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「呪われない村」が局所的に超近代都市化していた件

 呪われたトンネルや呪われた廃ホテルなんかの都市伝説があるように、呪われた村や呪われた街なんてウワサも聞きますよね。

 いや現代の場合、ウワサを『読んだ』という方が圧倒的に多いか。


 ネットで盛り上がった杉沢村騒動とか犬鳴村騒動みたいなたぐいです。


 そして、まあ……出所なんかをシツコク手繰っていくと実体は無く、ただのウワサで終わりと申しますか、創作ですな。

 ラヴクラフトが創り上げたインスマス(もしくはインスマウス)の港町みたいな感じで。

 ドキュメンタリではなく、小説と思って(あるいは分かっている上で)読んでいる分には、ものすごく面白いわけですが。


 けれど変なハナシ、呪われた村ではなく『呪われない村』であれば、少なくッとも一ヶ所だけは確実に存在しておりますのです。

 拙の知っている分だけでも、ですね。



 えーと、色々と差し障りがあるので『××県 ××郡』と、その所在を明記するわけにはいかんのですが、知る人ぞ知るという感じで公然の秘密ではある。


(ま、ここまで書いた時点で、「じゃあ都・道・府ではないんだな」というのがモロバレですが、このくらいなら別に構わんでしょう。どうせpvを稼ぐことのない底辺作家の駄作。すぐにネットの海の底に沈んでしまいますからね!)


 それで、取りあえずどんな場所にあるのか探してみたいという奇特な方のために、軽くヒントだけ書いておくと

①G■ogl■マップの、地図ではなく航空写真のほうを漫然と眺めてみる

②すると辺鄙な盆地地形の場所に、半径1㎞弱の範囲に中層ビルが林立した円形都市がある

③近くに工場・大学・流通施設などが存在するわけでもなく、ただ都市だけがポツンと孤立している

④航空写真で見る限り、明らかに局地的に都市化しているのに、地図で確認するとただの山林表示。道路も表示されない

といった感じでしょうか。

 ただしコレ、数年前の事であって現在では写真が既に差し替えられているかも知れません。

 まあ拙としても、今はもう深入りしたくない(深入りしないほうが良いと判断した)場所なので、あらためて確認してみるつもりはありません。



 それでその円形都市ですが、初めはね、拙は「こりゃ富裕層が集まるゲーテッドコミュニティってヤツか」と考えたわけです。


 ゲーテッドコミュニティ、すなわち現在の城郭都市ですな。

 周囲を厳重なゲートに囲まれ、訓練の行き届いたエリート警備員が常駐しているという治安強化特化型住居区域。

 外国では、セレブとか呼ばれている方々は、そんな箱庭の中に好んで住んでおられるのだそうですよ。


 日本でもこれからの可能性として、2008年10月13日付け朝日新聞の記事に取り上げられたりしているんで、御存知のかたは多いでしょうし、くどかったかな? 特に説明の必要は無いかもしれませんけど。

 試しに『ゲーテッドコミュニティ』とウィキあたりで調べてみてもらえれば、既に何ヶ所も存在しているのが確認してもらえます。


 ただ既存のゲーテッドコミュニティの場合、近くに昔からの避暑地とか有名保養所なんかがあるとか、富裕層の勤務地なんかと交通の便が良いとかの特徴が『普通は』あるわけです。

 そこに存在することに、納得いくような理由が。


 しかしながらくだんの円形都市には、そんなモノが存在しない。

 ぐるりが低山に囲まれた小盆地だから眺望が素晴らしいという感じでもなく、ゴルフや釣りなんぞの趣味に適しているとも思われない。温泉みたいなものも無いわけです。


 またローカル鉄道どころか大きな道路も通っていないようで、交通の便は最悪でしょう。

 実は立派な私道なら在って、地図にはわざと載せないようにしているなんていうことも、写真から見る限り有り得ない。

 林道のような頼り無い道が通っているかぎりのようです。


 SFに描かれるような巨大地下トンネル道なら……なんて事も考えましたが、しかし、そんなモノを造っていればベタ記事程度かもしれないけれどニュースには成っているはず。

 全国ニュースにはならなくても、地方新聞や業界ニュースまで緘口令かんこうれいくなんて、ちょっと現実的ではないし。

 ま、そこが『只の』ゲーテッドコミュニティなのであれば、ですけどね。



 それで、好奇心を抑えきれなくなった拙は、ゴールデンウイークの休みを利用して、その円形都市を実際に見に行ってみることにしてみたわけです。


 最寄り駅(最寄りと言っても遠いわけですが)には宿屋もレンタカー屋も無さそうだったので、しかたなく円形都市に比較的近いターミナル駅で足回りのシッカリとした軽四をレンタル。

