第20話 『淀み』の下に『深み』がある
偽りの帰還である。単純明快、素体に生贄をつけて嵩増し、異界へ流す。素体も嵩増しも戻ってはこないが、異界より素体と生贄の総量にあったナニモノを召喚する。都合の良いことに放逐した素体の情報をもったナニモノとして。
「やってられんな」
にゃんこの中央の頭部のガバリと開いた口から細いレーザーが益尾の腹をピン・ポイント。
次の瞬間プラズマ化し伝導体となった大気を大電流が流れる。文字通り腹が爆発する。両足が炭化し、益尾は即死するが、人食いを秘匿しながら益尾は人食いをしていたので実は高LP保持者である。そのためLP燃費は最悪だがオートリカバリーで全回復することが可能であり、それがにゃんこちゃんと戦える理由でもあったのだった。
だがLPを爆食いするオートリカバリーの残り使用回数は少ない、が、益尾がそのことを気にする様子はない。むしろ派手に手足や胴体を爆発させている。流石に頭部への攻撃は避けているが、概ねにゃんこちゃん大暴れである。
「さて、にゃんこちゃん、互いに残された時間は余りにも短い、故に俺からはただ一つ云おう、従え」
三つの口が咆哮を上げる。「嫌だ」と「たのしいのに」と
「そうか、なら食事をはじめよう」
紫電、爆炎、衝撃波といえども、にゃんこちゃんのLvでは分子までしか分解できない。
普通はそれで十分すぎるが、本来の力を使う事にさほどこだわらなくなった益尾である。
益尾は人を喰う。口から喰う。手から喰う。皮膚から喰う。分子になった己の体だったものからも人を食う。
闘技場には十分、益尾の身体が分子となって飛び交っている。いつでも観客を全員食えるが、今回は半分だけ喰って爆轟させる。
闘技場が爆轟に吹き飛ぶ中、益尾は頭部を網状にしてにゃんこちゃんをからめとり焼き潰した
「にゃんこちゃんは私の中にLPとして確かに生きている。これならば月跡様に叱責を受ける事もないだろう。名案だ」
闘技場の正門に向けて悠々と歩いていく。この試合を組んだものにとってはこの結末、切札であるにゃんこちゃんが死に、益尾が生き残る。まさに最悪そのもの。
ただの偽還の儀の口封じの試合が、交易都市アラビリスの城門を破って大陸全土へと怒涛のごとく知れ渡るだろう。
それから先は定型文通りである。
『斃せないなら味方にしろ』
別に間違いではない。が、益尾を味方にできると考えるのは控えめに言って云々である。
さらに益尾曰く
「俺を斃せるLvの者を調達しようとしているんだろうが、あいにくこちらも一人ではないのでね。苛烈な方々で私の様な部下の失態は決して許さず、失態を誘った敵は必ず七代遡って皆殺し。見てくれこの手を、私は怖くて震えているんだぞ」
それでは交易都市アラビリスの『淀み』は何もできず、留まるのみ。
益尾としては十分な名声(悪名も名声である)を手に入れた以上、特にやる事もなく治安の悪い酒場で時間を潰す毎日である。ただ益尾が店に入ると客が一人逃げ二人逃げ、と最終的に益尾一人だけになってしまうので、詫びもかねて金貨をだいぶ多めに払うのも日常となっていた。
「金は『淀み』の連中から巻き上げるので問題はない、問題は月跡様達から何の連絡もないということなんだが、どうしたものか」
益男は監視者から姿を隠す。日に何度も姿を隠す事を毎日繰り返しているため、監視者達の反応は鈍い。追跡に出た者たちにも緊迫感はない。
彼らは、今回も20分もすればいつものように益尾を確認できるだろうと思い込んでいる。
その20分は『淀み』の数人を食べるのに十分な時間であると益尾が見積もった時間である事を知る由もない。
「おいちゃんすっかり有名人になったなお!」
禿姿のミントが云う。
「いえ、『淀み』の下に『深み』があるとはお会いする直前まで気が付きませんでした。裏稼業の者として恥ずかしい限りです」
『淀み』は交易都市アラビリスまでの組織、『深み』はアラビリスを超えて帝都まで広がる組織、ミントたちは『深み』をゆっくりと侵食していたのであった。
「月跡様とほたる様は今、帝都へいらっしゃるのですか?」
「そうなお。ここの帝都支店にいるなお」
こことはアラビリスの中でも最も古い歴史を持つ娼館ネリウムである。その歴史はアラビリスの名より古い。つまりは此処が何ものであるか、何が隠されれているかを知るのはこの娼館のみである。
「それではこのまま帝都へ行かれますか?」
「いやいやまだなお、というかこのアラビリスは結構面白いなお、古さだけなら帝都をこえるなお。それにここを根城にするんじゃなかったなお?」
「確かに、しかし、私がここでまだ出来ることとなると『淀み』を食べ尽くすことぐらいしか思いつきません」
「バッチリなお。『深み』はただ『淀み』があればそれでいいなお。その『淀み』がネリウムの子たちでも問題ないなお」
「大商家や貴族もいますからアラビリス全体が混乱すると思いますがよろしいので?」
「大丈夫なお。むしろ混乱は望むところなお。これをチャンスと出来るのが欲しいなお」
「その様な野心家、信頼できますかね」
「大丈夫なお。そのためのネリウムの子、うちの子たちなお」




