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「お母様は悪役令嬢」  作者: 輝く泥だんご
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最終話 『いつまでも輝いていた。』

 

 それは、破壊の斬撃ではなかった。

 

 宇宙を切り分ける庭師の鋏――「奇怪な形状のハルバード」を振るう醉妖花の舞は、星々の運行よりも優雅で、それでいて絶対的な理の執行であった。

 

 ローラが【絶対観測】によって、完全なる白紙であるはずの虚無のド真ん中に、ヴィクターの「心」を強引に確定させた。

 

 無から有が生まれ、「なにも存在しない。故に、何もない」はずの大樹の核に、小さな、しかし確かな「点(心)」が打たれた。

 

 心が存在する以上、醉妖花の絶対的権能である【超越汎心論】は、その力をいかんなく発揮する。

 骸薔薇の呪縛――全てを標本のように閉じ込め、支配しようとする猟奇的なサディズム――から解放された醉妖花は、もはや「さいなまれる大樹」の虚無を、恐るべき敵として敵視することも、排斥しようとすることもなかった。


「さあ、ヴィクター。貴方のその白紙のキャンバス、私の庭の、美しい『余白(静寂)』として包み込んであげるわ」

 醉妖花のラピスラズリの瞳が、春の陽射しのように暖かく、そして無限の慈愛を湛えて輝く。


 彼女がハルバードを軽やかに翻すと、刃から放たれた極彩色の光の軌跡が、ヴィクターから四方八方へと爆発的に伸びていた「白い根」を、一つ、また一つと、丁寧に切り落としていく。


 虚無の根は、斬り飛ばされて消滅するのではない。醉妖花の魔力に触れた瞬間、その無機質な白が淡い桜色や柔らかな若草色へと染め上げられ、美しい花弁となって宇宙空間へと散っていくのだ。


 暴走していた虚無の波動が、凪いだ海のように静まっていく。


 宇宙そのものを消去しようとしていた大災厄は、真の太母として覚醒し、愛する者の強さを知って包容力を得た醉妖花の手によって、まるで伸びすぎた盆栽の枝葉を整えるかのような手つきで、穏やかに「剪定」されていく。


 やがて、無限に広がっていた白い枝葉が全て刈り取られ、後には漆黒の機体『False Harbinger』と融合したヴィクター・フェイザーの「幹」だけが残された。


 彼の魂を永遠の虚無へと引きずり込もうとしていた「さいなまれる大樹」の呪縛は、ハルバードの最後の一閃によって見事に切断され、彼という個の存在だけが、宇宙の理の内に救い上げられたのである。


 静寂が、戻った。


 「死」と「虚無」の二重の絶望に苛まれていた全次元の底に、奇跡のような平穏が満ちていく。


 ヴィクターの漆黒の装甲から、微かな駆動音が漏れた。

 彼のヘルメットの奥で、完全に漂白されていたはずの思考回路に、小さな、しかし温かい光が灯る。


「……私は……」

 かすれた合成音声が響く。


「お帰りなさい、ヴィクター」

 泥と汗にまみれた探検服姿のローラが、黒曜星の刃を降ろし、汗に濡れた前髪を拭いながら、彼に向けて満面の笑みを向けた。


「あんたの心、ちゃんと見つけたわよ」


 ヴィクターは、その瑠璃色の瞳に見つめられ、自身が確かに「ここ」に存在していることを理解した。大樹の苗床としての呪われた宿命から解放され、一人の「英雄」、一人の「存在」として、この宇宙に留まることを許されたのだ。

「……感謝する、ローラ殿。そして、醉妖花様」


 ヴィクターは、膝をつき、深く頭を垂れた。


「礼には及ばないわ。貴方は私の大切なパートナーの友人で、私の庭を彩る大切な木なのだから」

 醉妖花は、ハルバードをノキへと返し、ローラと肩を並べて微笑んだ。


 その時、ヴィクターの足元、紫星城の魔黒大理石の床から、柔らかな光が湧き上がってきた。


 それは、ヴィクターの精神を虚無から守るために自らを犠牲にし、砕け散っていったクオーツ・ゲシュタルトの12姉妹たちの「愛の残滓」だった。


 ローラの【観測】によってヴィクターの心が確定されたことで、彼女たちが残したデータの破片もまた、「失われたもの」から「ここにあるもの」へと定義を書き換えられたのだ。