 円形都市と村道とを結ぶ林道(私道?)は避け、都市住民(と警備員)に悟られずに近づける所まで近づいて、最後の行程は徒歩移動としました。

 具体的に言うと、広域林道から道無き山というか尾根一つを、歩いて越える行程です。

 ふぅん簡単そうじゃん、と思われるかもしれないけれど、実際にやってみるとお分かりになりますが道の無い藪の斜面を力ずくで登るというのは、けっこうタイヘンなんですぞ?


 予定の箇所に軽を停めると、靴をスニーカーからキャラバンシューズに履き替えました。

 背中には高カロリー行動食やランタンに水筒、ツェルトザックなどを入れたリュックを背負い、頭にかぶったブッシュハットにはキャップランプ。(キャップランプは万が一日が暮れてしまった時にも行動を続けなければいけないのに備えての用心)

 水筒はリュックの中の物とは別に、一回り小さいサイズを腰にも下げておきます。米軍式の腰ベルトに水筒カバーのガイド穴を通しておけるヤツが便利かな? 携帯する水分が多めなのは、移動ルート上に水場が無い場合もあるからです。簡易濾過器を持っていても水場が無ければ話にならないわけです。行動不能にならないためにも夏場の水分(と塩分と)は貴重です。


 そして手にはちょっと丈夫めな皮手袋をつけ、折り畳み式捕虫網のを持ちます。網は巻いてベルトで縛り、リュックの中に入れるか、カバーに入れてリュックの上部に縛っておきましょう。

 お腹の前に吊るすのは、虫を入れるための胴乱ドーラン。あまりブラブラ揺れないように、吊り紐は短めに調整しておきます。


 ま、どこからどう見ても『虫マニア』の素人研究家か重度の趣味人ですね。

 訊かれたら「オオミズアオとその近縁種の分布調査です」とでも答えておけば、疑う者はいないという寸法です。


 この擬態には意味が有って、虫マニアとか植物採集マニアの恰好さえしておけば、どんな変な場所で変な行動をしていても『誰からも不思議に思われない』という利点があるのです。

 水辺で釣り師の恰好をしていたら妙に思う人がいないのと一緒で。

 水辺では釣り師、山林なら虫屋。隠密行動をとる必要が有る際にはオススメですよ。


 またオオミズアオは、北海道から九州まで地域を限定することなく分布しているし、高山帯から平野の都市部にまでと生息域が広い。

 なおかつラテン語の学名が、月の女神アルテミスに由来していることからも分かるように、蒼白い神々しい姿のヤママユガ。

 辺鄙な山中にその翅の輝きを追い求める者がいたとして、なんら不思議はないのですな。



 レンタカーのナンバープレートには、念のために泥ハネで汚れたように、粘土をなすりつけておきます。円形都市の警備員が巡回しているかもしれませんからね。

 戻って来たときにプレートがピカピカになっていたとすれば、警備員にチェックされたと気付くことが出来ますでしょ?


 すべて用意が出来たら、さっそく藪漕やぶこぎ。

 普段ヒトが入らない照葉樹林を進むのですから、これは避けられません。

 ですが、そんな事は百も承知の上。頑丈な靴と皮手袋にモノを言わせてエイエイと登る。


 出来るだけ真っ直ぐ登って真っ直ぐ降るという最短ルートを採りたいけれど、自然地形ですからね。そうそう自分の都合で上手くはいかない。

 登山ルートが決まっているわけでもないので、実際に登ってみると崖を迂回、沢を避けるなどする予期しなかった”その場の判断”が必要になってきます。


 ただ昔の登山家諸先輩がたとは違って、今ではGPSで自分の現在位置が正確に分かりますから、細かくチェックを続けていれば輪形彷徨リングワンダリングのような迷走は起きにくくなっているのが幸い。

