第65話 百薬
巨大な結晶柱がいくつ聳え立っていたのだが、次の瞬間、残らず砕け散る。
「星のモニュメントが、我らの信仰が」
エレーラが思わず声を上げる。
「何が起きているの?」
ローラが醉妖花に尋ねる。
「察するに、砕け散った結晶柱はComsonSand教徒の信仰が物質化したもの。それが砕け散ったということは、ああ、生きた亡骸が湧いてくる。この星は亡霊鏡教の教星になったということだよ」
「そんな…」
エレーラは、信じられないというように、砕け散った結晶柱の残骸と、赤い大地から滲み出すように現れ始めた、かつての同胞たちの歪んだ姿を見つめた。その瞳からは、涙が止めどなく溢れていた。故郷が、信仰が、目の前で穢され、蹂虙されていく。天花としての力も、今はただ無力感しかもたらさない。
「泣いている暇はないわ!」
ローラは、エレーラの肩を強く掴んだ。
「進むしかないんでしょ!」
その声には、娼婦として生き抜いてきた彼女の芯の強さが滲んでいた。絶望的な状況でも、諦めることを知らない。
「ローラの言う通りだよ」
醉妖花は、静かに、しかし確かな力強さをもって言った。彼女の青い瞳は、大地から湧き出る亡者たちを冷静に見据えている。
「この星はもう、亡霊花ヶの庭になりつつある。でも、それで全てが終わったわけじゃない」
醉妖花の言葉と共に、彼女の周囲の空気が再び震え始めた。赤い砂が意思を持ったように渦を巻き、亡者たちの前進を阻む壁となる。
「はっはははなななっ…」
「はな、はなはなはなはな…」
亡者たちは、よろめきながらも壁を突破しようと手を伸ばす。その動きは鈍重だが、数は多い。赤い大地が黒く変色し、そこから次々と新たな亡者が生まれ出てくる。まるで、星そのものが死の祝福を受け入れ、自ら亡者を産み出しているかのようだ。
「まだローラのことは認識できていないようね。亡霊花ヶ、なら、私を縛る結界を5つだけ残して解除するだけよ」
そして解放の言葉を口にする。
「全ての世界の花は色を変えた。」
醉妖花の言葉は、静かに、しかし絶対的な響きをもってルビークロスの大地に浸透した。
瞬間、世界が息を呑んだかのように静まり返る。赤い砂の一粒一粒が微かに震え、メタリックレッドの大地そのものが、まるで巨大な生き物の皮膚のように波打ち始めた。灼熱の風はその勢いを失い、代わりに甘美で、それでいてどこか人を惑わすような香りが空気に満ちていく。
空を覆い始めていた亡霊花ヶの黒い雲は、その侵食を止められた。いや、むしろ雲自身が戸惑うかのように、その動きを鈍らせていく。大地から滲み出ていた亡者たちは、一斉に動きを止めた。虚ろだった瞳にかすかな光が宿り、それは亡霊花ヶへの賛美ではなく、目の前に立つ絶世の美少女――醉妖花への畏敬と陶酔の色だった。
「あ……」
エレーラは言葉を失い、目の前の光景を呆然と見つめていた。自身の信仰の対象であったはずの星が、大地が、空が、そしてかつての同胞たちの亡骸までもが、醉妖花という存在の前にひれ伏している。それは、彼女が知るどんな奇跡よりも、どんな天変地異よりも根源的で、抗いがたい力の顕現だった。
「これが…醉の力…」
ローラもまた、息を詰めていた。隣に立つ醉妖花の横顔は、先ほどまでの少女のような無邪気さとはかけ離れた、神々しくも妖しい輝きを放っている。探検服に身を包んでいても、その存在感は、この世界の法則すら書き換えてしまうかのようだ。
「心配しないで、ローラ」
醉妖花は、ローラの心の揺らぎを感じ取ったかのように、優しく微笑んだ。
