逆鱗に触れる
帰宅して鍵を開けると、部屋がキンキンに冷えていた。
普段エアコンの設定は27.5度にしているのに、25度にまで引き下げられているようだ。
勝手に侵入して、エアコンをガンガン効かしている犯人の目星は付いている。
犯人も僕が帰ってきた気配に気づいたようで
「うおさん、お帰り~」
と暢気な声が廊下の奥から聞こえてきた。
キッチンの流し台には、プリンの空き容器二つがきれいに洗って伏せてあるので、敵は部屋へと突入するなり、いの一番に冷蔵庫を荒らしたのは間違いない。
「ミキちゃん、二つとも食べてしまうってのは、ちょっとヒドイんじゃないか? 親しき仲にも、って言うだろう」
楽し気に微笑んでいる合法ロリに文句を言うと、象牙色のヨガブラに淡い水色の短パンという気楽な恰好の合法ロリは、大理石みたいに白くて長い脚を寛がせて
「まあまあ、硬いことは言いっこナシ。何度も一緒に寝た間柄じゃない?」
と開き直った。
ミキちゃんの発言は事実には基づいてこそすれ、誤解を招く物言いだ。
ミキちゃんはまだ駆け出しの神様(見習い中)で、龍になるのを夢見ている”あすなろ系”チビッ子蛇神だから、彼女がクソ寒い厳寒期に僕の蒲団に潜り込んできていた時には常に蛇体なのである。
艶っぽい要素はどこにも無し。
アルビノのアオダイショウ。ガキの頃からの長い付き合いだから可愛くなら思えるけれど、どこに欲情するような要素があると言うのか。
彼女にはサービス精神というものが足りない!
(これには彼女の側にも言い分があって、人化した姿でなく蛇体で布団に入ってくるのは「オトコは狼って言うからねぇ。うおさんの事は紳士だって認識してるけど変態紳士系でしょう。間違いが起きたらお互い気まずくなっちゃうからねっ!」と、最大限の気遣いの結果なんだそうだ)
ミキちゃんにも一応「なんとかかんとか之命」という偉そうな名前があり、僕は特別待遇として教えてもらっているのだが、それは諱というヤツで、みだりに口には出来ない。
だから巳の姫さまで、ミキちゃんとアダ名で呼んでいるというわけだ。
◇
彼女と初めて出会ったのは小学一年生の時で、下校途中に子猫と睨み合いをしていた彼女を見つけたことに始まる。
僕はどちらに肩入れするでもなく、しゃがんで対決の成り行きを見守っていたのだが、勝負に利あらずと判断したミキちゃんは、僕の膝に這い登ってきた。
猫に喰われる可能性ならあるが、ニンゲンの子供に捕って食われることは無い、と読んだわけだ。
ミキちゃんもその頃は、小学一年生が両掌で作ったお椀の中にスッポリ収まってしまう程度の大きさでしか無く、判断は的確であったと言える。
僕はミキちゃんをそのまま家に連れ帰り、当然の如く母に一旦は「逃がしてやりなさい」と命じられるものの、彼女が子猫の襲撃を受けて少し怪我をしていることを理由に一時保護をする許可を得た。
たぶんミキちゃんが普通のアオダイショウやシマヘビそのものの外観であったら許してもらえなかった可能性が高いが、瞳だけが紅色で全身が純白というアルビノの希少性(神秘性?)がモノを言ったのに違いない。
その日はキッチンペーパーを敷いた「もち吉」の空き缶にミキちゃんを寝かせ、餌として公園で捕まえてきたバッタとコオロギ、それにミミズを入れておいたのだが……
ミキちゃんはそのメニューを不服として、夜になってから夢枕に立った。
彼女がクレバーだと思うのは、夢に出た先が『僕の』夢ではなく、『母の』夢の中であったこと!
