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「お母様は悪役令嬢」  作者: 輝く泥だんご
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第127話 『陶酔』


 ヴィクター・フェイザーとアイオライト・シータの、歪んだ愛と論理が結びついた共生体が、次元の壁を物理的に「消去」した瞬間。紫星城という巨大な異物が、亡霊花ヶが支配する「0世代世界」――硝子の星が浮かぶ宇宙へと、その巨躯を滑り込ませた。


 次元の裂け目を通過した直後、紫星城を迎え撃ったのは、この宇宙を既に完全に支配し、死の苗床としていた「亡霊花ヶ」の免疫機構であった。


 虚空の深淵から、紫星城を圧壊させんと殺到してきたのは、かつてこの宇宙で死に絶えた数多の生命の、枯れ果てた腕と千切れた指先が、幾重にも呪詛を編み上げてわれた、星雲をも絞め殺すほどの巨大な触手の群れであった。


 死者の怨念が物理的な質量を持ち、触れたものを即座に「死の静寂」へと変換する概念的な猛毒となって、城の全方位から襲いかかる。


「……あら。随分と手荒な歓迎ね。でも、泥のついた靴で私の城に上がることは許さないわ」


 玉座に座る醉妖花は、冷たく鼻を鳴らした。

 

 彼女が扇を動かすまでもない。この城には、宇宙の境界線を守護する絶対的な「門番」たちがいるのだから。

 

 紫星城の外殻、漆黒の宇宙空間において、二つの「神威」が静かに躍動を開始した。


「――騒がしいな。私の世界で、勝手な理を押し付けないでもらいたい」


 城の尖塔の一つに、涼やかな青年の姿が陽炎のように浮かび上がった。

 世界の維持者、華命玉天である。彼は、全方位から迫り来る腕と指で構成された亡霊の触手を前にしても、己の衣の裾が乱れることすら気にする様子はなく、ただ、指先で虚空に一本の線を引いた。


 「この城は、老いず、滅びず、そして『朽ちる』ことはない」

 彼の本質である「維持の理」が、紫星城全体を不可視の球体となって包み込む。

 無数の枯れた腕が城の魔黒大理石に触れた瞬間、通常であれば即座に石材が腐敗し、死の灰へと変わるはずであった。

 しかし、華命玉天が「現状を維持する」と定義した以上、宇宙の法則がどうであろうと、城は傷一つ負うことはない。触手が放つ死の概念は、絶対零度のガラスの壁にぶつかったように、その進行を停止させられ、ポロポロと乾いた指の残骸を散らして霧散していく。


「さて、防壁は張った。あとは害虫駆除だが……」

華命玉天が涼やかな視線を投げた先。


 宇宙と宇宙の「隙間」――紫星城がこじ開けた次元の裂け目の淵から、どす黒い闇が溢れ出し、それが巨大な六つの腕を持つ「異形の神」のシルエットを形成した。


 暁鐘統合元帥の「本体」である。


 普段は分体として城の防衛に当たっている彼だが、次元潜行という宇宙規模の境界侵犯においては、その本体が直接、外宇宙からの圧力を受け止める必要があった。


『――我が主の庭を侵す泥どもよ。貴様らに、存在の許可は下りておらぬ――』

 元帥の本体は、声なき念波で宇宙を震わせると、六つの巨腕を振るった。

その手には、数十阿僧祇あそうぎの怨霊が練り込まれた、絶望的な質量を持つ「大金棒」が握られている。

 

 彼が大金棒をひとたび振るえば、数億光年の長さを持つ亡霊の触手が、物理的な破壊を通り越して「因果ごと」粉砕され、虚空の塵へと還っていく。


 亡霊の腕が次々と新たな指を伸ばし、絡みつこうとするが、元帥の本体は宇宙の隙間に陣取ったまま、飛んでくる害虫を叩き落とすように、黙々と、しかし圧倒的な暴力で防衛線を構築していった。


