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「お母様は悪役令嬢」  作者: 輝く泥だんご
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第95話 『奉仕』

 利帝国の宮殿、その最も格式高い謁見の間は、張り詰めた静寂に支配されていた。


 黒曜石の交渉テーブルを挟み、帝国元首、淵晶帝と、「ハイパーレバレッジ全ツッパ友の会」会長、ドミニエフが対峙していた。淵晶帝の背後にはアイリーンとアランが、ドミニエフの側にはリチェードとロドニーが、それぞれ石像のように控えている。


「…して、回答やいかに、ドミニエフ会長」

淵晶帝が、静かに口火を切った。

「我が勅命、受けるか、受けぬか」


「陛下。我ら『友の会』は、常に『ハイリスク・ハイリターン』を信条としております彡 ⌒ ミ✨」

ドミニエフの声は、驚くほど落ち着いていた。

「Arcane Genesis教との交渉仲介。極めてリスクの高い案件です。陛下ほどの御方が、そのリスクを承知の上で、我々を『駒』としてお使いになろうとしている。その意味を、我々は理解しております彡 ⌒ ミ✨」


「面白いことを言う」

淵晶帝の口元に、氷のような笑みが浮かんだ。

「ならば、そのリスクに見合うだけの『リターン』を、お主は望むと。申してみよ」

ドミニエフは、最初の二つの提案――転移陣の運営権と、地下資源を含むインフラの共同開発――を提示した。淵晶帝は、彼の意図を探りながらも、表向きはそれを合理的な取引として受け入れ、一部を修正し、合意する。


 謁見の間には、互いが互いの腹を探り合う、静かな緊張が満ちていた。

「では、最後の提案です、陛下彡 ⌒ ミ✨」

ドミニエフは、姿勢を正した。ここからが、本番だ。

「Arcane Genesis教との交渉、それは表向きの議題。真の目的は、彼らが持つ、ある特定の『情報』の入手にあると、我々は推察しております。すなわち…『探し人』、そして、『ローラ』という個体に関する、全ての情報彡 ⌒ ミ✨」


 淵晶帝の表情は、変わらない。仮面のように完璧な無表情。


 しかし、ドミニエフは続けた。その声は、静かだが、相手の心の臓を直接掴むような、鋭利な響きを帯びていた。

「そして、陛下は、その『情報』以上のものを求めておられる。陛下は、我々『友の会』を、Arcane Genesis教に本気で『売り渡す』おつもりでしょうな彡 ⌒ ミ✨」


 アイリーンとアランの背筋に、緊張が走る。


 ドミニエフは、淵晶帝の動揺を意にも介さず、冷徹に言葉を紡ぐ。

「我々を『金の卵を産む雌鶏』として売りつけ、その対価として、Arcane Genesis教との間に、単なる国交以上の、彼らと共に歩む道を築こうと…違いますかな?彡 ⌒ ミ✨」

それは、淵晶帝の最も深く、そして最も非情な戦略を、白日の下に晒す言葉だった。


 しばらくの、息が詰まるほどの沈黙。


 やがて、淵晶帝の唇から、氷が砕けるような、乾いた笑い声が漏れた。

「ククク…あはははは! 見事だ、ドミニエフ会長。実に、見事な洞察力よ」

 彼女は、初めて、仮面を脱ぎ捨てた。その顔には、隠しようのない感嘆と、そして、同類の危険な獣を見つけた時のような、獰猛な喜色が浮かんでいた。


「そうだ。私は、お主たちを売る。売って、Arcane Genesis教という巨大な『花』の、その蜜を得ようと思っていた。それが、醉妖花を手に入れるための、最も確実な道だと考えたからだ」

