それは不思議にありふれて 〜第一章 【騒霊】 その⑨
放課後になっても空は曇天のまま。火曜日の1年生は5時間授業のため、15時過ぎくらいには教室を後に出来る。くらいと曖昧なのは、担任教師のご機嫌次第な要素が多く、あっさり終われば14時40分には終業になるのだが、これはなかなか希少なケースである。
その希少なケースが本日訪れた。遠山先生の二日酔いという名の体調不良も相まってか、
「連絡事項は特に急ぎのものはないので今日は、これで終わりです。はい、日直。号令。さようなら」で、本日は解散となった。
千比呂は、初出勤にはもう少し心の整理をする時間が欲しかったな。とも思いながらも、これもお役目致し方あるまいと踏ん切りをつけ立ち上がる。
やれ、この後カラオケいかねぇか? だの、びくドンでメリーゴーラウンド喰わねぇ? だの、なんとか里緒を誘い出そうと群がる男子を、その気もないのに気を持たせつつ手玉に取って遊んでる小悪魔里緒の襟首を引っ掴んで科学準備室へ向かった。
科学準備室に入ると、宝先生と白黒アロハに薄茶の作業着を羽織った格好の割には生真面目そうな雰囲気のオジサンがふたり、作業台の上に広げた書類を見ながら、何やら相談しているところだった。
「おつかれさまで〜す」様子を窺いつつ声をかけると、宝先生が顔を向け、
「早かったね。こちら市役所の防災管理課の村神さんと埜田さんだ」と、オジサンふたりを紹介してくれた。
オジサン達は立ち上がると、それぞれ名刺を差し出しながら挨拶をしてくれた。
少し老けた感じの白髪頭の村神さんが課長さん。坊主頭に黒縁眼鏡の埜田さんが工事管理係の係長さんと、名刺には書かれていた。
千比呂も里緒も、返す名刺が無いものだから、手持ち無沙汰でスカートの脇に手汗を擦り付けたりしながら、
「あ、よよしくおねがいしま〜す」と、噛み気味になりながらもなんとか挨拶を返した。
「彼女達がさっき言った新しい斎事係の子達です。きっといい仕事してくれますよ」宝先生が期待のフリした重圧を含めて情報を足してきたので、里緒は照れた様子で誤魔化したが、千比呂は真に受けて鼻息を荒くしていた。
「じゃあ、お話の続きをしましょうか。君達、コーヒーあるから、持って来てこっちに座りなさい」
コーヒーメーカーを指し示して言われると、千比呂と里緒はプラカップにコーヒーを注いで砂糖とミルクをお好みで入れると宝先生の横並びに座った。
「それではあらためて今回の案件の概要から......」埜田が居住まいを正して語りだした。
ことの発端は、一年前に整備補修が行われた防風林内の遊歩道工事だった。
もともと防風林内に浮浪者がコミューンを勝手につくって居着いてしまい、終いには勝手に畑を作ったり、電柱から配線を伸ばして盗電を行うなどの無政府状態になっていたことが地域住民たちの間で大きな問題になっていた為、観光事業の一環という名目を使って、彼らを立ち退かせる目的で防風林内を縦貫する長い遊歩道が造られていた。
その遊歩道の定期補修工事の際、作業予定箇所に隣接する形になって残っていた国道で交通事故被害にあった動物たちを祀る祠を移転の名目で取り壊したらしい。
その移転計画に手違いがあり、遊歩道脇に新しく祠は建てられたのだが、一時御霊を預かっていた神社から祠へ御霊遷しが行われず、
祠自体が慰霊の機能を果たせなくなっていたらしく、最近になって不慮の死を遂げた動物霊が町中に溢れ出しているようで、市内のそこかしこで怪しげな心霊現象が報告されているそうだ。
今回の依頼は、祠への御霊遷しと鎮魂の儀の事前調査と執り行いをお願いしたいのだそうだ。
こんなもの形式上の事だろうと千比呂は思って話を聞いていたが、依頼者の市役所職員達が至極真面目な顔をして、懇切丁寧に資料を指し示しつつ説明をしていることに違和感を覚えていた。
この人達ビリーバーなのかな? と、訝しんではみるものの、真横に本物のお化け見える人間が座っている事実は如何ともしがたい。
当の本物ちゃんは、真剣な顔で「ああ、だから最近......」
などと小声で呟いている。
昨日確かめておいて良かった。正直、知らなきゃこの里緒の反応はなかなか怖い。
「それで、ご祈祷にはいかがほど?」宝先生の眼鏡が光る。
「御霊遷しに30、鎮魂の祈祷に20の計50程でどうでしょうか?」
村神が片手を開いて眼の前に出してみせると、宝先生は満足気に頷いてから、
「コーヒーのおかわりはいかがですか?」と微笑んだ。
村神と埜田が帰ると、千比呂が溜息混じりに里緒に漏らした。
「あ〜あ、なんか大人の世界を見ちゃったね」
「ねぇ〜、お金取るんだねぇ。しかも50万円でしょ〜」里緒も呆れたという風に肩をすくめて、掌を広げてみせる。
「ご利益に対して感謝がないと、恩恵が充分に得られないからね。無用な奉仕は対価が釣り合わない場合があるから、祈祷料が一番確実な感謝の気持ちになるんだよ。無償で動く神様なんか胡散臭いだけだろ? タダより高いものはないんだぞ。よく覚えておきなさい」
眼鏡をギラギラ光らせながら、若干早口でまくしたてる宝先生。
「あたし達、無償奉仕ですけど?」里緒が口答えをする。
「生徒会の役員だからな。内申点は、凄く良くなるぞ」
宝先生が指を差してくる。
その眼鏡の輝きに、光る通り越してビーム出る。と、千比呂は思った。
「でも、口約束で後から払わないっていわれたらどうするんですか?」
千比呂が素朴に思った疑問を投げる。インボイスとかどうなってるんだろう?
