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それは不思議にありふれて 〜第一章 【騒霊】 その⑥

 暫時の沈黙に耐えかねて、千比呂が声を裏返しながら問いかけた。

「蛭児って、怖いやつじゃないんですか?」

「あたしも映画で観ました。妖怪なんですよね?」里緒の言葉に千比呂も力強く頷く。


 宝先生は静かに微笑んでいる。あたかもこの状況を楽しんでいるかのように。実際楽しんでいるのだからそう見えても仕方がない。

 未知の物に触れた若者の新鮮な反応に燭台のゆらぎを反射した眼鏡の奥で目を細めていた。


「私も観たよ、あの映画。怖かったよな。ジュリーのやつだよな。でも、あれは作り話だし、この蛭児様もそう呼ばれているだけで、神話のあれとは多分別物だよ」宝先生は、楽しそうだ。正直、ジュリーがなんだか千比呂も里緒もわからなかったが、多分おんなじ映画の事だろう。


「じゃあ、これは何ですか?」里緒が口を尖らせて抗議するように言った。実際奇妙な気配は消えたわけではないし、それは明らかに蛭子様から今も生々しく発せられている。


 両手をジャケットのポケットに突っ込み、肩をすくめるような仕草を見せた宝先生は、悔しいけれど、とても様になっていた。


「それをこれから説明しよう」もったいぶった宝先生の言い回しに、千比呂はなんとなく上から語られているようで少し苛ついてきたが、ここは堪えて話を聞くことにした。


「これは、今から1,200年程前の事と伝わっている......」宝先生の長い話が始まった。


 平安時代の初め頃、蝶ヶ崎の漁村に陀醍という若い漁師がいた。陀醍は素行が悪く村中の嫌われ者で、いい歳になっても嫁も娶れず、ひとりで魚を獲って暮らしていた。ある日陀醍が浜に出ると、ひと抱え程もある楕円のツルリとした珠が、陽に照らされて虹色に輝きを放ちながら転がっており、その表面には見たこともない不思議な模様が全面に施されていた。


 よもや、噂に聞く蓬莱山から流れて来た宝物ではないかと考えた陀醍は、そそくさとそれを家まで持ち帰った。誰にも見られぬよう戸締まりをし、囲炉裏の明かりにかざしシゲシゲと眺めると、何やら上下に開きそうだ。暫くノミと木槌でこじ開けようと格闘していたが全く開く気配も無ければ傷ひとつ付けられない。くたびれてしまった陀醍は、そのまま珠を枕に寝てしまった。


 やがて、朝になり陀醍が目を覚ますとそれは上下にパックリと炙った蛤の様に口を開いていた。中を覗けば何やら柔らかそうな肉の塊がある。暫しその前で腕組みをし考えていたが、陀醍はある話を思い出した。


 海を越えた大陸の深山に太歳と呼ばれる不思議な肉の塊があり、それを食した者は不老不死となるらしい。これこそがその太歳に違いないと思い至った陀醍は、包丁を持ちひと口大に肉塊を削ぎ取ると、迷うこと無く口に運んだ。たちまちの内に陀醍は気持ちが安らぐのを感じた。同時に己の浅ましさを恥じ、太歳を珠ごと抱えると村の長老の所へ相談に行った。


 長老は、その肉塊ばかりかそれを食した陀醍の清々とした振る舞いに驚き陀醍と共に陰陽博士の屋敷に向かった。長老と陀醍の話を聞いた陰陽博士は、これを神話に語られる蛭児と断じ、恵比寿の神が浜に遣わしたものと考えた。そして、蛭児を食した陀醍の穢れが土地に及ばぬよう陀醍を門弟とすると、日々祈祷を行った。


 陰陽博士の弟子となった陀醍は、人が変わったように善行に励み、よく学び、慈愛に満ちた人格者となり、妻を娶り穏やかに暮らしていた。その様を見た陰陽博士は天に伺いを立てると、占いの導きにより、陀醍に浜の近くに胎内洞を掘り、そこに蛭児を祀るように命じた。