 汗ビッショリになりつつも、どうやら尾根筋に辿り着きました。


 円形都市を眺望できる場所に腰を下ろして、熱糧食一つと塩分補充に塩昆布、水筒の麦茶で大休止をとります。


 それで眼下に潜む問題の円形都市の姿、なのですが、×8倍のバードウォッチング用軽量双眼鏡で観察すると――



 思っていた以上に、建造物群の背が高い、という印象でした。

 盆地を取り巻く尾根の稜線は越えないようになっていますが、各々が高層マンション程度の高さを持っています。

 それに不思議な事に、構造物それぞれの間隔が極端に狭くビッシリと建て込まれている。

 地震でも来て一棟が倒れたら将棋倒し間違いナシだし、そんな心配をする以前に、他の建物の影になって陽光が差し込まない部屋ばかりで、住民の鬱憤が溜まった挙句、しまいには不満が爆発してしまいそうだと他人事ながら心配になってしまうほど。


 なぜ不思議かというと、富裕層向けの住居区画ならば、プライベートプールがあったり緑地空間をもたせたりと普通はもっとゆったり余裕を持った地割であるはずなのです。

 その冗長性とでも呼ぶべき『ゆとり』が完全に欠落しています。


 拙ならば好んで住みたくなるようなポイントは見当たらず、むしろ逆にどんなに金を積まれても住みたくない。


 治安強化都市というより……巨大な監獄、に見えます。


 それに、たぶん通信環境は光ケーブルか衛星通信で充分に確保してあるのでしょうが、それ以外のインフラ、例えば上下水道やガス供給などがどのように行われているのかが、さっぱり見当もつきません。


 それというのも、双眼鏡を使っても都市全体が妙にもやって見えるのです。細かな部分が見にくいんですな。


 晴天ですから、仮に盆地特有の朝霧が溜まりやすい傾向にある地形だったとしても、既に太陽は高く昇っています。

 ガスなら晴れていなくてはならない。


 それなのにpm2.5が濃く吹き溜まったかのように、全体のシルエットが淡い感じで白くけぶっており、しかも陽炎かげろうが立っているのかユラユラ揺れて見えます。


「温泉の泉源があるのかなぁ? だとすると、ローカル地熱発電でエネルギーを確保してるとも考えられるな」

などと独り言を呟きながらカロリーバーを飲み込み、休息を切り上げ都市に向かって進み出そうとした時です。


「待たれよ」

と、渋い声で背後から声をかけられました。



 登山道どころか獣道けものみちすら通じていない場所です。

 辺りに人など居ないと思っていましたから、心臓が口から飛び出るほどドキリとしましたが、しかし動揺を押し殺してゆっくり振り返りました。


「はい、なんでしょう?」


 円形都市の警備員に見咎みとがめられたか、と思ったのです。

 けれど都市そのものに足を踏み入れたわけではありませんから、今のところは拙はまだ『国有林で虫探しをしている物好き』でしかないはずです。


 しかし声を掛けてきた相手の姿を認め、拙は更に困惑を深くしました。

 警備員などではないことが一目瞭然だったので。


 白の作務衣さむえを身に着け、胡麻塩頭ごましおあたまを五分刈りに刈り込んだ御老人でした。

 足元は白の股引ももひき地下足袋じかたびで、手には竹の杖を持っていらっしゃいます。


 糊の効いた白の上下を着ていらっしゃいますが、観たところ修験者とは違うようです。

 けれど山慣れた御老人のようで、拙と同じように藪漕ぎをして来られたのでしょうが(そうでなければ、ここまで上がって来れないので)、不思議な事に汗一つかいていない御様子。


 山野草や茸を採りに登って来られたのでないことは、収穫物を入れるかごを持っていないことから判りますが……それだけに『この場に来た理由』が皆目かいもく見当もつかない。


――さて、どう対応したものか。

と反応に窮していたら、御老人から

「虫採りかえ?」

と質問をされました。


「はあ。この虫を探しています」


 スマホに保存しているオオミズアオの画像を示すと、御老人は「どれどれ」と確認して

夕顔瓢箪ゆうがおびょうたんじゃな」

と、ニカリと笑いました。


 ユウガオヒョウタン。

 ふつうなら標準和名「エビガラスズメ」というスズメガの別名として使われます。

 エビガラスズメは名前に蝦殻えびがらとあるように、体色が茶褐色の蛾。

 夜行性で夕顔の蜜を吸うという生態を持ちます。

 淡く緑がかった青白いオオミズアオとは似ても似つかない外見。


 けれど古くはオオミズアオもまた、夕顔瓢箪と呼ばれていたことがありました。


「どうせ苦労して山に分け入るのならば、山繭やままゆでも捕るほうが実入りになろうに。物好きな御仁ごじんじゃの」


 御老人の言われることは、分からないこともありません。

 なぜならヤママユガの繭からは天蚕糸てんさんしという絹糸を作ることができ、淡い黄緑色を帯びたその絹糸は、蚕蛾かいこがの繭から作る一般的な絹糸よりも希少価値から高値で取引されるのですから。(けれど300gの生糸を作るのに必要な山繭の数は、1,000個以上にもなるそうなのですけれどね!)


