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「お母様は悪役令嬢」  作者: 輝く泥だんご
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第71話 取引

 聖域内部では、ローラの力が臨界点に達しようとしていた。彼女の瑠璃色の瞳から放たれる光は、もはや洞窟全体を覆い尽くすほどの勢いとなっていた。黒い触手は、その光に押し返され、亀裂の奥へと後退していく。


「今だよ、醉!」

ローラの叫びが響く。


「ええ!」

醉妖花は、ローラの作り出した一瞬の隙を見逃さなかった。彼女は残る全ての力を解放し、守護の理を完成させる。青白い光が津波のように星全体へと広がり、赤い大地、空、そして人々の心にまで浸透していく。亡霊花ヶの波動は完全に遮断され、星は聖なる光のヴェールに包まれた。


 漆黒の亀裂が急速に閉じ、洞窟には再び静寂が戻った。光の柱はゆっくりと収束し、湖は元の青く澄んだ輝きを取り戻す。


「はぁ…はぁ…」

 ローラは、その場に膝をついた。精神的な消耗は激しく、意識を保つのがやっとだった。


「やった…やったのじゃ…!」

エレーラは、涙ながらに叫び、崩れ落ちた。他の天花たちも、安堵と疲労から、その場に座り込んでしまう。


「お疲れ様、ローラ、エレーラ、そして皆」

醉妖花は、わずかに息を切らせながらも、穏やかな微笑みを浮かべていた。彼女の瞳は、達成感と、仲間たちへの深い感謝で輝いている。

「ローラの力、前回よりもずっと強くなっていたね。見事だったよ」


「えへへ…」

ローラは、鼻血を拭いながら、照れくさそうに笑った。

「これで、この星はひとまず安全だ。亡霊花ヶも、そう簡単には手出しできないだろう」

しかし、安堵したのも束の間、バステが鋭い声で警告を発した。


「醉妖花様、上空に未確認の機影です!」

醉妖花の視線が、鋭く洞窟の入り口――赤い結晶の門へと向けられた。彼女もまた、先ほどから感じていたのだ。強大で、冷徹な、そしてどこか歪んだ美意識を持つ、異質な存在の気配を。

 赤い結晶の門の向こう側、聖域の入り口に、漆黒の戦闘形態『False Harbinger』が静かに着陸した。次の瞬間、その機体は形を変えて縮小し、人型のヴィクター・フェイザーとしてそこに立っていた。機体とパイロットは 完全に一体化しており、形態変化は彼の意思一つで行われる。彼の目は、聖域内部の激しいエネルギーの残滓と、そこにいる異質な存在たち――醉妖花、ローラ、エレーラ、セレフィナを含む天花たち、そして執事バステ――を、冷徹に観察していた。


「Arcane Genesis教… やはり来たか」

 醉妖花は、その気配を即座に感じ取り、静かに呟いた。彼女の声には、警戒と共に、避けられぬ運命を受け入れるかのような響きがあった。


「何者じゃ!ここは聖域、みだりに立ち入ることは許さぬ!」

エレーラが、まだ儀式の疲労が残る身ながらも、毅然としてヴィクターに呼びかける。彼女の背後では、セレフィナをはじめとする天花たちが、警戒態勢をとり、聖域のエネルギーを微かに纏い始めていた。


 ヴィクターは、エレーラの言葉にも表情一つ変えず、無機質な合成音声で応えた。

「Arcane Genesis教所属、A7、ヴィクター・フェイザー。評議会よりの命令に基づき、この惑星、ルビークロスを制圧する」


 その言葉は、聖域の清浄な空気を切り裂くように響いた。制圧――それは、この聖域の破壊をも意味しかねない。


「制圧、ですって?」

ローラは、醉妖花の隣に立ち、ヴィクターを睨みつけた。先ほどの儀式で得た自信と、醉妖花を守りたいという想いが、彼女を突き動かす。彼女の瑠璃色の瞳が、再び微かな光を帯び始めた。

「ふざけないで!ここは私たちの…」


「待って、ローラ」

醉妖花が、ローラの肩に優しく手を置いた。

「相手はArcane Genesis教のAranker。しかも、ただの尖兵ではない。先ほどの亡霊花ヶの干渉と、私たちの儀式を観測していたはず。その上で、なお『制圧』を口にするということは、それなりの覚悟と実力があるはずだ。それとも…」

醉妖花は言葉を切ると、ヴィクターへと視線を向けた。

「何か別の目的があるのかもしれないね」


ヴィクターは、醉妖花の言葉にも動じず、ただ冷静に分析を続けているようだった。

「対象Z、高い知性と洞察力、及び未解析のエネルギー操作能力を確認。対象Y、現実確定能力、再現性及び出力向上を確認。対象E及び集団、特殊な生命エネルギー操作能力を確認…」

彼は、まるで戦闘データを読み上げるかのように、目の前の存在たちの能力を分析し、記録している。


「分析はもう十分でしょう?」

醉妖花は、一歩前に出た。その瞬間、聖域の空気が再び震え、赤い結晶が一層強く輝き始める。彼女の本質が、ヴィクターの存在、そして彼自身である『False Harbinger』のシステムにさえ、干渉しようとしていた。


「この星は、今、私の保護下にある。そして、ここにいる者たちも。引き下がる気がないのなら、実力で排除するまでよ」

醉妖花の言葉には、絶対的な自信と、揺るぎない決意が込められていた。それは、単なる脅しではない。彼女がその気になれば、Arcane Genesis教のArankerであろうと、この場で消滅させることは可能であるという事実の提示だった。


 ヴィクターの動きが、わずかに止まった。彼の思考回路が、醉妖花の放つプレッシャーと、彼女の言葉の真意を分析している。命令は「制圧」。しかし、目の前の存在は、予想を遥かに超える力を持っている。そして、Quartz Gestaltの意向。リゼビアの言葉。

「…『花』の観測と理解は、我らArcane Genesisの使命。貴殿らの存在は、その対象として極めて興味深い」

ヴィクターは、わずかに思考のベクトルを変えた。

「評議会の命令は『制圧』だが、それは最終目標であり、手段は限定されていない。現時点での武力衝突は、双方にとって非効率的と判断する」


「あら、随分と話が分かるのね」

醉妖花は、少し意外そうな表情を見せた。しかし、警戒を解いたわけではない。

「目的達成のため、一時的な『共存』あるいは『情報交換』を提案する」

ヴィクターは淡々と続けた。

「我々は、貴殿らの情報を得る。貴殿らは、我々の持つ情報、あるいは一時的な『不干渉』を得る。合理的な取引と考えるが、如何か?」

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