 光の粒子が寄り集まり、渦を巻き、やがて一本の透き通るような「クリスタルの巨木」へと成長していく。


 その枝葉は光を乱反射して虹色に輝き、紫星城の中庭に、神々しいまでの美しさをもって結実した。


 そして、そのクリスタルの枝から、可愛らしい鈴の音を立てて光の果実が実り、それが12人の手のひらサイズの精霊の姿へと変わった。

 アイオライト・シータが、アメシスト・ミューが、カーネリアン・アルファが。


 肉体としての義体は失ったものの、彼女たちの魂と人格は、このクリスタルの巨木に宿る精霊として、ヴィクターと共に永遠の命を得たのだ。


「……ヴィクター!」

 小さな羽を生やしたアメシスト・ミューが、涙をポロポロとこぼしながら、ヴィクターのヘルメットの頬のあたりに抱きつく。


「ヴィクターさん、よかった……本当に、よかった……」

 ローズクォーツ・イプシロンが、彼の肩に降り立ち、安堵の涙を流す。


 アイオライト・シータは、少しだけ照れくさそうに腕を組みながらも、その目尻を拭っていた。


 ヴィクターは、機体と融合した自らの巨大な腕をそっと持ち上げ、指先で彼女たちを優しく撫でた。


「……ああ。私は、ここにいる。貴女たちと共に」


 紫星城の中庭で、クリスタルの巨木の根元に座す機械仕掛けの漆黒の守護木。そしてその枝葉で賑やかに舞う12の精霊たち。彼らは、あらゆる悲劇を乗り越え、この庭で永遠の安らぎと騒がしい日々を手に入れたのだった。


 紫星城の外殻、大天幕と宇宙の境界線。


 世界の維持者である華命玉天は、自らの神格を限界まで削って維持し続けた理の防壁を、静かに解いた。


 常に涼やかだった彼の顔には深い亀裂が走り、そこから黄金の神血が流れていた。しかし、彼はその血を袖で優雅に拭うと、崩壊を免れた宇宙の星々を見渡し、満足げな笑みを浮かべた。

「……見事な『解』だ。私の理を削った甲斐があったというもの。この世界は、さらに美しく、強固になったようだ」


 彼は、自らの傷すらも世界の新たな調和の一部として受け入れ、静かに目を閉じた。


 その背後、宇宙と宇宙の「隙間」に半身を乗り出していた暁鐘統合元帥の本体もまた、役目を終えた。


『――我が主の庭に、真の平穏が訪れんことを――』


 六つの巨腕に握られた大金棒を下ろし、声なき念波で祝福を残すと、元帥の巨躯は、音もなく次元の断層の向こう側へと溶け込むように消えていった。


 そして、地表の硝子と泥の跡地。


 虚無の波濤を最前線で喰らい続けていた神、瑚沼崎益雄は、大きく息を吐き出しながら、その場にどさりと尻餅をついた。


 彼の頑強な肉体は、虚無を喰らいすぎた代償として、腹部から下がステンドグラスのように透明に透けかけていた。


「……はぁ、はぁ。終わったか」

 益雄は、自分の透明になりかけた腹をさすりながら、皮肉げに、しかし心底安堵したように苦笑した。


「……もう当分、虚無(味なし)は食いたくないな。次は、みつらぼしのお嬢ちゃんたちと一緒に、ちゃんとしたメシが食いてぇもんだ」


 彼は、ネクタイを締め直し、神威のオーラを収めると、のんびりとした足取りで紫星城へと帰還の途についた。


 第十七天幕、統括制御局。


 虚無の浸食によって存在が消去されかけていたシステムが、ローラの観測と醉妖花の剪定によって、急速に正常な状態へと復元されていく。


 白く透けかけていたサフランの指先が、セージの手が、そしてミントの身体が、確かな実体を取り戻した。

「……エラー率、ゼロ。システム・オールグリーン。全データ領域の存在確率、100%に固定されました」


 サフランが、万年筆型のキーボードから手を離し、自慢のデキる女メガネをクイッと押し上げた。そのレンズの奥には、極限のブラック労働を乗り切った官僚としての、静かな誇りが光っていた。


「やりました! 虚無へのクレーム、取り下げてあげますぅ!」

 セージが、コンソールの上でピョンピョンと跳ね回りながら歓喜の声を上げる。


「終わった……終わったなお……」

 ミントは、椅子に深く沈み込み、全身の力を抜いた。彼女の白濁していた瞳から「未練の血涙」はすでに消え去り、澄んだエメラルドグリーンの瞳が戻っている。醉妖花の狂気が晴れたことで、彼女たちへの精神汚染も完全に解除されたのだ。


「みつらぼし」の通信回線が開く。


『――こちら月跡。対象の完全浄化を確認。大掃除は完了よ』


『――こっちもだぜ! クソ泥どもは全部片付いた! ハハ、最高の運動だったぜ!』


 月跡の澄んだ声と、ほたるの元気な笑い声が、指令室に響き渡る。


「みんな、本当にお疲れ様なお!」

 ミントは、弾かれたように立ち上がり、緑の羽を大きく広げて高らかに勝利を宣言した。


「この宇宙で一番過酷なブラック労働は、これにて終業なお! 残業代は有給百年分と、最高級のケーキバイキングで手を打つなお! さあ、お嬢様たちのところへ帰るなお!」


 歓声が上がる。狂気と死の処理に追われていた第十七天幕に、本来の彼女たち特有の、騒がしくも愛らしい日常が戻ってきたのだ。


 一方、旗艦『ゴールデン・ラズベリー・タワーMAX』のブリッジ。


「ニキ! ニキィ! 宇宙の価値が……市場が復活しましたぞ! 虚無の空売りにかけていたレバレッジが、反転して莫大な『有の利益』となって我々の口座に雪崩れ込んできております!彡 ⌒ ミ」