「あー、私のオオミズアオ好きは趣味ですから」

 スマホを仕舞い込みながら、御老人に応えました。

「それに現ナマ獲得を目指すなら、オオクワガタを探すほうが効率は良さそうですよ。大型なら一頭で5,000円を超えるのが相場と言いますからね」


 そして「一服どうです?」と御老人に、水筒と熱糧食、それに加えてショートホープと携帯灰皿を差し出しました。

「この陽気じゃ、だいぶ汗をかかれましたでしょう」

 そんな事は無いだろうけれど、と頭の中で否定しつつも『この御老人、実はヤマヒトなんてことはないよな?』との疑惑がよぎってしまうもので。

 山中で異人に出合う、そんな昔話に憧れたこともありましたからね。


 すると御老人は「それでは遠慮なく、ご相伴に預かろうか」と水筒とカロリーバーとを受け取り、「タバコはやらんから」とショートホープは断りました。


 煙草を断るところをみると、ヤマヒト・ヤマオトコのたぐいではないようで。


 そして御老人は麦茶を二口飲んで水筒を返すと

「もてなしを受けた礼に、一つ良い事を教えようか」

と再びニカリと笑うと

「アッチには近づかんことだ」

と手にした杖で、円形都市を指しました。


けぶっておる上、歪んで見えようが」


「火山ガスでも出ているのですか?」

 拙は水筒や煙草をしまいながら御老人に訊ねました。

 亜硫酸ガスが出ているとしたら、また有毒ガスが出ていなくとも盆地地形に高濃度のCO2が溜まっていたとしたら、それは生命の危機に繋がります。

 ただし『都市』が存在するのですから、住民が居るのは間違いないはずなのですが……


「瘴気ではないぞ」

と御老人。

「良くないモノが周りを取り囲んでおるせいで、歪んで見えるんじゃな」


――良くないモノが取り囲んでいる?


「アレらは、かたきを取り殺そうと爪を研いでおるのだから、何の縁の無いアンタに牙を剥くことはなかろうが、まあ『君子危うきに近寄らず』と言うからな。妙に縁を繋がれんよう、これ以上は近づかんが良かろう」



 御老人によると、円形都市は大沢治部之太夫おおさわじぶのたゆうという豪族の塚を中心に広がった里なのだそうです。


 その大沢治部、南北朝の対立の時に南朝側に立って戦っていたのだけれど、不意に裏切り、足利幕府に恭順の意を示したのだとか。

 けれどその裏切りには、実は更に裏があって、南朝側の姫を匿うためににせの降伏をしたというのが真相らしい。


 けれどロクな通信手段が無い時代。

 隠し文を託された密使が崖から落ちたか、落ち武者狩りに喰われたものか、大沢治部の真意は落人おちうどの一行には伝わらず、姫らは山中で刺し違えて自害したのだとか。


 大沢治部は己が不手際を悔やんだが、治まらなかったのは自害した姫の霊魂。

 哄笑する怨霊と化して、夜な夜な里を襲った。


 困り果てた里人は、里の中央に塚を築いて亡くなった落人一行を祀り、嗤う姫に赦しを乞うたが姫の怒りは日に日に増すばかり。

 治部は精進潔斎して亡き姫を弔い身を慎んでいたが、里人に窮死する者が出るに及んで、理不尽というか八つ当たりする怨霊に対して激怒。


『非業の最期を遂げられたとはいえ、もはや許せぬ。かくなる上は、我自われみずからが鬼神と化して悪霊どもを平らげん』

と十字腹を掻き切って自害した。


 鬼と化した大沢治部は、見事に怨霊を捕まえると塚を地獄の釜に変え、怯える怨霊を釜の底に叩き落したが

『一人旅は何かと心細かろう。我が供をつかまつらん』

と共に地獄へ堕ちる道を選んだ。


 最後の瞬間、鬼は里人へと菩薩の笑みを向け

『再びここに塚を築くがよい。今後は我が念を以て、塚の周囲一里は如何なる怨念・悪霊をも寄せ付けぬ土地と致す故』

と釜の蓋を閉じた。


「なればこそ、あの地には『決して呪いが届くことのない里』として、怨霊・邪霊から命を狙われる者が競って住むようになり、今に至るのよ。戦後になってからは評判を聞き付けた者が異国からも身を寄せるようになり、人が増えるにつれ――土地そのものには限りがあるから――建物の背もズンズン高こうなっていったのじゃな」