決定権が段違いだからね。
次の日から彼女には、鶉の生卵が配給されることになった。
ミキちゃんが人化の術を習得して、夢枕ではなく直に会話を交わせるようになったのは、ちょうど僕が小学校を卒業するのと同じころである。
◇
彼女との馴れ初め(?)と言うか腐れ縁はこんな具合なのだが、寿命のスパンが違っているから、こちらの外見が丸っきりオトナになっても、ミキちゃんは未だに中学生くらいにしか見えない。
純粋なアオダイショウであれば既に立派に成人してないといけないはずだが、龍もしくは龍神に成る時期が成熟期とするならば、まだまだ未熟ということなのだろう。
さてミキちゃんが部屋にテレポートして来て、プリンを食い荒らしながら何をしていたかというと、パソコンを立ち上げて僕の創作を読んでいたらしい。
「うおさんさあ……。クダン送りの主人公は中年女性という設定でしょう。それなのに蓑笠姿の保護者を見て『狙撃兵のギリースーツと同じ効果』と思うというのは無いわぁ。そんな小さな描写がリアリティを削ぐんだよ」
「イギリス冒険小説好きの中年女性が居たって、別に何の不思議も無いだろう」
と僕は神様(見習い)に反論した。
「中年女性は軍事に全く興味が無い、なんて言う方が過剰なラベリング、レッテル貼りだね」
蛇神は天候・降雨を操ることが出来るというのが一般的な認識だけど、同時に弁天信仰と結びついて富貴や芸事の才能も併せ持つとされていることが多い。
けれどミキちゃんが人化能力を得て、真っ先に行ったのがウチの両親に対する謝罪だった。
「お父さん、お母さんゴメンナサイ。私、大ウソをついておりました。富をもたらすとか芸事の才を伸ばすとか、そんな能力は――今のところ――全く持ち合わせていません」
これまで教えてもらってはいなかったが、最初に母の夢枕に立った時、彼女はかなりの大口を叩いたもののようだ。
両親はミキちゃんの告解に大笑いして「何を今さら」とミキちゃんの認識を正した。
「そんな事くらい、一緒に暮らし始めて三日の内に分かってたよ。買ってたジャンボ宝くじ、300円しか当たってなかったから」
そして「そんな神妙な顔してないで、これまで通り気楽にしてなさい」と結んだ。
「ミキちゃんはもう、ウチの子なんだからさ」
だから僕は、ミキちゃんの御神託であれば、創作に関する批評とて自信を持って反論することが出来るのである。
だって彼女自身が「自分には芸事向上の能力は無い」って宣言しちゃったんだから!
◇
彼女は「ああ言えばこう言う。ホント人の好意に応えない男だねぇ」と、ブンむくれた顔を作ってみせたが、直ぐに崩して
「何か食べさせてよ。オナカ空いた」
と両手をあわせて拝んできた。
「よっしゃ、ちょっと待ってな」
僕は服を部屋着に着替えてキッチンに立った。
カミサマからの要請というより、幼馴染・妹分からのお願いである。
応じない手はない。
何が有るかな、と冷蔵庫をチェックする。
犬にチョコは毒であるとか、ネコに貝はNGとか、ニンゲン以外に食べさせてはいけない食品は存在するが、ミキちゃんの場合は人化している時には何でも問題なく食べる。(特に酒の肴系は好き)
腐っても鯛、という喩は失礼だけど、海幸・山幸を供えられる身分に――将来は――なるのだろうから、好き嫌いを言ってはいけない立場なんだろう。
先ずは鍋に水と清酒を入れて火にかけ、冷凍室からストックの鶏皮を取り出す。
鍋が沸騰するまでの間に、タマネギをスライス。
同じく豚バラ肉を一口大にカット。
沸騰したお湯にチューブのおろし生姜を絞り入れ、鶏皮を軽くボイル。
茹で上がった鶏皮を鍋から取り出し、流水で余分な脂を洗い落とす。
洗いあがった鶏皮は細長く刻み、半量をタマネギスライスの半量と混ぜ、鉢に盛り付けてからポン酢と鷹の爪で味を調える。
これで一品目、鶏皮の酢の物の出来上がりだ。
次に豚バラとタマネギを交互に竹串に刺す。
同じく茹でた鶏皮の残りもタマネギとともに串に。
出来上がった豚バラ串と鶏皮串に軽く塩・胡椒を振って、火力を絞ったオーブンで焼く。
串焼きが焼き上がるまでの間に、万能ネギを刻み、冷やご飯とともに鶏皮の茹で汁に投入。
この時、オジヤはなるだけ掻き混ぜないのが重要。
手抜き鶏白湯オジヤは、塩胡椒と薄口醤油で味を調え、鍋の火を消してから溶き卵を回し入れる。
オジヤと焼き串、酢の物を盆にのせ、「さあ食え!」とミキちゃんにサーブしておいてからシャワーを浴びる。
髪をガシガシとタオルで拭きつつ居室にもどると
「まあまあ美味しかったよ。御馳走さま」
と蛇神さまは満足そうだった。
「オジヤの鍋は、半分残しておいたげたからね!」
鶏皮酢と串焼きは独り占めかよ!
