第122話 『社用車』
~紫星城、地下深層部~
そこは、かつては冷たい虚無と岩盤だけが広がる封鎖区画だった。だが今は、「狂気」と「予算」と「技術」が飽和し、物理法則すらも歪むほどの魔力が渦巻く、巨大な工廠へと変貌を遂げていた。
第108戦略機動格納庫。
ドミニエフが「社用車」と嘯き、ノキ=シッソが「庭の手入れ道具」と称した、新たな力が眠る場所である。
「……正気じゃないなお」
ミントは、眼前に鎮座する鋼鉄の巨像『Mentha Majesty (メンサ・マジェスティ)』を見上げ、乾いた笑い声を漏らした。
だが、その乾いた笑いは、機体の大きさに対する驚きからではない。この機体に組み込まれた術式の「桁」に対する、呆れと戦慄によるものだった。
「私の『増殖』と『浸潤』の魔力……その出力リミッターを、物理的な肉体の限界から解き放つための『拡張端末』。……ドミニエフの金と、Arcane Genesisの技術で、私の『事務処理』を星系規模に拡大しろってことかなお」
「いかにも! これは兵器ではありません。貴女様がこの宇宙に『命令』を通すための、巨大な『拡声器』です!」
整備班長を務める塔道築教の施工僧が、脂ぎった顔でサムズアップをする。その瞳には、技術者としての狂信的な輝きが宿っていた。
その背後では、サフランが紫色の鋭角的な機体『Crocus Calculator』のセンサー・アイ――どう見ても巨大な眼鏡の形をしている――を、愛おしそうに撫で回している。
「素晴らしい……この解像度、この演算処理能力。これなら、亡霊花ヶの構成粒子の数を数えながら、明日の天気予報まで計算できますね。……フフ、フフフフ!」
サフランの目が据わっている。デスマーチの果てに、彼女は何かの閾値を超えてしまったらしい。
「甘いですぅ! この装甲、イチゴ味のコーティングがされてますぅ! ぺろぺろ」
セージに至っては、お菓子の家のようなファンシーな塗装が施された重装甲機『Salvia Gluttony』の装甲板を、あろうことか味見していた。
ミントはこめかみを押さえた。胃が痛い。しかし、頭上の警報音が、感傷に浸る時間を無慈悲に奪い去る。
『――警告。亡霊花ヶ本体、およびその眷属群、最終防衛ラインへ接触。ヴィクター・フェイザー殿の防衛網、突破されます!――』
「……やるしかないなお」
ミントは覚悟を決め、パイロットスーツの襟を正した。それは、戦士の顔ではない。膨大なタスクを前にした、熟練の行政官の顔だった。
「総員、搭乗! これより『残業時間 (オーバータイム)』を開始するなお! 私たちの仕事は戦争じゃない……『世界の修正』だなお!!」
「「「了解 (ですぅ)!!」」」
ミントがコクピットへと滑り込む。
全天周囲モニターが起動し、戦場の情報が洪水の如く流れ込んでくる。だが、ミントの思考はクリアだった。彼女の本質「増殖」が、機体の『超高速並列処理システム』とリンクし、数億の敵情報を「未処理書類」として瞬時にタグ付けしていく。
「システム・オールグリーン。メンサ・マジェスティ、出るなお!」
カタパルトの爆発的な加速Gが、彼女の身体をシートに押し付ける。
紫星城のゲートが開き、3機の『ガーデナーズ』が宇宙の闇へと躍り出た。
外宇宙は、地獄の様相を呈していた。
視界を埋め尽くすのは、星の数ほどの亡霊たち。そして、物理法則を無視して迫る「死」の概念汚染。ドミニエフの艦隊が展開する黄金の障壁も、飴細工のように砕かれつつあった。
「ひるむな! 私たちの仕事は『掃除』だなお!」
ミントが叫ぶと同時に、メンサ・マジェスティの背部バインダーが展開される。
そこから散布されたのは、ミサイルでもビームでもない。
無数のビットが形成する、緑色の幾何学模様――巨大な魔法陣のグリッドだった。
「認識範囲、拡大。半径3光年以内の全敵性存在を『タスク』としてタグ付け。……承認(Accept)」
物理的な閃光ではない。
半径3光年に及ぶ宇宙空間そのものに、緑色の罫線が引かれた。
「処理開始!!」
ミントがコンソールを叩く。
その瞬間、グリッドに捕らえられた数兆、数京の亡霊たちの「存在定義」が、物理的な攻撃を受けることなく、一斉に書き換わった。
『エラー:存在許可証の不備を確認。即時退去を命ず』
音もなく、数京の軍勢が「最初からそこにいなかった」かのように消滅した。
光線で焼いたのではない。「事務的に」処理されたのだ。
「ふぅ……。雑魚掃除完了。次はサフラン!」
「ええ、計算終了しています」
サフランの機体『Crocus Calculator』が、長大な万年筆型カノンを構える。その照準は、個々の敵戦艦ではなく、遥か彼方、敵軍の動きを統率する「因果の結び目」に向けられていた。
「計算終了。貴方達の存在確率は、ここでゼロになります」
閃光一閃。
論理的な弱点を撃ち抜かれた亡霊戦艦が、爆発することなく、データの藻屑となって霧散した。さらに、その消失がドミノ倒しのように周囲の因果を狂わせ、数千万隻の艦隊が自壊を始める。
