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憑き物の家系

 僕は魚辻うおつじさんを伴って、第二次世界大戦中は防空壕として使われていたという、古い登り窯跡へと到着した。


 ここには老いた龍が棲んでおり、僕はその龍とは子供のころからの少々長い付き合いなのである。


「中井さん? ここなんですか?」

 草ボウボウの斜面にポッカリ開いた穴倉を見て、魚辻さんはちょっと心配そう。


「うん。ボロなのは外見だけだから。中に住んでる白竜翁はくりゅうおうはマメな性格でね。普段から自分で補修したり掃除したりしてるから、普通の洞窟や独身男の下宿なんかよりは、よっぽどキレイなんだよ。外観を粗末に保っているのは、目立って引退後の生活を乱されたくないため、と本人は言ってる」

 ただし僕は草庵を結んだ世捨人を演じる、ちょっと屈折した侘び寂びの表現ではないか、と勝手に推測しているけれど。


 それが証拠に、翁は近くの沢に小規模水力発電機を設置して、部屋の中には各種電化製品を完備した生活を送っていたりする。



加持かじさーん。加持さん、中井です。入りますよぅ」


 登り窯跡を住処とする白竜翁のことを、僕は加持さんとアダ名で呼んでいる。

 理由は、現役時代には人化して、加持祈祷かじきとうを得意とする修験者という触れ込みで活躍していたから。

 ま、相手が強力な憑き物であっても所詮はモノノケ。龍神パワーには逆らえないから、加持さんは辣腕を振るうまでもなく一睨みで退散させていたらしい。(本人談)


 今では、元の住処の竜神洞とハイパー・ゴーストバスターの名声とを後進に譲り、忘れられた登り窯跡で悠々自適、好き勝手に生活している、というわけだ。


 返事は無いが外で待つのも暑いので、魚辻さんを促して中に入る。

 登り窯跡の奥には巧妙に偽装されたカラーチタン製の隠しドアがあり、勝手知ったる他人の家で、ドアの奥へ。


 すると加持さんは空調の効いたリビングで、大鼾おおいびきで寝ていた。

 5mほどの体長の龍の姿のままで、カーペットの上に蜷局とぐろを巻いて。


 僕は、ここまで足を伸ばしたことは既に察知されているもの、と決めつけていたから呆気にとられた気分だ。



「加持さん、起きてよ」


 揺さぶっても目を覚まさないので最後の手段、顎の下に手を伸ばして逆鱗を刺激する。


 すると加持さんはようやく目を開けて

「なーんじゃ。オマエさんかぁ」

大欠伸おおあくびした。

 開いた顎に鋭い歯がガッと並んでいるので迫力はある。ただし声は起き抜けの”むにゃむにゃ声”で、頼り無いけど。

「このごろは忙しくて、寝不足なんじゃよ」


「へー。現役復帰?」と訊ねてみると

「いやぁ」と、白竜翁はちょっとバツが悪そうに頭を掻く。

「MLBとパリ五輪のテレビ観戦」


 遣り取りに耳をすませていたらしい魚辻さんが噴き出し、その気配に気付いた加持さんが魚辻さんを見る。

 そして驚いた顔で

「可愛らしい娘さんじゃの!」

と評価してから僕の顔をまじまじと見つめ

「オマエさん、ついに嫁を貰ったか!」

と、ゆるりと蜷局を解いた。



 よっこいしょう、と這って近づいて来る加持さんにビビる魚辻さん。

 魚辻さんは龍を見るのは初めてだから、そりゃ緊張して不思議は無い。


 ここに来る前、車の中で「動物園でアミメニシキヘビとか大きなヘビって見た事ある?」と確認したとき、彼女は「見るのは別に大丈夫です。だけど『首に巻いてごらん』とか言われたら困っちゃいます」と答えた。

 まあ普通の反応だろう。いや女子だと「見るのもイヤ!」という向きも多いだろうから、むしろ好反応な方なのか?


 僕は彼女を白竜翁に

「そちらの女性は魚辻靖代さんで通称うおさん。残念ながら僕のパートナーでもフィアンセでもない。会社の新入社員で、僕は彼女の教育係なんだ」

と紹介した。

 次いで魚辻さんには

「そちらの竜神様は通称加持さん。加持祈祷の加持さんね。超常現象の解決が得意なんだ」と白竜翁を紹介。


 すると加持さんは「なぁんじゃあ。美人の彼女が出来ました、とか自慢しに来たんじゃなのかぃ」と蜷局を巻き直した。

「じゃあワシが人身御供にろても良いんじゃな?」



「師匠。今時、そういう冗談は受けませんよっ!」


 奥のキッチンから出てきたのは、いかにも学校指定でござい、と言わんばかりの緑の芋ジャージを着込んだ中学生か高校生くらいに見える女の子。

 現在修行中の見習い蛇神さまで、アダ名はミキさん。色気のない恰好をしているけれど、きりっとした美人さんである。

 加持さんからは雷撃やウォータージェットなどの攻撃技を教わっている、ということだ。

(ああ見えて、加持さんは超強力な術師というだけではなく、物理的戦闘力も高いんだよ)


