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「お母様は悪役令嬢」  作者: 輝く泥だんご
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第124話 『ひこばえ』


 絶対的な静寂が、世界を支配していた。


 醉妖花の背後に顕現した「幻影の花」が、宇宙を覆わんばかりの質量を持っていた「亡霊花ヶの本体」を、音もなく、しかし最後の一滴まで飲み干した直後である。


 かつて絶望的な威容を誇り、この宇宙を死に染め上げようとしていた「死」の権化は、今や醉妖花の唇を濡らす、ほんのわずかな雫となって消え失せていた。


「……ごちそうさま」

 醉妖花は、艶やかに濡れた唇を指先で優雅に拭うと、不満げに吐息を漏らした。

 

 その一言で、凍りついていた時間は動き出す。

 

 ドミニエフたち「友の会」の面々や、ミントたち「百薬」の官僚たちが、そしてヴィクターを取り囲んでいたクオーツ・ゲシュタルトの姉妹たちが、勝利の歓声を上げようとした。

 だが、


「――不味いわ」


 醉妖花の冷徹な声が、その歓声を喉元で凍らせた。

 彼女は、天井――今は晴れ渡り、美しい星空が見えるはずの場所を、憎々しげに見上げていた。


 「味が薄い。コクがない。まるで、何千回も出涸らしにしたお茶を飲まされた気分よ。……これが『本体』だなんて、嘘でしょう?」


 彼女の言葉に応えるかのように、晴れ渡ったはずの星空に、ピキリ、と亀裂が走った。


 それは物理的な破壊ではない。

 

 この宇宙という「絵画」のキャンバスそのものが、裏側からの圧力によって裂けたのだ。

裂け目から覗いたのは、星の輝きではない。


 ドロドロとした、腐敗した泥のような「根」の集合体。それが、この宇宙の外側――「次元の壁」の向こう側から、無数に張り巡らされている光景だった。


「……やはり、そうなりますか」

 ノキ=シッソが、真新しい燕尾服の埃を払うふりをしながら、やれやれと肩をすくめた。

 彼は、そのおぞましい「根」の群れを見ても、庭の雑草が増えた程度の反応しか示さない。


「皆様、喜び勇んでおられるところ恐縮ですが、宴会は中止です。あれはこの宇宙における『本体』ではありましたが、真の意味での『根源』ではありません」


 ノキは眼鏡の位置を直し、冷徹に解説を始めた。


 「先ほど醉妖花様が召し上がったのは、亡霊花ヶという巨大な植物の、ほんの『指先』。多元的な視点で見れば、この宇宙に伸びてきていた『ひこばえ』一本に過ぎません」


「な、なんと……!? あの絶望的な質量が、指先一本ですと!?彡 ⌒ ミ」

ドミニエフが、魔法金の杖を取り落としそうになる。


「ええ。ドミニエフ会長、貴方の得意な『分散投資』ですよ」


 ノキは、空の亀裂を指差した。

「亡霊花ヶは、単一の宇宙に存在する個体ではありません。太母というシステムが創り出し、そして共食いの果てに廃棄された『0世代世界』の残骸――その数多の宇宙の死体スクラップを苗床にして根を張り、無限に増殖する『宇宙のカビ』のようなものです」

深淵が、さらりと語られる。


「奴の真の本体は、ここにはない。既に死に絶えた無数の宇宙の墓場に根を張り、そこから吸い上げた『死』を全次元へ供給し続けている。だから、ここで何度倒しても無駄です。根元を断たねば、何度でも生えてくる」


