オートリバース
新人クンこと尾辻靖子は見た目が小動物系美人で、いや院卒にも関わらず見た目は「美女」というより「美少女」で、多様な分析機器を手足のように華麗に使いこなすスキルを持つ上、穏やかで裏表が無く性格も良いという、スーパー可愛らしい女の子である。
にも関わらず、なぜ彼女に彼氏が出来ないかと言うと、「酒に汚い」という決定的な欠陥が有るかららしい。
「酒に汚いって、マジっすか?」
俺が思わず肉を焼く手を止めて訊き返すと、梶主研はニコヤカな笑みを崩さず
「キタナイと言っても、中井戸さんが頭に浮かべたような”キタナイ”じゃないから」
とビールを勧めてきた。
「アルコールに弱いというのが、正確な表現かとは思うんだけどね」
俺は両手で持ったグラスにビールを注いでもらいつつ
「もしかして……オート・リバースってヤツですか」
と主任研究員に確認した。
オートリバース。
一義的な意味では、カセットテープレコーダーの機能の一つで、人力でテープカセットをA面からB面に入れ替えなくてもレコーダーの方が自動的に切り替えてくれるという便利なシステム。
けれども昭和のオヤジギャグとして
「オート=嘔吐」
「リバース=元に戻す 逆転・逆流させる」
から、『ゲロ吐き』という意味合いの用途もある。
「古い位相語を知っているね」
梶主研は眼鏡の奥で笑い「まあ、そんなところ」と金網の上の特上カルビをひっくり返した。
「彼女は僕の遠縁で、ちっちゃな時から知っているんだ。彼女をウチに引っ張ったのも僕なんだよ。もっとも縁故のコネ入社というわけではないよ。実力が有るから来てもらったんだ」
それは念を押されなくとも分かっている。
飛び級で博士号を獲得するような俊英が、ウチみたいな零細ベンチャーに普通なら――一時的な腰掛けにでも――在籍するほうがオカシイ。
「中井戸さんには、彼女の新人教育をお願いしたい」
主研は、これこの通りと俺に頭を下げてみせた。
「象牙の塔から出た事が無かった子だから、世間知らずなんだよ。いろいろと面倒をかけることになるだろうが、グループリーダーとして目を配って欲しくってね」
俺も居住まいを正して頭を下げたが、口から出せたのは
「はぁ、承知しました」
という間の抜けた返事だけだったので
「及ばずながら誠心誠意努力します」
と慌てて付け加えた。
「でも、良いんすか? 自分みたいな半端者ものの下で」
たしかに俺のチームは成績を上げている。
けれどもそれは、俺個人の力量や指導力に由来するものではなく、チーム員個々の力が抜けているからだ。
ホッタラカシにしているだけで、勝手に成果を叩き出してしまうのである。
だから俺個人としては、ちょっと面倒な折衝ゴトが起きて他所に頭を下げて回る時とか、明らかに仕事に入れ込み過ぎているメンバーに無理やり休養を取らせる時とかに出しゃばるくらいで、あまりチームに貢献は出来ていない。
だから「チームリーダーでござい」と皆の前で胸を反らすよりかは、むしろ”お荷物”だ、と弾劾されても甘受せざるを得ないと小さくなっているような立場にある。
まあチーム員にとっては、気楽に担げる軽い神輿と言うのが正解なのだろう。
すると梶主研は「どうして、どうして」と真面目な目になり
「あれだけ個性の強いメンバーを束ねて、しかも不平も反発も起こさせずに蓋をしてしまえるのだから大したものだよ」
と褒て――ヨイショして?――くれた。
「中井戸牧場に放牧に出すと、どんな悍馬でも最高に仕上がるって、社長も評価している」
悍馬というのは暴れ馬のこと。
俺の中に「角つのを矯て牛を殺すより、良い素質を持った荒馬なら勝手に走らせておけば満足して大人しくなる」という気分があるのは事実だ。
しかも一頭の元気者が風を切って駆け出せば、他の馬も連られて疾走するのも確かであるし。
俺は「畏れ入ります」と一礼して「彼女にアルコールを飲ませなきゃ良いんですね」と請け合った。