 リチェードが、限界を突破した残高メーターを見て、泡を吹いて倒れそうになっている。


「ガハハハハハッ!! 見たか! これが『ハイパーレバレッジ全ツッパ友の会』の底力だ! 宇宙の終焉すらも利益に変換する、究極の錬金術!彡 ⌒ ミ✨」


 ドミニエフは、魔法金の杖を振り回し、狂喜乱舞のステップを踏んでいた。


「我々の投資は、神々の理すらも超えた! さあ、この利益を元手に、次なる宇宙市場の開拓に乗り出すぞ! 醉妖花様の御庭を、黄金で埋め尽くして差し上げるのだ!彡 ⌒ ミ✨」

 彼らの欲望は、宇宙が救われてもなお、尽きることを知らない。


 すべてが終わり、死を閉じ込める残酷な温室だった紫星城は、醉妖花が真の太母として覚醒したことで、生と死が美しく循環する、真の「天空の庭園」へと新生していた。


 明るい陽射しが差し込む、緑豊かなテラス。


 柔らかな風が吹き抜け、色とりどりの花々が甘い香りを漂わせている。


 そのテラスに置かれた純白のガーデンテーブルで、黒蝶女官長と虹蜂近衛長が、最高級の茶葉で淹れた紅茶を穏やかに楽しんでいた。


 主君の狂気的な精神汚染から完全に解放された二人の顔には、シリンダーの魂を無慈悲に消し去っていた処刑人の面影はない。本来の気高く美しい高貴さと、人間味のある柔らかい笑みが浮かんでいた。


「……あの、血の匂いと悲鳴に満ちていた、息の詰まるような日々が嘘のようね」

 黒蝶が、ティーカップを静かに傾けながら、目を細めて呟いた。


「魂の悲鳴を美しいなどと思っていたなんて。……やはり、お茶の香りと鳥のさえずりの方が、私の性には合っているわ」


「全くだ。我らも随分と殺伐としていたからな」

 虹蜂は、武器を手放した穏やかな手で、ティーカップを手に取り、美しく咲き誇る庭園の向こうを眺めた。

「だが……今のこの心地よい風も悪くない。何より、お嬢様が……あんなにも心から、人間らしく笑っておられるからな」


 二人の視線の先。

 重く立ち込めていた黒い雷雨は完全に過ぎ去り、雲一つない完全なる「晴天」が、彼女たちの心と、新生した紫星城全体を優しく包み込んでいた。


 そして、テラスの最も見晴らしの良い、船首にあたる場所。


 そこには、醉妖花とローラの姿があった。


 もはや、見せかけの重苦しいウェディングドレスも、声や動きを縛る魔力の拘束もない。


 二人は、共に泥と汗にまみれた「探検服」の姿のまま、対等な関係として、しっかりと手を取り合って立っていた。


 支配する者と、される者ではない。


 互いの背中を預け合い、互いの弱さを補い合い、共に理不尽に立ち向かう「真のパートナー」。

 二人の視線の先には、八十八重宇段大天幕の外側に広がる、次元の海。

 無数の宇宙、無限の可能性を秘めた星々が、宝石を散りばめたように輝いている。


「次はどこへ行く? 醉」

 ローラが、吹き抜ける風に髪を揺らしながら、悪戯っぽく笑って問いかけた。その瑠璃色の瞳には、好奇心と冒険への渇望が満ち溢れている。

「そうね……」


 醉妖花は、ローラの繋いだ手をぎゅっと握り返し、ふわりと、世界で一番美しい笑顔を咲かせた。

「賑やかな世界がいいわ。……泥にまみれても、貴女と一緒なら、それが一番の冒険だもの」

 彼女は、振り返ることなく、背後に向かって命じた。


「ノキ、城を出して」


 二人の背後に控えていた、完璧な執事であり、真の庭師であるノキ=シッソが、恭しく、そして心からの敬意を込めて一礼した。


「御意に、我が主。……最高の航路をご用意いたします」


 そのノキの声に呼応するように、城の各所から、みつらぼしの少女たち、百薬の面々、そしてヴィクターと精霊たちの、元気で騒がしい復唱の声が響き渡る。

 猟奇的で残酷な箱庭の美学と、神々のマクロな理の衝突。


 数多の絶望と虚無を乗り越え、お転婆な少女と悪役令嬢の「真の冒険」が、今度こそ正しい軌道に乗り、新たな次元の海へと抜錨していく。


 その力強い船出を祝福するように、中庭のクリスタルの巨木が陽光を乱反射して、きらきらと、いつまでも輝いていた。


                                             Fin


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