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姥捨て~デンデラ野×だいぐれん

「遠野物語にデンデラ野のエピソードが出てくるでしょう」


 ミキちゃんは、ロールケーキを食べるのに使った取り皿とコーヒーカップをキッチンで手早く洗うと、手を拭きながら戻って来た。



 デンデラ野。

 怖い読み物好きなら、必ず知っていると言っても過言ではない名掌編。

『遠野物語拾遺』で、人の死の前兆シルマシを扱った作品である。

 通しナンバーは266番。


「村じゅうに死ぬ人がある時は、あらかじめこの家にシルマシがあるいう。すなわち死ぬのが男ならば、デンデラ野を夜なかに馬を引いて山歌を歌ったり、または馬の鳴輪の音をさせて通る。女ならば平生歌っていた歌を小声で吟じたり、啜り泣きをしたり、あるいは声高に話をしたりなどしてここを通り過ぎ、やがてその声は戦争場の辺まで行ってやむ。またある女の死んだ時には臼を搗く音をさせたそうである。こうして夜更けにデンデラ野を通った人があると、喜平どんの家では、ああ今度は何某が死ぬぞなどと言っているうちに、間もなくその人が死ぬのだと言われている」(以上266を引用)



「うん。あるね」と返事して

「急にどうしたの。今度は人の寿命を診る術の訓練でも始めた?」

と訊いてみる。

「ただし僕をサンプルにするのは止めてね。いくらミキちゃんからでも『うおさんは明日死にます』なんて宣告されたら凹むから」


「しない、しない。絶対にしないよ。そもそもそんな事なんか出来ないし。むしろそんな術が使えるようになるんなら、ワタシの寿命を削ってでも、うおさんには長生きしてもらいたいくらい」

とミキちゃんは笑った。

「あなたは死なないわ。わたしが守るから」


 某大ヒットアニメのヒロインのセリフをパクったミキちゃんに

「じゃあ唐突にどうしたの?」

と重ねて質問。

「加持さんの所に来ていた管狐憑き疑惑の女性が、人の寿命を予言してまわっていたとか?」


「そっちも関係ないのよ」とミキちゃん。

「関係しているのは、うおさんが書いている夏ホラーの方」

 そして「あの中で、小田の『だいぐれん』に触れたエピソードがあるじゃん」と言った。


「ああ。昼間に出て来て大暴れしたあげく、夜には墓場に帰る暴力オババ」


「そう」とミキちゃんは頷くと

「あの話と、遠野物語のデンデラ野が被っちゃって」

と僕の横に座った。

「最初デンデラ野の話を読んだ時、前兆シルマシが起きる怪異を、喜平どんが一体『どこ』で聞いたのかがすごく疑問で。だってデンデラ野って、里――と言うか一般居住区――とは離れた場所にあるという印象だったから。それなのに『平生歌っていた歌を小声で吟じたり、啜り泣きをしたり、あるいは声高に話をしたりなどしてここを通り過ぎ、やがてその声は戦争場の辺まで行ってやむ』なんて書いてあるでしょう」


 なるほど。

 死亡予定者の魂もしくは死のシルマシがデンデラ野を通過するとき、証言者がちょうどデンデラ野に居合わせないと観測できない事象。

 つまり推理小説でいうならば「実現不可能な証言で、証人が虚偽発言をしていると疑われる」部分か。


「ああミキちゃん。その部分に特に問題は無いんだよ。だってデンデラ野には常時というか夜間には、生きた人間が必ず居たわけだから」



 段ボールにしまってある文庫版の『遠野物語』を探すより早い、とパソコンで青空文庫を立ち上げる。


 ミキちゃんに見せるのは、拾遺の方ではなく遠野物語本編の方だ。

 通しナンバー111番。


「(前略)昔は六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追いやる習いありき。老人はいたずらに死んでしまうこともならぬゆえに、日中は里へ下り農作して口を糊したり。そのため今も山口土淵辺にては朝に野らに出づるをハカダチといい、夕方野らより帰ることをハカアガリというといえり」(以上111から引用)



「『遠野物語拾遺のデンデラ野』イコール『遠野物語の蓮台野れんだいの』というわけで、デンデラ野には夜、姥捨うばすてされた御老人が、里から戻って来ていたんだよ」

と彼女に言ってきかせる。

「だからシルマシの物音を聞いたのは、蓮台野でやがてやって来る死を待っている姥捨てされた60歳過ぎの御老人か、あるいは昼間に田畑で農作業をしている時にハカダチしてきた御老人から前兆現象を聞かされた里人のどちらか、という事だよ。そう考えれば証言は虚偽発言だと断定できないことになる」


