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「お母様は悪役令嬢」  作者: 輝く泥だんご
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第70話 【観測】

 エレーラは深呼吸をし、再び祭壇の前に立った。今度は、迷いはなかった。彼女は両手を結晶に当て、静かに祈りを捧げ始めた。彼女の額の赤い紋様が、先ほどよりも強く、鮮やかに輝き始める。祭壇の紋様も呼応し、洞窟全体が温かい光に包まれていく。

 エレーラの額の赤い紋様は、祭壇の結晶と共鳴し、洞窟全体を温かく、それでいて荘厳な光で満たし始めた。湖の水面は穏やかに波打ち、水底から立ち昇る光の粒子が、まるで星屑のように空間を舞う。

「始めるのじゃ…」

 エレーラは、目を閉じたまま、古の言葉を紡ぎ始めた。それは祈りであり、呼びかけであり、そして、この星の核たる『原初の泉』への問いかけだった。彼女の声は、最初こそか細く震えていたが、次第に力を増し、洞窟の隅々まで響き渡っていく。

 セレフィナをはじめとする他の天花たちも、エレーラに倣い、それぞれの祭壇の前に立った。彼女たちはエレーラの祈りに心を重ね、自らの天花としての力を解き放つ。銀髪のセレフィナ、燃えるような赤毛の天花、緑水晶のような瞳を持つ天花…個性豊かな彼女たちの力が一つに束ねられ、エレーラの祈りを増幅させていく。赤い結晶の輝きが強まり、湖から立ち昇る光の柱は、天蓋に届くほど太く、力強くなっていった。


「見事だよ、エレーラ、そして皆」

醉妖花は、天花たちの紡ぎ出す純粋なエネルギーの流れを感じ取り、満足げに頷いた。しかし、その表情はすぐに真剣なものへと変わる。

「でも、これだけでは足りない。亡霊花ヶの浸食を防ぐには、もっと根源的な守りが必要だ」

醉妖花は、光の柱の中心へと歩みを進め、両手を広げた。彼女の青い瞳が、宇宙の深淵を映すかのように深く、輝きを増す。

                     【超越汎心論】

彼女の本質が解き放たれる。

醉妖花の声ではない、しかし彼女の意志を乗せた響きが、天花たちの意識、聖域の結晶、湖の水、壁の苔、空気中の粒子、そしてこのルビークロスという星そのものの『心』へと語りかける。


『目覚めなさい。汝らの内に眠る、真の力を』


『この星は、死の祝福の庭ではない。生命を育む、赤き揺り籠であるべきだ』


『我と共に、新たな理を編み上げよう。亡霊の手が届かぬ、清浄なる守護の理を』


 醉妖花の語りかけに、星が応えるかのように、大地が微かに振動した。赤い結晶はさらに輝きを増し、湖の水は黄金色に輝き始める。天花たちの紡ぎ出すエネルギーと、星自身の生命力が融合し、新たな力が生まれようとしていた。それは、この星の法則そのものを書き換え、亡霊花ヶの存在を許さない、絶対的な守護の結界となるはずだった。


 だが、その瞬間。


 洞窟の天井――赤い結晶と岩盤で覆われたはずの空間に、漆黒の亀裂が走った。亀裂は急速に広がり、そこから、凝縮された絶望と死の気配が、まるで汚泥のように流れ込み始めた。

「なっ…!?」

儀式に集中していた天花たちが、その禍々しい波動に気づき、動揺する。光の柱が激しく揺らぎ、黄金色に輝いていた湖の水面に黒い波紋が広がっていく。


「亡霊花ヶ…!直接干渉してきたか…!」

 醉妖花は忌々しげに呟いた。星全体への加護はまだ完成していない。この聖域の中心で儀式を行っている今が、最も無防備な瞬間だったのだ。

亀裂から、黒い霧のようなものが噴き出し、それは徐々に形を成していく。巨大な、ねじくれた茨のような触手が何本も現れ、光の柱を絡め取ろうと伸びてくる。触手の表面には無数の眼球のようなものが浮かび上がり、それらが一斉に醉妖花たちを睨みつけた。その視線は、魂を凍てつかせるような冷たい憎悪に満ちていた。