彼女は、自らの非情な計画を、あっさりと認めた。


「そして、お主は、その全てを理解した上で、今、私の前に座っている、と。つまり、お主にも、そのリスクを呑んで余りある『リターン』の目算があるわけだ」

淵晶帝は、ドミニエフを、もはや単なる「駒」ではなく、対等な「プレイヤー」として見つめた。


「御明察、痛み入ります彡 ⌒ ミ✨」

 ドミニエフは、恭しく頭を下げた。

「陛下が我々を『売る』というのなら、我々は、その『売値』を、我々自身で最大限に吊り上げさせていただきます。そして、その取引によって陛下が得るであろう『利益』からも、正当な『手数料』を頂戴する。それが、我々の提示する、この度の確定した『取引』です彡 ⌒ ミ✨」


「そして我々は、陛下の計画に、喜んで乗りましょう。我々の命と、GoldenRaspberry教の未来を、この交渉のテーブルに賭ける。その代わり、陛下。もし我々、否、Arcane Genesis教が、陛下にとっての醉妖花様という至上の『利益』のため、この利帝国そのものですら『売り渡す』という選択を迫ったならば…」


 ドミニエフの瞳が、黄金の光を放った。


「その時は、我々が、Arcane Genesis教の『代理人』として、陛下の帝国を、我々が算定する価格で『買い叩かせて』いただきますぞ。これもまた、陛下の御望みを円滑に叶えるための、我々なりの『奉仕』ですな彡 ⌒ ミ✨」


それは、究極の悪魔の契約であり、そして究極の牽制だった。


互いが互いを裏切り、互いが互いの全てを食い尽くす可能性を認め、その上で協力関係を結ぶという、狂気の合意。


淵晶帝は、玉座に深く身を沈め、恍惚とした表情で、ドミニエフを見つめた。

「…よかろう。その『取引』、乗った」

彼女の声は、もはや為政者のそれではなく、自らと同じ魂を持つ、危険な遊戯の相手を見つけた喜びに打ち震えていた。


「存分にやってみせよ、ドミニエフ。お主が、私の期待を超える『リターン』をもたらすことを、楽しみにしている」


「光栄の至りですな、陛下彡 ⌒ ミ✨」

 

 ドミニエフは、満面の笑みを浮かべ、これ以上ないほど深く、恭しく頭を下げた。

 

 その禿頭が、謁見の間の照明を反射し、まるで悪魔との契約書に署名するインクのように、ぬらりと輝いた。


 八十八重宇段大天幕、第十七天幕。


 その中枢指令室は、先ほどまでの激務が嘘のような、静かで平和なティータイムに包まれていた。セージが淹れた、鎮静効果と疲労回復効果のあるハーブティーの香りが、室内にふわりと漂っている。

中央の巨大ホログラムには、アイリーンたち「集いし星」からの定期報告の通信ウィンドウが、静かに表示されていた。


『――以上が、淵晶帝陛下と、ドミニエフ会長との会談の概要だ』


 画面の向こうで、アイリーンが淡々と報告を締めくくった。その表情は、近衛としての務めを果たしただけの、ごく事務的なものだった。


通信が終了した、次の瞬間。



「ありえないいいいいいいいいいいいっ!!」


 ミントの絶叫が、第十七天幕の静寂を木っ端微塵に打ち砕いた。

彼女は、それまで首席補佐官代理(仮)としての威厳を保っていた椅子から転げ落ち、床の上で頭を抱えてゴロゴロと転がり始めた。


「なんなんだなお、あのハゲとあの女帝は! 思考回路がイカれてるんだなお! 『互いを売り渡すことを前提とした協力関係』!? そんなの、ただの『あれ、気が付いたら事象の地平線越えちゃった。てへぺろロケット号』じゃないか! あたしもうヤだ! 首席補佐官代理なんて辞めて、ローラちゃんの直属のネリウムの子になって、『それなりにハードモードで済むかも』な余生を過ごしたいんだなーーーっ!!」


 緑の羽をバタバタさせながら、床を転げ回るミントの姿に、他の「百薬」のメンバーたちも、それぞれがそれぞれの形で、のたうち回っていた。


「理解不能…理解不能です…!」

サフランは、自慢のデキる女メガネを外し、レンズクロスで何度も、何度も拭いている。しかし、メガネが曇っているのではなく、彼女自身の論理回路が、この非合理的な決定によってショート寸前なのだ。