「アセトアルデヒド・デヒドロゲナーゼが作れない体質だから、絶対に強要するなよ、ってチーム全員に徹底しておきます」
理系の面子の集合体だから、ADH(-)の人間にアルコールを飲ませれば、時に致命的ということぐらいは承知している。
俺の返事を聞いて、主研は少し複雑そうな表情を見せた。
「尾辻君の場合、ADH値やALDH値は極めて正常なんだよねぇ」
科学者としての良心ってヤツが、重い口を開かせたというところだろうか。
「非科学的な、非公式見解って事になるけど、古い呪いがそうさせているらしいんだな」
梶主研のクチから、呪いなんぞという前時代的な単語が出て来るとは、夢にも思わなかった。
だが他ならぬ主研の吐いたセリフだから、それは俺の好奇心を猛烈に刺激した。
「呪い? よりにもよって”呪い”のせいなんすか?!」
「大正の米騒動の時だったらしいんだな。江戸時代の一揆や打ち壊しとは違って、本筋の抗議活動では流血沙汰になるような事件はほとんど起きなかったんだが、騒ぎが発生すると便乗する輩は必ず出て来る。で、造り酒屋に押し込んだ強盗一味がいたんだが――全国的な騒乱の最中だろ?――懸命の捜査の甲斐無く迷宮入りとなってしまった。……酒屋では就寝中の五人全員が刺殺されて、犯人を直に見た者がいないと云った状況だったらしいんだけどね」
「まさか……彼女の先祖が、その押し入り強盗の犯人だったんですか?」
少し酔いが回っていた俺の失礼な質問に、主研は表情を消した顔で「違う」と答えた。
「警察側だ。捜査責任者だった。靴底を擦り減らす懸命な聞き込みの結果、有力容疑者三人を捕縛したが、証拠不十分で放免になっている」
俺が「えぇ~。戦前の日本だったら、拷問してでも無理クソ吐かせるんじゃないんですか」と言うと
「何処の左翼史観だよ。法治国家だぞ」
と主研は苦笑した。
「弁護士が、容疑者たちの現場不在証明アリバイを証言出来るという証人を見つけて来たんだ。捜査員一同はその証言を怪しく思っていたんだが、指紋・掌紋のような確たる証拠を犯人は残していなかったし、アリバイまで崩されたんじゃあ、拘留を続ける事も出来ない。証人はマルクスにかぶれた地方の名家の御曹司でね、プロレタリアートに対する官憲の弾圧だと、新聞に顔出しまでして騒いだものだから」
「じゃあ、迷宮入りで終わりですか」という俺の問い掛けに
「捜査そのものは続いたんだが……」
と主研は口を濁した。
「でも変ですね。呪われるなら犯人の方でしょう。迷宮入りしたからって捜査側が恨まれるのは、とんだトバッチリじゃないですか。しかも子孫までなんて」
言ったあとで、俺は嫌な可能性に気付いた。
「……もしかして、捜査責任者が押し込みの真犯人だったとか? 容疑者の方は冤罪で……」
「それはない」
言い切った主研の口調はキッパリしたものだった。
「証人がゲロったんだよ。”容疑者たち”が釈放された後でね」
妙な成り行きだ。
証人が偽証を認めたんなら、犯人を再逮捕すればよいハナシではないか。
裁判が結審した後でない限り、一事不再理は適用されないはずなのに。
「納得できない、といった顔だね」と梶主研はビールを勧めてきた。
「けれど一切合切が分ったのは、全てが終わった後だったんだ。証言者の偽証の件まで含めてね」
どういう事だろう?
「真っ先に呪いにヤラレたのは、三人の容疑者たちだった」
真っ先に?
「釈放されたあと、三人は『精進落としだ』と料亭へ行った。そこで芸者をあげて散々飲み食いしたんだが、三人全員が吐瀉物を喉に詰まらせて頓死している。毒や伝染病が疑われて店は営業停止になったが、保健所の調査により、店や料理にオカシな処ところが何も無いのが証明されている。また一緒の御座敷に出た芸者の方には、何の異常も起きていない」
三人いっぺんに、か。
飲み食いの金はどこで調達した? まさか押し入った造り酒屋で奪った金か?
