福岡の怖い噂といえば⑥牛だって祟ってみたい
松谷みよ子の『日本の伝説』には、ウサギが怒って仇を成す掌編が入っている。
――と物々しい出だしで切り出しましたが、夜になると口笛を吹きながら屋敷の周囲をぐるぐる回る、というだけで怖くはないですな。
確か「おこったうさぎ おこったたぬき」という題だったと思うのですが、うろ覚えで申し訳ない。今年の夏は暑すぎて、本が詰まった段ボール箱をひっくり返して探してみようという意欲が湧かないんですよ。毎日が熱中症警戒アラートの日々ですからねぇ……。ホントどうにかならんものか。
しかし口笛吹いて徘徊するなんてイヤガラセ、『吾輩は猫である』で、クシャミ先生の家の周りを「今戸焼の狸、狸」と囃し立てて逃げる金田配下のチンピラが出てきますが、ちょうどそんな感じ。
もしくはピンポンダッシュする厨房とか。
(あー、念のために記しておきますと「厨房」というのは「中学生ぼうず=悪ガキ」を意味する隠語もしくはネットスラングです)
えー、ウサギが結構ヘタレだったので、次はちょっと怖い系の小物を。
岡本綺堂の短編『蟹』では、ワタリガニが祟ります。塩茹でにしてポン酢で食すと最高なヤツ。
「蟹といったら、断然ズワイでしょ?!」という人も世の中にはいるんだけど、俺はガザミ派なので、岡本先生が美味い蟹代表としてガザミを主役に据えてくれたのは嬉しかった。
なんというか、映画館の大スクリーンで自分が住んでたことのある町が、それも良く見知った街並みがゴジラとかガメラにリアル破壊されるシーンを観ると「いやぁ、リスペクトされてんな!」と喜びに震えてしまうのに似ている。
それはさておきワタリガニの呪いと聞いて、正直「ワタリガニが祟ってもねぇ、ゴジラと違ってガニメどころかカニバブラ並じゃん? どこが怖いん?」とお思いでしょうが、さすがは青蛙堂の亭主作の小説。こっちは行方不明者が出るやら、描きかけ絵の上に蟹が這いまわったた足跡が残っているやらでゾクッとさせられます。
そういえば『祟る』と『呪う』との間には明確な区別があって、神が怒っている状況が『祟り』、ヒトを含めて神未満のモノが害を為すのを『呪う』と使い分けるべきなんだそうで。
だから『呪われている』のなら、祓ったり呪い返しを施すことが可能だけれども、『祟られている』のであれば――相手がカミサマですからね――精進潔斎してひたすら謝るしかないのだとか。
しかしですね……私の場合、宗教家でも民俗学者でもないわけでして、神とそれ未満のモノとの間に明確な線引きが出来るのか知らぬ、と考えてしまうわけですよ。
ガチ一神教の国家や社会ならともかく、海山や岩、大木のような自然物から米一粒にまで神が「宿る」とされてきたのが本邦でありますからね。
だとすると、米ツブに祟られることはなくとも、米ツブに宿ったカミサマになら祟られる可能性は有り得ると演繹できるわけです。
まあそこまで極論しなくとも、メチャクチャに怒りまくって死んだ人や動植物は、その怒りを鎮めるために『神に祀り上げる』というプロセスが講じられてきたわけですし。
だとすると「未だ神に非ず」の何物かであれ、神に昇格するチャンスをおしなべて保有していると仮定すれば、神でなくともタタルを使ったって良いじゃん?
