第96話 最強の『インサイダー』
淵晶帝とドミニエフによる、悪魔的な契約が成立し、その余韻がまだ冷めやらぬ中。
帝都直通高速転移陣の、黄金と宝石で彩られた制御室は、もはや祝勝会場と化していた。
「ニキィィィィィィ! やりましたな! 我々はついに、帝国の『非公式なリスク』から、陛下の『公式な共犯者』へと、華麗なるクラスチェンジを遂げましたぞ!彡 ⌒ ミ」
リチェードが、感涙にむせびながらドミニエフの禿頭を拝まんばかりの勢いで叫ぶ。
「しかしニキ! あの女帝、本当に我々を『売る』気ですぞ! まさに『出荷』! 我々は、Arcane Genesis教という巨大な食肉加工業者に、高級ブランド豚として出荷されてしまいましたぞ!彡 ⌒ ミ」
ロドニーが、喜びと恐怖が入り混じった複雑な表情で、コンソールに表示された契約の概要を叩きながら呻く。
「うむ! まさにその通り!彡 ⌒ ミ✨」
ドミニエフは、豪奢な椅子に深く腰掛けたまま、満足げに頷いた。彼の顔には、自らが屠殺場へと向かうことを知っていながら、その屠殺場の株を買い占め、食肉の流通ルートを掌握し、最終的には屠殺場そのものを乗っ取る計画を立て終えた、究極の博打打ちの笑みが浮かんでいた。
「陛下が我々を『売る』という最大の危機を、逆に帝国そのものを『買収』する最大の好機へと転換させたのだ! なんと壮大で、なんと美しい『ハイリスク・ハイリターン』! これこそ、我らが友の会の理念を体現する、至高の『ゲーム』ではないか!彡 ⌒ ミ✨」
その、常人には理解しがたい狂信的なまでの肯定論に、会員たちが「おお…」とどよめいた、まさにその時。
制御室の空間が、何の前触れもなく、インクを垂らした水のように歪んだ。そして、その歪みの中心から、ノキ=シッソ首席補佐官が、まるで最初からそこにいたかのように、にゅるりと姿を現した。
「いやはや、素晴らしい『取引』でしたな、ドミニエフ会長。私も、別室のモニターで拝見しておりましたが、感動で涙がちょちょぎれそうでしたよ」
ノキは、全く感動しているようには見えない、いつもの飄々とした表情でパチパチと拍手をした。
「しかし、困りましたな。会長ご自身も仰る通り、皆様は完全に『売られて』しまいました。淵晶帝陛下、単独の名義で。これは、帝国の資産管理規定上、そして何より、我が主の御庭の管理責任者として、到底看過できるものではありません」
その言葉には、ドミニエフの禿頭すら凍てつかせるような、冷たい圧力が込められていた。
「そこで、私もこの『取引』に一枚、噛ませていただこうかと」
ノキは、優雅な仕草で一本の指を立てた。
「皆様を『出荷』するのは構いません。しかし、その契約書、そして関連する全ての法的手続きは、我が管理下にある『百薬』の者たちが担当させていただくことになりました。先ほど、陛下にも『帝国の資産価値を最大化するための、事務的な最適化』として、ご裁可をいただいたところです」
ノキは、悪びれもせずに言い放った。淵晶帝がドミニエフとの交渉に集中している、まさにその裏で、彼は帝国の官僚機構を動かし、この取引の事務手続きの全権を掌握するという既成事実を、既に作り上げていたのだ。
「そして、その『最適化』の結果、契約主体は『淵晶帝陛下』単独ではなく『利帝国皇室及び天花教団』の共同名義へと、修正させていただきました。陛下の御威光と、我が主の御威光、その両方を背負っていただくことで、皆様の『市場価値』は最大限に高まるでしょう。いわば、これは帝国からの、ささやかな『餞別』というわけです」
「な…なんと! そのような横車を!彡 ⌒ ミ」
ドミニエフが、驚愕に目を見開く。
「「ええ。ですが、これはただの嫌がらせではありませんよ、ドミニエフ会長」
ノキの瞳が、初めて、鋭い光を宿した。
「この『共同名義』という『枷』をはめることで、淵晶帝陛下が一方的に利益を独占することはできなくなります。そして、あなたがたの『出荷』に関する全ての条件交渉の主導権は、事実上、我が天花教団が握ることになる。…その結果として、どうなるかお分かりですかな?」
ノキの言葉の真意を悟り、制御室にいる全員が息を呑んだ。
「あなたがた『友の会』は、現存する亡霊鏡教以外の全ての五大宗教…Arcane Genesis教、塔道築教、そして我らが天花教団の中枢に、深く、広く食い込む『楔』となるのです。」
「Arcane Genesis教には『共同事業者』として。塔道築教には『筆頭株主』として。そして天花教団には『第一の信徒』として。あなたがたは、この宇宙のパワーバランスを内側から支配する、最強の『インサイダー』となる。…私が、そのための『道』を、全て用意して差し上げます」
それは、悪魔の囁きであり、そして、宇宙のあらゆる商取引に干渉出来る可能性を持つ、壮大すぎる計画の提示だった。
「どうです? この『ゲーム』、乗りませんか?」
ノキは、ドミニエフに手を差し伸べた。
「私の目的は、ただ一つ。我が主、醉妖花様と骸薔薇様の御庭が、永遠に安寧で、美しくあること。そのための『害虫駆除』と『土壌改良』、そして、庭全体の『資産価値向上』。後のことは、全てあなたがたにお任せします。どうか、よろしく頼みますよ、我が友ドミニフ」
ドミニエフは、差し出されたノキの手を、両手で、しかし力強く握り返した。その顔には、もはや損得勘定を超えた、同じ魂を持つ者同士の、暗黙の盟約が結ばれたことへの、至上の喜悦が浮かんでいた。
「…お任せを、我が友ノキ殿。その『庭』、我らが黄金の果実で、満たしてみせましょうぞ彡 ⌒ ミ✨」
ドミニエフは、深く、深く頷いた。
「ええ、期待していますよ」
ノキは、にこやかに応じながら、ドミニエフの耳元で、彼にだけ聞こえるように囁いた。
「そして、いつか、あなたがたの『市場価値』が、我が主の御庭にとって最も芳醇に熟した時。その時は、我々が、最高の値であなたがたを『買い戻し』に参ります。その日まで、どうか、ご活躍を」
その言葉に、ドミニエフの全身に、歓喜と畏怖が入り混じった、至高の戦慄が走り抜けた。
「ふふ、それは楽しみですな」
ノキは、満足そうに微笑むと、すっとその姿を掻き消した。
「さて…」
ノキが去った後、ドミニエフは、再び椅子に深く腰掛け、両手を組んだ。その表情は、先ほどまでの興奮が嘘のように、静かで、冷徹なものへと変わっていた。
「聞いたか、諸君。我々の『ゲーム』は、新たなステージへと移行した。首席補佐官様から、最高の『舞台』と、最高の『脚本』が提供されたのだ。我々は、もはやただのプレイヤーではない。この宇宙の秩序を書き換える、その『作者』の一人となったのだぞ彡 ⌒ ミ✨」