「なぜ…なぜ、自らの命と組織の未来をチップに、ポーカーをするような合意が成立するのですか…! 確率論は!? リスクヘッジは!? 帝国の安定という至上命題はどこへ行ったのですか!」


彼女は、ブツブツと呟きながら、自分の頭をコンソールにゴンゴンと打ち付け始めた。


「まあ、落ち着きなさい、サフラン」

 カモミールが、珍しく青ざめた顔で、そんなサフランをなだめている。しかし、彼女自身の手も、ティーカップを持ったまま、カタカタと小刻みに震えていた。


「これはもう、政治とか、戦略とか、そういう次元の話ではないわね…。例えるなら、『毒を以て毒を制す』という治療法を試すために、患者の体内で、二種類の未知の猛毒を同時に培養し始めたようなものよ。私たち『百薬』の理念とは、真逆だわ…」


「それ、ただの医療事故じゃない」

ローズマリーが、顔面蒼白でツッコミを入れる。

「しかも、その『患者』は帝国そのもので、私たちはその『主治医』よ? もう、辞表を書いて、どこか遠い星でのんびりハーブでも育てたい…」


そんな阿鼻叫喚の中、一人だけ、セージが不思議そうに首を傾げていた。

「でもぉ、なんだか、とっても楽しそうじゃなかったですかぁ? 淵晶帝様も、ドミニエフ様も」


その、あまりにも純粋な一言が、混沌とした指令室に、一瞬の静寂をもたらした。


「…そう、なのよ、セージちゃん…」

床の上で大の字になっていたミントが、力なく応える。

「あの二人、多分、本気で『楽しんでる』んだなお…。自分たちの命も、帝国の未来も、全部賭け金にして、宇宙で一番イカれた『ゲーム』を…。そして、それを遠くから眺めて、ほくそ笑んでいるド変態が、もう一人…」


 ミントの脳裏に、この状況を「有益なデータ」として分析しているであろう、主人の飄々とした顔が浮かび、胃に激痛が走った。

「うう…胃薬…胃薬はないかなお…? あ、あたしたちが『百薬』だった…」

ミントは、よろよろと立ち上がると、自らの机の引き出しから、特製の精神安定剤と強力な胃腸薬を取り出し、水なしで一気に呷った。


「…ふぅ。よし」

薬が効いてきたのか、ミントは、少しだけ正気を取り戻した。


「みんな、聞いて。もう、あの狂人たちの思考を理解しようとするのは、やめましょう。時間の無駄だわ」


 彼女は、パン、と両手を打ち、仲間たちの注意を引いた。


「私たちの仕事は、あのイカれたプレイヤーたちが、どんな無茶苦茶な『ゲーム』をしようとも、この帝国という『ゲーム盤』そのものが、ひっくり返らないように管理すること。それだけよ」

ミントの言葉に、のたうち回っていたサフランたちも、少しずつ落ち着きを取り戻していく。


「誰が誰に何を売り渡そうと、それは彼らの勝手だなお」

ミントは、どこか吹っ切れたような表情で言った。

「私たちは、ただ、その結果として生じるであろう、ありとあらゆる『最悪の事態』を予測し、そのための対策を、淡々と、そして完璧に、準備する。たとえ、首席補佐官様が、その対策ごと、さらに面白い『イベント』の材料にしたとしても、なお!」


 それは、もはや諦観であり、そして、帝国の頭脳集団としての、究極のプロフェッショナリズムだった。

「さあ、仕事に戻るなお!」


ミントが檄を飛ばす。

「まずは、『淵晶帝、ドミニエフ会長に暗殺される』パターンから、『帝国、なんだかんだで亡霊鏡教により滅亡する』パターンまで、全ての可能性に対応する緊急時行動計画コンティンジェンシープランを、今から策定する!」


「「「「はい(ですぅ)!!」」」」


 サフランのメガネが再び輝きを取り戻し、カモミールとローズマリーの指がコンソールの上を舞い始める。セージは、みんなのために、新しいお菓子と、今度はもっとカフェインの強いお茶を淹れに立った。


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