 陀醍は、村の漁師の助けを借りて浜の高台に胎内洞を完成させると、宝の姓を陰陽博士より賜り、小さな社を建て、一族を率いて蛭児様を祀り、土地の穢れを祓うよう鎮守に務めたという。


「......で、その陀醍が私のご先祖様というわけだ」長い話を終えると宝先生は、これで終いというようにパンッと手を叩いた。


 長い由来を聞かされたのだけれど、千比呂も里緒もモヤモヤが晴れない。

「いや、結局この蛭児様ってなんなんですか?」里緒がたまらず口に出す。


「私も曲がりなりにも科学教師だ、疑問に思わなかったわけはない。大学の時にこっそり蛭児様の身を削って、研究室で調べようとも思ったが、この入れ物から離すとすぐに炭化して真っ黒な炭になってしまうんだ。それでも一応成分分析を行ってみたけど、結果は『C』。つまり純粋な炭素とだけしか表示されなかった。その後すぐに原因不明の発熱で40℃程の熱が一週間続くと、視力が酷く衰えてしまってね。無事に呪われた。というわけだ」


 そう言うと宝先生は両手を開いてやれやれとでもいうように肩をすくめた。

「つまり......何もわからないってことですか?」千比呂は唾を飲み込んだ。


「何もわからなかったわけじゃないぞ。炭化したということは、有機物だということだ。あと、削った跡はきれいに再生されていた。それだけは、判った」


 誇らしげに語る先生を見て、里緒はなにを得意気に話しているのだろうと思った。それはそうだ、高熱に浮かされ寝込み、視力を削られて得られた成果がそれでは割が合わない。


「とにかく、蛭児様に悪さをしなければ何も問題は無い。ここに蛭児様を祀ってから、この辺一帯は災害に見舞われたことはないらしい。関東大震災も富士の噴火も大した被害は無かったそうだ。それもこれも蛭児様が土地の穢れを吸い取る浄化装置の役割を果たしているからだそうだよ」


「それは誰が言ってたんですか?」千比呂が当然の疑問をぶつける。

「私の親父だ」少し恥ずかしそうに斜め上を見上げながら宝先生は鼻の頭を掻いた。


 それから先生は、斎事係の本社殿での仕事の説明を始めた。特に掃除などしなくてもこの中は自然と埃が積もることもないそうだ。これも蛭児様の浄化作用だそうで、ホントか嘘かはわからない。でも実際そうらしいし、掃除不要ならそれに越したことはない。


 後は、月末に月初めのご祈祷を行う前に本社殿全部の蝋燭を交換しなければいけないということ。これは、なかなか面倒くさいが、里緒とふたりならすぐに終わるだろう。階段下の横に置かれた木箱の中に蝋燭が入っていて、一緒にコンビニ袋のL Lサイズを再利用しようと集められたものが詰め込まれた大袋が入っていた。交換した蝋燭は、それに入れてそのまま焼却所へ捨てれば良いそうだ。


 里緒は、こういう説明を聞いている時は、だいたい上の空だ。大した手間のかかる作業でもないので、後で聞いてきた時にやりながら説明してやれば良いだろう。わたしは人間が出来ているのだ。当の里緒は、今もボーッと蛭児様の方ばかりを見ている。


 きっとまだ何かわたしらには見えない物が見えているのだろう。顔色は、さっきまでの青ざめた感じから普段通りに戻ってる。宝先生の畏怖を覚えぬ振る舞いに安心したのかもしれない。あの長ったらしい日本昔話にも気を紛らわせた風でもある。千比呂はあれでかなり気が紛れた。


