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「お母様は悪役令嬢」  作者: 輝く泥だんご
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第76話 私の『庭』

  ヴィクターからもたらされた情報によれば、亡霊鏡教の活動は、この星の複数の地点で確認されており、その中でも特に強力な力の残滓が観測される廃墟の都市があるという。


その廃墟の都市は、かつて「虚無の亀裂」と後に呼ばれることになる現象によって、一瞬にしてその姿を消したと記録されていた。そして、その亀裂が閉じた跡地には、不可解な地下空洞への入り口が残されたと。


 醉妖花とローラは、その禁断の地へと、静かに歩を進めていた。彼女たちの目的は、亡霊花ヶの力の源流、そして「大いなる虚無」の謎に迫ることであった。


 虚無の亀裂が消え失せた跡には、赤い砂漠の大地にぽっかりと暗い孔が開いていた。そこから漏れ出す気配は、先ほどまでの圧倒的な「無」とは異質であった。古く、深く、そしてどこか星の芯から響いてくるような、悲しみを帯びた強大な何かが、二人を静かに招いているかのようだった。


 醉妖花は、その孔の縁に立ち、しばし無言で奥の暗闇を見つめていた。彼女の青い瞳は、常よりもさらに深い色を湛え、容易には読み解けない思索の光を宿している。その立ち姿には、先ほどの「虚無」の奔流との対峙による消耗など微塵も感じさせない、絶対者としての静謐な威厳があった。


「…行くわよ、ローラ」

やがて、醉妖花は短く告げた。その声には、揺るぎない確信だけが響いていた。

ローラもまた、黒曜星の刃を携え、静かに頷く。彼女の「観測者」としての感覚が、この地下深くから響いてくる未知の波動の特異性を捉えていた。それは、明確な敵意というよりも、むしろ宇宙の法則そのものが歪んでいるかのような、根源的な異常を示唆していた。


 二人は、吸い込まれるように、その暗がりへと足を踏み入れた。醉妖花の周囲からは、彼女自身の存在が放つかのように、淡く柔らかな光が溢れ出し、足元を照らし出す。

通路は、滑らかな黒曜石で覆われ、途方もない時間をかけて磨き上げられたかのように見えた。空気はひどく乾燥し、完全な無音。ただ、先ほどから感じている、あの古く強大な気配だけが、その密度を増していく。


 どれほどの深さまで降りたのだろうか。通路は不意に終わりを告げ、二人の眼前に、信じられないほど広大な地下空洞が広がった。ドーム状の天井は見上げるのも困難なほど高く、その空間全体が、まるで夜空を封じ込めたかのように、無数の微細な光の粒子で満たされていた。それは星々ではなく、この惑星の生命エネルギーそのものが凝縮し、可視化したもののようだった。


 そして、その広大な空洞の中心に、それは鎮座していた。


 巨大な、黒水晶とも見紛う漆黒の柱。その表面は鏡のように滑らかで、周囲の光の粒子を吸い込んでは、内部で複雑な紋様を描きながら明滅させている。それは、生きているかのようであり、同時に、宇宙の創生以前から存在していたかのような、絶対的な静寂と威厳を放っていた。


「…これが、この地の…」

 ローラは息をのんだ。


「ええ。この廃墟の呪詛の源泉、そして、亡霊花ヶの力の残滓が凝縮した『何か』ね」

醉妖花は、黒い柱から視線を外さずに、静かに、しかし事象を事象として捉えるかのように淡々と告げた。


「そして、その残滓が、この柱」

 彼女の言葉を裏付けるかのように、黒い柱の表面に、いくつもの禍々しい紫黒色の紋様が浮かび上がり始めた。それは、まるで柱そのものを蝕む病巣のように、じわじわとその範囲を広げ、柱全体の輝きを曇らせていく。そして、その紋様からは、紛れもない亡霊花ヶの力の残滓――「虚無」の波動が、微弱ながらも確実に放出されていた。


「少し、お掃除が必要かしら」

醉妖花の言葉は、まるで庭の手入れをするかのように軽やかだった。彼女はゆっくりと一歩前に進み出ると、その両手を広げた。


「ローラ、少し下がっていて。ここからは、私の『庭』よ」


 その瞬間、醉妖花の周囲の空気が一変した。彼女の足元から、無数の、しかしそれぞれが異なる色彩と芳香を放つ、見たこともない花々が、まるで意思を持ったかのように咲き乱れ始めた。それらの花々は、黒曜石の床を突き破り、壁を覆い尽くし、瞬く間に広大な地下空洞全体を、色とりどりの花畑へと変貌させていく。それは、八十億の軍勢の魂を自在に操り、その存在定義すら書き換えてみせた彼女の力の、ほんの戯れに過ぎなかった。

 

 黒い柱に浮かび上がった紫黒色の紋様は、醉妖花の花々の圧倒的な生命力と聖なる芳香に触れ、まるで陽光に晒された闇のように、その侵食を止め、逆に急速に消滅を始めた。紋様からは、甲高い不協和音が響き渡るが、それもまた、花々の奏でる調和の旋律にかき消されていく。


「自らの意思を持たぬ現象ならば、私の『理』に従うまでよ」

 醉妖花の瞳には、絶対的な支配者の静かな確信が宿っていた。彼女の本質「超越汎心論」にとってはあらゆる全てに心があり、その心を魅了し、束縛する力、たとえ他の天花が創造したものでも逃れることはできない。

 

 彼女が軽く右手を振るうと、無数の花々の中から、ひときわ大きく、そして神々しいまでの純白の光を放つ一輪の巨大な蓮の花が、ゆっくりと黒い柱へと向かって伸びていった。蓮の花が開くと、その中心からは、宇宙の創生にも似た、清浄にして根源的なエネルギーの奔流が放たれる。

 

 紫黒色の紋様は、その絶対的なエネルギーの前に、もはや抵抗らしい抵抗もできず、悲鳴を上げる間もなく、次々と光の中へと融解し、消滅していく。それは、戦いですらなかった。ただ、上位の法則が、下位の無秩序を、あるべき姿へと還しているだけの、宇宙の摂理の顕現。

 

 やがて、黒い柱の表面から、全ての紫黒色の紋様が消え失せ、柱は元の静かで力強い輝きを取り戻した。地下空洞を満たしていた亡霊花ヶの力の残滓も、完全に浄化され、色とりどりの花々の芳香と、清浄な生命エネルギーだけが満ちていた。


「…すごい…」


 ローラは、ただ呆然と、その光景を見つめていた。これが、醉妖花の真の力の一端。彼女が本気になれば、星の理すら書き換え、現象そのものを支配するという事実。


「ふう。これで、この柱に巣食っていた残滓は綺麗になったわね」

醉妖花は、何事もなかったかのように、軽く息をついた。周囲に咲き乱れていた花々は、再び彼女の足元へと収束し、まるで幻であったかのように消えていく。


「でも、根本的な解決にはなっていないわ。亡霊花ヶの本体、そして『大いなる虚無』の謎を解き明かさない限り、また同じようなことが繰り返されるでしょうから」

彼女は、再び黒い柱へと向き直った。その瞳には、先ほどの絶対的な力を行使した支配者の威厳と、そして、この宇宙の深淵なる謎への、尽きることのない探求心が同居していた。


「ローラ、行きましょう。この柱が、あるいはこの地下空洞そのものが、私たちに何かを教えてくれるかもしれないわ」


 二人が黒い柱へと近づこうとした、その時だった

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