「うちは、宗教法人だからな。あくまで気持ちをいただくわけだ。但し、約束を違えたらバチが当たる。うちのバチはホントに当たるぞ」また悪い顔をしている。
「あれ、公務員って副業しても良かったんでしたっけ?」
今度は、里緒が両手で指を差し返す。
「宗教の自由は、日本国憲法で保障されてる。さっきも言った通りこちらが対価を請求するわけじゃないし、お礼も神様に差し出されるものだからね」
ああ言えばこう言う。この辺の質問に対する返答はテンプレで脳内に作成されているようだ。
「大人の世界は奥が深いねぇ」
もう何言っても勝てないと、両手を挙げて降参しながら里緒が耳打ちしてきた。
千比呂もそれに深く頷く。大人こどもが増えるのは、大人の世界が汚れてしまっているからなのかもしれない。だったらわたしはずっと女子高生でいい。
ピーター・パン症候群ならぬJK症候群に陥りそうな千比呂だった。
「聞きたいことは、全部終わったかな? それでは、これから課外活動だ。現地の祠を見に行ってみようじゃないか」
そういい終えると千比呂と里緒の返事を待たずに、宝先生は白衣からジャケットに着替えた。
身体弱そうなくせして押しが強いよなこの人。と、ルッキズム由来の偏見を働かせながらも諦め半分、里緒は作業台の上の空になったプラカップを片付けはじめた。
千比呂はサッサとリュックを背負っていたが、片付け始めた里緒を見て何か気がついたのか、布巾を濡らしてテーブルを拭きだした。
体力では勝っても女子力で負けてるな。宝先生はにこやかに指先で科学準備室の鍵をクルクル回しながら見守っている。
祠の場所は、学校からそう遠く離れてはいなかった。正門を出て横断歩道を渡り、海へ向かう防風林の間の小道の途中から遊歩道に入れるようになっている。そこを青年の家のキャンプ場がある方に歩いて行くと、5分ほどで右手に腰高程の小さな祠があった。
石で造られたそれはまだ新しそうで、苔のひとつも生えていなかった。
「おー、芝山か。ちゃんとしてるじゃないか」
宝先生が祠を見て嬉しそうに笑って撫でている。
「芝山って何ですか?」
千比呂が好奇心を覗かせた。
「芝山というのは、こういう白っぽい御影石のことだよ。芝山石とも呼ばれるな、この手の祠は昔は木で造られてたもんだけど、市役所もずいぶん見栄えに気を配ったもんだな」
宝先生のマニアックな説明を聞きながら、里緒も興味深そうに祠の周りをグルグル観察してまわっている。
「平気なの?」千比呂が里緒を捕まえて小声で尋ねる。
「うん、ただの石の祠だよ。とくに何にもいないみたいだね。気を使わなくていいよ、ちひろ。どうせ、先生にはバレてるから」
聞き捨てならない里緒の返しに千比呂は戸惑ってしまった。
祠を見下ろしニコニコしながら宝先生がこちらを見もせずに会話に参加してきた。
「なんだ、大伴も気づいてたのか? 木下は、霊が見えるらしいな」
あっけらかんと里緒と千比呂のふたりの隠し事だと思っていた秘密を宝先生は暴露しながら、しゃがみ込んで手を合わせてから、祠の扉を開いて覗き込んでいた。
「いつ先生に言ったのよ?!」
詰め寄る千比呂に困ったような顔で里緒が答える。
「言ってないんだけどね......なんか蛭児様に聞いたんだって。先生、蛭児様とおはなし出来るみたいよ」
里緒の告白にわけがわからなくなって、千比呂は何度も里緒と宝先生をキョロキョロと首を回して見比べている。
「蛭児様だけじゃないぞ。僕は霊魂の声が聞こえる。大学の時......昨日話したろ、蛭児様に祟られて高熱を出した後にね......その後からだったかな......お、あった。あった」
完全に祠に気を取られている宝先生は、開けた祠の扉の中に手を突っ込んで何かを探すように弄りながら千比呂達に自分の能力について、なんでもないというような素振りで説明をした。
そして、何かを見つけたようだ。
あったあったと言いながら、宝先生が取り出した物は、水晶の小さな石だった。それを眺めながら、これじゃあだめだな。などと独りごちている。
「聞こえるって何ですか?先生」
