第63話 亡霊鏡教
「流石に刺激が強すぎるんじゃないかな?」
醉妖花が真顔でローラに問いかける。
「でも、私の伴侶になりたいなら知ってもらわないといけないわ」
ローラは楽しそうに微笑んだ。
「確かにそれもそうだね」
納得したのか醉妖花は頷く。
しばらくして、エレーラはヘッドフォンを外し、顔を赤らめながらも落ち着いた様子で二人に向き直った。
「いささか、予想外の経験豊富なお姉さんであったが、まあ些事じゃ、天花たる私を伴侶に選んではくれないか?」
「ごめんなさい。私の心はもう決まっているの」
ローラは申し訳なさそうにしかし、はっきりと断ると
「そこを、そこをもう一度考え直してくださらぬか!!」
「ごめんなさい」
「もう少し話を聞いてあげてもいいんじゃないかな」
「醉!?」
「醉妖花殿!」
二人が揃って声を上げる。醉妖花は続けて
「エレーラ、君は、私たちがこのルビークロスへ来ることを予知したんだ、この結果もある程度予知できたはず、それでも自分を選んでくれることに望みを託したんだ。違うかい?」
エレーラは
「そのとおりじゃ、選ばれぬことは分かっておった。しかしどうしても諦めることができなかった」
醉妖花の推察に首肯した
「それは何故?」
ローラが聞く。
「姉さまじゃ、私と同じく天花と云ったら叱られてしまうな、私のような不完全な天花と違い、完全な天花じゃ。其の姉さまがCrimsonSand教を唯一の教えにしようとしているのじゃ。」
「教えの統一?そんなことができるの?」
ローラが醉妖花に尋ねる。
「天中に咲くただ一つの花になれば可能かな。それ以外の方法となると
「戦じゃ」
エレーラが言葉を引き継ぐ。
「ということはエレーラは天中花になって戦を止めたいの?」
「いや、戦は大好きじゃ!」
「だよね。CrimsonSand教の巫女なんだもの」
納得したという表情で醉妖花が云う
「え、じゃなんで」
訳が分からないとローラが云う。
「姉さまはArcane Genesis教に対抗するために亡霊鏡教と手を結ぶ気でおるのじゃ!!」
「それは不味いね。悪手だよ」
「どういうこと?分からないんだけど」
ローラの疑問に醉妖花が答える
「亡霊鏡教は亡霊花ヶのためだけに存在する宗教だよ。そして亡霊花ヶは贄を際限なく欲する。戦争よりも人が死ぬのは間違いないよ」
「戦争よりも人が死ぬって」
「それでも姉さまはArcane Genesis教と直接争うよりも効率が良いと考えておるのじゃ。そして亡霊花ヶとArcane Genesis教が共倒れになった所を狙えばよいと」
「『そんなことはあり得ない、人が死ねば死ぬほど亡霊花ヶの力は増す。今でも既に亡霊鏡教は亡霊花ヶを持て余しているのに』といったところかな、エレーラ」
「その通りじゃ」
「そんな。じゃあ、私に何ができるというの?」
ローラは困惑した表情で尋ねた。
「そんなの簡単さ。ローラが『やめなさい』と一言いえばそれで終わりだよ」
「たったそれだけ、で?」
「花は花園になるほどこの宇宙には多いけど、其の伴侶は一人だけ、だからね」
「後は、其の姉さまが亡霊鏡教を動かし始めるまでに、どれほどの猶予があるんだい?」
「それが...」
エレーラの表情が曇る。
「すでに両教との秘密交渉は終わっておる。あとは実行に移すのみじゃ」
「それはマズイね」
醉妖花は眉をひそめた。
「確かにいつ実行されるのは分からんが兵達の配置を見る限り
「そうではないよエレーラ。君の姉さまはもう鬼籍に入っているよ」
「亡霊鏡教に接触を持ったものは残らず死体にされる。いや、死体になってしまう。天花とて例外ではないよ。それが亡霊花ヶの力だからね」
「ローラ、私と共に来てくれるかい?」
「あたりまえでしょ」
「執事、名を何という?」
「バステと申します」
「よし、バステ、花を守りながらの逃避行だその
「準備はできております」
執事バステ、やはりできる男である。
「いつしかエレーラ様にもしやのことがと家長をはじめ準備を終えております」
「そうか、覚悟をしておったのは私だけでは無かったのじゃな」
メタリックレッドの大地を持つルビークロスの空に、黒い雲が急速に広がっていった。それは通常の天候ではなく、亡霊花ヶの力が世界に浸潤し始めた証だった。
「急ぐのじゃ!」
エレーラが叫んだ。バステはすでに地下通路へと通じる扉を開けていた。
「この通路を進むと、ルビークロスの外周部に出られる。そこに脱出用の乗り物を用意してある」
バステが冷静に説明する。彼の複眼は常に警戒を怠らない。
醉妖花は窓から空を見上げた。
「時間がないね。亡霊花ヶの波動がもう届いている」
「そんな…姉さまは…」
エレーラの声が震えた。
「待って」
ローラが制した。
「エレーラの姉が本当に死んでいるか確かめなくて良いの?」
醉妖花は優しく微笑んだ。
「ローラの優しさは嬉しいけど、亡霊花ヶに接した者は救えない。それが亡霊花ヶの本質だからね」
「でも…」
「私だって、すべての命を大切にしたい」
醉妖花はローラの手を取った。
「だからこそ、これ以上の犠牲者を出さないために急がなくては」
ローラは短い沈黙の後、頷いた。
「分かったわ」
四人は地下通路へと向かった。通路内は暗く、赤い結晶が壁に埋め込まれ、わずかな光を放っている。バステが先導し、エレーラが続く。醉妖花とローラは後方を警戒しながら進んだ。
「エレーラ、この先どうするつもり?」
醉妖花が尋ねた。
「CrimsonSand教の聖域へ向かうのじゃ。そこに助けねばならない者もおる」
「助けなければならない者?」
「このルビークロスには他にも天花がおるのじゃ。みな姉さまの影に隠れて存在していたんじゃ」
ローラは冷静に状況を見極めようとしていた。醉妖花はローラの横顔を見て、微かに微笑んだ。
「ローラが冷静でいてくれて嬉しいよ」
「慣れたものよ」
ローラが答えた。
「アラビリスでの生活でね」
突然、通路が揺れ、天井から砂が降ってきた。
「直接攻撃が始まったのじゃ!」
エレーラが叫んだ。
「バステ、出口まであとどれくらい?」
醉妖花の声は冷静さを失わない。
「あと二百メートルほどです」
通路の揺れが強くなり、後方から不気味な音が聞こえてきた。それは湿った足音と、かすかな断末魔のようだった。
「来たわ」
ローラが背後を振り返り、腰の黒曜星の刃を抜いた。刃は暗闇の中で不気味に輝いた。
「ローラ、待って」
醉妖花がローラの前に立った。
「私が対処する」