「いや、それはワタシにも分かっているんだってば。だから最初に読んだ時って、ちゃんと断ったでしょ」

とミキちゃんは、ちょとむくれた。

「早合点はうおさんの悪い癖。人のハナシは最後まで聞きなって」


「おや? それは失敬」


「ワタシが言いたかったのは、小田の奥まった場所にもデンデラ野みたいな『姥捨て』が行われていた場所があり、『だいぐれん』の老婆はその墓所からハカダチしては里で暴れ、日が暮れるとハカアガリしてたんじゃないのか、ってことなんだよ」

 そしてミキちゃんは言い難そうに、慎重に言葉を選んで付け加えた。

「姥捨てされた老人は、それを運命と受け入れた者が多かったのだろうけれど、中には悔しさのあまり反撃に出る者がいた。野良仕事を手伝って僅かな食料を駄賃に貰うより、農家を襲って食料を奪ってしまえと。だから『だいぐれん』は暴力幽霊なんかじゃない。怒れる生身の老人なんじゃないのかな? って思っちゃったんだ」



「ミキちゃんの指摘には一理ある」

と僕は彼女の言い分を――部分的に――認めた。

「ただし全部ではないよ。鬼婆と呼ばれた老婆が、死霊ではなく生ける人間ではないかという箇所ね。そこは間違いの無い部分だろう。『だいぐれん』の鬼婆は、『博多の幽霊ばなし』で指摘されている、福岡の幽霊はなぜ怖くないのか、の特徴に則っているように見えて実は決定的な部分で異質だ」


 僕の指摘にミキちゃんは「足の有無の部分?」と頭を捻った。

「足も無いのに大暴れ、みたいな事が書いてあるんでしょう」


「いや、足の有無は描写の部分だから、そこは話を記述したライターの個性というか感性によるだろう。『幽霊だから足は無いべきである』と考えて、足も無いのに、としたのかも知れない」

と僕は、ミキちゃんの疑念を否定した。

「異質だと言ったのは、構成の部分なんだよ。具体的に言えば、ハナシとしての『落ち』が弱すぎるという点だ。笑い話なのかホラーなのか、何を伝えたかったのかがハッキリしない」


「可笑しくもない笑い話や、怖くもないホラーなんて、いくらでも有るでしょう?」

 ミキちゃんは僕の論拠には否定的だ。

「ただ単に、ライターの力量不足で、そうなってしまうのでは? 怪談の会やホラー映画でも、演出の差で怖くなったり駄目だったりするわけで。ネタやシナリオが重要なのは勿論なんだけど、漫才だって演者の力量によって、大受けするかスベり倒すかが分れちゃうわけだし」


「うん」と僕は頷いた。「ミキちゃんの言う通りだと思う」

 けれど、と後を続けて

「書き手の上手・下手、作品としての成功・失敗は置いておいて、コメディをろうとしているのか、恐怖なり戦慄・嫌な後味を伝えたいとしているのか、その程度のことなら最低限は伝わるだろうとしてシノプシスは練ってあるわけだよ。僕みたいなヘタクソの作品だったとしても」


「だいぐれんの話しは、そのあたりが不明確だと?」


「そう」と僕は同意して「端折はしょっちゃったラスト部分なんだけど」と『改訂版 糸島伝説集』の28ページを開いた。

「本文のままだと、こういう結びになるんだ」



「たまりかねた村人は、福岡の大智識といわれた名僧のところへ行き、何とか怨霊を退散させてくださいと頼んだ。すると僧は『こいつは一筋縄ではいかぬ。可哀想だが地獄に突き落とすよりほかにはない。よろしい、わしが引き受けた』と、案内の駕籠で老婆の墓に詣で、ある法力を示して八万地獄の底に突き落とした。

 この和尚の法力には、さすがの鬼婆も歯が立たなかったようで、以来この世に姿を現さぬようになったという。今、小田の『段』というところに立っている一基の供養塔はこの鬼婆を祭ったもので、屋敷跡ということである。それにしても『暴力幽霊』とは全国的にも珍しい伝説であろう。」(p28から引用)



