福岡の怖い噂といえば④暴力系幽霊「だいぐれん」
前述した『博多の幽霊ばなし』の中で、博多の幽霊はなぜ怖くないのか、について触れた部分があり、これが面白い。
波多江氏が語っているのを一部引用させていただくと
「第一は、こともあろうに、足があるのです。カランコロンと下駄の音高く響かせたり、ドスンドスンと歩いてみせたりする。
第二に、幽霊がどれもこれも博多方言を使う。『あなた、どこ行きござるとですな』、これじゃ、まるで『博多にわか』でちっとも怖くない。
第三に、博多の幽霊は短気者が多い。舞台装置よろしく灯りが細く震えたり、消えたり、裏の笹がサラサラ鳴ったり、鐘の音がボーン、そんな背景が全くない。いきなり出てくる。」p2 6行~18行
こんな具合だ。
まあ足があるというのは、丸山応挙以前には一般的だからそこまで可笑し味は無いかもしれないけれど、博多弁使いだから怖さに欠けるというのは……なかなかに芸術点が高い気がする。
仮に道端で幽霊に出遭ったとしても
「あんた、この前、死んだっちゃなかとな?」
『そうたい。だけん、幽霊になっとーと』
「そりゃ、魂消った。けど、幽霊やったら幽霊らしくしとらんと、いけめーもん」
『そげなシロシカこと、あたきにゃ出来んと。なんがなしくさ、死んだ後くらい好きなごつさせてもらわにゃ、やっとれんめぇが』
みたいな成り行きになってしまうわけですね。
(ちなみに「しろしい」という形容詞(博多弁)は、「めんどう」とか「うっとうしい」とか、気分が乗らない状況・状態一般を意味する便利な言葉です。「しろしか天気でございますな」とか「アヤツはしろしか男やけん。相手にせんとばい」などと使われたりします)
うん。博多弁だと怖がれ、という方が無理。
しかしだ、夏ホラーと銘打っている以上、怖い噂を探さんといけんわけですよ。
「博多の幽霊、怖いヤツが見当たらんのですよ」
と泣き言を言っても
「怖いヤツが居らんなら、ジャンルをコメディに鞍替えせんといけんめーが!」
と御叱りを頂戴することになってしまう……。
そこで、あーでもないこーでもないと書物を引っ掻き回した結果、見つけました!
『小田のだいぐれん』
改訂版 糸島伝説集(糸島新聞社刊 令和3年6月30日発行)p26~28
舞台は糸島半島の小田集落。
JR筑肥線今宿駅から県道54号線を海岸沿いに北上すると、福岡市海釣り公園のちょっと先になります。
糸島半島だから糸島市か、というとそうでもなく、福岡市西区の範疇ですね。
ま、その小田集落に江戸時代、鬼婆と仇名された非常に強欲な老婆が家族と共に住んでいたのだが、ある日病気になってポックリ逝ってしまった。
普通なら悲しみのお葬式となるところだが、家族や近隣住民も「ようやく死んだか」とホッとしたという。(昔話とはいえ、割とヒドイ反応。それだけ皆に迷惑をかけていた、という事か)
しかしこのオニババ、埋葬が済むと直ぐに幽霊となって復活する!
その狼藉ぶり、糸島伝説集から引用してみよう。
「(前略)幽霊といえば、雨の降るような晩に出るものと相場が決まっているのに、老婆の幽霊は夜どころか昼下がりというのに現れたのである。
そして無念の形相すさまじく『お前たちのおかげで、俺は今、地獄に落ちようとしている。お前たちも道連れにしてやる!』と、手当たり次第に物を投げ壊し、家人たちを追い回す。家人たちが青くなって戸外に逃げ出すと、足もないのに後を追い近隣の家にまで乱入して暴れ、乱暴狼藉の限りを尽くしたうえ、夜遅くなると埋められた墓地へと帰っていく。その日だけでなく、来る日も来る日も昼近くになって現れ、散々に乱暴を働くのである。しかもその範囲が自宅や近所の農家だけでなく、被害は村の谷々から海辺の漁村にまで広がっていく。」
一応「足もないのに」という、足アリ・ナシには抵触するかもしれないけれど、第三項の「短気者が多い。いきなり出てくる」はクリアしている言い伝えです!
それに、たぶん糸島伝説集の中では『お前たちのおかげで、俺は今、地獄に落ちようとしている。お前たちも道連れにしてやる!』と標準語っぽく表記してあるけれど、これは読者のために標準語訳しているわけで、実際には『アンタがたのせいでからくさ、オイは地獄い堕てようってしとっとばい。アンタらも道連れにしてやるけん!』という具合に、福岡弁ないし糸島弁を使っていたはずだ。
……いや、ごめん。
やっぱ、怖くはないですわ。
和ホラーではないけれど、ハマーのモンスター映画風になら、とチョット思ったんですけどね。
元気過ぎるババサマが、障子をバキバキに折りまくったり、卓袱台を放り投げたりしたとして、文字情報として受け取ってる人って
「なんかスゲェな」
と思ったとしても
「背筋が冷えた」とか「考えるだけで鳥肌が立った」
とはならないもんね。
やっぱり福岡・博多産怪談は、ホラーに向かないってことなんでしょうな。
おしまい