その上で彼女は「お腹はくちくなちゃったから、ちょっとだけ良いお酒が飲みたいなあ」と新たな注文を出してきた。
龍神様はどうなのか知らないが、蛇神さまは古来、八岐大蛇の時代からして酒好きなのである。
もっとも神話時代から室町時代末期までの間は、甘い飲み物としては濁り酒(白酒)くらいしか存在せず(例外として甘茶と果汁)、ニンゲンもカミサマもやたらと酒を好む。
ただし古代~中世までの「酒」は、並行複式発酵の洗練度がまだまだだから、アルコール度数は今の清酒の半分くらいしかない。
昔の豪傑が浴びるように酒を呷っても酔い潰れないのには、そんな理由があったりもする。
「よっしゃ。ただし酔い潰れたら襲ってやるからな。その点は覚悟してなよ」
キッチンに戻って、安い白ワインを瓶ごとクラッシュアイスに突っ込む。
出来ればせめてシュペートレーゼ級のラインワインが宜しいのだけれど、無い物はどうしようもない。足らぬ足らぬは工夫が足らぬで、700円ワインを高級『風』にアレンジだ。
冷えた安ワインをグラスに注ぎ、ハチミツを小さじ半分、味醂を数的垂らす。
マドラーでかき混ぜ、ハチミツが充分に溶け切ったところで居室に運ぶ。
ミキちゃんは一口味わうと目を細め
「最高のデザートワインだ。そしてまた、別れの宴にも相応しい」
と刑事コロンボ『別れのワイン』の犯人役のセリフを盗用した。
続けて「でもこれ、レート・ボトルド・ヴィンテージ・ポルトーではないよね。貴腐ワイン?」
と評価した。「初めて飲む味だよ」
「トロッケン・ベーレン・アウスレーゼさ。貴腐ワイン、というのは合ってる。その中でも選りすぐりだから、ちょっとお高い。グラス一杯3万円ってトコかな」
貴腐ワインというのは、貴腐菌ことボトリシス・シネレアというカビが葡萄の実の表面に生え、実の表皮を薄くしてしまうことで果実の水分を飛ばし、糖分が濃縮された実を発酵させて作る。
ポルトー酒ことポートワインは、発酵途中のまだ葡萄の糖分が残っている(酵母菌が糖分を消費し切っていない)状態でブランデーを加え、発酵を強制終了させてしまうアルコール強化ワイン。
だから貴腐ワインとポートワインとは全然別モノ。(ただし舌に甘いという点のみを見れば共通)
ミキちゃんはカミサマだとはいえ、ウチの実家にいた時から僕らと一緒に慎ましい家庭料理を食べていたわけで、お酒といっても父の晩酌の御相伴に預かるくらいの経験しか無かった。
だからお酒の種類の知識としては、本や漫画、ドラマくらいから得たものしか無いわけで、貴腐ワインなんか飲んだ事が無いからアルコール強化ワインならぬ糖分強化ワインでも『騙せる』だろうという試みだ。
「かぁー! なんという贅沢。どうしたん、うおさん? 宝くじでも当てた?!」
ミキちゃんは細くしていた目を真ん丸にして驚いた。
「宝くじなんか、当たるわけないじゃないか」
そもそもそんな能力を持ってないことは、同居していたカミサマ自身が明言してるし!