「これは私の本質、『超越汎心論』。あらゆるものに心は宿り、私はその心と語り合うことができる。そして、心を惹きつけ、私を讃えさせることができるの」
その言葉通り、動きを止めた亡者たちは、ゆっくりと、しかし恭しく醉妖花に向かって頭を垂れ始めた。彼らの歪んだ体からは、腐敗臭の代わりに、微かに甘い香りが漂い始める。
「彼らはもう、亡霊花ヶの呪縛からは解き放たれた。でも、魂は既に失われている。だから、安らかに眠りについてもらうね」
醉妖花が再び言葉を発すると、亡者たちの体は静かに崩れ、赤い砂へと還っていった。後に残ったのは、清浄さを取り戻したかのようなメタリックレッドの大地だけだった。
「…信じられないのじゃ」
エレーラは、まだ震える声で呟いた。
「亡霊花ヶの祝福は絶対のはず…それを、こんなにあっさりと…」
「亡霊花ヶも、この星も、砂も、岩も、そしてあなたたちも、私にとっては等しく『心を持つもの』。だから、私の声は届くのよ」
醉妖花はエレーラの頭を優しく撫でた。
「でも、これは一時的なもの。亡霊花ヶ本体がこの星に直接干渉すれば、私の力だけでは抑えきれないかもしれない。だから、急ぎましょう」
「はい!」
エレーラは、涙を拭い、力強く頷いた。先ほどの絶望は消え去り、その瞳には新たな決意の光が宿っていた。
バステは無言のまま、しかしその複眼には確かな安堵の色を浮かべ、再び先導を始める。
四人は再び歩き始めた。醉妖花の力によって一時的に平穏を取り戻した大地を、聖域へと向かう。しかし、誰もが感じていた。これは嵐の前の静けさに過ぎないことを。遠く、星々の彼方で、あるいはこの星の深淵で、真の脅威――亡霊花ヶが、この異変に気づき、動き出そうとしている気配を。
所は変わり最高有意識下駆動機関員文官「百薬」が集う八十八重宇段大天幕十七天幕は混乱と困難の極みにあった。亡霊鏡教のComsonSand教への侵攻とそれによるComsonSand教の壊滅はやはり、どうでも良きかな。であり、サフランがストレスで禿げそうと感じているのは
「悩む必要などあるのかしら、醉妖花様がついに真言を口にされた。言祝ぐことではないかしらぁ」
同僚のセージのような馬鹿のんきが多いことである。
「あの、ね、セージ、物事には順番とタイミングというのがあるのよ?分かる?」
「でもぉ今夜はお赤飯じゃないかしら。個人的には五目御飯のほうが好きだけど。お祝いだからぁやっぱりおせk
馬鹿のんきを物理を伴う永久尽界破壊手段をもって強制的にリセットさせる。あたりを見渡すと概ね同じ展開がなされたようだ。
「皆、お疲れ様と云いたいところだけど、真言の件について対応しなければならないわ。本来ならばローラ様が『観測者』と同一化してから真言を発動させることになっている。けれど」
「亡霊鏡教がやってくれたからな。致し方ない」
カモミールがお手上げとばかりに伸びをする。
「連中に死体集め以外の欲求があったのが驚きだよ」
ローズマリーがカモミールの後に続けて云う。
「こちらから亡霊鏡教に仕掛けることは可能?」
「私たち単独では無理ね。Arcane Genesis教の力がいるわ」
「連中の下に入るのは危険すぎないか」
「花狂いだよね。Arcane Genesis教、大丈夫かな、不安だよ」
「でもぉ大丈夫だとおもいますぅ」
「あら消滅しなかったのね。なぜ大丈夫だと思ったの。返答次第では首席補佐官のお付きになってもらうわよ」
「それはヤダ。でもホントに大丈夫だとおもいますぅ。だってArcane Genesis教でもおんなじ会話がされているに違いないです」
キュピっと言い切るセージであった。




