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それは不思議にありふれて 〜第一章 【騒霊】 その最終話

 ホームセンターの裏側からスロープを昇り、屋上駐車場へ出る。屋根付きの店舗入口前に群がるように集中して停車された買い物客の車の間に空きを見つけて、宝先生は切り返し一発で駐車スペースに銀色のミニクラブマンを停めた。


 千比呂はまだうだうだ言っていたが、店舗入り口からエレベーターに乗り1階のエントランスへ出ると、出入り口の外にマラサダのキッチンカーを見つけるやいなや駆け出して行き、3つばかり購入すると、すっかり機嫌を直して満面の笑みで戻ってきた。


「小腹が空いたので、ここで一休みします」

 そう主張して強硬な姿勢を崩さない千比呂に根負けした形となり、そこにあった休憩所で休む事にした。


 ニコニコと、戦利品を里緒と先生に配ろうとした千比呂だったが、先生は甘いものはあまり好きではないらしく辞退されてしまったので、「じゃあ代わりにジュースを奢ってください」

 などと何の代わりかわからない意味不明な要求を先生にしてみたところ、仕方なさそうに面倒くさそうに、炭酸飲料を横の自販機で買ってくれた。


 先生の分のマラサダが余ったので、里緒と半分に分けようかとも思ったのだが、

「夕飯前だからいいっす」と断って、里緒は1個だけ受取り小さく齧りながら食べている。

 必然的に千比呂はマラサダを2個食べることになった。僥倖とはこの事である。


「それで、ここで何を買うんですか?」

 小動物のようにマラサダを齧りながら、先生の奢りのサイダーで一息ついて里緒が小首を傾げながら問いかけた。


「そうだなぁ、今回の場合の依代としては、三角錐の形状の物が良いかな。できればクリスタルかシルバーで出来ているものが良い。リングホルダーなんか良さそうだから、銀細工のハンドメイドのコーナーなどで探してみようと思う」

 甘いものが苦手の割には甘さマックスな缶コーヒーを飲みながら、先生はちょっと眉間にシワを寄せたりしている。多分知らないで買っちゃったな。それでもちびちびと缶コーヒーを舐めている宝先生を見て、里緒は少しかわいいなと思った。


「形ふぁ何か関係するんでふか?」

 口いっぱいにマラサダを詰め込みながら千比呂が言った。


「飲み込んでから喋りなさい。親御さんが悲しむぞ」

 立てこもり犯を諭すように、千比呂に行儀を指導しながら宝先生が依代の形状の働きを解説する。


「形状はね、この場合非常に大事になるんだ。祠にあった球形の物だと、集まった神様の力はそこに留まらずに簡単に散ってしまう。三角錐にすることで力の流れは頂点に向かって流れるようになる。

大きな力は三角錐の途中で留まったまま、清涼な気の流れが保たれるため、変に悪意などの不浄な気にさらされることがなくなる。

なので神様も居心地が良く留まり易いというわけだ」


 なかなか具体的で理にかなっているな。里緒は感心したが、同時にインチキ宗教もこういう事言いそうだ。とも思った。


「要はあれですね。神様飼うときも、メダカを飼うときくらいちゃんとしなきゃダメってことですね」

 マラサダをコーラで流し込んで千比呂がドヤ顔を決めた。


 宝先生は、一瞬呆気にとられたが、すぐに笑いだした。顎に手を当て口元を隠していても、ひとり納得したように頷きながらニヤけているのが見て取れる。

「良いね。大伴は独創的な物の見方が出来るようだ。神様を飼う時か......確かに似たような雰囲気はあるな。」


 各自飲み物を飲み干すと休憩所を後にした。

 目指すはとりあえずハンドメイド材料のコーナーだったが、宝先生がやたらと店内に詳しく、禄に案内も見ずに銀細工のコーナーに辿り着いた。

「確かこの辺に......」

 宝先生は商品棚をさっと見渡すと、あっさり探していたリングホルダーを見つけた。


 それは透き通る程に透明で上品な三角錐のアクリル製だったが、かなり安価なものだった。3千円もしない。


「そんな安物で良いんです?」

 思わず千比呂は口を挟んでしまった。

「大丈夫だ、これなら永く持ちそうだからね。ああゆう祠で使うには、見た目より耐久性が大事なんだ。」

 大きさも丁度良さそうだと、宝先生は満足気だ。


 レジで会計を済ますと、千比呂がお腹が空いたと言い出したので、折角だからとホームセンターに併設されたスーパーマーケットで夕飯の買い物をしようということになった。帰りはこのまま先生が車で家の近くまで送ってくれるという。ふたりにしてみればラッキーだ。