「次に死んだのは弁護士だった。サルモネラ菌によるパラチフスを発症したんだね。パラチフスは法定伝染病だから、弁護士事務所や家族にも罹患者が多数出ている。ただ高熱と下痢、それに嘔吐で痩せ細って死んだのは弁護士ただ一人。残りの患者さんは、回復している」
「大トリを務めたのが偽証ヤロウって流れですか。順番、逆だったほうが実行犯は恐怖が長かったでしょうに」
俺はグラスのビールを一気に呷った。
「いやな話ですけどね」
梶主研は、弁護士が死んだ件を口にするとき”次に”と言っている。
弁護士がラストだったら、”最後に”とかの言い回しをしていたはずだ。
「一番口を割りそうなのが、似非インテリの御曹司だったから、最後の『証人』として取っておかれたんだろうね。被疑者死亡でも、せめて書類送検までは行えるように」
そうか! 犯罪の全貌をゲロさせるために、逆に怨霊から『残しておかれた』のか。
「偽証犯の御曹司は、『食事』によって関係者が次から次へと変死していく恐怖に耐えられなくなり、食物を一切受け付けなくなった。食べても戻してしまうんだね。それで……」
「衰弱死ですか。長く苦しんだんでしょうね。嫌な死に方だ」
「まあね」と主研は焼肉を口に運んだ。
「経口摂取できなくとも、補液で生かされておくことは出来るから」
「それで、どんな最期だったんですか?」
確認せずともよかった……が、訊かずにはいられなかった。
「口からでなくとも、たとえば喉を切開してチューブで直接胃まで流動食を入れてやることも出来たはずだし」
「御曹司はね、点滴で生かされているのに耐えられなくなったのか、療養所のベッドでこっそりポートワインを飲んだんだよ。その時、遺書……いや手記を書いていた」
「我が懺悔の記ってヤツですか?」
偽証野郎、今際の際に神に救いでも求めたのか。
「違うね」と主任は俺にビールを注いだ。
「自分を奮い立たせる心算で書いたんだよ。文中で国家権力を出し抜いた英雄、と自分の行為を自画自賛している。だから手記の内容が確認される前は、遺書を遺した覚悟の自殺と思われた」
「? でも、酒を飲んで死んだんでしょう? 酒屋殺しの呪いだから、酒を飲めばヤバイのは分かっていたはずで」
俺の勘違いを「順を追って考えてごらん」と主研は正した。
「殺人犯は料亭で死んだ。確かに酒は飲んでいるけど他にも何種類もの食品を摂取している。弁護士の死因はパラチフス菌だと考えられていた。アルコールも同時に摂取してはいただろうけどね」
そして「酒屋殺しだから酒で死んだ、と考えるのは因果応報の非科学的な態度だと考えるよね。迷信深い人間以外は」と俺の目を見た。
「だから唯物史観の御曹司は、ビールや日本酒ではなくアルコール度数の高いポートワインなら飲んでも大丈夫だと考えたんだろうね」
ポートワイン。
発酵途中のワインにブランデーを添加し、発酵を強制終了させる『アルコール強化ワイン』
変質性が低く、保存性は高い。
なるほど。
「空腹状態で急に度数の高い酒を飲んだのだから、酔いの回りが早くなって、ふらついて倒れる時にベッドの角で頭を強打したのが死因と結論された。検死の結果、急性アルコール中毒ではないと診断されたこともあって」
俺は「そうですか」としか言えなかった。
けれど頭の中では『五人が強盗事件で殺され、その報いとして犯人とその”事後協力者”計五人が呪い殺されたのならば、怨霊サイドとしては既に元を取っているのではないのか?』との疑問が渦巻いていた。
そんな俺の引っ掛かりが表情に出ていたのか、主研は俺の目を見ながら「まあまあ」と焼き網に肉を乗せると
「中井戸さんは理詰めでモノを考える人だから『5ー5=0』みたいなことを考えているのかも知れないけれど」
と幽かに笑い
「怒りや恨みの感情なんてものは、合理的に解消するのは難しいものだからねぇ」
とポツンと言った。
「言われてみればそうですけど」
俺は主研から勧められるままに肉を口に運び、ビールを呷った。
「尾辻さんやその一族、捜査責任者の子々孫々がアルコールを受け付けなくなってしまったというのは、トバッチリなんですか。酷い話だ」
「それでも犯人サイドに比べれば、飲んだらアウトというわけではなく飲めなくなっただけだから、だいぶ強度は緩和されているとも考えられるけどね。怨霊サイドにしてみても、自分たちが未だにやっているのは八つ当たりで正当な呪いの発動ではない、と後ろめたい感情があるんじゃないかな」
「そういう事なんで」と主研は俺に頭を下げ
「尾辻くんの件、宜しく頼む」
と念を押した。
◇
主研から貰ったチケットでタクシーに乗り、ほろ酔いで独身寮まで帰っている途中、ふと気付いた。
――梶主研、肉はどんどん食っていたし、俺にはグラスが空く間も無いくらいビールを勧めてくれたけど……
そう。彼自身はビールには口も付けなかった。
「新人くんは主研の遠縁というから」
俺は知らず知らず独り言を言っていたらしい。
運転手が「え? どうかされました?」と訊いてきた。
「ああ……いえ、何でもありません」
俺は反射的に誤魔化した。
「そろそろ五月病を起こす新入社員が出てくる季節かなぁ、なんて」
「そうですね。確かテレビでもそんな事を……」
運転手の御愛想には適当に「ですね」とか当たり障りのない合いの手を入れて聞き流す。
――たぶん、梶さん自身もアルコールを受け付けない体質なのに違いない。
恨みや呪いといった負の感情の、なんと非合理で面倒臭いモノであることか!
おしまい