第80話 小さな希望の光
帝都、ネリウム支店。窓の外には、再建が進む街並みと、夜空に不気味な輝きを放つ「帝都直通高速転移陣」が見えている。室内は、ミントの趣味なのか、あるいはノキ・シッソの指示なのか、機能性と装飾性が奇妙なバランスで同居した調度品で整えられていた。
「ふぅー、新生アラビリス帝国の行政システムと利帝国の行政システムとの統合、七割完了ってとこかな」
ミントは、山積みになった魔法紙の書類の山に埋もれながら、大きく伸びをした。傍らには、空になった栄養ドリンクの小瓶がいくつも転がっている。
「ミント様、あまりご無理をなさらないでください。こちらの報告書のチェックは私が代わります」
ミントの補佐として帝都に残っていたネリウムの娘の一人、リラが心配そうに声をかける。
「ありがとな、リラちゃん。でも、これはあのド変態首席補佐官からの『親展』扱いだもんな。私が見ないと後が怖いんだなお…」
ミントはげっそりとした表情で、新たな書類の束に手を伸ばす。その内容は、主に「帝都直通高速転移陣」のさらなる機能拡張と、それに伴うリスク管理、そして「ハイパーレバレッジ全ツッパ友の会」への支援に関するものであった
「それにしても、あのハゲ共…もとい、『友の会』の連中、本当に何をしでかすか分からなおいな」
ミントは、窓の外の転移陣を忌々しげに見つめる。
「ドミニエフとかいう会長、阿保ノキ首席補佐官と意気投合しちゃってるしな。類は友を呼ぶとはこのことだなお」
「確かに、転移陣から時折漏れ出す異質なエネルギーは気になりますね。先日も、塔道築教の主聖都と接続テストを行った際、一時的に制御不能になりかけたとか…」
リラも、懸念を隠せない様子で報告する。
ミントは頭を抱え、キリキリと痛む胃を押さえた。ミントの脳裏に、赤い砂漠を旅する醉妖花とローラの姿が浮かぶ。
「醉妖花様とローラ様、今頃ルビークロスで冒険の真っ最中かな。羨ましいな…私もお使いとかお掃除とか、そういう平和な依頼がしたいなお…」
彼女は小さく溜め息をついた。
その時、ミントの執務室に設置された、ミント直通の特殊通信端末が、けたたましい警告音と共に激しく明滅を始めた。それは、最優先かつ最高機密レベルの通信が入ったことを示す合図だった。
「なんだなお!? このタイミングで!」
ミントは慌てて端末に駆け寄り、表示されたコールサインを確認する。
「…ほたるちゃん!? あの子からこんな緊急通信なんて、何があったの!」
ほたるは、ノキ・シッソの指示で、五大宗教の一つ、亡霊鏡教の監視任務についていたはずだ。普段なら、こんな形での連絡はあり得ない。
ミントは緊張した面持ちで通信を接続する。ホログラムスクリーンに、ほたるの姿が映し出された。その表情はいつもの軽薄さを失い、焦燥と怒りに染まっていた。彼女の背後では、何かの戦闘の余波なのか、空間が歪み、時折閃光が走っている。
「ミント! 大変だ! 亡霊鏡教の奴らが、ルビークロスに総攻撃を仕掛けやがった!」
ほたるの声は、切迫していた。
「奴ら、醉妖花様とローラ様を…『探し人』を直接狙ってる! しかも、Arcane Genesis教のステルス艦隊を鹵獲して使ってやがる! 醉妖花様の守りがあるとはいえ、惑星内部に直接『魂喰らいの祭壇』を複数降下させて、各地で住民の魂を狩りまくってるんだ!」
「な…なんですってーーー!!?」
ミントの緑羽が、驚愕と怒りで逆立った。
「あの死体愛好家ども、ついに狂ったかな! Arcane Genesis教の戦闘艦まで使うなんて!」
「リラちゃん! 今すぐ帝都の全戦力に通達! 目標、ルビークロス! ネリウムの子たちにも、戦闘準備と転移陣への集合を指示するんだ!」
ミントは、リラに矢継ぎ早に指示を飛ばす。