というのが御老人から聞いた話です。


「恨みをうた者が集まる以上は、また恨みを持つモノの方も数が増すは必定。悪い事は言わん。引き返しなされ」



 御老人の語った昔話が、真実かどうかを検証するすべを拙は持ち合わせてはいませんし、尾根から見える円形都市の”揺らぎ”が、周囲を取り囲む幾重にも折り重なった怨念よる屈折のせいなのかは――正直なんとも言えません。


 ですが経験上、これだけは言えます。

『先人や土地の古老の知恵には従ったほうが良い。それが山中や海上など、人里離れた場所で忠告されたものであるならば、特に』


「ご忠告、痛み入ります。安全第一で引き返すことにします」


 拙が荷物をまとめると

「付いて来なさい。下の道まで案内あないつかまつろう」

と御老人が先に立って歩き始めました。


 登る時には散々苦労した樹林帯ですが、御老人は灌木の隙間を特にルートを確かめる事も無くするすると進み、後ろに付いて歩くと足場の怪しい場所にも出くわさず、汗をかく間もなく広域林道に辿り着くことが出来ました。

 よほど山慣れた方なのでしょう。

 しかも軽四を停めた場所のすぐそばなのです。ナンバープレートは汚いままでした。


 驚いている拙に、御老人は

「クルマが停めてあったからな。山菜採りに山に入った者がおるかと登ってみたのよ。迷いやすい山じゃからな」

と事も無げに笑いました。

「どうかな? 楽にくだれたろう」


「助かりました」と拙は頭を下げ

「家までお送りいたしましょう」

とリュックをトランクに放り込んで、ナビシートのドアを開けました。


 ですが御老人は「よいよい。あゆまんと足腰が鈍ってしまうからの」と同乗を断ります。


――もしかすると、御老人は住居を特定されるのを好まない?

と考えましたから「それでは、せめての御礼にこれを」とエコバッグに、余った携帯糧食やスポーツドリンクを詰めました。

「帰ることに決めた以上、持って帰ってもしかたがありませんので」


「有難いが、日持ちしそうな品ばかりじゃが?」


「次の長期休暇は、三ヵ月先、盆休みのころになりますからね。新しく行先を決めてから、改めて買い足します。どうかご遠慮なく」


「そうか。ならば喜んで頂戴しよう」


 運転席に腰を下ろすと、御老人は窓の外から

「決して振り返らず、真っ直ぐ街まで走りなされ。縁を繋がんよう、繋がれんよう。山の日暮れは早い故」

と最後の警告をくれました。


 拙が「重ね重ね、有難うございました」とアクセルを踏むと

『おん あびらうんけん そわか』

と唱える声が、二度三度と聞こえました。


 ミラーで後方を覗くのもはばかり、まっすく前だけを見たまま広域農道を走り切りました。


 ひといきくことが出来たのは、県道に出て田園風景の中にポツンと建ったコンビニを見つけてからです。

 次第に夜の雰囲気を増す、他に一台も駐車していない駐車場にレンタカーを入れると、トイレを借りてコーヒーと栄養ドリンク、それにスポーツ新聞とを買いました。


 店員さんは――バイトなのか――ヒマを持て余しているとおぼしき若い女性が二人で、愛想よく

「山登り、されてきたんですかぁ?」

と応対してくれました。

「このあたり山ばっかしですけれど、ハイキングするような山なんてありましたっけ?」


 気が付くと、足ごしらえがトレッキングシューズのままでした。


「ああ、これは」と応えてから、「あの山の中に在る街のこと、何か知ってますか?」と問いかけそうになりましたが

『縁を繋がんよう、繋がれんよう』

という御老人の警告を思い出し

「オオクワガタを探しに」

と誤魔化しました。

「だけど藪が凄いし、キイロスズメバチに追っかけられたんで、慌てて逃げてきちゃいました」


 すると店員さんたちは、ならば用無しとばかりに急に無表情になり

「へえ」

と事務的に会話と会計とを終わらせました。

「ありがとうございましたぁ」


――『山登りの恰好』には反応してたのに、『クワガタやスズメバチ』には興味なしか……。


 長居は無用。

 コーヒーは口を付けないまま運転席のドリンクホルダーに収めると、直ぐに車を出しました。


――第一、このコンビニ、今の時間帯に全く他の客が寄り着いていないなんて、商売として成り立つのか?


