第72話 奇妙な協力関係
「ふむ…」
醉妖花は顎に手を当て、考える素振りを見せた。Arcane Genesis教の情報、特に亡霊花ヶや他の五大宗教に関する情報は魅力的だ。しかし、彼らの真意は読めない。
「条件次第では考えてもいいわ。ただし、私たちを『観測対象』として見下すような態度は許さない。対等な立場での交渉を望む」
「承知した。では、具体的な条件については、場所を変えて協議したい。この聖域は、貴殿らにとって有利な場であり、公平な交渉には適さない」
ヴィクターは、周囲の環境が醉妖花たちに力を与えていることを正確に分析していた。
「いいでしょう。ただし、場所はこちらが指定させてもらうわ。それと、交渉の間、貴方の戦闘形態への変形及び武装機能の完全な停止を保証してもらう」
醉妖花の提示した条件は厳しい。しかし、ヴィクターは、わずかな間を置いて、
「…了承する」
と答えた。彼の判断は、評議会の命令よりも、目の前の未知なる『花』への興味と、リゼビアやQuartz Gestaltが示唆した『変化』への期待に基づいていたのかもしれない。
「決まりね」
醉妖花は微笑んだ。
「エレーラ、セレフィナ、皆、少し待っていてくれる? ローラ、一緒に行きましょう」
「え、わらわ達は…?」
エレーラが不安そうに尋ねる。
「大丈夫。ここはもう安全だよ。それに、すぐに戻ってくる。Arcane Genesis教との交渉は、この星の未来にとっても重要なことだからね」
醉妖花はエレーラを安心させるように言うと、ローラと共に赤い結晶の門へと向かった。
門の外では、ヴィクターが人型の姿のまま静かに待機していた。
「交渉場所は…そうね、ドノヴァン邸にしましょうか。あそこなら、落ち着いて話ができるでしょう」
醉妖花が提案すると、ヴィクターは無言で頷いた。
「さて、行きましょうか」
醉妖花は、空間跳躍の準備を始めた。今度は、彼女自身の力と、ローラの『観測』だけが頼りだ。
「ローラ、お願いできる?」
「ええ」
ローラは頷き、再び瞳に瑠璃色の光を宿らせる。目標地点はドノヴァン邸。先ほどまでいた場所。彼女の『観測』が、跳躍の座標と経路を正確に確定させる。
醉妖花が力を解放し、三人の姿は再び光に包まれ、ドノヴァン邸へと転移した。
ドノヴァン邸の広間。張り詰めた空気の中、醉妖花とヴィクター・フェイザーの間に、危険な均衡を伴う一時的な取引が成立しようとしていた。
「では、ヴィクター・フェイザー。まずは貴方がたArcane Genesis教が持つ、亡霊花ヶに関する情報を開示していただきましょうか」
醉妖花は、交渉の主導権を握るかのように、静かに、しかし有無を言わせぬ口調で切り出した。
ヴィクターは、感情の窺えない合成音声で応じる。
「承知した。我々が観測した亡霊花ヶのデータは多岐にわたる。その活動周期、エネルギー特性、確認されている『呪い』の種類と効果、そして…過去の干渉記録」
ヴィクターの瞳、あるいはそれを模した光学機器が微かに光り、彼の周囲の空間にホログラム状の情報ウィンドウがいくつも展開され始めた。複雑な図形、波形グラフ、そして、かつて亡霊花ヶと接触し、あるいはその犠牲となったであろう文明の記録らしき映像が、無機質に映し出されていく。
「これは…」
ローラは、その膨大な情報量と、そこに垣間見える亡霊花ヶの脅威の大きさに息をのんだ。
「特に注目すべきは、亡霊花ヶの『核』の存在と、その『分花』現象だ」
ヴィクターは、一つのウィンドウを拡大表示する。そこには、先ほどヴィクター自身が遭遇し、そして破壊した黒い花の映像が映し出されていた。
「この『香り花』または『死の花弁』と呼称される分体は、亡霊花ヶの力を限定的に行使し、周囲の生命を汚染、あるいは直接的な『呪い』へと変質させる能力を持つ。そして、この分体は、亡霊花ヶ本体が直接的な影響を及ぼせない領域においても、その意思を代行する」