「ほたるちゃん! あなたは今どこ!? すぐに撤退して、帝都で合流するんだ!」
「それが…もう…囲まれちまっててな...でも、こいつらぶっ倒して、すぐにそっちに戻る! あの変態首席補佐官の命令とはいえ、こんな所で死んでたまるかよ!」
ホログラムの映像が激しく乱れ、ほたるの勇ましい声と共に、彼女がⅢ両刃双の大鎌を振るう姿が一瞬映し出された。そして、
「ミント! 月跡! あとは頼んだぞ! 醉妖花様とローラ様を絶対に守れよ!」
プツン、と通信が途絶えた。スクリーンには、ただ「SIGNAL LOST」の文字が冷たく表示されるだけだった。
「ほたるちゃん!!」
ミントは絶叫した。しかし、応答はない。
「くっ…あのド変態野郎! ほたるちゃんにまで、どれだけ危険な任務を押し付ければ気が済むんだ!!」
ミントの瞳に、怒りと、そして仲間を気遣う涙が滲む。
だが、感傷に浸っている時間はなかった。
「リラちゃん、状況は!?」
「は、はい! 帝都の防衛艦隊、及び『ハイパーレバレッジ全ツッパ友の会』の私設艦隊には出撃準備命令を発令済みです! ネリウムの子たちも、転移陣前に集結を開始しています!」
リラの報告は迅速かつ的確だった。
「よし…!」
ミントは唇を噛み締め、決意を固めた。
「月跡ちゃん! 聞こえる!? 大変なことになってるわ!」
ミントは、執務室の扉を蹴破らんばかりの勢いで飛び出し、月跡がいるであろう部屋へと向かって叫んだ。
月跡の部屋の扉の前で荒い息をつきながら、ミントは思念で状況を伝達した。ほたるからの緊急通信、亡霊鏡教のルビークロスへの奇襲、Arcane Genesis教のステルス艦隊の悪用、そして醉妖花とローラに迫る危機。その全てを、瞑想から覚めたばかりの月跡は瞬時に理解した。
月跡の表情は変わらない。しかし、その瞳の奥で、絶対零度の炎が静かに燃え上がった。
「…なるほど。亡霊鏡教、随分と大胆な真似をしてくれるわね」
月跡の声は、感情を排したように平坦だったが、その奥には底知れない怒りが込められていた。
「ミント、あなたはネリウムの子たちと帝都の戦力を率いて、転移陣経由でルビークロスへ向かいなさい。可能な限り迅速に、そして最大限の戦力で。ただし、あなたの判断で、転移陣の暴走だけは絶対に避けること。あの「友の会」の連中が何を仕出かすか分からない。帝都を巻き込むような事態になれば、それは醉妖花様の望むところではないわ」
「分かった! あのハゲ共の暴走は、私が責任を持って止めてみせるなお!」
ミントは力強く頷いた。
「私は、一足先にルビークロスへ向かうわ。ほたるの安否も気になる。そして、何よりも…醉妖花様とローラ様の安全を確保しなければならない」
月跡は静かに立ち上がった。彼女の周囲の銀色の粒子が、まるで意志を持ったかのように集まり、彼女の身体を包み込んでいく。
「ミント、あなたは指揮官として、冷静さを失わないこと。あなたの采配が、この戦いの趨勢を左右するかもしれないわ。そして…決して無理はしないで」
月跡は、ミントの肩をもう一度優しく叩くと、その姿は銀色の光と共に掻き消えた。彼女は、空間跳躍の予備動作も、何の前触れもなく、ただ「存在」の位相を変化させるかのように、帝都からルビークロスへとその身を転移させたのだ。残されたのは、部屋に満ちる月光のような清浄な香りと、ミントの胸に灯った小さな希望の光だけだった。
「…月跡ちゃん…」
ミントは、月跡がいた空間を見つめ、呟いた。そして、すぐに顔を上げ、その瞳に決意の炎を燃やす。
「よし! リラちゃん、聞こえるなお!? 全軍に通達! 目標はルビークロス! これより、ネリウム支店及び帝都防衛の全権は、このミントちゃんが掌握するなお! あのド変態の阿保には、後で骸薔薇様よりお説教だなお!」




