第73話 それぞれの本質
「お帰りなさいませ、醉妖花様、ローラ様!」
エレーラが、駆け寄ってくる。
「Arcane Genesis教の者は…?」
「話はついたわ。一時的にではあるけれど、手出しはしないでしょう」
醉妖花は、天花たちを安心させるように微笑んだ。
「それよりも、重要な情報を得たわ。亡霊花ヶについて、そして、私たちが次にとるべき行動について」
醉妖花は、ヴィクターから得た情報を天花たちに共有した。亡霊花ヶの恐るべき力、その分体の存在、そして、それに対抗しうる可能性。天花たちの顔には、再び緊張の色が浮かぶ。
「我々に…何ができるというのですか…」
セレフィナが、代表して問いかけた。
「あなたたち天花の力と、この聖域の力は、亡霊花ヶの『死』と『絶望』に対抗する、強靭な『生命力』と『希望』の源となり得るわ」
醉妖花は、力強く言った。
「そして、エレーラ。あなたには、その中心となってもらう」
「わらわが…?」
エレーラは、戸惑いの表情を浮かべる。
「ええ。あなたは、この星の天花たちを束ね、聖域の力を最大限に引き出す鍵となる。そして、ローラ」
醉妖花は、ローラへと向き直った。
「あなたの『観測者』としての力が、その未来を確定させる。私たちは、この星を、亡霊花ヶの手から完全に守り抜くのよ」
ローラの瑠璃色の瞳が、決意の光を湛えて輝いた。彼女たちの新たな戦いが、今、始まろうとしていた。それは、単なる防衛戦ではない。この星の未来を、そして、そこに生きる全ての生命の運命を賭けた、希望の戦いだった。
その頃、遥か彼方の宇宙、Arcane Genesis教の拠点の一つでは、ヴィクター・フェイザーからの報告が、評議会へと届けられていた。
「…対象Z、及び対象Y、極めて特異かつ強力な『花』。亡霊花ヶへの対抗勢力となり得る可能性。引き続き観測を推奨…」
報告を受けた評議会のoverrankerたちは、それぞれの思惑を胸に、新たな『花』の出現を静かに受け止めていた。宇宙の『調和』は、新たな局面を迎えようとしていた。
ドノヴァン邸の門を背に、ヴィクター・フェイザーは静かに佇んでいた。その観測機器は、先ほどまで醉妖花たちがいた『原初の泉』の方向へと向けられている。彼の内部では、膨大な量のデータが処理され、Arcane Genesis教のネットワークへと送信され続けていた。亡霊花ヶの干渉、醉妖花の『超越汎心論』、そしてローラの『観測』。それらは、既存のいかなる『花』とも異なる、未知の可能性を秘めた現象だった。
「…特異点。あるいは、新たな宇宙の秩序の萌芽か」
ヴィクターの合成音声が、人気のない赤い砂漠に虚しく響く。彼の任務はルビークロスの『制圧』。しかし、評議会の一部、特にQuartz Gestaltやリゼビアが彼に期待するのは、単なる命令の遂行ではない。この宇宙に起こりつつある『変化』の観測、そして、その変化への能動的な関与。
彼はゆっくりと歩き始めながら、自身の機体『False Harbinger』の姿へ移行した。交渉は成立したが、それは嵐の前の静けさに過ぎない。次に彼がシッソの名で動く時が来るならば、それは多くの天花達の運命を、あるいは宇宙の『調和』を左右する選択となるだろう。
聖域の『原初の泉』。赤い結晶が放つ柔らかな光が、洞窟全体を神秘的に照らし出している。先ほどの激しいエネルギーの衝突と、それに続く守護の理の編纂による疲労は、まだ天花たちの間に色濃く残っていた。しかし、それ以上に、安堵と、微かな希望の光が彼女たちの表情を照らしていた。