 ミキさんは冷えたスイカを盆に山盛りにしており

「さあ、どうぞ」

と魚辻さんに勧めた。

「辺鄙な山奥まで、お疲れさまです」


 そして加持さんには無理やりコップを渡し、5合瓶から飴色の液体を注ぐ。

「師匠、気付けの一杯です」


「こりゃ、ちょっと待て。このなりと口とじゃあ、コップ酒は飲みにくい」

 加持さんは慌てた。

柳蔭やなぎかげが無駄にこぼれてしまおうが」


「それでは師匠、とっとと人化してください。付き合いの長い中井さまはともかく、初対面の魚辻さまに失礼ですよ」

 ミキさんは容赦ない。

「急に呼び出されて、すわ緊急事態発生か、と身構えたら、『どうも客人がやって来るようじゃから、なんぞもてなす食べ物を用意してくれ』なんてね!」


 そして彼女は僕に向かって、申し訳なさそうに会釈すると

「とりあえず、ここにテレポートしてくる前に兄の家の冷蔵庫を漁って、スイカを見つけた次第でして。何時もなら美味しいプリンとかロールケーキとか、入れてくれてるんですけれど」

と謝った。


 加持さん、やはり僕たちが来るのが分っていた上で、白々しく狸寝入りしていたという趣向か。

 ホント加持さん、ミキさんにはた迷惑までかけて! 普通に起きて待っていてくれたら良いのに。


「いえいえ、とんでもない」

 僕もミキさんにペコペコと頭を下げる。

今日日きょうび、スイカも高級フルーツになってしまいましたから。これだけ立派なら、ひと玉3,500円は下らないでしょう。勝手に持ち出しちゃって、お兄さんに怒られませんか」


 そして僕は盆から大きな一切れをもらい、魚辻さんにも手を出すように勧めた。


 ミキさんは「兄なら、シスコンで私にはべた甘ですから大丈夫です。どうせ、ちょっとだけ怒った顔を作って『楽しみにしていたスイカ、勝手に食べちゃっただろ』って嬉しそうに言うだけですから」と笑顔。

 よほど兄妹の関係性が上手くいっているのだろう。


 ただ魚辻さんは、やはり遠慮があるのかモジモジしたまま。


 すると白の法被はっぴ姿の老人に変身した加持さんが

黄泉戸喫よもつへぐいの心配をしとるなら、考え過ぎじゃぞ。面倒な禁忌なぞ、ワシは好かんから、何の術も施しておらんでの」

と魚辻さんにウィンクした。

 そしてコップ酒に口を付け「ぅわっ、こりゃ甘い。柳蔭とはちごうておるな」と顔をしかめた。

「スイカより、ブルーチーズの方が合いそうじゃな」


「兄の秘蔵のトロッケン・ベーレン・アウスレーゼですよ。お高いんだから」とミキさんが鼻を鳴らす。

「それでは何か別のさかなを。ブルーチーズは無理だとしても、ベビーチーズかサンマ蒲焼き缶あたりなら兄が蓄えていたと思いますから、調達してきます。少々お待ちを」



 ミキさんがヒュンッと瞬時に姿を消し(テレポートだ)、僕は「黄泉戸喫というのはね」と魚辻さんに語句解説をする。

「あの世の食べ物を口にして、現世に戻れなくなること。別にここは黄泉よみの国じゃないし、加持さんは超常現象否定派のリアリストだから、スイカを食べるのに何の問題も無い、とちょっと気取って言っているわけ」

 加持さん自体が超常現象のカタマリなのは、いったん脇に置いておいて。


(加持さんは気持ちの良い龍だけど、若いころにブイブイ云わせていた名残なごりなのか、可愛い女性の前では少し格好を付けるところがある)


 すると加持さんは「柳蔭について注釈しておくと」と言い出した。

「焼酎を味醂で割った夏の酒なんじゃな。江戸時代には、滋養があって夏の疲れに効くとされておったのよ。だから俳句でいうと、焼酎も柳蔭も夏の季語。それと、井戸で冷やしたスイカにかぶりついて焼酎を呷るのは、夏のいきともされておったな」


 そして手にしたコップを睨み付けてもう一口舐め

「ミキのヤツめ。貴腐ワインだなんだとか言っておったが、こりゃまがい物じゃな。ちぃとも貴腐香がせんわい」

と舌打ちした。

「割と上手にイミテート出来てはおるが。太刀魚たちうおのグアニンを貼った人造真珠のようなモノだわ」


 加持さんの発言に興味を惹かれたようで、魚辻さんは

「すみません。わたくしも一口、頂戴して宜しいでしょうか」

と頼み込んだ。


「おお! お嬢さん、イケる口かね?」

 加持さんが楽しそうにコップを手渡す。

 魚辻さんが少し心を開いてくれたのが嬉しいらしい。


――もしかすると……このニセ貴腐ワインのくだりは、魚辻さんをリラックスさせるために加持さんとミキさんとが引いたシナリオ通り?


