第66話 先駆者
”こちらA7からエンタープライズ2++へ、亡霊は全て排除した。これより帰投する”
人型と云われれば人の形にも見えるかもしれない機械の巨体、『RiLei Frame』(リレイフレーム)。A7と名乗った操縦者ヴィクター・フェイザーは母艦へと信号を発した。が、
”エンタープライズ2++よりA7へ、D群の亡霊への対応がタイムスケジュールより17%遅れています。タイムラインより25%の遅れが発生した場合、B・R”
”こちらA7了解した。直ちにD群と合流し亡霊を排除する”
母艦であるエンタープライズ2++からは慈悲の無い知らせを賜る。戦友達D群を消滅させたくなければ、急ぎ戦況を立て直さなくてはならない。
ヴィクターは自らの『RiRei Frame』(リレイフレーム)である『False Harbinger』(フォールスハービンジャー)をワープさせる。
ワープにより発生した時空振動は宇宙背景振動に飲み込まれるほど小さく、False Harbingerの巨体と特にその質量からは考えられない程、静かであった。一方で、戦場からは巨大な時空振動が同時に幾つも発生している。
局面は最後の抵抗の段階に移行している。
認識と同時に永久尽界を展開、戦場全体の敵を探知し複数の敵前に短距離ワープを行い、同時に出現し、手刀を突き刺し展開しておいた永久尽界による破壊を行う。この一斉攻撃によりFalse Harbingerは敵総数の12%を消滅させる。
”Harbinger!!”
数多のD№達が名前を呼ぶ。名前を呼ぶ声が歓声に変わる。恐怖心が闘争心に変わる。亡霊が嫌がる数少ないものの一つ、英雄だ。
”退くな、進め”
False Harbingerは自らの言葉より先を行く。他の何物よりも先を行く。打ちのめされていた者たちは、Harbingerの軌跡に続かんと武器を手に再び立ち上がり、前に進む。
亡霊たちの放つ絶望の波動、物理法則を無視した攻撃がFalse Harbingerの装甲を掠めるが、ついに触れえるものはなかった。
”座標確定、Fire”
彼の思考と完全に同期した『False Harbinger』の八本の副腕が、それぞれ異なる形状の永久尽界兵装を展開する。一条の光線、拡散する波動、対象の存在確率を揺るがす特殊フィールド。それらが寸分の狂いなく、ヴィクターが確定した亡霊の群れの中核へと叩き込まれた。
次元が歪み、非物質的な叫びが響き渡る。
この宙域の亡霊たちは、一瞬にしてその存在を抹消された。その真空に満ちるのはD№達の声だ。Harbingeの先へは戦い切った者だけが行ける。今日も生き残った者たちは皆が云う
”Harbinge、また、あんたの先に行くチャンスを逃したよ”
False Harbingerは行軍する。ただ彼一人ではない。戦い抜いた者たちが彼の先を行き、指し示すのだ。彼の行く果てを
「こちらA7、エンタープライズ2++へ、亡霊核を認識、及びその芽吹きを確認」
”こちらエンタープライズ2++、A7へ亡霊核への攻撃禁止を命じます。また亡霊核が分花するまで認識を継続することを命じます”
花狂いのArcane Genesis無べなるかな。
”こちらA7、認識を継続する”と同時にFalse Harbingerの分体による亡霊群への掃討を続行する。
”A7!!”
”認識は継続している。亡霊核は推定10^-13秒で開花する”
ヴィクター・フェイザーの認識する時間は極限まで引き伸ばされている。10のマイナス13乗秒。それは、人の思考が意味を成す以前の、物理現象がただ移ろうだけの時間に等しい。しかし、『False Harbinger』と完全に同期した彼の意識は、その刹那すら捉え、分析する。
亡霊核が、最後の脈動を打つ。
それは心臓の鼓動ではない。宇宙の深淵が、存在してはならない「何か」をこの次元へと吐き出すための、冒涜的な産声。核の表面に走る亀裂から、光ではない、存在の否定そのもののような闇が溢れ出す。
開花。
瞬間、ヴィクターの認識が焼ける程の情報が発生する。時空連続体が、開花点から同心円状に激しく歪曲し、まるで水面に投げ込まれた石が起こす波紋のように広がっていく。その波紋は、単なる空間の揺らぎではない。存在の確率、因果律、時間の方向性までもが、一時的に掻き乱され、再定義されていく。
“計測不能領域、拡大。エネルギー指数、定義域外へ”
母艦エンタープライズ2++からの冷静な、しかしどこか嬉しさを含んだ音声がヴィクターの意識に直接響く。
”美しい…”
誰の声か。母艦のオペレーターか、あるいはブリッジの誰かか。ヴィクターには判別がつかない。ただ、その声が孕む「花狂い」の熱量だけが、彼の皮膚を粟立たせる。
情報が収束し、ヴィクターは再び視覚を取り戻した。
開花点には、もはや「核」と呼べるものは存在しない。
代わりに、そこにあったのは、
黒い「花」だった。
花弁は、光を一切反射せず、まるで宇宙の闇そのものを切り取って貼り付けたかのように、絶対的な黒色を湛えている。その形状は、既知のいかなる植物とも似ていない。幾何学的でありながら有機的、対称的でありながら非対称。見る角度によって、その姿は無限に変化するように感じられた。
花の中心部には、凝縮された絶望のような、禍々しい輝きを放つ「蕊」が存在した。その輝きは、周囲の空間から光を吸い取っているかのようで、見つめているだけで精神が蝕まれていく。
冒涜的な美しさ、しかしヴェクターの心は動かない。
“A7、開花した『花』の認識情報を最優先で送信しなさい。これこそ亡霊花ヶの香り花、私たちが追い求める、ああ!『天花』!”
エンタープライズ2++からの通信は、もはや狂信者の祈りのように響く。
開花した「花」が、ゆっくりと花弁を揺らめかせた。
その動きに合わせて、周囲の空間に漂っていた亡霊の残滓が、まるで蝶のように花へと吸い寄せられていく。そして、花はそれを糧とするかのように、その禍々しい輝きを増していく。
“認識を継続しなさい。だが、不用意な接触は避けること。この『花』は、素晴らしいわ”
エンタープライズ2++は、最早、冷静さをすて、沸き立つ興奮の中にある。彼ら、彼女らにとって、この状況は最高の「観劇」なのだ。
ヴィクターは、『False Harbinger』の機体を微調整し、花との距離を保つ。彼の永久尽界は、華から放たれる異様な波動を警戒し、常に防御態勢を維持している。
掃討すべき亡霊の群れとは、次元が違う。これは、単なる敵ではない。世界の理そのものを歪め、死と絶望を振りまく、根源的な災厄。
黒い花の中心の蕊が、再び脈打った。
そして、ゆっくりと、何かを「吐き出し」始めた。
それは、『呪い』だった。先ほどまで戦っていた亡霊とは比較にならないほど強力で、異質な存在感を放っている。
“素晴らしいわ! 新たな『死の花弁』が誕生したのよ! A7、認識を続けなさい! 全ての情報を記録しなくては!”
エンタープライズ2++の狂騒は頂点に達しつつあった。
ヴィクターは認識を継続する。命令だからだ。
しかし、彼の思考が、微かに動いた。
『False Harbinger』の兵装システムが、『死の花弁』を捉える。
それは、命令違反を意味する。
しかし、先示す者たちがいる。その者たちに続かなければならない。彼はHarbinger(先駆者)なのだ。




