01.プロローグ
「あーっ…弟が…可愛い可愛い癒しの権化の天使な弟が欲しいよぉ~っ」
涙ながらにそう語る、御年二十二歳のやつれ気味実力派社員・若月美南。相変わらずだらけた同僚の姿に、隣にいた美南の親友・翼が「はいはい」と感情の乗っていない声で応えた。
「―――あっ‼そーいえば、美南、アレやった⁉」
「へ⁉」
ぐったりと倒れ伏していた体を反射で起こし、(あ、やべ)というような表情を浮かべる美南。相変わらず残念な親友の姿に、だが、それよりも興奮が上回っていた様子の翼がキラキラと宝石のような顔面をさらに輝かせうっとりと呟く。
「『Call Of Love』略して『こーらぶ』‼乙女ゲームを全制覇した私でさえ新鮮に楽しめた伝説の一品!アレの何が良いって私の大好きな逆ハールートが現実にしてもドロドロしてないとこなのよ。一人一人キャラちゃんと作られてるし王道だけど飽きないっていうかも~きゅんきゅんしちゃうわけ!第一王子は腹黒第二王子は軟派系騎士団長子息はワイルド魔導士団長子息はクーデレッ‼どう⁉美南もやりたくなってきたでしょ⁉」
迫力満点の演説に、美南はただ俯いている。
「……ふふ、美南。早く降参した方がいいわよ?」
「…う」
「ん?」
「ちっがーーーーーーう‼私が求めているのは、腹黒王子でも軟派系でもクーデレでもワイルドでもなーーーーいッ‼な・ん・で‼なぜその中に弟キャラが居ないの⁉明るく天真爛漫で天使のような可愛さを持ちながら小悪魔要素もハイブリッドされているというまさに最強のキャラでしょ⁉⁉ハァ⁉⁉⁉⁉⁉」
「……確かに、こーらぶ唯一の欠点は年下キャラ不足。勿論弟キャラ不足も。でも、それを全部クーデレが担ってるのよ‼美南、嘘だと思って……いいえ、もう鉄を食べるぐらいの気持ちでもいいから‼一回!本当に一回だけやってみて‼キャラデザ最高だし、ボイスマジなにこれレベルだし、それ以外ほんとに欠点ないからああぁぁぁああ‼」
逆襲する美南に、懇願にチェンジする翼。
……実は、翼だけでなく、美南ももれなく乙女ゲーム大好き勢だったのだ。
しかし圧倒的に違うのは二人の勢力。美南がエンジョイ勢で弟キャラを満喫するだけなのに対し、翼は徹底的なやり込み勢。一つだけを追い求める美南と、全体のクオリティを優先する翼。ここだけは前から、どうしても合わないのだった。
「………くっ、わかったわ。じゃあとっておきの情報を解禁してあげる…」
「と、とっておきの情報……⁉」
そういった、芝居がかったやり取りを楽しむ二人。
そして、溜めに溜め、ようやく翼が発したのは――。
「…実は、悪役令嬢の義弟…天使なの」
「うぐぅ…っ⁉」
一気にHPが瀕死まで削れた美南は頭を抱える。
「悪役令嬢に義弟がいるの?でも…っ、でも‼それだと悲しいシーンしかないでしょ⁉大体ルートがある悪役令嬢の義弟がルートに乗ってないってことは、つまり、つまり……、苦しむシーンだけを与え続けられる確率が高い‼私、別に弟キャラが恋愛的な意味で好きなわけじゃないけど…っそれでも、ルートが無い義弟は…っただ…ただ攻略できない虚しさが増すだけだあああああ‼」
「み……っ、美南…っ」
予想以上にショックを受けている美南に、翼が初めて狼狽える。
「…ごめん、翼。今日は帰るね」
二人の居る部屋の時計は、午前二時を指していた。
「み、美南、あの…」
「……翼。じゃあ、また明日」
「み、みなm――ッ」
「――帰って早速こーらぶダウンロードするから!それじゃっ‼」
無駄遣い過ぎる満面の笑みを翼に残すと、美南は鼻歌交じりに帰路を辿った。
考えるのは、既にダウンロード中の乙女ゲーム『こーらぶ』のことばかり。翼に言ったことも事実だが、しかし、弟キャラがいるゲームをプレイしないだなんて、弟キャラ推しにあるまじき行為だ。
最近流行りの“転生”がもしかしたら美南の身に降りかかるかもしれないし、もしかしたらその時にたまたまこーらぶの世界に転生して、その子と巡り会えてしまった時。そのときにその子を救えるかどうかが問題なのである。
本来救われないはずの弟キャラを救えたとしたら、それはもう美南にとって『あ、もう死んでも良いです』くらい達成感があるだろう。それに、もし、もしもそのキャラに『ありがとう』と満面の笑みで微笑まれたら?…幸せの絶頂、まさに幸福。この世の春だ。
「どんな子なんだろうな~。でもやっぱり、虐めシーン観るの辛いなぁ…。いやでも、ワンチャン…」
まだ見ぬゲームに想いを馳せながら、歩くこと数分。横断歩道に差し掛かり、足を止める。夜の暗がりに『とまれ』の赤がよく映えた。
――本当に、それだけだった。その時までは。
「…えっ?」
急に、美南の後ろから、漫画の弟キャラに抜擢されそうな少年が飛び出して来た。何かから逃げているような、切羽詰まった表情をしている。そんな混乱も束の間のうちに、美少年が横断歩道を渡る。
赤色のままの、横断歩道を。
「は⁉ちょ、君、何やって――」
口を挟む余裕はなく、ハッと右側を見れば、トラックが少年を跳ね飛ばそうとするように急接近していた。
流石に美南も、ただの一般人。家族でも友人でも恋人でもない赤の他人を助けるようなヒーロー精神は、生憎持ち合わせていない。
それでも結局身を挺して少年を庇ってしまった美南の真意は、何処にあるのだろうか。
驚くぐらいあっさり、美南は跳ね飛ばされた。私が咄嗟の思いで逃がした少年は、こちらを見て憔悴しきった表情を浮かべているが、小さく『ごめんなさい』と呟くと、どこかに消えて行った。誰かから逃げていたように見えるが、これから先、あの少年は大丈夫なのだろうかとふと思う。
ただ、ともかく。
これだけの弟キャラ適正満点の美少年を助けて死ねたのだ。我が人生に一片の悔いなしとは、まさにこのこと。
美南は、ポケットから滑り出ていたスマホの画面『ダウンロード完了』の文字を見る前に、じんわりと、ゆっくりと瞼を閉じた。
※1、2話の内容を少し変更しています