第57話 ズラのずら
~東英記~
帝都に咲く花は酔う花、その花弁は世界を酔わせる。天を仰ぐものは酔う花に集う。
酔う花を仰がぬものは深みに沈み、根に喰われる。大空の果てより果てまで、地の底より底まで、祝福は満ち満ちて、永遠の刻は流れ始める。人の世は栄枯盛衰を免れずとも、この利帝国は御加護のもと、永遠に咲き続ける一輪の花となりて世を照らすであろう。
~東英記~
淵晶帝は居室の窓から帝都の夜景を眺めていた。そこへ、ノキ首席補佐官が呼び出される。
「ノキ首席補佐官、今日という日を迎えることができたのは、貴方の助力があってこそです」
「いえいえ、全ては醉妖花様の御意のままに」
「さて、ノキ首席補佐官。気になっていたのですが、私の近衛として集いし星を推薦された真意は?」
「陛下、彼らは既に醉妖花様の血族。この帝国が醉妖花様の加護の下にあることの象徴として、これ以上の存在はございますまい」
「なるほど。私自身への牽制でもあるわけですね」
「まさか、そのようなことはございません。ただ、醉妖花様の眷属である彼らが陛下の近くにいることで、より一層の加護が得られるとの考えからです」
「まあいいでしょう。私自身、醉妖花様への帰依を誓った身。もはや後戻りはできません。それに、この利帝国の繁栄こそが、私の望みでもあります」
「では、私はこれにて」
ノキ首席補佐官は、静かに部屋を後にした。淵晶帝は再び夜景に目を向け
「醉妖花様」と一言呟くのであった。
帝都の夜が更けてゆく。華やかな宮殿の一室で、アイリーンは窓辺に立ち、星空を見上げていた。醉妖花の血を受け継いだ彼女の体は、かつての人間の姿を保ちながらも、確かな変化を遂げていた。
「やっぱり、少し慣れないな」
アイリーンは自分の手のひらを見つめながら呟いた。
「私もよ」
マーガレットが静かに応える。彼女もまた、アイリーンと同じ変化を遂げていた。
「まあ、これも運命というものかねえ」
アランが落ち着いた様子で二人に話しかける。彼は既に瑚沼崎の血により一度変化を経験していたため、今回の変化にも比較的冷静に対応していた。
その時、部屋の扉が静かに開いた。
馬上人の入室である。
もちろん剃髪であるのだが、その上にかつらをずらしてかぶっている。落ちそうで落ちない絶妙の妙技、到達した芸の深さを表している。
「おや、みなさんこれは大爆笑間違いなしのズラのずらですよ。出オチの極みであり、むしろ笑わない方が神経を疑われますよ。それはとても悲しいことではありませんか!」
悲哀極まる馬上人の吐露に対してバーナードは
「悪くはないけどよ、ズラのずらそのものは最高だ、けどよ、首から下もずれ続けてるのが最高に相性が悪い。威圧しているようにしか見えんぜ」
バーナードの云う通り馬上人の首は切断されており、ゆっくりポーズをつけて回転する体とは確かにずれが生じ続けている。
「ううむ、確かに前衛的過ぎましたか、笑いとはどこまで前衛的であるものが受け入れられるかを見極めるもの。ノキ首席補佐官は大爆笑でしたが、基準にしてはいけないのですなあ」
と当然のことをいう。インをデッドに攻めすぎである。
「しかし、一つ釈明を許されるならば、本当はズラのずらで完成していたのですが、淵晶帝に首を直接はねられてしましまい、ああ、あの時は、ノキ首席補佐官に教えられた必殺のギャグ?がなんとも甘露に聞こえたのですよ。今思えば、あのあたりからノキ首席補佐官に精神操作されていたのですな」
「なんとも穏やかな話じゃないか」
アイリーンが口の端を歪めて云う
「それがあまり穏やかな話ではないのですなあ、なぜなら皆の前で大声で『淵晶帝ってば醉妖花様でオナって』って言い終わる前に首を跳ね飛ばされたのですからな」
「うわ最低」
「そんな屑を見るような目で見ないでください、マーガレット殿。これも精神操作されていたとはいえ、任務の一つなのですから『淵晶帝は醉妖花様に邪心ありか』、あれは『あり』でしょうなあ、ですが隠すつもりもないとはいささか驚きましたな」
「というわけでお仕事ですよ。集いし星よ」
と馬上人は続けた。
「淵晶帝の醉妖花様への想いは、純粋な帰依からは少々ずれた方向に傾いているようです。しかし、それは喜ばしいことでもあります」
「凡愚の私めが醉妖花様に帰依しただけで、首を落とされても、笑い話のネタにすることができるのです。ダダ滑りでいたが」
「なればこそ、邪心あれども、しかし、その邪心、丹精こめて育ててみればおもしろいものになるのではなかろうかと」
「淵晶帝を骸薔薇様への奉納品にするのか」
アランが察する。
「まあ、そうなれば本望というものでしょう。とはいえ帝国そのものを、奉納品にすることがあってはなりません。それでは以前の繰り返しになりますからな。そもそも骸薔薇様が望んでおられないことです」
「では私たちは何をすればよいの」
パトリシアが尋ねる。
「帝国の安寧を守る。淵晶帝が帝国の民の命をすり潰す贄の儀を執り行うことがあってはならない。一方で正晶帝の醉妖花様への邪心を蝶よ花よと育てることですかな」
「それって矛盾してねーか」
そりゃ無理だとバーナードがい云うものの
「んーそうですかな?皆様は醉妖花様の眷属、ただ醉妖花様への信仰だけを持つだけの信徒とは本質が違うのですよ。淵晶帝とて、少なくとも今は信仰を持つだけの存在ですよ。そしてこの事実は淵晶帝の心を揺らすには十分ですよ」
「目障りな連中がいつもそばをうろうろしている、つまりしてろっていうことか」
アイリーンがうんざりと云う。
「これもまた宮仕え、死せば骨を残さず拾い、私めが手厚く供養いたしますぞ」
すっかり坊主然とした馬上人が数珠を取り出し念仏を唱える。ズラのずらの姿であったが、まこと行者の姿であった。
「さて、私は天花教の寺院へ戻らねばなりませぬ。後は皆様にお任せいたします」
馬上人は深々と一礼すると、扉の方へ歩き始めた。が、その歩みは真っ直ぐではない。体がぐるぐると回転しながら進んでゆく。
「おっと、これは失礼。寺に帰ったら修行が必要ですな」
そう言い残して、馬上人は部屋を後にした。
「あいつ、本当に大丈夫なのか?」
アイリーンは呆れたように云う。
「大丈夫じゃないからこそ、信仰のみで上人になれたんだろうさ」
アランが答える。
「さて、我々も仕事を始めるとするか」
「ああ」
全員が頷いた。窓の外では、帝都の夜景が美しく輝いている。その光は、まるで醉妖花様の祝福のように、静かに世界を包み込んでいた。