「くっ…!」

 エレーラが苦悶の声を上げる。亡霊花ヶの直接的な干渉は、天花たちの集合意識を乱し、儀式の維持を困難にさせる。光の柱は明滅を繰り返し、今にも消え入りそうだ。セレフィナたちも必死に抵抗するが、黒い触手の放つ波動は強力で、彼女たちの力を蝕んでいく。

「まずい…力が…!」

醉妖花もまた、眉間に皺を寄せた。守護の理を編み上げる力と、亡霊花ヶの侵食を防ぐ力。二つのベクトルに力を割かねばならず、どちらも中途半端になりかねない。このままでは儀式は失敗し、聖域は亡霊花ヶの手に落ちるだろう。

「ローラ!!」

醉妖花が叫んだ。もはや、託せるのは彼女しかいない。


 ローラは息を吸い込み、意識を集中させた。娼婦として生きた過去、理不尽な世界、そして、醉妖花と出会ってからの目まぐるしい日々。それら全てを乗り越えて、今、彼女は自らの意志でここに立っている。


【観測】する。


瞳が深い瑠璃色に輝き、世界がスローモーションのように感じられる。揺らぐ光の柱、侵食してくる黒い触手、苦悶する天花たちの意識。その全てが、彼女の『観測』の対象となる。

違う。

この未来は、間違っている。

 

 黒い触手が光の柱を砕き、天花たちが絶望し、聖域が闇に飲まれる未来は、あってはならない「誤った観測」だ。


 彼女が【観測】するのは、揺らぎも干渉もない、完全なる守護の理が完成する未来。エレーラが中心となり、天花たちが心を一つにし、醉妖花の力がこの星の隅々まで行き渡り、亡霊花ヶの侵食を永遠に退ける、その『確定された事実』を。

 ローラの強い意志が、彼女の瞳から放たれる瑠璃色の光に乗って、空間全体へと広がっていく。その光は、亡霊花ヶの放つ禍々しい波動と正面から衝突した。


「―————!!」

 黒い触手が、まるで光に焼かれるかのように激しく震え、その動きが鈍る。ローラの【観測】は、亡霊花ヶの存在そのものがもたらす『現実』を否定し、書き換えようとしていたのだ。ローラ自身にも凄まじい精神的負荷がかかり、鼻から血が流れ落ちる。しかし、彼女は決して視線を逸らさなかった。前回よりも強く、明確な意志を持って。

 

 その時、聖域の上空、遥か彼方の高次元空間で、漆黒の機体――『False Harbinger(フォールスハーヴィンジャー)』が静かに待機していた。コックピットのヴィクター・フェイザーは、眼下の聖域で繰り広げられている異様な光景を冷静に観測していた。

“聖域内部より、未確認の高エネルギー反応及び時空歪曲を確認。原因不明の存在Xによる、既存の物理法則を無視した現実改変現象と推測される…”


 ヴィクターの意識に、計器の分析データが流れ込む。


“同時に、別個の強力なエネルギー体が現象Xに拮抗。対象Y、現実確定能力、あるいはそれに類する特異能力の行使を確認… 対象Y、前回観測時より能力の安定性及び出力向上を確認…”

ヴィクターの無機質な思考回路が、高速で情報を処理していく。亡霊花ヶの直接干渉。それに抵抗する醉妖花の力。そして、前回よりも明らかに強力になった、ローラの『観測者』としての力。


彼の脳裏に、評議会からの命令が蘇る。「Comsonsand教の聖都星ルビークロスを制圧せよ」。しかし、眼前の光景は、単なる制圧対象を超えた、未知の可能性を示唆していた。

 

 ヴィクターの指が、コンソールの上をわずかに動いた。それは、攻撃準備の予備動作。しかし、彼は攻撃を実行しない。今はまだ、「観測」の段階だと判断したのだ。

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