 こういう反応を計算しての立ち振舞いだったなら、なかなかたいした先生なのかもしれない。少し評価を上げてやろう。星0.5くらいは差し上げてもよいな。

 千比呂もそんな事を考えながら、宝先生の説明を聞き流していた。


 燭台の火は口で吹き消してはいけない。祭殿の火を、懐から取り出した扇子で扇いで消して先生は、扇子を千比呂に託すと「さあ、地上に帰るか」と階段を登り始めた。後について里緒が続く。その後から左右にステップを踏みながら千比呂が灯火を扇ぎ消しつつ登ってゆく。ちょっと楽しい。千比呂は笑顔だった。


 戸締まりをし、玄関の戸板をはめ直すと宝先生は黙って歩き出した。里緒も千比呂もピョコピョコと小走りで駆け出すと先生の後について校舎へ向かう。


「どうだった?」宝先生が前を向いたまま聴いてきた。

「最初は、ちょっと怖かったけど段々慣れてきました。」里緒が空を見ながら応える。

「ふうん」宝先生はそれだけ言って暫く黙っていた。


 ポケットからスマホを取り出して時間を見ると、微笑みを浮かべポーズを決めるクリストファー・リーブのスーパーマンの壁紙に被るように表示された時刻は、まだ3時43分だった。小一時間程しか経っていなかったが、濃密な小一時間だったと、千比呂はちょっといい顔をして噛み締めた。


 プール脇に差し掛かった所で不意に小声で宝先生が里緒に話しかけてきた。

「君は見える人なのかい?」

 唐突な質問だったが、里緒はすぐに先生が何を言っているのか理解し、表情を強張らせた。

「な、な、な、な、にゃ、ニャンのことでしょう?」

 囁き声で答える里緒の額に冷や汗が吹き出し、視線は凄い勢いで四方八方を泳いでいた。あまつさえ盛大に噛んでいる。挙動不審もこの上ない。


「ごまかさなくてもいい。ここだけの話にしておくから。」爽やかな笑顔を浮かべた宝先生はひとつだけ浮いた雲を目で追っていた。

「どこで気づいたんですか?」涙目になりながら、あっさりゲロった。犯罪者には向いていない里緒だった。


「蛭児様が教えてくれたんだ。これは秘密だぞ。実は私はね、聞こえる人だ」先生は、それだけ言ってウインクをひとつして見せると、スタスタと歩き出した。突然の告白にその場に呆然と立ち尽くした里緒に、青春の汗をほとばしらせたサッカー部員達に感心しながら歩いていた千比呂が追突した。


「いったあ!なんで急に止まってんの?!雷でも落ちたか?」里緒の後頭部で鼻っ柱を打ち付けた千比呂が、顔面を押さえながら喚いた。

「青天の霹靂......」里緒が呆けたまま呟く。

「上位変換しなくていいから。何?どうしたの?」

「いや、あの、ええと、ごめん!整理つかないから事後報告します!」鼻の頭をつまんだり引っ張ったりしている千比呂をそのままに、里緒は小走りでダッシュした。ただしその移動速度はすこぶる遅かった。


 鼻をつまんだまま軽く流す程度の駆け足で千比呂は、ジタバタと走って逃げる里緒にあっさり追いついた。里緒を追い越すとくるりと後ろ走りに切り替えて里緒の顔を覗き込むと、全力。振り絞ってます!と、言わんがばかりに顔をしかめている。


「まだまだだな、わたしは実力の5%も出していないぞ」ハッハッハッと高笑いする千比呂。ン〜と唸りながら全力を振り絞ってるつもりの里緒。


 そうこうしていると宝先生に追いついた。急に真面目な顔で少し後を着いて時々小走りになりながら歩く里緒の周りを後ろ走りでクルクルと周回する千比呂。眼鏡を光らせながらモデルのようにキレイな歩き姿で颯爽と歩を進める宝先生を先頭に、奇妙な集団が形成されていた。


 職員用玄関口まで来ると、宝先生は思い出したように懐からきれいに折りたたまれた2枚の紙を取り出した。

「これにクラスと名前だけ書いてくれれば、後は生徒会に持っていくと斎事係に無事就任されるから。問題なければ、記入してくれ」

 そう言ってふたりに渡された用紙には、『生徒会役員に関する希望用紙 役名 斎事係』と書いてあった。指導担当の欄には、すでに宝真玄と記入されている。どうやらこれが宝先生のフルネームらしい。芋焼酎みたいな名前だと、千比呂は思った。