 宝先生もお弁当を買おうと、乗り気だった。チェーン展開している大手スーパーだが、お惣菜は安くて美味しいと評判の上、量も多くバリエーションにも富んでいる。

 独り身の先生には、有り難い事この上無しの存在だ。


 里緒がNodeで父親に夕食の確認をすると、『今日は定時で帰れるのでなにか作ってくれ』

 即レスで返信が来た。

『何が食べたいか?』そう送信すると、

『里緒の手料理ならなんでも良いよ』今度は、テンプレの絵文字でOK付きの即レスされた。

 思春期真っ只中の娘としては少々気持ち悪くもあり、なんでも良いからメニューをはっきり言って欲しいのになと、腹立たしくもあったりもした。


「みっちゃん何だって?」

 千比呂は里緒の父親のことを、みっちゃんと呼ぶ。里緒も千比呂の父親を、ひろくんと呼んでいる。幼い頃から聞いている父親同士の呼び方を継承した形だ。


「今日は家で食べるからなんか作れってさ。何かって何だよって話さね」里緒は、端折って不満をもらす。


「わたしんとこは、お兄ちゃんが材料買ってあるから別に買って来なくて良いってさ。とんかつ作るんですってよ」

「いいなぁ~、ウチもとんかつにしよう」

 里緒は、考えることを放棄した。


 スーパーマーケットの惣菜コーナーで里緒が選んだのは、出来合いの黒豚のヒレカツが2枚入ったパックだった。パックから皿に移す時フライパンに多目の油で温め直してやれば、それはもう立派な手料理だと自認している。

 先生は、泥棒のアニメ映画でモミアゲとアゴヒゲが奪い合っていそうなゴロゴロとミートボールの入った大盛りのボロネーゼと、イタリアンサラダを買い物カゴに入れていた。


 千比呂の姿が見えなくなったと思ったら、スニッカーズを箱で抱えて持ってきた。


「大伴は高校生なのに、よくそんなお金もってるな?」

 宝先生は、のべつ幕なし食い散らかしている千比呂の懐具合が気になって来たようだ。

「こう見えてわたし意外とお金持ちなんです」

 鼻息荒く胸を張ってみせる千比呂。


 実際、千比呂はそこいらの若手サラリーマンより貯金がある。中学時代、美少女アスリートと本人は不本意ながらもモテ囃されていた頃、企業のスポンサーが何社か付いて、テレビCMや広告に使われたり、雑誌の表紙を飾ることもあった。

 結果的にそれらの報酬は数百万単位となり、税金などで納めても、まだ高級外車が買える程度は残っているらしい。


 本人的には、ほぼなんの努力もせずに簡単に大金が転がり込む状況に恐れを成したというのも、千比呂が陸上を止めた原因のひとつであることは確かだった。


 人間は生涯の内にいったい何台の炊飯器で炊かれた米を食すのであろうか?


 スーパーマーケットとの境界に並べられたホームセンターの家電コーナーの一角にある炊飯器棚の前で、千比呂と宝先生の会計を待ちながら里緒は思索を巡らすことで暇を潰さんとしていた。


 買い物はヒレカツ2枚パックのお惣菜をひとつだけの里緒は、早々にベテランと思われるレジ担当のオバ様の列に並んだのだが、列の若干の短さから不慣れな高校生バイトの担当レジに並んでしまった千比呂と先生は前に並んだ買い物客の購入量も推し量らずに、未だ漫然と行列に加わりながら、なにやら言い合いをしているのが遠くに見える。