 巨神の腕が振るわれるたびに発生する衝撃波は、周囲の銀河大規模構造体を粉塵に変え、紫星城の航路を完璧に清掃していく。


「……マクロ防衛線、暁鐘様と華命玉様により完全に安定。……いやー、神様たちが本気出すと、モニターの数値がバグって目に悪いんだなお」

 第十七天幕、統括制御局。

 ミントは、相変わらず白濁した瞳から「未練の涙」を流し続けながらも、口調だけはどこか軽やかさを取り戻していた。彼女の背中に接続されたケーブル群は、城の推力と防衛システムの負荷を均等に分散させるべく、絶え間なく火花を散らしている。


「ミント代理、涙でキーボードがショートしますよ。ちゃんと耐水コーティングのキーボードを使ってください」

 サフランが、万年筆型のキーを回しながら呆れたように言う。彼女の眼鏡の奥では、亡霊の触手が粉砕されるたびに生じる莫大なエネルギーの残滓を、いかにして城の予備バッテリーへと変換するかの計算が、アト秒単位で行われていた。


「お嬢様ったら、本当に人使いが荒いですぅ。次元を超えてお花摘みなんて、スケールが大きすぎて、私、お昼のおやつの事しか考えられませんぅ」

セージが、巨大な装甲機『Salvia Gluttony』のコンソールの上で、マカロンをかじりながら 呑気に笑う。


「でも、これが私たちの仕事だもの。……さあ、外の神様たちが結界を支えてくれている間に、私たちは『中庭』の掃除よ。ドミニエフ会長に合図を」

 カモミールが、優雅な手つきで通信回線を開いた。

彼女たち「百薬」は、紫星城という狂気の坩堝にあっても、決してその愛らしさと「社畜としての逞しさ」を失っていなかった。

 血の涙を流すような凄惨な業務の中にあっても、彼女たちは軽口を叩き、お茶の時間を気にしながら、数兆の魂を処理していく。それこそが、彼女たちなりの主君への健気な奉仕の形であった。


「承知いたしましたぞおおお!! 外部防衛は神々にお任せし、我らはこの星の『資産』を根こそぎ回収いたしますぞ!! 彡 ⌒ ミ✨」

 

 通信越しに、ドミニエフの狂喜の絶叫が響く。

 

 紫星城の下部ハッチが開き、彼の率いる黄金艦隊と、塔道築教の施工僧たちが築いた「解体プラント」が、眼下に広がる硝子の星へと雪崩れ込んでいった。

 

 星の地表は、既に完全に「死」が完成した世界であった。


 大気中の水分も、生命の血も、とうの昔に亡霊花ヶの干渉によって結晶化しており、空からは永遠に止まぬ鋭利な「硝子の雨」が、静かに、しかし冷酷に降り注いでいる。

 

 逃げ惑う姿勢のまま、あるいは祈りを捧げる姿勢のまま、住民たちはすでに透明な「硝子の彫刻」と化し、永遠の静寂の中に閉じ込められていた。降り注ぐ硝子の雨は、すでに彫刻となった彼らの表面をチリチリと削り、あるいはその足元に白く透き通る砂となって降り積もっている。


 施工僧たちは、熱に浮かされたような読経と共に、その完成された死の芸術品――硝子化した都市と住民たちを、巨大な魔導クレーンで無造作に削り取る。そして、プレス機で都市ごと「高濃度魔力キューブ」へと圧縮し、紫星城の貯蔵庫へと搬入していく。


「……嬢ちゃんたち(みつらぼし)に、これ以上残業させるわけにはいかないからな。……一仕事するか」

 

 地表に降り立った瑚沼崎益雄は、ネクタイを緩め、スーツの袖をまくり上げた。


 彼に向け、地表の硝子の層を突き破って、亡霊花ヶの防衛器官である「黒い根」が数千本、槍のように突き出される。それらは、硝子の星の地殻深くにまで根を張り、星の生命力を吸い尽くさんとする悪意の結晶だった。