「実はベーレン・アウスレーゼならぬ、なんちゃって貴腐ワインじゃ。元はボトルで700円」
「なんとッ! ……驚いて損しちゃったよ……」
とミキちゃんが忌々しそうに舌打ちする。
「そうやって、うおさん、昔から純情無垢な私を担ぐからねェ」
「まあまあ。それでも偽貴腐ワイン、割と美味しかったでしょ?」
僕が笑うとミキちゃんも笑って「うん」と頷いた。
「一本700円と聞いて、めっちゃ安心した。もう一杯、所望いたすぞよ」
◇
二杯目の偽貴腐ワインもアッと言う間に飲み干し、ミキちゃんは俄然ゴキゲンになった。
大酒飲みのことを俗に「蟒蛇」とも称するが、ワイン二杯で酔っぱらう彼女は、大蛇としても未だヒヨッコなのだろう。
「ねえ、うおさん」と彼女は呂律の怪しくなった声で絡んできた。
「冷蔵庫のプリンとニセ貴腐ワイン、あれ、謎のFAXが送られてくるエピソードに出てくるプリンとゼリーの参考資料なんでしょう? 実家の妹から要求されるヤツ」
「うん。まあ、その通り」とオジヤをかき込みながら応じる。
「仮に実家に妹がいたら、どんなお土産を要求されるかなぁ、と思って探してみた。だから実家の妹のモデルはミキちゃんで、ミキちゃんが気に入りそうな品揃えになったってワケ。貴腐ワインのゼリーは実際絶品だったから、まあ完全にとは行かないまでも、舌が覚えた貴腐ワイン風の味をを再現してみようと思ってさ」
実物のトロッケン・ベーレン・アウスレーゼを飲んだ事は無いけれど、『プリンに醤油をかけたら雲丹の味』よりは再現性が高いだろうと思う。(たぶん……)
「やっぱりかあ」とミキちゃんは横座りになり「書いている小説が、徐々に現実を侵食してくるって効果を狙ったんだねぇ」とニヘラと笑った。
「前にもその手、使ったこと有ったよねぇ」
「裏野ドリームランドの時のことを言ってる? 口コミサイトに投稿してた人が、最後に行方不明になるヤツ」
「それそれ」とカミサマは頷いた。
「怪奇現象だと思われていた現象が、全てドリームランドを制御してた巨大コンピューターの仕業だったってハナシ。しかも自我を持ったコンピュータが優しくて、いろいろと気を遣った結果、怪奇現象みたいになっちゃったってオチ」
「あれを書いたのは2017年の7月だからね。まだ今みたいにAiがどうだとか、実社会ではあんまり言われてなかったころ。星新一の『声の網』や、山田正紀の『襲撃のメロディ』みたいな、ビッグ・コンピュータの反乱を描いた傑作は、既に世に出ていたわけだけど」
「う~ん……」とミキちゃんは不満そう。
「同じ手をまた使うってのは、どうなのよ、って考えちゃうじゃん? 技術の進歩はあるわけだし、実際にディープフェイクを使った情報操作なんてのが横行する世の中にまで成っちゃったわけだけど」
「うん、だから」と応じておいて、冷蔵庫から豆乳の容器を取り出す。
彼女の空きグラスに豆乳を注いで
「今だとまだ、電子メールはフェイク加工されてるかも知れないけれど、手書きFAXなら実際にヒトが出したモノで間違い無かろうって思い、あるいは油断があるじゃない? キッタナイ金釘流のFAXなんかさ」
ミキちゃんは「もう一杯、お酒飲みたかったなぁ」なんぞとブツクサ文句を垂れながらも豆乳を飲み
「それで差出人不明の『送られてきたFAX』なのかぁ」
と納得した様子。
「Aiの画像学習・画像複製能力は急激に進歩しているから、FAXが通信網に繋がっている限り、どう見てもヒトが手書きしたものにしか見えない『偽手書きFAX』が送られてくる可能性が、これから増えてくるだろう、と。FAXなら大丈夫なんて甘く考えていたら」
うん、と僕は彼女の読み筋に同意を示して
「そう云った場合に、その送り手側の主体が、そりゃあ、オレオレ詐欺みたいな犯罪グループである可能性は高いんだろうけど、今後レアなケースとして人間が関与していない場合だって有り得るかなぁ、ってね」
何かの作業を任されていた人工知能。
そいつが作業工程の効率化を、反復自己学習しつつブラッシュ・アップを続けた結果
『起こったトラブルに対処するよりも、トラブルの原因と成り得る事象に、それがトラブルとして顕在化する以前に直接介入・予防的除去措置を行なう方が、より効率的である』
と結論付け、課題解決のために『社会に対して介入を図る』といった手段を採り得る、といったような。
例えば、手書き風FAXで警告文を送りつけるといった、波風立たない穏やかな方法で。
「だからアシモフのロボット三原則じゃないけれど、Aiへの教育担当者、および自己学習プログラムには、同様の義務と責任とが組み込まれてなきゃならないわけで」
とミキちゃんは反論を試みたが
「でも教育担当者や運用者が”それ”に従うかどうかはワカンナイね。正直言って」
と常に危険と隣り合わせであることを認めた。
「着衣の女の子をヌード画像に加工するソフトなんてものが、既に出回っているような状況じゃ」
「そうだろ」と頷く僕に
「ワタシだって、既に被害に遭っちゃったぐらいだから」
とミキちゃんは驚きの発言!