 夕方のスーパーマーケットは戦場だ。ちょっとした判断が生死を分ける。

 まだ少し時間がかかりそうなので、全く興味のない炊飯器の性能を見比べながら里緒は時間を潰した。


「5合炊きで6千8百円って安くない?」

 テレビで頻繁にコマーシャルを流している格安家電メーカーの商品の価格に心を奪われかけた時、不意に後ろから話しかけられた。


「りお、ちょっと聞いてぇ。宝先生ボロネーゼにウスターソースかけるって言うんだよ!信じらんないよね!?」

 人を長々と待たして置きながら、千比呂は悪びれもせずに宝先生の食癖に対する意義に同意を求めてきた。


 里緒は、少しムッと来たが後ろからやってきた宝先生が、

「待たせてしまって申し訳なかったね」と、謝辞を述べたのでここはまとめて許してやることにしたが、千比呂の質問は無視してやった。


「今しがた話していたんだが、斎事係のグループNodeを作ろうと思うんだけど、木下も参加して貰っていいかな?」

 レジの列の並んでいる間に千比呂と宝先生でそんな話になっていたようだ。


「別にいいですよ」

 特に断る理由もないので里緒が快諾をする。

「じゃあ、招待するね」

 千比呂がそう言うとほぼ同時に里緒のスマホがフゴフゴと子豚の声で鳴いた。画面上部に、グループNode猫柳高校斎事係に招待されました。と表示されている。

 準備万端じゃん。思いながらも同意する。見慣れた千比呂のクリストファー・リーブのアイコンと並んで、水中で溺れかけているような赤ん坊の顔のアイコンが並んでいる。


「宝先生......何ですかこのアイコン?」

 若干ひきながら尋ねてみる。

「それはニルヴァーナってバンドのアルバムジャケットの切り取りだよ」

 照れくさそうにはにかみながら答える宝先生に、一瞬キュンとしてしまった自分に腹がたった里緒だった。


 帰りは国道1号線から回って馬入橋を渡り、鶴峯崎神社の鳥居前を右折して団地を抜け、千比呂と里緒の家のある住宅街に入る道の前まで車で送ってもらい、ふたりはそのまま自宅へ帰った。


 千比呂の家では、翼が味噌汁の鍋を火にかけながら千切りキャベツを髪の毛程の細さに切っている最中だった。

 里緒の家にはまだ誰もおらず、ヒレカツをビニール袋のままダイニングのテーブルに置くと里緒は自室に戻って部屋着に着替えた。


 それぞれ夕飯が終わり風呂から上がってくつろいでいると、宝先生からNodeにメッセージが届いていた。


『明日、放課後に御霊遷しの儀を執り行います。帰宅は夜8時頃になると思うので、お家の方にはその旨を伝えておいてください。』


 ただそれだけの事務的な連絡だった。


 翌日、ホームルーム前の教室で遠山先生が来るのを待ちながら、里緒ととりとめもない話をしていると、グループNodeに宝先生からメッセージが届いた。


『昼休みに打ち合わせがしたいので、科学準備室へ来れますか?』


 ふたりは、あからさまに嫌そうな顔を見合わせた。

「食堂集合ならいいすって返信する?」

 里緒がめんどくさそうに提案する。

「そうしておくれよ。あ〜あ、結構毎日やることあんじゃん。ものいみごとがかり。」

 千比呂は下唇を突き出しながら天井を仰いだ。

「それな〜」

 里緒が同意しながらNodeに返信を打つ。


『オッケーで〜す♡ でも食堂集合がよいって大伴がいってま〜す』


 テヘッと下を出した血塗れゾンビ犬の絵文字を添えてグループNodeに表示される。


「あ〜っ、ずるくね? わたしが駄々こねてるみたいじゃん!」

 里緒が打ったNodeの文面を見て、不満を漏らした。

「食堂集合なら、あたしよりちひろちゃんが言ってたことにしたほうが説得力あるべさ?」

 いたずらっぽい顔でニコニコしながら里緒が千比呂の頬を両手で挟んで撫で回す。千比呂が虚無の視線で里緒を見据えながらされるがままになっていると、ふたりのスマホがNodeの返信を告げた。