「あはははは! いただきまーす!」
セージの重装甲機『Salvia Gluttony』が、敵の放つ「死の呪い」そのものを、腹部の巨大なハッチを開けて吸い込んでいく。
「呪いも毒も、食べちゃえばカロリーですぅ!」
呪いをエネルギーに変換し、それを味方への「回復波動」として再放射する。
これが、「百薬」の本来の戦い方。
物理的な戦闘ではない。理不尽なまでの「管理権限」の行使。
だが、それでも。
宇宙の彼方から迫る亡霊花ヶの「圧」は、その理不尽さえも飲み込もうとしていた。
星系規模の事務処理で消し飛ばしても、次の一瞬には、その「空白」を埋めるように、新たな、そしてより濃密な「死」が湧き出してくる。
「キリがないなお……! これが、天花の『質量』……!」
ミントの額に汗が滲む。処理落ち寸前の警告音が鳴り響く。
その時、通信回線に、凛とした声が割り込んだ。
『――お疲れ様、ミント。事務処理は完璧ね。ここからは、私たちが「掃除」するわ』
紫星城の最深部、第0番ゲートが、重苦しい音を立てて開放される。
そこから漏れ出したのは、ただのエネルギーではない。
世界を焼き尽くす「熱」と、世界を切り刻む「殺意」。
「行くわよ、セレーネ」
月跡が搭乗する『Selene Executor (セレーネ・エグゼキューター)』。
その機体が現れた瞬間、戦場となっていた宇宙空間の「温度」という概念が消失した。
背負った巨大な光輪が輝くと、それは冷たくも美しい月光となって宇宙を満たす。
『鎮魂歌・フレア』
月跡が機体の手をかざす。
放たれたのは、ビームではない。
「認識できる全ての領域の因果焼却」。
視界に映る全ての亡霊、全ての敵艦、そしてそれらが存在する空間そのものが、銀色の炎に包まれた。
熱による燃焼ではない。「死んでいる」という属性そのものを燃料にし、その存在の歴史ごと焼き尽くす概念干渉。
「燃えなさい。貴女たちの『死』は、私の主の庭には不要よ」
月跡が腕を一振りするだけで、星系を埋め尽くしていた敵の前衛が、銀色の灰となって宇宙の塵に還る。かつて世界境界を焼いた彼女の力が、リレイフレームという増幅器を得て、戦略兵器の規模で解き放たれたのだ。
そして、もう一機。
『ヒャッハー! 待ちくたびれたぜェ!』
深紅の重装甲機『Hecatoncheir Arms (ヘカトンケイル・アームズ)』が、物理法則を無視した慣性制御で、敵陣のド真ん中へ転移する。
ほたるの本質、「武具の操作」。
彼女にとって、敵が持つ武器も、敵意も、そして敵の肉体(亡霊)そのものも、「自分を害するもの=武具」だ。
「おいおい、そんな物騒なもん向けてんじゃねーよ。――それ、全部『オレの』だぜ?」
ほたるが吠えると、機体の背部から伸びる6本の巨大なサブアームが、虚空を掴む動作をした。
瞬間。
敵艦隊が一斉に放とうとしていた主砲のエネルギーが、逆流した。
亡霊たちが振るおうとした爪が、意思に反して隣の亡霊を引き裂いた。
さらに、亡霊花ヶが伸ばしてきた巨大な「根」――それ自体が生物兵器であるそれらが、ほたるの制御下に落ち、敵軍を薙ぎ払う鞭へと変わる。
「オラオラオラァ! 自分の武器で滅びなッ!」
そして、主腕が握る、全長数百キロメートルにも及ぶ概念武装『ギガント・デスサイズ・II』が一閃。
それは物質を切るのではない。「距離」を切断した。
遥か彼方にいた敵の後続部隊が、空間ごと切り裂かれ、断面から崩壊していく。
「す、すごい……なお……」
ミントは、その圧倒的な蹂虙を前に、ただ呆然と呟くしかなかった。
数光年に及ぶ戦場が、たった二機によって、一瞬にして「更地」に変えられていく。
だが、
それでもなお、絶望は止まらない。
『――いとしい、いとしい、わがむすめよ――』
亡霊花ヶの本体。その「声」が響いただけで、月跡の銀の炎がかき消され、ほたるが支配したはずの武器が錆びついて崩れ落ちる。
天花としての「格」の違い。
それは技量や出力の問題ではない。世界を塗り替える絵の具の「濃さ」の違いだった。亡霊花ヶという黒い絵の具は、彼女たちの銀や紅を、無慈悲に塗りつぶしていく。
月跡たちがどれほど広範囲を焼き、どれほど概念を支配しようとも、相手は「死」そのもの。
焼いた端から蘇り、支配した端から腐敗する。
「チッ、やっぱり本体は桁が違うぜ!」
ほたるが叫ぶ。機体の関節部から、過負荷によるスパークが散る。
「ええ……。私たちの力は通用する。でも、『量が』違いすぎるわ」
月跡もまた、焦りを隠せない。彼女の因果焼却をもってしても、星団規模の死の供給には追いつかない。
戦場は、月跡たちの圧倒的な力で一度は押し返したが、巨大すぎる質量の前に、再びじりじりと「死」へと傾き始めていた。
「……ここから先は、『理外』の勝負ね」
月跡が、後方の紫星城へと視線を向ける。
そこには、神となった益雄と、世界の維持者である華命玉天が、静かにその時を待っていた。