我に返った千比呂の関心事は目下その点に絞られていた。それは、そうだ。里緒も先生もお化けが見えたり声が聞こえたりすると言われると、自分だけ除け者にされたような気すらして妙な気持ちで不安になってしまう。できれば詳しく把握しておきたいとも思う。その上で、自分の立ち位置を確認しておきたいのだ。
「言葉のまんまだな。そこに見えない者の声が聞こえるんだ。大体どの辺りで話しているかわかるから、何処からとも無くって事じゃないな、普通に他人と会話してるかの様に聞こえるのだけれどね。ただそれが、魂の声かどうかは直感みたいなものだが判断がつくよ」
宝先生は、普段の会話と何ら変わらぬ様子で、手許の水晶を上にかざしてなどしてみているが、曇り空の為よくわからないようだった。
「そんなの怖くないんですか?」それでも千比呂は食い下がる。
「ずっと勝手に聞こえてるんですか? 鬱陶しくないですか?」
里緒も重ねて質問する。やっぱり里緒も見えちゃうのは鬱陶しいのかな? 千比呂は先生の答えを待った。
「最初はね、違和感がすごかったんだけどな。四六時中話しかけられるわけじゃなし、そもそも向こうから話しかけられなきゃいるかどうかもわからないからね。いそうな所で話しかけてみると答えてくれる時もあるけどね」
ひとしきり水晶玉を観察しながらつらづらと語っていた先生だったが、不意に里緒の方に顔を向けた。
「そういう意味じゃあ、見えるほうが気が楽じゃないか? 木下」
宝先生の眼鏡の奥の眼は、悲し気だった。
「そうでもないですよ。見たくない姿のお化けもいますから......」
里緒は前髪を指で触りながら憂いを帯びた視線を足下に向けた。
不思議な力を持った者同士の共感が、しばしの沈黙の中にあるように思えた。千比呂は、ふたりとの間にどうにもならない距離を感じて唇を噛む。
なんとなく、本当になんとなくだ。自分にもそんな力があれば良いのにと望む気持ちが浮かんできたが、すぐに自らの頬を両手で挟み込むように打ってかき消した。
「で、それはなんですか?」
心に滲み広がりだした暗い気持ちを打ち消すように務めて明るく千比呂は、宝先生の手に握られた水晶玉を示して言った。
大きさはビー玉程度しか無く、そのへんで売られているパワーストーンみたいにも見える。
訊かれて先生は、あらためてその小さな透明の玉に眼を落としてから笑った。
「これは、集めた御霊をこの中に留める目的で置かれたみたいだな、但し失敗しているようだがね」
ポンポンと何度か上に投げるなどして、先生は水晶玉でぞんざいに手遊びをしている。大事なものではないのだろうか?
「失敗ですか? そうですね、ただのきれいな石にしか見えないですもんね」里緒が眼を凝らして水晶玉を見つめる。
「とくに変わった風には見えないだろ? 」
せせら笑うように先生が言う。
「御霊遷しの儀は、一通り行われたみたいだけどね。素人仕事だな。詰めが甘い。その時は、神様も宿ったのだろうが、こんな球形の依代では、定着しないんだよ。すっかり抜けてしまってその辺を漂う羽目になってしまったんだな」
そう言って水晶玉をポケットに仕舞う。
しばらく考え込みと、宝先生は突然柏手をひとつ鳴らし、よしっ! と言って千比呂と里緒に微笑みかけた。
「き、急にどしましたか!?」千比呂も里緒もびっくりした。
「君達、一回学校に戻って買い物に行くぞ」
宝先生は、祠の扉を閉じるとそう言って踵を返し歩き出す。
「ちょっとちょっと」
千比呂は、慌ててタメ口になりながら追いかける。
「ここはもう良いんですか?」
里緒も理由も分からず後を追う。
「時間がもったいない。移動しながら話すよ」
背を向けたまま肩越しに手招きをする宝先生を追いかける形で、三人は遊歩道を逆に辿り、学校を目指した。
「買い物は車で行こう」
学校の教職員用駐車に着くと宝先生は自動車のエントリーキーを操作する。駐車場の端に停められた、他の車とは雰囲気の違う丸みを帯びた可愛らしさと重厚さが同居したようなシルバーのミニクラブマンのパーキングランプが点滅しながら電子音で自分の存在をアピールした。
「ず〜っと、だれの車かと思ってたんですけど先生のだったんですね」千比呂が冷やかすような声で言う。
「かわいい車ですね」里緒が駆け出して車の周りをグルグルと覗き込む。