『了解、食事をしながら話そう。4人テーブルを予約しておくよ。』


 宝先生からの返信を見て、思わずハイタッチをする千比呂と里緒だった。これで昼の食堂のテーブル争奪戦から今日は、解放されるのだ。これが喜ばずにいられるものか。


「気が利くじゃん真玄」千比呂がぞんざいに宝先生の名前を呼び捨てる。

「イケメンの癖にやるじゃん真玄」里緒も千比呂に倣う。

 互いの顔を見ながら笑っていると、遠山先生が教室に入ってきた。里緒はスカートをひらつかせながら急いで自分の席に駆け戻る。

 今日の遠山先生は、スッピンだが昨日よりは小綺麗だった。


「場所は体育館にしたよ。放課後押さえておいたから」

 天丼のエビを箸で、学食の空に泳がせながら宝先生が言った。

「準備は一通りしておくから、放課後になったら社務所の巫女服に着替えて体育館まで来てくれ」


「着方がわかんないですけど」

 千比呂が牛細切り丼の大盛りをかき込みながら応える。

「桐ダンスの中に巫女服と一緒に着付けの仕方を書いた紙が入ってる筈だからそれ見て着替えてくれればいい。下は体操服でいいから。ネットに着付けの仕方も探せばあるみたいだから、わかんなかったら調べてがんばってくれ」

 海老天に舌鼓を打ちながら適当に返してくる宝先生。


「要はググれってことですね? 適当だな〜」

 里緒がフレンチサラダを突っつきながら不満をもらす。

「浴衣に毛が生えたみたいなものだから簡単だろ。巫女服の着付けなんか私だって知らないんだから。適当にもなるさ」

 宝先生がそこに関しては丸投げしてきた。


 3人は黙々と食事を終えると、先生が取り出したルーズリーフから何枚かの紙を外してテーブルの上に並べた。体育館の見取り図を指し示しながら説明を始めた。


 中央の赤い丸を白衣の胸から取り出したボールペンで押さえながら眼鏡を光らせて解説を始める。

「体育館中央のこの赤丸に昨日購入した依代を設置する、依代は今、美術の田中先生に頼んで梵字を彫り込んでもらってるところだ。これに最終的に御霊を宿す。」


 あらかた空腹を満たし終えた生徒たちでざわつく学食の中でこのテーブルだけ異質な雰囲気を醸し出している。

 神妙な面持ちで額を突き合わせている3人は、昼食を楽しむ目的だけで学食を訪れた他の生徒には、非常に異様な存在に映り、テーブル脇を過ぎる者の中には、不審な視線を送る者もいた。


 そんな視線に構うこと無く。宝先生は、放課後の手順の解説を続ける。千比呂は他の生徒の視線が気になるようだったが、里緒は気にすること無く、符術絡みの御霊遷しの手順に興味を惹かれていた。


「体育館の出入り口は、緑の丸で書いてある。ここは全て御札で封じる。これで浮遊霊となってる御霊の影響を受けた動物霊だけが入れるようになり、一度入ったらもう出ることが出来ない」

「ゴキブリホイホイみたいですね」

 里緒が真剣な眼差しでふざけたような相槌を打つ。

 宝先生が真摯に眼差しで応える。

 千比呂はなんのコントなのだろうと飽き始めていた。


「木下は体育館が霊で満たされたら教えてくれ。そうしたら大伴の出番だ。番号の振られた青丸に1番から順番に印を付けた位置に封印の御札を貼っていくんだ」

 体育館に五角形に付けられた青丸を肋木の位置に書かれた1と言う印から時計回りにボールペンを動かしながら宝先生は説明を続ける。


 不意に名前が出てきた千比呂は、驚いたように姿勢を正す。

「4番の札まで貼った所で、青丸の五角形の内側を反時計回りにグルグル回ってくれ、封印に気がついた霊が阻止しようと大伴を追いかけ始めるだろう。そうする内に互いに接触した霊は段々とひとつの塊にまとまりだす。霊がまとまったら木下の合図で最後の御札を舞台上の5番の位置に貼るんだ」


