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福岡の怖い噂といえば⑦「ここには猫の出よりますばい」

 テーマが「うわさ」という事もあり、伝聞情報・書籍記載の事例ばかり書いてきたわけですが、たまには拙の実体験でも述べてみましょう。


 実体験でありますから、華々しい超常現象なんぞは起きません、と予め断っておきますけれど。



 糸島半島には、唐泊・西浦・野北・芥屋・福の浦・船越などなど多くの漁港が点在しており、そのどれもが恰好の釣り場となっております。


 どこに行くかは、それこそ釣り人の好みということになりますが、ハイシーズンには釣り人で”ごったがえす”場所もあり、選択は案外難しい。


 しかし冬場、寒くなってしまえば玄界灘の北風をモロに喰らうような場所だと、なかなかキビシイ釣りになりますから夜間は人影もまばら。


 けれど野北の防波堤、正月休みのころになると、夕暮れの時間帯から中・大アジが港内に回ってきます。

 それも金アジと呼ばれる地付きのマアジ。

 ずんぐりと肥えて脂ののりは最高。

 こりゃ、釣りに行くしかないでしょう?


 釣り方は磯竿3号に中型スピニングリール、普通の太目の飛ばしカゴサビキ仕掛け。

 上手く群れに巡り合ったら、初心者でも30~40㎝サイズの金アジが入れ食いです。


 薄暗くなる時間帯に堤防に着いて

「刺身に塩焼き、大アジフライも捨てがたい」

とウハウハしながら道具を整えていると、すでにクーラーボックスが満杯になったのかも知らぬ、先行者のオジサンは早くも帰り支度。


「こりゃあ、今日は早い時間帯から群れが回って来ていたか」

と慌てていたら、オジサンがこちらに歩み寄ってきた。

――余った寄せ餌をくれる心算かな?

と会釈すると、相手からも会釈が返ってきた。


 そしてオジサン、ひそひそ声で

「暗うなったら、ここは猫の出よりますばい」

と一言だけ。

 きびすを返して去って行かれてしまいました。



 猫のおりますばい、などと言われても漁港や防波堤に猫は付き物。(憑き物ではない)

 どこの防波堤にも猫は居て、漁師さんや釣り人からオコボレを頂戴するせいか、波止場の猫はだいたいにおいて愛想良しです。


 福の浦ネコは冬場など、釣り人をぐるりと群れで取り巻いて魚が掛るのを見物しておりますし、置き竿にしたままオニギリを食べてる時に魚が竿をガタガタ鳴らすと

「釣れてるよ! 引いてるよ! オニギリ食べてる場合じゃないよ!」

と大騒ぎして教えてくれたりする。

 芥屋ネコは大戸遊覧の観光船が出るせいでしょうか、「ここはネコカフェか?」というぐらいに観光客から撫でられまくってもガキンチョからモミクチャにされても泰然自若、「触りたきゃ、好きなだけ触んな。おいらは気にしないぜ」とばかりに平然としております。


 だから「猫の出よりますばい」とヒソヒソ声で忠告されても「はあ」としか返しようがない。

 野北ネコが陽だまりで、退屈そうに大アクビなんかしているのは、いつも目にする光景ですからね。



 ゆらゆらと漂うケミカルライトを差し込んだ発泡ウキが、暗い水面にスポンと沈んでいきますと、サビキに魚が食らい付いた証。


 調子の良い時ですと、掛かった魚を取り込んでは寄せ餌カゴに餌を詰めて打ち返し、の繰り返し。

 厳寒期の夜でも汗が出てくるほどの運動量です。


 しかぁし! 魚が寄って来ないと、寒さに震えが止まらない待機時間が続くわけですよ。

 魚を寄せるために、寄せ餌カゴの回収と打ち返しを小まめに行いはするんですけどね。


 だけどその日は、なかなか大アジの群れが回って来ません。

 時折、竿を曲げてくれるのはアジではなくサヨリでした。

 ただしサンマのように大きなサヨリですから、造りにしても焼き物にしても美味しいのは間違いの無いところ。


 たまにウキを動かしてくれるサヨリに慰めてもらいつつ、地合いが変わってアジが口を使ってくれるのを待ちます。


 するとようやく、3号磯竿を「つ」の字に曲げる魚がかかりました。

 ぐーんと絞り込むような引きはたぶんアジ。

 けれどサイズはそこまで大きくはない。せいぜい30㎝級の中アジです。

 ただし今日の釣果としては貴重な一尾、という事になりそうですから、口切れに注意してドラグは締めないまま、無理せずゆるゆると遣り取りして魚を浮かせます。空いた方の手でタモ網を差し入れ、無事、中アジ捕獲!