 駐車場を出て誰彼たそがれの県道を走り出したとき、ミラーに黒塗りのバンが三台、コンビニに向けて入って行くのが映りました。


 拙を追って来たという確証はありませんが、首筋の後ろにゾワッと鳥肌が立ちました。


 アクセルを踏み込みたいのはやまやまですが、追い越し禁止の黄色ラインが引いてある二車線(片側一車線)の40㎞/h制限田舎道。

 交通量は無いに等しくても、飛ばすのは危険です。

 制限速度プラス10㎞/hで巡行しつつ、ちらちらとミラーで後方を確認していたら――


 駐車場からバンが一台、飛び出してくるのが見えました。

 しかもバンは、ハイビームにしたまま80㎞/hほどの猛スピードで追尾してきます。


 ただコンビニからは右折するか左折するかしか無いわけだし、こちら側に走って来たからといって拙を追っているとは限りません。

 急ぎの用事があるだけなのかも知れない。


 拙は路肩が広めの場所に軽四を停め、バンを先に行かせようと考えました。


 しかしバンは、お礼のパッシングをして追い抜いて行くような事はせず、威圧的にヘッドライトを照らしたまま速度を落とし、拙の後ろに停車しようとしてきました。

 しかもバンの後部座席からは黒服・黒眼鏡が三人、手には特殊警棒のような物を持って悠々と降りています。


――ゲーテッドコミュニティの警備員は、腕利きだと聞いていたんだがな……


 丸っきり素人アマチュアの動きです。

 拙の動きを止めようとするならば、バンを停めるのは拙の軽四の前、でなくてはなりません。

 それも斜めに、軽四の運転席側の鼻面を抑え込むように。


 きっと”あの”円形都市は成り立ちが特殊過ぎて、正規の玄人ベテランを雇うのが難しいのでしょう。

 いくらお金持ちがひしめき合うように住んでいるにしてもね。

 それで筋の悪い闇バイト程度の人材しか集まらないんでしょう。


 「これ以上は、待っててやる義理も無いし」

 拙はサイドブレーキを引いたまま、思い切りアクセルを踏み込みました。

 次いでブレーキ解除します。


 軽が前へ飛び出すと同時に、後輪が路肩の砂利をバンの方に弾き散らかし、黒服たちが慌てて顔面をガードするのが見えました。


 矢継ぎ早にギアチェンジして、トップにまで持って行きます。

 一方バンは、降車歩兵を収容する手間は取らずにその場に置き捨て、猛然と速度を上げて追尾してくる。


 軽対バンだから、車体重量の差を活かして追突してくるか、と思いましたが、バンは対向車線側にやや膨らみました。

 横に並ぶか前に出る心算のようです。


 拙はドリンクホルダーのコーヒーを取り、タイミングを見計らって中身を窓から外に飛ばしました。

 ミルクと砂糖がタップリ入ったコーヒーを運転席のウインドガラスに浴び、バンは一瞬速度を落としました。

 しかしハンドルを取られることはなく、再びスピードを上げてきます。


 しかも更に後ろには、残り二台のバンが猛追してきているのが――ヘッドライトの輝きから――見て取れます。


 拙は仕方なく、今度はスポーツ新聞を広げて窓からバラ撒きました。

 宙に舞った新聞紙は、まるで意思を持った野襖のぶすまのように、真後ろのバンの濡れたフロントガラスに張り付いて追跡者の視界を奪いました。


 さすがに相手も急ブレーキを踏み、バンはぐるりと半回転して道を塞ぎました。


 続く衝突クラッシュ音は聞こえませんでしたから、追跡者のバン同士が事故を起こすことは無かったようです。

 ま、皆さんに御怪我なくってお目出度めでたい。

 怪我人・死人が出たりすれば、互いに後々が面倒ですからね。


 こちらにとっても、車間を広げるための若干の逃走時間が確保できれば良いだけなので、アクション映画のような派手なカー・クラッシュという結果は望んでいません。

 いくらか先のカーブあたりで、後方からの視線が遮られていれば良いだけなので。


 頃合い良し、という地点でライトを消すと、県道を外れて田圃の畦道あぜみちに軽四を突っ込ませました。

 夜目が利くよう、ヘッドライトを消す30秒ほど前から片目はつむっておきます。

