第69話 CrimsonSand教
聖域の奥へと進むにつれて、空気はさらに清浄さを増し、赤い結晶の輝きも強くなっていく。壁面に描かれた古代の壁画は、CrimsonSand教の歴史と、天花たちの役割を物語っているようだった。争い、繁栄、そして衰退。繰り返される歴史の中で、天花が常にこの星の核として存在してきたことが窺える。
やがて、通路は開け、巨大な洞窟のような空間に出た。ここが『原初の泉』の中心なのだろう。中央には、底が見えないほど深い、青く澄んだ水を湛えた湖があり、その湖畔には、赤い結晶でできた祭壇のようなものが点在していた。天井からは鍾乳石のように結晶が垂れ下がり、水面に光を反射させている。
「美しい…」
ローラは思わず息を呑んだ。外の荒涼とした赤い砂漠とはあまりにも対照的な光景だった。生命の源たる湖、その静謐な佇まいは、見る者の心を洗い清めるかのようだ。
「ここが『原初の泉』の中心、生命の源たる湖じゃ。そして、あの祭壇こそが、その奥にある『胎宮』へと繋がる唯一の門」
エレーラは湖畔に立つ、ひときわ大きな赤い結晶の祭壇を指さした。祭壇には複雑な紋様が刻まれている。
「この祭壇を通じて、胎宮にいる姉妹たちに呼びかけることができる」
エレーラは祭壇の前に立つと、両手を結晶に当て、目を閉じた。彼女の額の赤い紋様が再び輝き始め、祭壇の紋様と共鳴するように、洞窟全体に柔らかな光が満ちていく。
エレーラが古の言葉で呼びかけ始めると、湖の水面が静かに波立ち始めた。
しばらくの静寂の後、湖の中心から光の柱が立ち昇った。光の中から、エレーラと同じように上半身が人型で、下半身がサソリの姿をした数名の女性たちが現れた。彼女たちもまた天花なのだろう、その姿はエレーラよりもさらに人の形に近い者や、逆にサソリの特徴が色濃い者もいたが、皆、凛とした気品を漂わせていた。彼女たちは驚きと警戒の表情でエレーラたちを見つめている。
「エレーラ様!」
先頭に立っていた、銀色の髪を持つ天花が声を上げた。
「ご無事でしたか!」
「セレフィナ!皆!」
エレーラは駆け寄り、姉妹たちと再会を喜んだ。しかし、その喜びも束の間、彼女は悲痛な表情で告げた。
「ヴァーミリア姉さまは…もう…亡霊花ヶに…」
天花たちの間に衝撃が走る。誰もが信じられないという顔で立ち尽くした。
「まさか…教主様ほどの御方が…」
銀髪の天花、セレフィナが呻くように云った。
「亡霊鏡教の仕業じゃ」
エレーラは唇を噛み締め、セレフィナたちを見つめた。その瞳には、深い悲しみと、それを上回る怒りの炎が燃え上がっていた。
「姉さまは…ヴァーミリア姉さまは、Arcane Genesis教に対抗するために、あの忌まわしき亡者どもと手を組もうとして…そして、利用され、喰われたのじゃ!」
その言葉は、聖域の静寂を切り裂く悲痛な叫びだった。他の天花たちも、信じられないといった表情で顔を見合わせる。教主であり、最強の天花であったヴァーミリアの死。それはCrimsonSand教そのものの終わりを意味しかねない。
「そんな…教主様が…」
セレフィナは震える声で言った。彼女はヴァーミリアの右腕として、長年仕えてきたのだ。
「なぜ…なぜ亡霊鏡教などと…」
他の天花たちからも、嗚咽や疑問の声が漏れる。聖域全体が、深い絶望と混乱に包まれ始めた。
「今は悲しんでいる場合ではないわ!」
ローラが、強い口調で天花たちに呼びかけた。その声は、洞窟の壁に反響し、動揺する彼女たちの心をわずかに引き締める。
「この星は、今は醉が守ってくれているけど、根本的な解決にはなっていない。亡霊花ヶの脅威はまだ去っていないのよね?」
ローラが、天花たちの動揺を鎮めるように、しかし強い意志を込めて問いかけた。彼女の言葉は、ただ嘆くだけでは何も変わらないという現実を突きつける。
「じゃが…我らに何ができるというのじゃ…教主様を失い、教団は崩壊寸前…」
一人の若い天花が、涙ながらに訴える。醉妖花の守りがあるとはいえ、それは一時しのぎに過ぎず、根本的な脅威は依然として存在しているのだ。
「できることはある」
静かに、しかし有無を言わせぬ響きをもって、醉妖花が口を開いた。彼女はゆっくりと天花たちの輪の中へと歩みを進める。その存在そのものが、混乱した場を鎮める力を持っていた。