 時合じあい来たれり、と撒き餌柄杓で寄せ餌を遠投し、アジの群れを足止めしてから鈎にかかった魚を外す。サビキ仕掛けですから鈎の本数が多く、タモに絡まった仕掛けを外すのは――キャップランプのライトで照らしながらの作業ですから――根気と集中とが必要です。


 だから、どうしても周囲への目配り・気配りはおろそかになっちゃう。


『ヤツ』はその隙を、ひっそりと闇に潜んで窺っていたのでした。


 外し終えたアジの魚体に、惚れ惚れと見入っていた瞬間でした。

 灰色のカタマリが突然、闇の中から手元に飛び掛かって、いな、襲い掛かって来たのです!


 相手は無言、けれども拙は悲鳴を上げ、尻餅をつきました。

 一瞬ですが、大きな猫がアジを咥え、ぽーんぽーんと闇の奥へと跳ねて行くのをキャップランプが照らしました。


「なんだネコか」とは思えませんでした。

「ヤバイやつがおる」と、ドキドキ脈打つ心臓を落ち着かせるのに必死で。

 野生を剥き出しにした猫は、猫科動物に共通する猛獣の風格でありました。


『猫の出よりますばい』のオジサンは、この事を警告してくれていた、というわけです。

 外道の小魚がたんまり釣れる夏・秋のシーズンと比べて、冬の――しかも夜間ともなれば――サカナをくれる釣り人の数は激減します。しかも釣れるのが金アジともなれば、釣り人は猫へあげたくないし、ネコとしては是非とも食べたいわけだ。

 野北ネコにしてみれば「くれないのなら、奪うしかない」と腹をくくっているのでしょう。


 人の警告には、虚心坦懐に耳を傾けよ、というのを深く認識させられた出来事でした。



 書いてしまって言うのもなんですが、やっぱり怖くはないエピソードですね……。


 体験した本人にしてみれば、ジャングルで虎か山猫にでも襲撃されたかのような衝撃だったのですがね。


 だからたぶん

「いやー、駅のホームでオッサン幽霊見てまった! ホント膝がカクカクするほど怖かった。いただけで別に何かをされたというわけでもないけれど」

というような体験談を聞いたとしても

「なんつーか、珍しくもない有りがちな本コワネタじゃん。手垢が付き過ぎてて何の感想も湧かんなぁ。それのどこにワンダーが有るのよ?!」

とかしか感じないわけですが、ネコに襲われてビックリした小生といたしましては

『いくら世間に有りがちな体験であったとしても、それを自分が初めて経験するとなると、また格別。集団予防注射だって、一度に400人が受けたとしても、自分の痛みは自分だけのものであるのと一緒』

と指摘するだけです。



 猫に襲撃されたハナシがしょうもなさ過ぎましたからね、少しだけ豆知識をサービスです。


 猫の出よりますばいの野北漁港ですが、糸島漁協野北支所近くに「落石さま」と呼ばれる祠があります。

 高祖城が落城するとき、城から逃された幼い姫(通称おちいさま)が匿われた場所なのですが、この姫さまは或る日決意して、一人の魚売り娘として生きて行くことを選択します。

 その後、おちいさまは努力を重ねて販路を広げ、女行商人の神様として崇められるようになり、落石さまの祠が建てられたのでした。


 野北に行く機会があったら、この落石さまの祠に参って「人間いかに生きるべきか」と、人生や人の生きる道に思いをはせるのも悪くないでしょうね。



 なお、野北の近くには「おたっちょう」と呼ばれる魔所があります。

 木の葉一枚、小石一つでも持ち帰ろうものなら……それ以前に、足を踏み入れて不敬を働こうものなら、たちどころにばちが当たるとされる場所です。

 漢字で書くと「御塔頭」ということらしいのですが、戦国時代初期の武将の屋敷跡です。


 ここにだけは近づいてはいけません。

 たぶん福岡で一番怖い場所と言えば、犬鳴隧道や刑場跡を越えて、ここという事になるでしょう。


 夏場に怪奇特集をやっていたTV番組でも、ここにだけは近づいたことが無かったはず。

 それくらいヤバイんですよ。


 祟っている人物の事も分かっていて、阿部鑑宗あべあきむねという大友方の武将。

 敵方や海賊が野北に襲来するや、たちどころに討ち果たし、野北殿と呼ばれて里人からも慕われていたといいます。


 この野北殿が今は祟り神となって、屋敷跡の霊域を侵す者がいると、白馬に騎乗した鎧武者として枕元に立つと言われています。

 祟りを受けた者は、高熱を発するか死亡すると言われており、「おたっちょう」には近づかないのが賢明です。


 場所は……伏せておくのが賢明でしょうね……。


                         おしまい 

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