醉妖花は、湖畔に腰を下ろし、青く澄んだ水面を静かに見つめていた。その隣にはローラが座り、エレーラやセレフィナたちも、少し離れた場所で息を整えている。執事バステは、変わらず主、エレーラの傍らに控え、周囲への警戒を怠らない。
「…本当に、大丈夫なのでしょうか」
最初に沈黙を破ったのは、銀髪の天花セレフィナだった。彼女の声には、まだ不安の色が滲んでいる。
「亡霊花ヶの干渉は退けたとはいえ、彼らがこの星を諦めたとは思えません。それに、Arcane Genesis教の者まで…」
「セレフィナの言う通りじゃ」
エレーラも、まだ顔色が優れない様子で頷いた。
「我らは教主様を失い、多くの同胞も亡者と化した。この聖域だけでは…」
「だからこそ、動くんだ」
醉妖花は、静かに立ち上がり、天花たちへと向き直った。その瞳には、先ほどの神々しさとは違う、確かな決意の光が宿っている。
「守りを固めたのは、時間を稼ぐため。そして、反撃の準備をするためだよ」
「反撃…?」
天花たちの間に、再び動揺が走る。
「ええ」
醉妖花は頷く。
「亡霊鏡教、そしてその背後にいる亡霊花ヶ。彼らの狙いがこの星だけとは思えない。そして、Arcane Genesis教も、ただ観測するだけで終わるとは限らない。放置すれば、いずれまた脅威となる。ならば、こちらから仕掛ける」
「しかし、どのように…?」
セレフィナが問う。
「まず、情報が必要だ。亡霊鏡教の現在の動向、亡霊花ヶ本体に関するさらなる情報、そして、Arcane Genesis教の真の目的。それらを知らなければ、効果的な反撃はできない」
醉妖花は、洞窟の壁に描かれた古代の壁画へと視線を移した。そこには、かつて天花たちが、未知の脅威と戦ったであろう場面が描かれていた。
「エレーラ、セレフィナ。君たちCrimsonSand教には、古代からの記録や知識が残っているはずだ。亡霊花ヶや、あるいは他の五大宗教に関する伝承は?」
エレーラとセレフィナは顔を見合わせた。
「古い伝承ならば…」
セレフィナが記憶を探るように話し始めた。
「『鏡に映る虚無の花、触れれば魂ごと喰らう死の影』といった記述があります。亡霊花ヶのことでしょう。また、『星を渡る鉄の巨人、万物を識ろうとする探求者』という言葉も…これは、Arcane Genesis教を指しているのかもしれません」
「『鉄の巨人』…ヴィクター・フェイザーのことかしら」
ローラが呟く。
「ふむ、『識ろうとする探求者』ね。ヴィクターの言動とも一致するわね。彼らは『観測』と『理解』を重視している。では、亡霊鏡教については?」
醉妖花がさらに問う。
「亡霊鏡教については…『死者の軍勢を率い、生者を鏡写しの亡者へと変える』と。そして、『その力は、星々の悲鳴を糧とする』とも…」
エレーラの声が震える。姉が手を組もうとした相手の、おぞましい本質を改めて突きつけられたからだ。
「ありがとう、エレーラ、セレフィナ。断片的な情報だけど、役には立つわ」
醉妖花は頷いた。
「亡霊花ヶはやはり『死』と『絶望』を力に変える。そして、Arcane Genesis教は『知識』と『理解』を求める。それぞれの本質が見えてきた」
「では、具体的にどうするの?」
ローラが尋ねる。
「二手に分かれましょう」
醉妖花は即断した。
「私とローラは、この聖域を離れ、情報収集と、可能ならば亡霊鏡教の拠点のいくつかを叩く。ヴィクター・フェイザーの動向も探りたい」
「えっ!? わらわ達を置いていくのか!?」
エレーラが驚きの声を上げる。
「君たちには、もっと重要な役目があるんだよ」
醉妖花は、エレーラとセレフィナ、そして他の天花たちを見つめた。