 消灯と同時に瞑っていた目を開けば、なんとか細い畔の位置を確認しながら走れますからね。

 速度は15㎞/hほどに落とし、脱輪しないよう慎重に進みます。夜目を整えていてヨカッタ! と思う瞬間です。


 また仮に、追跡者たちが暗視装置を装着していたとしても、大型のバンでは畦道に入って来ることは難しい。

 徒歩で追いかけて来られても撒くのは難しくありません。

 ニッポンのアウトドアライフには、大型レクリエーション・ビーグルよりも、軽四駆か軽トラですね!


 ミラーで後方を確認すると案の定、追跡者たちは脇にそれた拙には気付かず、狂ったような高速で県道をブッ飛ばし、三台連なって遠ざかって行きました。

 あんなに飛ばしてはその内に事故起こしそう、とチョッとだけ心配しましたが、まあ、縁が切れてしまった後のこと。後は野となれ、です。


 拙は結局使用することの無かった栄養ドリンクのキャップを開け

『街まで真っ直ぐ走りなされ』

という御老人の忠告を噛みしめながら、一息に飲み干しました。


「背いたばかりに、ちょっとだけ手間取っちゃたか。いやいや古老のげんは、尊ぶべし、だね。コンビニの防犯カメラに、ブッシュハットで半分隠れているとはいえ顔を撮られちゃっただろうし、それだけは失敗だったな」



 ターミナル駅に着くと、レンタカー屋に行く前に、セルフ給油所で洗車を済ませガソリンを満タンにしました。

 ついでにトイレで顔を洗い、服を軽いジャケットに着替え、ブッシュハットやキャラバンシューズなどのアウトドア装備は、全部リュックに押し込みます。

 そして満杯のリュックサックは、コンビニを見つけて自宅へ発送。


 24時間営業のレンタカー屋では

「お早いお戻りですね」

とレンタル予定が40時間以上残っていることを告げられましたが

「会社から急に呼び出しがかかりまして」

と苦笑して誤魔化しました。

「ゴールデンウイークの最中にも関わらずに、ですよ。ほんとうにアタマに来ちゃいます」


 中年の店員さんは「そりゃあ難儀でしたね」と同情してくれ、手早く車輛チェックを済ませると

「ハイ、ガソリンは満タンだし車体もキレイ」

と返車は簡単に終わりました。

「またのご利用をお待ちしております」


 店員さんの『またのご利用を』は、ルーチンの御愛想だという事は分かっていますが、拙は

「そうですね。今回は残念だったから」

と笑顔で会釈を返しました。


 二度と来ることは無い、と内心では確信しながら。


 家に帰り着いて、やれやれとカーテンを開けると、窓ガラスの外側にオオミズアオが一頭、蒼白い翅の美しさを誇示するようにペタリと張り付いていました。


 オオミズアオはそんなに数が多い生き物ではなりませんが、生息域は広大、都市部で見かけたとしても何の不思議もない。

 オオミズアオが自宅の窓で休んでいたとしても、そこには何の超自然的な因果関係は無いのです。


 ベランダに出て、幽玄な色調の美しい蛾にそっと手を伸ばすと、夕顔瓢箪は逃げるどころか向こうの方から掌の中に飛び込んできました。


 拙は掌中の妖精の美しさを、彼女の翅を傷付けないようそっと愛でながら

「山へお帰り。お前たちを狩りに行ったのでない事は分かっているのだろう? 山のひじりに礼を伝えてくれ」

と囁きました。


 するとオオミズアオは掌からふわりと羽搏き、あっという間に虚空へと消えてゆきました。



 こんな理由で、拙はあの円形都市には二度と関わる心算はありません。


 行ってみたいな、と考えた奇特な方がいらっしゃるかも知れませんけれど、これだけは言っておきます。


 あの「呪われない村」にだけは行かない方がいい。


 だって他にいくらでも安全な、いわゆる「呪いの心霊スポット」は、まるで浜辺の砂粒のように日本国中にあるんですから。


 あえて危険を冒す必要なんて無い、そう思いますよ?


                         おしまい

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