120.戦いの火蓋は切って落とされる
首元から肩に張り付く、透け感のある黒のシアー生地。
全身は黒いシルクのドレスに包まれ、くびれから上はピッタリ、下はふんわり仕上がり、神秘的且つ淑やかでありながら華やかだ。
チェーンのように張り巡らされる銀の意匠も、黒の生地にかかる青のグラデーションも、裾を飾る花の柄も、まるで妖精の羽のようなヴェールも。それぞれがドレスを愛してやまないというように溶けあっていた。
最後に、青と金の髪飾りで美しくまとめられたハーフアップが、少しだけくるりと巻かれて…。
「…はい、出来ました」
アンナの柔らかい声が、降って来た。
いつもなら「ふー!やっと終わったー!」とか言ってバシイッとアンナに丁寧なチョップをかまされているところだろうが、私は緊張の面持ちで鏡に映る自分を見ていた。
侍女三人は、心配そうに私を見る。
大丈夫だという風に微笑みかけてから、もう一度、鏡の私の目を見つめた。
「……リズお嬢様。馬車が準備出来たようです」
「わかった。じゃあ行こうか、三人共」
私が淑やかに立つと、三人も付いてくる。
こみあげる吐き気と頭痛に耐えながら、私は会場へと向かった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
気もそぞろだったが、私は手早くノルマを終えた。
そして、ようやく一息つこうとしたところで、思いの外早い段階で、それは始まった。
楽器の音が鳴り響く。
栄誉を称えるような、太く高い音。それが向く先は、我が国の国王夫妻と、あとに続く、二人の王子。
「――皆、今宵はよくぞ集まってくれた。このパーティは、国内でも最大規模の、王家が誇るものである。皆も楽しんでいてくれると有難い」
そこで一旦言葉を区切る。
そして陛下は、す…っと目を細めて言った。
「そしてこのような華々しい日に、重大な知らせがある」
『重大な知らせ?』
『何それ、聞いてないわ…!』
『陛下は一体何を…?』
…ざわざわと、周囲が騒ぐ。
しかしそれを、持っていた杖でドンッと強めに地面を叩き、陛下はいとも容易く鎮めてみせた。
会場全体がすっと静まる。
一瞬でも、永遠に感じるほどの一拍が過ぎる。
陛下は一度、目を閉じて――カッと強く見開いた。
「――丁度一年後。我が国の王位継承者を、正式に定めることを宣言する!」
貴族達の間に、どよめきが広がった。
『一年後?』
『ではこの一年というのは』
『陛下が定めるのではなくて…』
これからの発言に、様々な思惑と感情が入り乱れる。そんな混沌の中、陛下は言った。
「そして、只今より、王位継承争いを開始する。ここで王位継承をどちらかが辞退すれば、その時点で終了となるが……フレデリック、ヴィンセント。前へ」
「「はっ」」
事前に言われていたのか、二人の動きには迷いがない。
若干の緊張はあるみたいだが、それでも乱れぬ動きで、陛下の前に片膝をつく。
「では訊こう。――この場で、王位継承を辞退する者は、名乗りをあげよ」
凄まじい二度目の圧を、全員浴びる。
……しかし、それよりも観客をどよめかせたのは、その光景だった。
王子のどちらもが、互いの意思を見ても尚、名乗りをあげないという光景だ。
『フレデリック殿下はわかっていたが、ヴィンセント殿下も?』
『お二人共なんて…』
『大変なことになるわ…』
動揺の声が幾つか耳に届く。
しかしそれが、段々と嘲笑に変わっていった。
『…やだ、結果なんて火を見るよりも明らかじゃない?』
『だよなあ。いくらヴィンセント殿下が優秀だからといって、フレデリック殿下に敵うと思っているのか?』
『ああ、これは決まりましたわねぇ。あるとすれば、第一王子派の勝利か、傀儡派の勝利か、ですわ』
『や~だぁ、ちょっと、お口が滑っていらしてよ?』
『あらまあ失礼、わたしったら』
(終わったら、確実に口を削ぐ)
沸点が低い私は、とりあえず殺意をぶつけて黙らせた。
そして、再び成り行きを静かに見守る。
「……そうか。それで、良いのだな」
「「は」」
こちらに背を向ける二人が、よく見えた。
(…二人は決めた。なら私は、その中で抗うだけ)
「では、改めて。只今より、王位継承争いを開始する‼」
これより、二人の戦いの火蓋が切って落とされた。