◇
「はあ?! 被害に遭ったって、どういう事だよ!」
するとミキちゃんは「ちょっと待ってね」と立ち上がると、一度光に包まれてから……
正義のヒロイン風に変身した!
全身銀色のピッタリスーツで身を固め、顔や頭髪も銀色に。
もともとが蛇神様だから、人化した時でも凹凸に乏しい中性的な外見だったのだけれど、すらりと手足が長いから「いかにも」な外観だ。
「どうしたの? 修行先でコスプレ強要されてるとか? 神社の小銭稼ぎに利用されてるんじゃ」
意外な告白(というか変身)に狼狽えた僕に、彼女は
「違う違う。うおさん、早まらないで」
と、一先ず落ち着くように指示。
「正義のヒロインに変身するのは、徳を積むための一環なんだよ」
◇
ミキちゃんの説明によると、カミサマ見習いは中・上級職へとクラスアップするために、座学や演習で能力や術を研くと同時に、徳を積むという作業が要求されるのだという。
ミキちゃんの場合、出自が巳の神だから水蒸気を集めて雨を降らせること、水蒸気を散らして天候を回復させることなどは習得しやすかったのだが、理財や病気平癒みたいな特殊能力の習得が不得手だった。
「でもさあ、うおさん。今の日本だとダムや溜池は充実してるから、昔みたいに『雨乞い』や『雨やみ』の祈りは、あんまり捧げられないわけ。元日のお願いも家内安全や健康長寿が圧倒的だからね」
「いや、今現在はそうかも知れないけれど、近頃は異常気象で集中豪雨は増えているからね。『雨やみ』需要は増えるんじゃないの? 豊作祈願に並んで」
「今後はね、今後は」と彼女は僕の言い分を一部認めたが
「それでも今はさ、家内安全とか病気平癒とかに、祈願希望数で圧倒的に敵わないわけ」
そこでミキちゃんは『物理的な危機排除』に活路を見出したのだ、と言う。
「上級職の神に持ち込まれた祈願の中で、その障りになっている事象が、地球侵略型の異次元人や外宇宙人によって引き起こされている場合、その原因となる『ほぼ無害な在来型幽霊や妖怪に偽装しているモノ』を物理的に排除するんだわ。いわば下請け作業で徳ポイントを稼ぐっていう」
まじすか……。
「しかし……ミキちゃんの力量じゃ……危険じゃないの?! いや将来、立派な龍神にまで進化したら、キミにその能力があるだろうとは、僕は信じる。けれどまだ、蛇神見習いの段階では時期尚早というか」
と言うか、本音のトコロでは幼馴染の彼女に危ない橋は渡って欲しくないわけで。
「うおさんが心配してくれるのは、嬉しいし有難いんだけど。でもホラ、自分を高めるためには、時に努力は必要で。それに……」
ミキちゃんはそう言うと、僕の手を取り、彼女の胸から腹にかけてを撫でさせた。
銀色のユニタード、もしくは全身タイツを思わせる体表だが、頭側から爪先側に対して掌を滑らせたときには非常に滑らかな手触りだが、逆方向、すなわち下腹部側から乳房方向に掌を動かすと、ごく僅かだが……目の細かい耐水ペーパーかオイルストーンのようなザラツキを感じる。
「これは……鱗?」
鱗だとしても、とにかく細かい。
アオダイショウやシマヘビのそれよりも、むしろウナギの鱗を想像させる細かさだ。
(ウナギは鱗の無い魚だと誤解されがちだが、細かいながらもちゃんと約6万枚の鱗に覆われている)
ミキちゃんは「うおさん、ちょっと! 何時までも必要以上にアチコチ撫で回さない!」と、一本僕に釘を刺してから
「そう。最上級龍神の表皮を模した、防御性能最大級のボディ・スーツ。実際には抜け殻の”お下がり”なんだけどね。今は等身大だから鱗の目が細かくて、単なる高性能高速水着みたいな外見だけど、ワタシが50mくらいにまで巨大化したら、凹凸の一枚一枚が鱗だってハッキリ分るよ」