「強いてカテゴライズするなら、ホラーというより仏教説話? 今昔物語集や日本霊異記みたいな」

 ミキちゃんの感想に、そうだねぇ、と応える。

「それも念仏やお題目が普及する以前の、密教系悪霊調伏モノのテイストだ。『だいぐれん』伝説は江戸期の出来事だとされているんだけど。だからエンタメとしての幽霊噺・怪談噺として解釈すると焦点の当て方が不徹底でオカシクなっちゃうんだろうね。『だいぐれん』は仏法僧ぶっぽうそうの有難さを称えるのが目的の説話なんだよ」


「それに加えて」と話を続ける。

「小田集落――江戸時代には小田村だったらしいんだけど――は、米の収穫量は多く豊かな土地だったらしいんだな。米作のオフには麦作の二毛作地帯で、土地当たりのカロリーベース生産性は、積雪で農作業が不可能になる雪国とは比べ物にならないくらい高い。加えて大豆や菜種、根菜類も生産でき、海が近いからワカメやヒジキといった食用海藻も採れ、煮干しの原料となるカタクチイワシも接岸する。農耕用の牛馬の保有頭数も多かった。蹄痕碑――牛の墓――伝説が残っていることからも分かるように」


「だとすると、口減らしのために老人を『姥捨て』する必然性が無かった、ってことか」

と『だいぐれん』が棄民とは関係なさそうだ、とミキちゃんも納得した様子。

「半農半漁の土地で、農作業にオフシーズンが無いのであれば、むしろ御老人も貴重な労働力として必要とされたはずよねぇ」


「それに、さ」と僕は老婆の供養塔が立っている場所が『屋敷跡ということである』と書いてある部分を指差す。

「鬼婆の実家は、屋敷と呼ばれる邸宅を構えていたくらいの豪農だったんだよ。だから鬼婆が里で暴れても、里人は手を出せなかった。腕力で制圧しようとすれば、出来ない事はなかったんだろうけど、指を咥えて見ているしかなかったんだ。豪農一家の当主としても、実母を暴力で押さえるのには心理的抵抗があっただろうし。だから屋敷の敷地内か保有する土地のどこかに離れを建てて、老母を隔離しようとした、あるいはしていた」


「その離れが、本文中で『墓』と書かれた部分なんだね。鬼婆は日中に墓から出て来て、日暮れには墓へ帰るという」


 ミキちゃんの解釈に、「そうだと思う」と僕も同意した。

「豪農の当主は苦肉の策で、離れに母を隔離まではしたんだけど、離れを座敷牢のような徹底した幽閉施設には出来なかったんだろうね」



「そうだとすると、なぜ老婆は暴れたんだろうね? 酷い扱いを受けての反抗というのとは、ちょっと事態が違ってきそうじゃん。それにムスコは、なんで母親を無理に隠居場へ押し込もうとしていたのか。それも遠慮がちにだよ? 家の実権を完全掌握するために、とかいう権力闘争上の理由であったら、それこそ離れではなく座敷牢案件だよね」


 ミキちゃんはそう論点を――疑問の列挙という形で――整理した。

 彼女にも、既に答えは出ているはずだ。


「おそらく御老人が暴れたのは、認知症による被害妄想。老人性のものなのかアルツハイマー型なのかは分からないけど」

と僕は彼女が考えているであろう事情を指摘した。

「だから多分、当主を息子に譲って刀自とじと敬称付きで呼ばれる身分であったのに、徐々にか急速にかは判断できないけれど、周囲の人間を警戒し意味も無く言いがかりを付けては憎むようになった。ついには暴力まで振るうようになったんだろう。息子は悩みながらも母親を離れに隔離したが、当時は脳神経内科医も精神科医もいない。有効な向神経薬も無いわけだしね。だとすると、相談できる相手と言えば?」


「憑き物落としの修験者、行者、もしくは僧侶か禰宜」とミキちゃんが溜息をつく。

「認知症や統合失調症が、脳の病だと認識されていない時代だったわけだから」


「うん」と僕も頷く。

「21世紀の今となっても、悪魔祓いや悪霊落としは残っているし、過酷な行による事故も時折ニュースをにぎわせる。福岡の大智識とされた名僧は、激しい悪霊調伏の加持祈祷を行なって、老婆に取り付いた悪霊を地獄送りにした――したとした――のだけれど、結果として老婆自身も亡くなってしまったという結果になったんだろうね。施術は成功したけれど患者は亡くなりました、というヤツだ」