「――いただきます」

 益雄の背後に、神威の「あぎと」が顕現する。

 彼は迫り来る根を避けることなく、正面から噛み砕き、咀嚼した。


「……硬いな。それに、死の味が強すぎて舌が麻痺しそうだ。だが、栄養にはなる」

 彼はボヤきながらも、その人造の神としての圧倒的な暴力で、都市を覆う根を次々と喰らい尽くし、ドミニエフたちの「収穫作業」の露払いを完璧にこなしていった。

 

 彼は神となってもなお、みつらぼしたちの「保護者」であり、彼女たちの負担を少しでも減らすため、ただ黙々と、最も泥臭い最前線で亡霊の根を貪り続けた。


 ――そして、惨劇の中心。

 硝子の彫刻庭園」と化した、かつての繁華街の大通りに、醉妖花は降り立った。

 

 彼女の隣には、重厚な純白のウェディングドレスに身を包み、一切の音を奪われたローラが、見えない鎖に引かれるようにして立っていた。


 ローラには、硝子の雨が住民たちの亡骸を削る音も、施工僧たちの解体プラントが都市を砕く轟音も、益雄が根を噛み砕く咀嚼音も、何も聞こえない。


 だが、彼女の「観測」の瞳は、目の前で静止している硝子の彫刻たちの内側に、今もなお閉じ込められている「終わらない悲鳴」を克明に捉えていた。


(……やめて。……こんなの、美しくなんてない。ただの、地獄よ……!)


 ローラは叫ぼうとした。かつてアラビリスの裏路地で、理不尽に対して真っ先に拳を握って立ち向かった、あの「お転婆で気が強い」魂が、彼女の中で激しく沸騰している。


 しかし、喉が動かない。


 醉妖花が彼女の脳髄に打ち込んだ魔力の楔が、声帯を麻痺させ、一切の抵抗を許さない。

 

 そして、彼女が纏わされた純白のドレス――数億の魔晶石が縫い込まれたその衣は、物理的な重さだけでなく、因果律の重力となってローラの四肢を縛り付けていた。指先を数ミリ動かすことすら、黑洞を持ち上げるほどの精神力を要求される。


「見て、ローラ。あの子、永遠の命を得て、こんなにも美しく輝いているわ」

 醉妖花は、ローラの絶望と無力感を、「自分への依存」として甘く受け止めながら、祈るように両手を組んだまま硝子化している一人の少女の前に歩み寄った。


 少女の瞳孔の奥には、まだかすかに、消え入りそうな命の灯火が揺れている。

助けを求める「心」が、硝子の奥で明滅している。

醉妖花は、その少女の硝子の頬に、自らの白磁のような、しかし神の熱を帯びた指を添えた。

「……私が、この子たちの悲しみを、最高の『恍惚』で上書きしてあげる。そうすれば、私の庭に相応しい、完璧な装飾品になるわ」


 【超越汎心論:魂の標本化】


 醉妖花の魔力が少女の精神を侵食する。

 

 少女が硝子の中で抱き続けていた絶望、恐怖、家族を失った悲しみ。それらの「心」は、醉妖花の圧倒的な美しさに触れた瞬間、狂信的なまでの「陶酔」へと強制的に書き換えられた。


 少女の瞳から、一筋の硝子の涙が零れ落ちる。それは、恐怖からの解放ではなく、自らの存在意義を主君の美しさを引き立てるためだけの「モノ」へと貶められた、至上の供物であった。

(……やめなさい。……そんな偽物の心、あの子の本当の気持ちじゃない……!)

 

 ローラの瑠璃色の瞳が、悲憤に震える。

 

 彼女は「探し人」。過去に確定した事実でさえも「誤った観測」として書き換える力を持つ。


 彼女の瞳の奥で、その絶対的な力の火種が、チリチリと燻り始めていた。


(私の聴覚が封印されている? 私がこの重いドレスで動けない? ――そんなの、どうでもいいわ。私は……私は……!)