「ミキちゃん、巨大化なんて出来るようになったの?!」
「そりゃあ、もう」とカミサマ見習いは腰に手を当て、自慢げに薄い胸を反らした。
「えへへ、実は外事課に配属されてから、このスーツの貸与と同時に、特別付与されたスキルなんだけど」
……確かに物理戦闘に関して言えば、大きさは強さに繋がる。
昔輸入ビデオで観た香港(?)産の特撮ヒーロー物で、敵が最強怪人を出してくるやいなや、ヒーローが突如巨大化して敵を踏み潰す、という掟破りの展開に啞然としたことがあった。
「まあ、うおさん。ワタシのヒロインとしての日常は、ちょっと脇に置いてだね」とミキちゃんは、Aiによる画像加工被害の話へと話題の軌道修正を行なった。
「ワタシの活躍は、一応は隠密行動、世間にはナイショという事になっているんだけれど、完全にはガードしきれてなくて、魔物と戦う巨大ヒロインを見たというウワサが、一部好事家の間に流出しちゃってるんだわ。誰が撮ったものやら、動画まで出回っている次第でね」
そりゃそうだろう。
怪物と戦っている巨大美少女なんて目撃したら、スマホで撮影しない方がオカシイ!
「写真や動画はネット上から直ぐに消去されるし、撮影者にはMIBみたような交渉班が派遣されて『地球防衛上の機密事項ですので』って因果を含めるんだけど」
うん、それも分る。特撮好き・怪獣好きの僕でさえ、実際にそんな事件が起きてたなんて初耳だ。
機密保持班は真面目に活動してるんだと思うよ。
「でも実際に撮影された画像や映像ならともかく、手書きアートには手が出せないんだよ。ワタシは存在しないことになってるし、だから空想上の巨大ヒロイン絵ですって主張されたら、著作権上、交渉班も手が出せない」
おおお……そんな事になってるのか。
「それで困っちゃうのが、生成Aiに描かせた『リアル私の絵』なんだよねぇ……。写真ではないし、肖像権の侵害も主張できなくてさぁ。しかも頭にくる事に!」
エロ加工されてるのか?!
「ミスリル・ファイターとかミスリル・ボーイとかいう呼び名で、少年判定されてるんだよ! 美女じゃなく。ホント、あったま来ちゃう!」
あー……。ミキちゃんは元から凹凸に乏しくて、中性的ではあるからなぁ……。
しかも締め付けるタイプのボディアーマーを着用する以上、更に凹凸が目立たなくなるわけで。
「絵に付けられたタイトルというか……アダ名が、レディとかガール、ウーマン系統だったら、そんなに怒ってないって事かぃ?」
「そうっ!」と喰い付くように頷いたミキちゃんではあったが、すぐに勢いを失って「うん……いや……まあ、そこは」と怒れる蛇神(見習い)は急に言葉を濁した。
「でも善神として人々の話題に上ること自体は、そう悪いことではないんだよ。昔から神は肖像画に描かれ、救いを求める人々の心の慰め・拠り所になってたんだから。徳ポイントも特別加算されるしね。アマビエだって、コロナ危機の時には大評判になったでしょ? 当のアマビエちゃんは『私、自分の事、もうちょっと美形だと思ってるんだけどなぁ』って不満が無いわけじゃなさそうなんだけどね」
アマビエは善神というより、むしろ善妖怪に属すると思うんだけど。
それとも最初に写生した肥後国の役人が、ヘタウマ系『画伯』で、美形海神を「ゆるキャラ」に描写する筆力しか持ち合わせていなかったのか……。
「まあ、そんなこんなで、ワタシごときですら、生成Aiの影響を受けていたりするんだよ」