「それは体育館の中をひたすらグルグル走り回れってことですか?」

 めんどくさいぞこれはめんどくさいぞ、危険な予感が千比呂を襲う。


「そうだ、霊がひと塊になるまでがんばってくれ」

 宝先生が事も無げに言う。

「ちびくろサンボみたいですね」

 里緒がいたずらっぽく笑う。完全に他人事だ。


「うわ〜〜!」千比呂が椅子からずり落ちそうになりながら天を仰いで声をあげた。

 背後のテーブルに座っていた男子がビクッとして恨めしそうに振り返り、千比呂を睨みつけている。


「御札を貼り終えたら私が、符術で依代に御霊を遷す。これでミッションは終了だ。なに、集合した霊は簡単に融合するから体育館の2,3周もすればおしまいさ」

 宝先生の微笑みが、詐欺師のそれのようにも見えたが、まぁそれでも体育館なら10周くらいは余裕だなと、千比呂も納得した。


「まだ〜っ!いったい何時まで走ってりゃいいのよ!!!」

巫女服姿に裸足であるにもかかわらず、とんでもない勢いで体育館の中をグルグル駆け回りながら千比呂が叫んだ。


 途中までは計画通りに事は進んでいたのだ。体育館が、侵入して来た霊達の形作るオーブで溢れ返ったのを里緒が確認したところで、宝先生に背中を押され千比呂が御札を持って走り出してから既に体育館を15周程している。

 予定の御札は貼り終えてあと1枚。御霊がまとまればこれを貼ってお役御免だったのだが、里緒の合図が全然来ない。


 それというのも予定外の事態は起こり得るもので、御霊の影響を受けた動物霊だけを集めるつもりが、人間の子供の霊も集まってしまったようだ。どうやら御霊の影響は、まだ自我のはっきりしない程に幼くして亡くなってしまって、浮遊霊となった可哀想な霊にも及んでいたようだった。


 動物霊と人間霊が混ざってしまうと神格が上がって仕舞い、用意した依代程度では収まりきれないのだそうだ。


 そのため、入口から入ってきた人間霊を里緒が見つけて、それを宝先生が、印を用いた簡素な除霊術で昇天させる必要が出てきてしまった。

 その間、千比呂はひたすら体育館を走り回ることになってしまったのだった。


「これは流石に切りが無いな。入口の御札に少し書き足して、人間霊を弾くようにするから、大伴はもうしばらく頑張ってくれ」

 神主の装束の懐からペンを取り出して宝先生が出入り口に向かって走った。

 その間、見るばかりですることの無くなった里緒は、千比呂を応援することにした。無論、声援を送るだけなのだが。


「がんばれ〜ちひろ〜、今先生が邪魔なの入ってこれなくしてくれてるからね〜」

 里緒の気の抜けそうな声援を受けて、

「最初っからなんでそうしてないのさ!?」

 もっともな反論を返す。


 傍目には、巫女服姿で全力疾走で体育館をグルグル駆け回る女子高生というシュールな光景が展開されていたが、当の本人にしてみると、見えないまでも周回を重ねるたびに不気味な圧力を増しながら背後から追いすがる《なにか》に不安を募らせ始めていた。


 段々身体が熱くなってきた。巫女服の動き辛さも災いし、息が上がり始めている。そろそろストレスも限界に達してきた。

 イラつきながら千比呂は意を決すると、走りながら巫女服を脱ぎ散らかして体操服に裸足という姿になった。


 動画撮ってたらSNSでバズったな。里緒は不届きな想像を頭で膨らませながら、元美少女アスリートの同級生が何匹もの複数の怒りの表情を浮かべた顔の種族すら明確で無くなった霊体の塊に追いかけ回されているのを眺めていた。


 体操服になった千比呂は明らかにスピードが上がっている。身体が軽く呼吸も楽だ。汗も段々と引いてきた。体力オバケの面目躍如と、心地良くすらなってきた所で里緒の声が飛んできた。


「ちひろ!はやすぎ!一周回って追いついちゃってる!!」

 途端に千比呂の周りを重い空気が包む。身体の動きが重たくなる。水中にいるような息苦しさに襲われ足が止まりそうになった。


 里緒の眼には、千比呂が最後尾の霊体の塊に突っ込むのが見えた。動きが見る間に鈍くなっていく親友の姿に、悲鳴に似た叫びで宝先生を呼ぶが、遠くの出入り口の御札に術を施し集中している宝先生には、その声は届かないようだ。