 絶望的な沈黙が場を支配した。

 倒したはずの敵は、氷山の一角ですらなかった。

 彼らは、終わりなき消耗戦の入り口に立たされていたのだ。


「……ふざけないで」

 その沈黙を破ったのは、醉妖花の怒気だった。

 彼女は立ち上がり、ドレスの裾を翻した。その青い瞳には、恐怖ではなく、自分の庭を汚されたことへの、烈火のごとき憤怒と、そして傲慢なまでの支配欲が渦巻いていた。


 「私の庭に、カビが生えている? 別の宇宙から屑を投げ込まれている? ……許せるわけがないでしょう」


 彼女は、ノキを、ヴィクターを、そしてローラを見回し、宣言した。

「気に入らないわ。全部、燃やして、私の色に染め直してやる」


彼女は、空の亀裂――異世界へと続く「根」の道を指差した。


「ノキ。この城を動かしなさい。待っていても来ないなら、こちらから出向くわ」


「亡霊花ヶが根を張る全ての宇宙、全ての次元を渡り歩き、その根を一本残らず引き抜いて、私の糧にする」


 それは、防衛戦の終了と、全多元宇宙規模への「侵略戦争」の開始宣言だった。


「……御意。庭師冥利に尽きる難題です」


 ノキは、口元を三日月型に歪め、恭しく一礼した。

「ですが、次元を超えるには『道案内』が必要です。……ねえ? 『境界』に詳しいお兄様?」


 ノキの視線が、ヴィクター・フェイザーへと向けられる。


 ヴィクターは、ローラの隣で静かに佇んでいた。その周囲には、彼を案じるクオーツ・ゲシュタルトの姉妹たちが寄り添っている。


「……私の『本質』を使えということか」

 ヴィクターの合成音声は、静かだった。

 彼の身体からは、先ほどまでの暴走の余波――「虚無」の気配が、まだ微かに漂っていた。


「ええ。貴方は『さいなまれる大樹』の苗木。本来、世界を虚無に還すための存在。だからこそ、貴方の根は、亡霊花ヶと同じく『世界の裏側』に通じている」


 ノキは、残酷な事実を提示する。

 貴方のその『虚無』の力を、世界を滅ぼすためではなく、次元の壁を切り裂き、亡霊花ヶの根城へと至る『航路』を拓くための『衝角』として使うのです」


「待ってください!」

 鋭い声が響いた。ローズクォーツ・イプシロンが、ヴィクターを庇うように前に出る。

「ヴィクターさんは、たった今、暴走から戻られたばかりです! これ以上『虚無』を使えば、今度こそ彼の心が……!」


「そうよ! ヴィクターを道具みたいに扱わないで!」

 アメシスト・ミューもまた、涙目でノキを睨みつける。姉妹たちは一様に、愛するヴィクターが再び危険に晒されることを恐れていた。


「……危険な賭けだ。私が再び暴走すれば、今度こそ醉妖花殿の庭を枯らすことになる」

 ヴィクター自身も、姉妹たちの手を優しく制しながら、重々しく告げる。


「その時は、私が止めるわ」

 凛とした声が響いた。

 ローラが、ヴィクターの手を強く握ったのだ。彼女の瑠璃色の瞳が、真っ直ぐに彼を見つめる。

「私が『観測』する。あなたが道を見失わず、私たちのための道を切り開く未来を。だから、信じて」


「ローラ様……」

 ダイヤモンド・カイが、その揺るぎない瞳を見て息を呑む。


 彼女の言葉は、単なる励ましではない。因果を確定させる絶対的な保証。

 ヴィクターのヘルメットの奥の瞳が、揺らぐ。そして、覚悟の色に定まった。


「……承知した。この身が果てるまで、貴殿らの『衝角』となろう」


 醉妖花は、満足げに頷いた。


「ドミニエフ! 貴方の船と、Arcane Genesisの技術、塔道築の生産力、その全てをこの紫星城に統合しなさい! 次元を渡る『箱舟』を作るのよ!」


「は、はいぃぃぃっ! 新規事業『多元宇宙再開発プロジェクト』、直ちに着手いたしますぞ! リスクは無限大、リターンは宇宙全部! 全ツッパですぞおおお!彡 ⌒ ミ✨」

 ドミニエフが、歓喜と恐怖の入り混じった奇声を上げて走り出す。


 「ミント! 貴女は城内の環境維持と、新たに取り込む世界の『管理』を! 雑草取りの準備はいいわね!?」


「了解なお! もうヤケクソなお! 宇宙の果てまで残業してやるなお!」

 ミントが、大量の胃薬を噛み砕きながら敬礼する。


「クオーツ・ゲシュタルトの小鳥たち。貴女たちには、ヴィクターの補佐と、紫星城の制御系を任せるわ。私の城を、貴女たちの愛で飾り立てなさい」


「了解です、醉妖花様! ヴィクターさんとの愛の巣(城)、完璧に仕上げてみせます!」

カーネリアン・アルファが元気に敬礼し、姉妹たちもそれぞれの役割へと散っていく。


 そして、醉妖花は最後に、空の亀裂を見上げた。

「待っていなさい、亡霊花ヶ。……いいえ、死に損ないの『お姉様』」

 彼女の唇が、捕食者の笑みを形作る。


「貴女が喰らい尽くした世界も、貴女の絶望も、全部私が美味しく頂いてあげる。……さあ、冒険の続きよ、ローラ!」


 八十八重宇段大天幕が、地響きを上げる。


 大地から切り離され、新たな推進機関が起動し、次元潜行要塞としての産声を上げる。


 物語は終わらない。


 多元宇宙を股にかけた、終わりのない「庭造り(侵略)」が、今まさに始まろうとしていた。


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