「そうだとすると、また分からなくなっちゃう」

とミキちゃんは口をへの字に結んだ。

「仏法僧の有難さを知らしめるための説話として構成された話――伝説――であるのなら、老婆は暴力幽霊自身なんかじゃなく、悪霊に憑依された被害者なわけじゃない? すると名僧の力で悪霊は取り除いたけれど老婆の寿命も尽きており、今際いまわきわで正気を取り戻した老婆が『ありがたや、これで安心してあの世へ旅立てます』と感謝して終わる、というのがキレイな締めのように思えるんだけど」



「説話としての完成度、というスタンスにこだわりがあるならね。三宝の有難さを示す事例とするならば、ミキちゃんが言うようにまとめる方が、老婆ごと地獄の底に沈めるような結末にするよりも作者の意図は伝わりやすい。けれども、この事件を最初に文書化したのは『ノンフィクション・ドキュメンタリー作家』寄りに傾いた考え方の記録者・記述者だったんだと思う。彼もしくは彼女にとっては、説話としての完成度なんかはどうでも良かったんだよ。『こんな不思議な出来事があったのだ』という事実関係だけを、後世に残したかった。だから怪談やコメディといったエンタメのみならず、仏教説話としても非常に中途半端な出来上がりになってしまった。だって記録者の意図はたぶん、今昔物語のような古臭い説教ではなく、松浦静山の甲子夜話かっしやわのような最新の見聞記録を書きたいという所にあったのだろうから。まあ今昔にしてみても、平安時代のインテリにとっては当時の最新式の知見集だったんだろうけどね」



 ミキちゃんは

「不思議なことなんて、この世には何も無いんですよ」

と呟くと

「そうそう、師匠からうおさん宛てにプレゼントが置いてあったんだよ」

と脱ぎ散らかしたジャージのポケットを探り始めた。


 カミサマ(見習い)の中では、ダイグレン事件は一応の解決をみたようだ。


 彼女がポケットから取り出したのは桐材の小箱と一枚の手紙。

 ミキちゃんが急いでポケットに押し込んだものか、手紙はクシャクシャに皺がよっている。


「なんだろう」と小箱の蓋を開けると、入っていたのは7㎝ほどの大きさの翡翠ひすい細工。

 オオミズアオをかたどった物だ。


「わ! かわいい」とミキちゃんが、実際の成虫よりは小ぶりな細工物を掌に載せると、翡翠細工の蛾は彼女の手の上で羽ばたいた。

 ミキちゃんは「コイツ、動くぞ」と言ったが、別段驚いた様子は無かった。

「師匠、作品を仕上げるにあたって、何かの術をかけたみたい」


「使用方法を訊いておいてよ。今度会った時にでも」

と僕は、加持さんからの手紙に目を通しながらミキちゃんに伝える。

「ミキちゃんが、というよりミスリルファイターが苦戦しているときに、援護に使えるのかもしれないからね。カプセル怪獣みたいにさ」


「おー! それはロマンチック。ピンチのワタシを、うおさんが押っ取り刀で救ってくれるとか」

とミキちゃんは喜んだ。

「でも、それってマニュアルに書いてあるんじゃないの? 今うおさんが読んでる手紙に」


「これ、お礼状で、絡繰からくりオオミズアオの使用手順書ではないんだよ」

と彼女に手紙を見せる。

 手紙には達筆な文字で

『渉外班の若輩に良き稽古付けて頂きし件、誠に深謝申し上げ候』

とだけ書いてあった。


「僕はミキちゃんの御師匠には、一度もお目にかかった事は無いと思っていたんだけれど、既にお会いしていたようだ」


 あの、決して「呪われない村」の探訪に行った時に。


「ミキちゃんが勤務している地球防衛軍基地って、小さな盆地にあるんじゃない? そして基地の外側には空間歪曲型の迷彩が施してあるんじゃないの」


 僕の質問に「行く時にはテレポテーションだから、どんな外観になっているのかは、ワタシ知らないんだよ」とミキちゃんは答えた。

「小盆地の中央に位置するって点は、うおさんの言う通りだけど」


 やっぱりか。


 僕は一連の事態に繋がりを見出し、ひとまず納得することが出来たが、ミキちゃんには色々と混乱させることになってしまったみたい。


「ねえ、うおさん。師匠に既に会ったことがあるって、どういうこと? それに渉外班の若輩に稽古を付けたっていうのも?」


 僕はひとつタメイキをついてから、幼馴染の見習い龍神に説明を試みる。


「掻い摘んで話すと分かりにくいだろうから、ちょっと長いハナシになるんだけれど。……でも、まあ、この世には不思議な事なんて何も無いんですよ」


                         完

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