 ローラは、内なる「観測」の力で、自らを縛る呪縛の糸を解きほぐそうと試みる。


 だが、その火種は、まだ小さすぎた。

 

 そして何より、今の醉妖花――骸薔薇のサディスティックな神性に深く浸潤された太母の力は、ローラの未成熟な「観測」を、まるで分厚い鉛の壁のように押さえ込んでいた。

 

 「……ふふ。ローラ、貴女のその震える瞳、とても可愛らしいわ。大丈夫よ、貴女だけは硝子になんかさせない。私が、永遠に柔らかいままで保存してあげるから」


 醉妖花は、ローラの顎にそっと指を添え、自分の方を向かせた。


 そのラピスラズリの瞳には、愛と狂気が完全に融合した、底知れぬ暗闇が広がっていた。

 ローラの心の中で、抗おうとする意志が、冷たい絶望の波に飲まれそうになる。


 (……醉。……貴女は、どこに行ってしまったの……?)


 音を奪われ、自由を奪われた彼女は、ただ、涙をこぼすことしかできなかった。

 しかし、その涙は決して屈服の証ではない。いつか必ずこの異常な支配を打ち破り、本来の「醉」を引っ張り戻すという、深い悲しみの中に隠された、頑なな決意の雫でもあった。


「さあ、お庭のお手入れは終わりよ」

 醉妖花は、硝子化した都市の中心、星のコアが剥き出しになったクレーターの上に立った。

 

 そこには、亡霊花ヶがこの世界から吸い上げた、最も濃厚な「魂の原液」が、紫色のマグマとなって渦巻いている。

「……私の旅の、最初の最初の『蒐集品』になりなさい」

 

 醉妖花が、そのマグマへと右手を差し込んだ。

彼女の指先が触れた瞬間、沸き立っていた原液が恐怖に震えるように静まり返り、一点へと吸い寄せられていく。

 数兆の絶望、数兆の未練、そしてこの星が歩んできた数億年の歴史。

 その全てが、醉妖花の魔力によって極限まで圧縮され、情報の密度が物理的な限界を超えていく。


 耳を刺すような高周波と共に、星そのものが「収縮」を開始した。


 巨大な惑星が、醉妖花の掌の上で、まるで脱水される果実のように小さくなっていく。


 最後に、眩いばかりの黒紫色の閃光が走り――。

 

 醉妖花の掌の上には、一輪の、透き通った『クリスタルの薔薇』が咲いていた。


 その花弁の一枚一枚には、この星で最も美しく死んだ者たちの顔が、永遠に枯れない装飾として刻まれている。それは、一宇宙を滅ぼして手に入れた、あまりにも重く、美しい「戦利品」であった。


「……ノキ。これを中庭の特等席へ。……ローラが、朝起きて最初に目にする場所に植えなさい」


「御意に。……素晴らしい蒐集品でございました。お嬢様」

 いつの間にか傍らに控えていたノキが、恭しく薔薇を受け取る。


 彼のリスク回避の思考回路は、この圧倒的な暴力による蒐集を「太母としての正当な生育プロセス」と判断し、一切の疑問を抱くことなく、ただ環境を整えることに徹していた。

紫星城は、最初の獲物を完全に喰らい尽くし、次の「庭」を求めて、再び次元の海へとその巨躯を反転させた。


 城の排気口からは、燃えカスとなった数兆の魂の灰が、銀色の天の川となって宇宙に撒き散らされていく。

 

 テラスで、醉妖花の腕に抱かれたローラは、音のない世界で、ただその銀の灰を見つめていた。

 

 彼女の胸の奥で、小さな「観測」の火種が、いつか来るべき反逆の時を待ちわびながら、静かに、しかし決して消えることなく、熱を帯び続けていた。


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