「君たちには、まだこの聖域がある。天花としての力が残っている。そして…」
醉妖花は、エレーラ、そしてローラへと視線を移した。
「私たちもいる」
醉妖花は、湖畔に立つ最も大きな赤い結晶の祭壇へと歩み寄り、その表面に優しく触れた。
「この『原初の泉』は、単なる避難場所ではないはずだ。この星の生命力の源、CrimsonSand教の信仰の核。そして、天花である君たちの力の源泉でもある。違うかい、エレーラ?」
「う、うむ…その通りじゃが…」
エレーラはまだ戸惑いながらも頷いた。
「ならば、その力を使わない手はないね」
醉妖花は微笑んだ。それは悪戯っぽい少女の笑みではなく、全てを見通すような、深遠な微笑みだった。
「亡霊花ヶはこの星を狙っている。私の守りは強力だけど、いつまでもここに留まるわけにはいかない。だから、この聖域の力と君たち天花の力を借りて、私の守りをさらに強固にし、この星全体に恒久的な加護を施す。亡霊花ヶが容易に手出しできないようにね」
「恒久的な…加護…?」
セレフィナが疑念の声を上げる。
「ええ」
醉妖花は断言した。
「私の本質は『超越汎心論』。あらゆるものに心は宿る。この聖域にも、君たち天花一人ひとりにも。君たちの集合意識を触媒として、私の力をこの星の隅々まで行き渡らせ、亡霊花ヶの干渉を完全に遮断する守護の理を編み上げるんだ」
「なんだか、あの空間跳躍の時と似ているわね」
ローラが、ふと口にした。
「エレーラが道を示して、醉が力を注いで、私がそれを…整える、みたいな役割分担が」
「ふふ、確かにそうだね、ローラ」
醉妖花はローラの言葉に頷き、微笑んだ。
「でも、今回はただ移動するのとは訳が違う。あの時は一本の『道』を確定させるだけで良かったけど、今度はこの星全体を守るための複雑な『法則』そのものを完成させる必要があるんだ。ローラの『観測』にも、前回よりずっと高度な集中力が求められることになるよ」
「ま。今更よ」
ローラはあっさりと請け合う。
「我らの意識を…触媒に…?」
天花たちはまだ顔を見合わせている。醉妖花という異質な存在を中心とした未知の試みに、不安と期待が入り混じっている。
「無理じゃ…」
エレーラが再び弱々しく首を振った。
「わらわ達は、ヴァーミリア姉さまという絶対的な中心を失った。それに、空間跳躍の時とは規模が違いすぎる…」
「一人では無理かもしれないね」
醉妖花はエレーラの言葉を肯定した。
「でも、君は一人じゃない」
醉妖花はエレーラの肩に手を置いた。
「君が中心となり、他の天花たちの心を束ねるんだ。君たちの紡ぐ祈りが、守護の理の設計図となる。私は、その設計図に力を注ぎ、形にする」
「わらわが…中心に…?」
エレーラは自分の掌を見つめた。姉の影に隠れ、常に自信を持てずにいた彼女にとって、それはあまりにも重い役割に思えた。
「貴女ならできるわ、エレーラ」
ローラが、エレーラの隣に立ち、その手を取った。
「思い出して。あなたは私たちをここまで導いてくれた。あなたの力は本物よ。それに…」
ローラは少し悪戯っぽく微笑んだ。
「前回よりパワーアップした私が、しっかり調整してあげるから」
ローラの力強い眼差しと、自信に満ちた言葉が、エレーラに勇気を与える。
「そして、私には『観測者』の力がある。あなたたちが紡ぎ出す守護の理、それが完成する未来を、私が『確定』させるわ」
ローラの言葉に、天花たちの間に再びどよめきが起こる。星全体の運命を左右するほどの力を本当に持っているのか。
「信じられないかもしれないね」
醉妖花が、天花たちの心の揺らぎを読み取って言った。
「でも、事実は事実だよ。ローラは、私たちの、そしてこの星の希望となり得る」
醉妖花はセレフィナに向き直った。
「セレフィナ、君はこの中で最も経験豊かだ。エレーラを支え、他の天花たちを導いてくれるね?」
セレフィナは、しばし逡巡した後、深く頷いた。
「…承知いたしました、醉妖花様。エレーラ様を、我らがお支えいたします」
その言葉を皮切りに、他の天花たちも次々と決意を固めていく。絶望の淵から、新たな希望の光が見え始めたのだ。
「よし、決まりだね」
醉妖花は満足そうに頷いた。
「エレーラ、祭壇へ。君の心を、姉妹たちへ、そしてこの星を守る意志へと開くんだ」




