1話 イルカと不思議な少女
※この作品はフィクションです。実際の人物、場所、団体及び伝承とは関係ありません。
※イルカ×人間の話です。直接の描写はありませんが異種間系が苦手な人は閲覧をお控えください。
高校最後の夏、受験勉強の息抜きとして私は知り合いに連れられて、太平洋の小さな島「フィンドル」に三泊四日の旅行に行きました。数時間にわたる船旅を終えてたどり着いたその島は常夏の南国で蒼い海と白い砂浜が宝石のように輝いていました。予約していたホテルにはビーチがあるらしく、チェックインした私達は早速そこで遊ぶことにしました。
「わあ、奇麗」
澄み渡る蒼が地平線まで続き、潮の香りと波の音で心が癒えるようです。泳ぎが得意だった私はつい調子に乗って沖の方へ出てしまいました。慌てて戻るとそこはさっきとは違う砂浜で、元々漁村があったのか朽ちた漁船や網などが所々にごろごろ転がっておりました。
「変なところに来ちゃった……」
すぐに元居たビーチへ帰るべきなのですが、無暗に泳ぎ出ても危険ですし疲れていたので、浜に座って少し休むことにしました。
「先輩どうしているかな?」
『キュッキュッ』
「ん?」
するとどこからか可愛い鳴き声が聞こえてきました。沖の方から野生のイルカが現れたようです。イルカが大好きな私は心躍らせましたが、驚かせてはいけないと打ち上げられた漁船の陰に隠れて様子を伺います。
『キュイッキュー』
「ふふ、可愛い」
イルカは二頭来ました。世界中の海でよく見かけるバンドウイルカで若いのか体長は2メートルと比較的小柄です。浅瀬に近づき遊んでいるようです。
「キャハハ!」
「……え?」
注意深く様子をうかがっていると、イルカ達の中に人間が混じっていることに気づきました。一瞬溺れているのかと思いましたがどうやら違うようです。セミロングの黒髪を海中にたなびかせながら、巧みな泳ぎでイルカと戯れていました。ただ彼女は……。
「……裸!?」
水着どころか下着も付けていないすっぽんぽんだったのです。そもそも“彼女”と分かったのも、女性らしい華奢な四肢や形の良いヒップが澄んだ海面越しに見えたからで、褐色の健康そうな素肌を惜しげもなく曝しています。
『キュイーキュイー♪』
「キャハハハ!」
「……」
息継ぎの度に垣間見れる女の子の楽しそうな笑顔と笑い声。イルカも楽しそうな鳴き声をあげながら彼女にじゃれ付いており、相思相愛の触れ合いである事を窺わせてくれます。
『キュィキュ!』
「あ……」
羨ましく思いながら見続けていると、イルカの一頭が私の存在に気づき大きく鳴きました。それに呼ばれたかのようにもう一頭のイルカもこっちを見て、一緒に泳いでいた彼女もつられて振り返ります。年頃は私と同じくらいで、海のような碧い瞳が綺麗な女の子でした。
『キューキュ?』
「オゥ!?フーアーユー?」
「えっと……ハロー?」
覗いていた後ろめたさはあったので、私は廃船の陰から出ると何も持っていないことを示しながら浅瀬に近づきます。女の子が何か言おうとした時、海の方からけたたましいモーター音が聞こえました。見ると沖の方からライフセーバーのゴムボートがこっちに来ていました。ボートにはライフセーバーの男性の他に若い男性が同乗しています。
「おぉぉい!!重間ぁぁ!!」
「翔先輩!」
浜辺全体に響くほどに大きな声を上げた彼は私が高一の頃の水泳部の先輩で、今は東京で有名な大学に通っています。空色のアロハシャツと黒い海パンがカッコいいイケメンです。
「やっと見つけた。探したぞ重間!」
「ごめんなさい、つい調子に乗ってしまってここまで泳いできてしまいました」
「よく泳いだね?とにかく、早くビーチに戻ろう」
ふと浅瀬の方に目を戻すと、二頭のイルカ達もイルカと遊んでいたあの女の子も居なくなっていました。目を逸らしている隙にどこかへ行ってしまったようです。浜にたどり着いたボートから先輩が下りてきます。
「ここで何かあったのかい?」
「うっ……ううん、何でもないです」
「ならここにはもう来ない方がいい。ほら、こっちにおいで」
そう言って差し出される大きな手を、私はちょっとはにかみながらとります。実は彼と私は付き合っている関係で、二年前に告白して以降遠距離の恋愛を続けております。休みの日に会うことはありますが、こうして一緒に旅行するのは初めてだったりします。
私を乗せたボートは軽快なエンジン音を響かせて廃漁村を離れます。ビーチは岬を挟んだすぐ隣にありました。
「七海ぃぃぃ!二間くぅぅん!」