◇
それでまあ、表題の牛が祟るハナシなんですが、酷い扱いを受けていた使役牛が、死後主人に祟り、その主人の墓石に蹄の跡を刻むというものです。
使役牛とは、肉牛や乳牛とは違い、農作業や物資輸送で力仕事をしてくれる牛のこと。
昔は家族同然、大切にあつかわれるのが普通だったんですな。
そういえば、第二次世界大戦時の名機 零式艦上戦闘機ですが、中島の工場で組み立てが終わった後は牛車に乗っけて空港までソロリソロリと運んだのだそうで。精密機械ですからね、牛の歩みのスピードが安全で故障が出ないという判断だったとか。
決戦機を運ぶのが牛って、牛の能力を高く買っているようでいて……かなりシュール。
閑話休題、その蹄跡が残る墓石――お話を伺った方は「牛の墓」と呼んでおられましたが――実際に観た限りでは確かに窪みはあったけれども「化石が剥がれた跡なんじゃないかなぁ」という感想をお持ちでした。
えーと、つまりですね墓石に使われていたのが大理石のような石灰岩だと、貝やなんかの化石を含んでいることは珍しくない。
「〇〇博物館の床や××駅の壁石には、アンモナイトが含まれている」とか話題になることがあるじゃないですか。探訪ツアーみたいな企画があったりもするそうですな。
そういった具合に、牛の墓の石材が大理石であったのならば、貝の化石を含んでいた可能性は少なくない。
すると屋外で風雨に晒されていたら、表面が劣化して化石部分が剥落してしまうことも有り得る。
化石部分が剥がれてしまうと、貝殻の形の浅い窪みが残り、それが「牛の蹄の跡のように見えてしまう」ということは、充分に有り得るように思えます。
「その牛の墓、今でも見られるんでしょうか?」
と訊いてみますと
「単なる墓石だから、今でもフツーに立ってるんじゃない?」
とのご返事。
牛の墓探訪の旅の始まりです。
◇
この牛の墓があるとされるのは、福岡市西区小田。
そう。世にも珍しい暴力幽霊「だいぐれん」が出た、とされる小田なんですよ。福岡市海釣り公園の近く。
正直申しますと、ワタクシめが目を付けたのは「だいぐれん」よりも先に、牛の墓の方だったのです。
言い伝えだけではなくてブツそのものが残っているのなら、なにより我が目で確かめることが出来ます。
「この目で確かめてやろうではないか。牛の墓の実力というヤツを!」
そういった流れで、福岡の伝説や民話系の書物を漁っていたら、見つけたのがこの夏ホラーで何度も引用させてもらった『改訂版 糸島伝説集』なんですよ。
なんだかかなり昔に、ほぼ同じ内容を読んだような朧な記憶があるので、改訂新版になる前の本を図書館あたりで目にしていたのでしょう。
さて、それで『改訂版 糸島伝説集』に、どのように記載されているかというと『小田の蹄痕碑 牛の呪いで墓石に蹄の痕が……』という表題で記事があります。(p24~25)
ちなみに「だいぐれん」の記事は蹄痕碑の記事の直後、p26からです。
それで牛の墓なんですが、p24~25の項の記述では、蹄の痕がある碑ということで蹄痕碑とされています。
「痕」と「跡」の漢字の使い分けですが、「痕」は物理的な接触・損傷によって作られた痕跡である一方、「跡」の方は移動後に残された痕跡だという差があるそうで。
だとすると牛の墓に付いている窪みを「牛の怨霊もしくは怨念が刻んだものだ」と伝説通りに解釈するならば、「痕」字を充てるのが相応しいという事になります。
しかし風化によって化石部分が剥落した穴と考えるならば、「跡」の字の方が良さげな気がします。恐竜の”足跡”の化石みたいなモンですからね。
その場合は蹄痕碑ならぬ蹄跡碑なり蹄状穴有碑と改名せざるを得ないはず!
勇んで本文で蹄痕碑の所在をチェックすると……
◇
「この墓石は『蹄痕碑』として知られるようになり、一時は見に来る人もあったそうだが、昭和三十三年に同地に納骨堂が建設されるときに礎石の一つとして使われ、静かに眠ることになり、姿を消してしまった。」
(改訂版 糸島伝説集 p25)
なんと、納骨堂の下に埋められてしまっていたのです。
残念!
◇
ここからは蛇足ということになりますが(もっとも拙作は全体が蛇足そのものとの御批判もおありでしょうが)、蹄痕碑の「跡」or「痕」モンダイ、これは仮に蹄状穴が化石の剥落によるものであったとしても、「痕」を使うのが良いのかも知らんという事に気付きました。
恐竜の足跡の化石など、生物が生きていた証が化石化したブツは、生痕化石とされるからです。
ワタクシメの説明では分かり難かろうと思われますので、ウィキの『生痕化石』の項から引用させていただきます。
「(前略)生物の体そのものではなく、生物が活動した痕跡、たとえば足跡や摂餌の跡、糞などが化石として発見される場合がある。これを生痕化石という。また、生物の化石であっても、その上に生物の活動の跡が残ったものは生痕化石でもあり、例えば生物の噛み跡がある化石はその生物の化石であるとともに捕食者の生痕化石でもある。」
以上、引用部分。
すると牛の墓表面のの窪が化石の剥落によって生じたものであったとしても、そこに二枚貝が生息していた痕跡ということになり、生痕化石と言えるのではあるまいか。
それなりゃ「蹄痕碑」で問題ないじゃん、という事です。
牛の呪いで生じたものかどうか、という部分はペンディングですけどね。
◇
さて、牛というイキモノなのですが、インドで神の使いとされているのを別格としても、例えば「牛にひかれて善光寺参り」であるとか、臨済宗で悟りを得るための過程を描いた十牛図・十牛禅図であるとか、信仰に関わることの多い動物ですね。
福岡でいうと太宰府天満宮も牛と関係が深い神社です。
亡くなった菅原道真の遺体を乗せた牛車の牛が足を止め、動かなくなった場所に廟を築いたのが、そもそもの始まりですから。
クダン(件)という妖怪も、今でこそ「災厄を予言する妖獣」扱いですが、出始めのころは「我が姿を家に貼れば家内繁盛し禍も退ける」と言ったとされています。
これって、アマビエと同じですね。
おしまい