意に、殿下が辺りを見渡し始め、私達のところでピタリと止まった。
すると、殿下は――
「…おはよう、エリザベス嬢。いい朝だね」
そう言って、ニッコリと、それはもうニッコリと、私達に微笑みかけるのだった――。