ビーチに辿り着くと砂浜で海を見ていたロングヘアの女性が大声を張り上げてこちらへ駆けよってきました。
「蓮子姉さん!」
「だから泳ぎすぎないでって言ったのよ?七海はすぐ調子乗って何処までも行っちゃうんだから」
「ごめんなさーい」
浜辺に降りた私を叱る彼女は私の三つ上の従姉です。ファッション雑誌の表紙を飾る美貌の持ち主で、真っ黒なビキニから溢れそうなメリハリのある魅惑のボディが輝いています。
「重間を責めるなよ。セーバーの話だとこの辺海流の流れが複雑なところが多いらしいから」
「沖まで泳ぐからいけないんでしょ!今後ビーチで泳ぐの禁止!」
「えーそんな……」
ビーチに入って泳げないのは矛盾も甚だしいです。私がちょっと反抗的に頬を膨らませると蓮子姉さんは私の水着の肩紐をグイっと摘まんできました。
「きゃ!?」
「えーじゃないの!だいたいこの水着は何なの七海?」
「何って……いつも使っているのだけど?」
「なんで競泳用なのよ!?」
私が着ているのは高校の部活で指定されていた競泳用水着です。お気に入りで部活以外で泳ぐときもこれを着用しています。けれど職業柄ファッションに五月蠅い姉さんは気に入らないようです。
「せっかくこんな綺麗なビーチに来たのにこれはないわ!ビーチをなんだと思っているの!せめてビキニくらい用意しなさいっ!」
「そんなこと言われても……」
私は困惑気に自分の身体を見下ろします。小柄で起伏の少ないボディ……。小さい頃から水泳をしているので体力と泳ぎには自信がありますが、女としての自信は皆無です。ましてやビキニなんて着れたものじゃありません。泳いだだけでずれ落ちそうですし……。
「まあまあ、泳げれば何でもいいじゃないか?」
「甘いわ二間君!あたしは七海の為を思って言っているの!だってこの娘ったら18になるのにコスメに興味持たないし、ハンドバックもサンダルも安物!これじゃまるで修学旅行よ!」
「うぅ……」
おっしゃる通りですが先輩の前で説教しないで欲しいです。小学・中学・高校と水泳クラブや部活に明け暮れていた私にファッションを磨く機会はゼロでした。なけなしのお小遣いをかき集めて、この旅行のために用意できたお洒落着は今旅行バッグで控えている花柄のワンピースくらいなのです。
「まあまあ、高校生までだと金銭的なこともあるし、これからどんどん世界を広げていけばいい。伸びしろがあるってことなんだから。なぁ重間?」
「う、うん」
さすが先輩、フォローがうまいです。手を伸ばしてプールの塩素で色落ちしてできた私の茶髪を梳くように撫でてくれます。大きくて温かい手で撫でられるのは気持ちいいです。蓮子姉さんに「子供ねぇ」と言われても今は気にしません。
「ん?ところで重間?」
「はい?」
「その髪留め、高1の時もつけていたよな?」
「うん、小さい頃おばあちゃんに貰った思い出の品だから」
私のセミロングの後ろ髪を纏めているのは、丈夫な麻糸を編んで作られた髪留めで、イルカの形をした小さな珊瑚があしらわれています。これをくれた私の祖母は昔南の島で暮らしていたことがあって、イルカに関する面白い話を聞かせてくれました。
二年前に亡くなってしまった時はこれを抱きしめて泣きじゃくったものです。
「律儀よね。昔気質の人間じゃあるまいし」
「俺は良いと思うよ。思い出を大切にするのって」
良かった!先輩にもわかってもらえました!蓮子姉さんは不満げです。
「あら、さっきからずいぶん七海の肩を持つのね?」
「当然だろ?可愛い後輩なんだから」
「へぇー?私よりこの娘が可愛いっていうの?」
「別にそういうわけじゃ」
軽いいつもの言い争いを始めた蓮子姉さんと翔先輩。とても賑やかです。実は蓮子姉さんも私と同じ高校の出で、彼とは幼馴染だったりします。
「と、とにかく、ホテルに戻ろう……よいしょ」
「ちょ……先輩!?」
翔先輩が私の身体をひょいと持ち上げて、横向きに抱えたまま歩き出します。所謂お姫様抱っこと呼ばれる状態です。今水着なので肌が余計に触れ合ってこそばゆいし恥ずかしいです。
「またどっかに泳いで行かれたら大変だからね」
「だ、だからって……」
「ふふふ、赤くなっちゃって……こどもなんだからぁ~」
先輩の腕の中で恥ずかしがっている私を、蓮子姉さんがからかいながら小動物を愛でるように頭を撫でてきます。受験の殺伐とした日々の中、海が綺麗な南の島で優しい先輩と従姉妹に囲まれて私は幸せ者です。そうです、この時はそう思っていました……。