 今にも足が止まりそうな千比呂に対して、その名を連呼することしか出来ない里緒の声は、段々と涙声の叫びになっていく。

 息することもままならなくなってきた千比呂の顔が段々と青ざめてゆく。それでも足を完全に止めないのは、千比呂の根本に根付いている責任感からだろうか。


 里緒がその場にへたり込んだ時、千比呂の気配が変わった。

 里緒のマブダチはブチキレた。左手を大きく振りかぶったかと思うと渾身の左ストレートを見えない霊体に向かって繰り出した。


 一拍置いて空間がドンッ! と弾けた。凄まじい勢いで御霊が結界の作用で強化された体育館の壁に叩きつけられた。

 急に圧迫感が霧散して、千比呂は大きく息を吸い込むと、止まりかけた足を再び動かして走り始めた。


 脚立や消化器を倒したり、物質に作用できる霊ならば物質が作用する事も出来るのだろうか?

 兎にも角にも千比呂は名前も無いとはいえ、神様を左ストレートで殴り飛ばしたのである。


 里緒は快哉の言葉にならない叫びで、千比呂を称賛する。涙の跡もそのままに喝采の拍手で千比呂を讃える。惜しむらくは、自分しかその出来事を目撃できなかったことだった。


 吹き飛ばされた霊体は激突の勢いでひと塊にまとまり、千比呂に対し警戒の念を抱いたのかフラフラと漂っていて、先程までの殺気は消えている。


「ちひろ!今だよ!!」

 この機を逃さず里緒が叫ぶ。千比呂はサムズアップで応じると、体育館の舞台上に駆け上がり、演台に設えられた校章の真ん中に貼られた赤い目印の上に叩きつけるように御札を貼った。