「つまり、あの聖域への干渉も、この分体の仕業だった可能性があるということね」
醉妖花は、冷静に分析する。
「その可能性は高い。そして、亡霊花ヶ本体は、複数の宇宙、あるいは次元にまたがって存在する可能性が示唆されている。その全貌を把握することは、現状の我々の技術をもってしても困難である」
ヴィクターの言葉は、亡霊花ヶという存在の底知れなさを改めて突きつけるものだった。
「…弱点はあるのかしら?」
醉妖花が核心を突く。
「明確な弱点と呼べるものは確認されていない。ただし、その存在は『死』と『絶望』を糧とする。逆に言えば、強靭な生命力、希望、あるいは…それに類するポジティブなエネルギーに対しては、一定の抑制効果が見られる場合がある。また、その力の根源は『虚無』に近しいものであり、それ故に『存在』そのものを肯定する力、例えば…」
ヴィクターは一瞬言葉を切り、醉妖花と、そしてローラの瞳を捉えた。
「貴殿らのような、世界の理を書き換える、あるいは確定させる程の強力な『存在』の力は、有効な対抗手段となり得る」
「なるほど…」
醉妖花は頷いた。ヴィクターの言葉は、彼女たちの力の重要性を再認識させるものだった。
「情報は受け取りました。次に、私たちが提供する情報についてですが…」
醉妖花は、ローラと視線を交わした。ローラの瞳には、確かな覚悟が宿っている。
「私たちは、ある目的のために旅をしています。それは、この世界、あるいは他の世界に存在する、ある『力』を持つ人物を探し出すこと。そして、その人物の力を借りて、より大きな目的を達成することです」
醉妖花は、ローラの『探し人』としての役割や、自身の太母としての目的については巧みに言葉を濁した。
「『力』を持つ人物… 具体的な情報は?」
ヴィクターは、さらに情報を引き出そうとする。
「それは、現時点ではお答えできません。ただし、その人物の力は、世界の均衡を揺るがす程のものであるとだけお伝えしておきましょう。そして、私たちの目的は、決して世界の破滅を望むものではありません。むしろ…」
醉妖花は、わずかに笑みを浮かべた。
「より美しく、豊かな世界を創造すること、かしら」
ヴィクターは、醉妖花の言葉を分析する。曖昧な表現の中に、彼女たちの底知れない野心と、そして、彼女自身が放つ圧倒的な『美』を感じ取っていた。
「…理解した。貴殿らの情報は、我々のデータベースに記録する。今後の観測対象として、引き続き注視させてもらう」
「ご自由にどうぞ。ただし、過度な干渉は、この取引の破棄を意味するとお忘れなく」
醉妖花の言葉に、ヴィクターは無言で頷いた。
こうして、異質な二つの勢力――醉妖花たちとArcane Genesis教――の間に、奇妙な協力関係が、一時的に結ばれることとなった。それは、互いの目的を達成するための、危険な駆け引きの始まりでもあった。
「さて、ヴィクター・フェイザー。私たちは聖域に戻り、仲間たちと合流します。貴方はどうなさるおつもりで?」
「私は、一時的にこの惑星に留まり、状況を観測する。亡霊花ヶの新たな動き、そして…貴殿らの行動を」
ヴィクターの言葉は、監視を意味するのか、それとも単なる情報収集なのか、判然としなかった。
「そう。では、また会うこともあるかもしれませんね」
醉妖花は、椅子から立ち上がった。
「ローラ、行きましょう」
2人は、ヴィクターを残し、ドノヴァン邸の広間を後にした。再び空間跳躍を行い、聖域へと戻る。
聖域の『原初の泉』。エレーラやセレフィナをはじめとする天花たちは、不安と期待が入り混じった表情で、醉妖花たちの帰還を待っていた。