洗車は、マメにしているようで中の荷物も綺麗に片付けられている。かなり大事に乗っているようだ。
「あんまりベタベタ触らないように」
注意する宝先生の声に、は〜いと返事をしながらも早く乗ってみたくて待ち切れない様子のふたりは、どちらが助手席に乗るかジャンケンを始めた。
勝ったのは里緒だったが、宝先生に後部座席に乗るように命じられて、助手席は空席となった。
最初は不満そうなふたりだったが、後部座席からの眺めと乗り心地の良さに興奮しているようで、キャッキャとはしゃぎ捲っていた。
「大人しく座ってろよ。シートベルトは締めたね。じゃあ、行くぞ」
後部座席ではしゃぐふたりを諌めると、宝先生はエンジンのスタートボタンを押して車を発進させた。意外と静かな駆動音と、FF車独特の引っ張られるような体感にふたりはまた驚嘆の声をあげるが、宝先生はそれを無視した。
車は一旦海側に出ると、国道を平塚方面に向かって西に進む。時間帯だろうか、新湘南バイパスとの合流もあってか、国道は渋滞していた。
「で、先生。祠の件はどうするんですか?」
渋滞で景色も変わらず飽きてきたのもあって、思い出したように千比呂が尋ねた。
「きちんと役割を果たす依代を用意しなくてはならないからね、これからホームセンターで良さそうなものを探して、符術の応用で御霊が宿りやすくなるように細工しないとな」
前方から眼を離す事無く宝先生が答える。
「それにご祈祷をして祠に戻すんですか?」
里緒が先読みをして尋ねると、先生は片手で手を振り軽く笑った。
「最終的にはそうなるけどな。その前にやることがある」
「やることですか?」興味津々で千比呂が少し前のめりになる。
「そう、これは君達にも手伝って欲しいんだが、今の状態は、御霊の力が動物霊達に宿って散り散りになっているんだ。これを出来るだけ取りまとめてから依代に宿さないと、弱い霊たちが祠に集まって来ない。」
「虫を集めるのに大きな光が必要みたいなことですか?」
里緒の例えに先生は大きく頷く。
「そんなようなイメージだな」
少し動いた前の車両に併せて車を進ませながら先生は話を続けた。
「そこで、君達には御霊を育てる手伝いをしてもらおうと思う」
「わたし達がですか?」
千比呂が不満そうな声をあげる。かたや里緒は不安そうにしかめっ面をして両手の指を絡めて祈るような格好になっている。
「まずは、空気の流れない広い所に私が結界をつくる。その中心に依代を置き、霊を集める御札を持って大伴が逃げ回る。ちゃんと追いかける霊がくっついてまとまるように、木下が結界の外で見ながら指示を出し、ある程度ひと塊になったら私が符術で依代に御霊を移す」
ここまでプランを得意そうに語る宝先生に千比呂が噛みついた。
「わたし、めちゃ大変そうじゃないですか?取り憑かれたりしないんですか?」若干涙目ですらある。
「きちんと取り憑かれないように強力な護符も用意しておくから安心したまえ」
涼しい顔の宝先生の眼鏡が光る。
「いや、そんな! 防弾チョッキあるから撃たれても平気みたいに言われても安心できませんて!!」
泣きながら抗議する千比呂だった。
車は新湘南バイパスの合流地点の信号を抜け、湘南大橋を渡ると今までの渋滞が嘘のように流れ始める。車窓の外には相模川の河口と、打ち寄せる波が複雑に絡み合っている。車のBGMはボリュームを抑えたラジオのエフヨコから微かに流れるジャニス・ジョプリンのサマータイムだった。
車内に充満した何ともやりきれない空気とは裏腹に、ムーディーな雰囲気が醸し出されていく。
これがドライブデートとかだったら、手とか繋いじゃうタイミングだよな〜、などと呑気に窓に流れる海を眺める里緒だった。
三人を乗せたミニクラブマンは、あっさりと橋を渡り終えると、次の信号を右折して内陸に向かって進んでゆく。
空は未だにやや曇天。今日は1日晴れることはなさそうだ。
窓を少し下げてみると、潮の香りが前髪を撫でた。隣では、千比呂が魂が抜けたようにぐったりと天井を仰いでいる。
里緒はそっと千比呂の頭をポンポンと優しく叩いた。
競輪場が見えてきた。イルカのオブジェが手招きしている。
目指すホームセンターはすぐその先だ。
【騒霊】 次回最終回へ続く