 一瞬耳鳴りのように空間が張り詰めると、体育館の空気が変わった。中央の依代を囲むように五角形の虹色の壁が現れ、御霊を囚えたのが里緒には見えた。


「おーい」

 戦い終わったウルトラマンのように先生が小走りで走ってきた。

 舞台の縁に腰を下ろし、山賊のような立膝で肩で息する千比呂と演台に貼られた御札を見て、宝先生は全てを悟った。


「遅いよ先生。こっち終わったからさっさと仕上げしちゃってよ」

 半袖短パンの体操服で、珠のような汗を額に輝かせつつ肩で息を整えながら、千比呂が親指で依代を指す。

 なんてイケメンなんだと、里緒は胸が少し高まった。


「よし、後は私に任せろ」

 こっちもこっちでイケメン風なセリフを残して宝先生は、依代に向かうと祝詞を唱え始めた。


 10分程の朗々とした響きに乗せた祝詞を唱えると。フッと気合を吐いて印を組んだ手で空中の図形を描く。

「終わったよ」と、振り返り笑顔の端から歯を輝かせた。

 里緒も依代を見据えて納得したように頷いている。

 千比呂が見ても、透明な依代の輝きが変わったように感じられた。


 体育館を出ると雨が振っていた。さほど強い降りでは無かったので、千比呂と里緒は走って社務所へ向かった。

 陽が落ちた後の社務所は不気味だったが、中へ入ると空気清浄機がフル稼働していたかの如く空気が澄み切って心地よく、なんだか疲れが癒やされるかのような安心感があった。


 着替えを済ますと、社務所の脇にあった傘を借り、ふたり相合い傘で職員用駐車場を目指した。

 先生が今日のご褒美にと、車で家まで送ってくれるついでにラーメンもご馳走してくれるそうだ。時刻は19時32分。夕飯を食べるのには丁度よい頃合いだと、里緒は思った。


 大砲通り沿いの帷子という京風ラーメンのお店で3人は、エビ塩らーめんを食べた。勿論、千比呂は大盛りにした上で、そぼろご飯と餃子も食べた。


 食べながら今日の御霊遷しを行った依代は、土曜日の朝に市役所の防災管理課の方々を集めて祠に納める儀式を行う予定だそうだ。

 ふたりも参加するかと訊かれたが、土曜日は生憎と予定がございましてと、丁寧に辞退させていただいた。

 土曜日は休日である、休日返上はご勘弁いただきたい千比呂と里緒だった。


 ラーメン屋を出ると雨は上がっていたが、星は雲に隠れていて見えなかった。

 里緒は千比呂とふたりで宝先生にごちそうさまを言って車に乗り込んだ。相変わらずの後部座席だけど乗り心地は良い。


 カーナビの案内に従って5分足らず車を走らせると、大伴の家の前に辿り着いた。

 流石に走り疲れたのだろう、大伴は短いドライブの間にウトウトしだしている。

 木下のほうは、まだまだ元気そうだった。彼女も家の前まで送ろうと言ったのだが、ここで良いですと断られた。

 ここから6軒程先のご近所さんだそうなので危ないこともないだろう。


 車が止まった感覚があり、千比呂は目を醒ました。ほんの少しだけれど寝てしまったらしい。お腹がいっぱいになると眠たくなるのは人類共通の認識だと心得ている。家に着いたよと里緒に教えられ、寝てないしと強がりながら車を降りる。

 里緒も一緒にここで降りるようだ。千比呂の家の門扉の前でカバンを片手に背伸びをしてる。車から降りて、助手席の窓から先生にお礼を言おうと思って車内を覗き込むと、先生もドアを開けて降りてきた。


 屋根に右肘を乗せミニクラブマン越しに千比呂と里緒に話しかける。

「今日は助かったよ。君達が居なかったらもっと大変な作業になるところだった。本当にありがとう。大伴もずっと走って疲れたろ? 今日は早目にゆっくり休むんだぞ」


 宝先生の口から出たいつになく優しい言葉に、ふたりは驚きを隠せなかった。

「ちゃんと、ありがとうが言えるってことは先生。さては、いい人ですね」

 里緒がいたずらっぽく笑う。


「昔、おんなじようなことを言われたなぁ」

 憂いを帯びた宝先生の微笑みは、嬉しそうでもあり、寂しそうでもあった。

 千比呂と里緒は互いに顔を見合わせる。なんだか察してくすぐったくなり、おでこを突き合わせて、はにかんだ。


「じゃあ、また。木下も近くても帰り道は気をつけるんだぞ」

 それだけ言ってポンッと車の屋根を叩くと宝先生は車に乗り込み去っていった。


「ブレーキランプ5回点滅とかしたらどうする?」

 千比呂が里緒を肘でつつく。

「あたしは一途な女なんですよ」

 そう言って千比呂の家を覗き込む。1階のシャッターは全部降りていて、2階の角の部屋の窓だけ明るく見えた。

 しばらく見つめていると、宝先生の車も見えなくなっていた。

 ブレーキランプは、右折の際に一度灯っただけだった。


 ふっとひと息、短く吐息を吐き出すと里緒は千比呂に顔を向けた。

「じゃあね! また明日学校でね」

 千比呂も笑顔で応える。

「うん! また明日!!」


 自室に入ると猛烈な睡魔に襲われた千比呂だったが、なんとか部屋着に着替えてベッドに五体投地で身を投げた。全身痺れるような心地よさに包まれ、お風呂も入らずに今日はこのまま寝てしまう事にした。お風呂は明日の朝入れば良い。


 寝入り端、伸ばした手の指先が何かに触れた気がした。頬ずりをしてくる猫の毛のような感触だった。

 眠気が勝り、特に気にすることもなくそのまま眠った。


 今日は久しぶりに疲れた。明日も学校。

 明日のお昼は何を食べよう...

 美味しい夢が見れると良いな......


それは不思議にありふれて

第一章 〜 【騒霊】

  〈完〉


第二章 〜 【影踏】 へと続く。

それは不思議にありふれて

第一章はこれで終わりになります

最後まで読んでくれた方

本当にありがとうございます


今後、二章・三章と続けてゆくつもりでおりますので

もしまた見かけたら目を向けてやってください

それではまた、出来るだけ近い内にお会いできるよう

少しは頑張ってみようと思います


それまで皆様

どうかお元気で!


出来れば、いいねや評価、感想などいただけると今後の展開に参考にさせていただきたいと思います。

よろしくお願いします!!


2024年 12月 25日 寿賀 旦

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