「魚辻さんは成分分析のエキスパートなんだよ。機器分析は勿論だけど、五感を駆使した官能試験の精度も群を抜いてて」

と僕はさり気なく、魚辻さんの特技を加持さんに説明する。

 加持さんのシナリオですか? などとは噯気おくびにも匂わせず。


「ほおぅ。そりゃあ剛毅じゃの」

 加持さんは目を細めて魚辻さんを見遣る。


 当の魚辻さんは、目を半眼にして舌の上で液体を転がし

「ベースはカビネットクラスの白ワイン。けれどもブドウがラインワイン用のリースリングではありませんね。デラウエア? ……そして……ハチミツで加糖してあります。ただ、それだけじゃない。麹香が、ほんの幽かに。これは味醂でしょうか。気持ちだけ添加してありますね。焼酎と味醂とのカクテルではないですけれど、確かに味醂を添加したお酒ではあります」

と分析した。


 これには古強者ふるつわもののドラゴンも驚いて、僕に向かって

「オマエさんの所の新人、掘り出し物じゃな。大事に育ててやらんとな」

と手放しで魚辻さんを褒めた。


 僕は「言われるまでもなく」と加持さんに頷いて

「でも、彼女は一つ大きなコンプレックスを抱えていて」

と『加持さんに相談しに来たわけ』を切り出した。


「魚辻さんの家は、管狐くだぎつね使いの家系と地元ではウワサされていて、彼女は子供のころから学校なんかでは孤独だったんです。今どき馬鹿気たハナシなんですけれども」



 管狐。

 実験用マウスくらいの大きさの狐(あるいはイタチもしくはカワウソなど)で、竹筒に入れて持ち運びができるとされた『空想上の動物』。

 管狐を飼育できるようになると、千里眼が使えたり、未来予知が出来るようになる『などと言われている』。


 加持さんは5合瓶に残ったニセ貴腐ワインを飲み干すと

「迷信じゃな。このお嬢さんの感覚が優れているのは、持ち前の感覚と鍛錬の結果。そこに超自然的な力やモノは介在しておらん。管狐なぞという迷信上の存在も」

と龍の姿に戻った。


 そして長い髭をふわりふわりと動かしながら

「人文学者の中には迷信と断定するのをきろうて、あえて俗信という単語を使うべしと主張する向きもあるが――民俗学研究の中に限定するのならともかく――実生活の場に於いては、狗神いぬがみ憑きも狐憑きも、そして当然、管狐使いも迷信以外の何物でもない。そんなモノはおらんのよ」

と断定した。

ねたみやひがみ、不満のはけ口としての村八分の対象作り。そんな己の醜い感情を自己正当化するためのツールとして、『忌み嫌われる見下されるべき家系』が閉鎖的コミュニティ内の生贄いけにえとして作り出されたんじゃ」


「民俗学者に中には、『富の偏在を無理やり説明するために作り出された理屈』と見る向きも有りますね」

と口を挿むと

「それそれ」

と白竜翁も頷いた。


「井沢元彦だったか誰かも、『〇〇憑きの家が農村、それも僻地に偏在しているのは住民が土地に縛られているため』だとか説明しておったな。漁師町であれば、その村が気に入らねば家財の一切合切を船に詰め込んで土地を離れてしまえばよい。だから憑き物持ちの家系の噂など存在し得ない。妙な噂が後々まで後を引くのは、住民の移動の極端に少ない土地であると。一生懸命・一所懸命の弊害じゃな」


「だってさ」

と僕は、加持さんの床屋談義とこやだんぎに頷いている魚辻さんにウィンクする。

「噂なんて、どうせ扇動者アジテーターに惑わされたノイジー・マイノリティの中でだけ、ぐるぐる回っている『花見酒の経済』なんだよ。世間の大多数・大部分を占めるサイレント・マジョリティは気に留めてさえいないのさ。だからそのアジテーターの影響外の場所に移動してしまった後は、もう気にする必要は無い。アジテーターをぶん殴って、力ずくで制圧してしまえばスカッとするだろうけど、アジテーターってヤツは卑怯者だと相場が決まっているから、一度は降参したフリをしても追加で嫌な噂を流してくるのは間違いないだろう。だとすると――金持ち喧嘩せずではないけれど――過去に置き捨てて忘れてしまう方がスマートだろうね。文字通り『物理的に口を塞いでしまう』以外の解決を目指すなら」


「お前さんの上役の言うとる通りじゃ。頼り無い男だったが、ちっとは使えるように育ったようじゃて」

と加持さんは、魚辻さんに目配せした。

「管狐なんぞ、この世にはおらん」


 そして「この世には、不思議なことなんて何も無いんですよ。お嬢さん」と有名な憑き物落としの名探偵のセリフをパクった。


 僕が「加持さん? パクるという動詞は、ドイツ語の包む『パッケン』から来たんですよね?」と混ぜ返すと、白竜翁は

「諸説あります」

と澄まして応えた。

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