 ふたりで顔を見合わせながら千比呂と里緒は、頷きあう。千比呂が当初考えていたぐうたら係とはかなり違っていたが、実際、仕事量もさほど多くなく、なにより好奇心がもう完全に千比呂の中で暴れ出していて手が付けられない。


 里緒はというと宝先生のさっきの言葉が頭から離れない。もしかしたら、生まれて初めて出会う自分と同じような能力持ちなのかもしれないと思うと、背中を向けるわけにはいかないと考えていた。そしてなにより千比呂も一緒だということが心強い。


 動機に違いはあれど、それぞれの利害は一致していた。

「わかりました」ふたりの声が重なった。

 快諾の言葉を得て、宝先生は嬉しそうだった。職員用玄関脇の受付のガラスを叩き、事務員さんからボールペンを借り受けると、千比呂と里緒に差し出し「ここで書かせてもらうと良い」と、受付の記入台を指さした。


 ふたりはそれに従ってクラスと名前を書き、宝先生に希望用紙を見せた。

「よし、これは私から生徒会室に届けておこう。これからよろしくな。明日の昼休みに生徒会室に来なさい。そこであらためて役員達と顔合わせをしよう。都合が悪ければ言ってくれ」懐に用紙を仕舞いながら、爽やかにそう言うと宝先生は右手を差し出してきた。どうやら握手の意味らしい。


 千比呂が慌てて両手で握手をする。小声で「よろ、よろしくおねがいしゃす」と呟いている。続いて里緒も作り笑いを浮かべながら右手で握ると軽く上下に揺さぶった。

「それじゃあ、今日はもう帰っていいからね。またあした」

 それだけ言うと受付にボールペンを返し、スリッパに履き替えると宝先生は去っていった。


 廊下に消えていく背中に、玄関の三和土からピョコピョコと身を乗り出すように千比呂と里緒はサヨ〜ナラ〜と、手を振った。


「ふい〜〜」と、千比呂が溜息をつく。「ぷは〜〜」と、里緒も追いかける。顔を見合わせると小さくアハハと笑いあった。


「帰るか」「帰ろう」ふたりは生徒用昇降口へまわると、1年2組の教室まで、カバンを取りに向かう。その足取りは開放感に満ちていた。


 夜の帳が降りてしまって、科学準備室の窓から見える水平線は空との境を保てなくなっていた。雲が増えてきた空に月はその身を潜めている。校舎前の通路を照らす街灯の明かりが、窓外を眺める宝先生の姿を下から仄かに浮かび上がらせている。


 シャツの胸ポケットからスマホを取り出すと、裏に貼られた少し大きめの付箋を剥がし、街灯にさらす。そこには『瀬織津姫命』と書かている。浄化の神であり、人の心を惹きつける水神でもある神様の名前だ。

 その下に、広げた着物のような絵に電子基板のパターンに似た模様がボールペンで書かれていた。


「これは要らなかったな」そうひとり呟くと、付箋を2つ折にしてグイと捻り、シンクへ落とすとターボライターで火を点けた。

 オレンジ色の炎がゆっくりと付箋を灰に変えてゆく。


宝先生はピンと伸ばした右手の人差し指と中指を揃え鼻先にあてがうと「疾っ!」と鋭く息を吐く。すると炎は青く変わり付箋はたちまちの内に真っ白な灰になった。


 それを掌で叩くと蛇口のレバーを上げ水を流す。クルクルと渦を巻きながら、燃えカスは排水口へと飲み込まれていった。


「面白そうな子達だったな」宝真玄は、楽しそうに笑った。

 気付けば、見上げる雲の切れ間から朧に歪む月が浮かんでいた。


【騒霊】 その⑦へ続く

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