◇
「でもさ、ミキちゃん」と僕は納得がいかない点を質してみる。
「ミスリル色っていったら、銀灰色、いわゆる『燻し銀』のことだろ? 対して変身後のミキちゃんは白銀色、もしくはプラチナホワイトじゃないか。ミスリル・ボーイってどういう事よ。シロガネ少年だったら百歩譲って分からんでもないけど」
この異議申し立てには「知らんがな」との返答だった。
「強いて言えば、RPGとかに出てくるミスリル製の防具のイメージなんじゃないの? メッチャ値段が高くて防御性能も圧倒的っていう。確かにこのボディスーツ着用だと、敵からのパンチやキックだけじゃなく、火炎放射攻撃とかレーザービームも跳ね返すんだ。無敵無敵!」
「それを聞いたら、ちょっと安心したよ」と僕は彼女に告げ
「だったら一つお願いが有るんだけど」
と彼女に頼み込んだ。
「いいよ、何でも」とミスリル・ボーイは鷹揚に頷いた。
「美味しいゴハン食べさせてもらったからね。うおさんの頼みなら何でも引き受けちゃう」
許可を得たところで、僕は彼女の顎先に手を当て、彼女の整った顔を心持ち上に向かせた。
ミキちゃんはちょっとだけ苦し気な表情を作り、目を瞑っている。
僕は左手を彼女の頬に添え、右手の指を……
『顎の下あたりから喉にかけて』滑らせた。
「んー……。やはり鱗が細かすぎて、逆さになった一枚だけって、感触では判別できないなぁ」
◇
ミキちゃんは無言で僕の鳩尾方向に正拳を入れ、僕は身体を「くの字」にして床に倒れた。
反射的に放った正拳突きは彼女にとっても計算外だったようで、彼女は
「うおさんゴメン!」
と叫ぶと、僕を抱え起こした。
「痛かった? 痛かったでしょ?!」
「だいじょうぶ、大丈夫」
僕は咳き込みながら、彼女に無事であることを伝えた。
「十分に警戒してたから、ギリで急所直撃だけは回避できた。肋軟骨が少し剥がれたかもしれない程度」
「あちゃー! やっちゃた」
彼女は僕を膝枕した状態のまま、自分の頭を抱えた。
「本当に、つい、手が出ちゃったんだよ」
「いや、これで良いんだ」
僕は膝枕の触感を楽しみつつ、サムアップしてみせた。
「ミキちゃんは、ちゃんと龍神への道を登りつつある。強化スーツの効用による一時的なものかもしれないけれどね」
「それはどういう事?」
ミキちゃんが怪訝気な顔をする。
「龍神への道? さっぱり分からない」
「ほら、龍には一枚だけ『逆鱗』が存在するって言い伝え、ウワサがあるだろ」
龍は穏やかな性格だが、喉元にあるたった一枚の鱗にだけは、触れられると激怒するという。
その触れられると怒りスイッチが入ってしまう鱗というのが、他の鱗とは逆向きに生えており、俗に逆鱗・逆鱗と呼ばれているわけだ。
龍神スーツ着用のミスリル・ミキちゃんは、顎から喉に向けて指を滑らせられると反射的に我を忘れた。
僕にはその逆鱗の一枚を特定することは出来なかったが、喉元のどこかに問題の一枚があるのは確実だろう。
「戦いの場では常に冷静であるべきで、一時の激情は隙を作るものだ。だからボディスーツが高性能なのは間違いないとしても、逆鱗部分には敵の攻撃を受けないように注意すべきだと思う。あるいは喉元だけに増加装甲を追加するとかさ」
するとミキちゃんは「ホンット、うおさんは馬鹿なんだから」と呆れたように笑み崩れ、僕の頭をギュッと抱きしめた。
「うおさんが触れたのは、龍の逆鱗なんかじゃないんだよ」
それから彼女は、くりくりと輝く瞳で僕の目を覗き込んだ。
「龍の逆鱗じゃなくて……強いて言うなら、女の子の逆鱗」