第120話 『新しいお気に入り!?』
亡霊花ヶの影が、醉妖花の足元で巨大な黒い絨毯として静まり返ると、その上に鎮座する『Kristallpalast』が、静かに、しかし眩いばかりの光を放ち始めた。
「……降りてきなさい。私の庭で、いつまでも箱の中に引きこもっているのは無粋よ」
醉妖花が、まるで招待客を招き入れる女主人のように、優雅に手招きをする。
それに応えるように、全長数千キロにも及ぶ巨大な水晶宮が、激しく、しかし美しく脈動した。
物理的なハッチが開くのではない。巨体そのものが、光のプリズムを通過したかのように、12色の輝きへと鮮やかに分光したのだ。
空間を震わせながら、巨大な構造体が解体・再構築されていく。
ある輝きは深紅に、ある輝きは紫に、またある輝きは透き通るような無色に。
12に分かれた光の塊は、凄まじい勢いで収縮しながら地上へと降り注ぐ。それは、巨大な質量とエネルギーが、人の形という「極小の器」へと高密度に圧縮されていくプロセスだった。
光が弾け、硬質な、しかし軽やかな足音が赤い砂の上に響く。
『Kristallpalast』という巨大な機体そのものが変容し、物理的な「実体」を形成した姿。
磨き上げられた宝石のような肌と、それぞれの名を冠した輝きを瞳に宿した、12人の美しい乙女たち――クオーツ・ゲシュタルトの姉妹たちが、そこに立っていた。
「うわぁ……! これが、地面……! 重力……!」
カーネリアン・アルファが、自らの足――先ほどまでは戦艦の推進器であった部分――で赤い砂を踏みしめ、その感触に瞳を輝かせる。
「風の音……匂い……データじゃない、本物の空気……」
ムーンストーン・サイが、震える手で自らの頬に触れる。数千キロの装甲が、今は柔らかな肌の感触となって彼女を包んでいる。
彼女たちは、生まれたばかりの雛鳥のように、世界という物理現象に戸惑い、そして感動していた。
だが、その感動も一瞬のこと。
彼女たちの視線が、一人の人物――満身創痍で佇む、同じく巨大な機体から人サイズへと凝縮したヴィクター・フェイザーへと吸い寄せられる。
「ヴィクター!!」
アメシスト・ミューが、ドレスの裾(装甲)を翻して駆け出した。
もはや、演算も遠慮もない。子犬のように、彼女はヴィクターの胸に飛び込んだ。
「ぐっ……」
ヴィクターが、衝撃によろめく。機械の身体であっても、その衝撃は物理的なものだ。元が超巨大戦艦である彼女の抱擁は、愛の重さそのものだった。
「ああ、ヴィクター! ヴィクター! 触れる! 触れるわ! 温かい! 硬い! 本物だわ!」
アメシストは、ヴィクターの首に腕を回し、そのヘルメットに頬ずりをする。
「ヴィクターさん……ご無事で……本当によかった……」
ローズクォーツ・イプシロンが、涙を流しながら彼の腕にすがりつく。
12人の姉妹たちが、次々とヴィクターを取り囲み、抱きつき、触れ、その存在を確かめ合う。
そこにあるのは、電子の海で交わされた情報のやり取りではない。
体温(排熱)、鼓動(駆動音)、そして重み。
物理的な接触がもたらす、圧倒的な「実在感」の奔流だった。
その光景を、少し離れた場所から見ていたローラは、驚きに瞬きをした後、ふっと肩の力を抜いて微笑んだ。
「……よかった」
彼女の口から、安堵の吐息が漏れる。
虚無の檻の中で彼女が見たヴィクターは、あまりにも孤独だった。
「さいなまれる大樹」という宿命を背負い、誰にも理解されず、ただ一人で消えていこうとしていた魂。
けれど今、彼には体温があり、彼を求めて泣き、笑う「家族」がいる。
「貴方は、空っぽなんかじゃなかったのね」
ローラは、ヴィクターに押し寄せる騒がしくも温かい「愛の波」を、眩しそうに見つめた。
それは彼女が「観測」し、確定させたかった「英雄の帰還」の、さらにその先にある「幸福な結末」そのものに見えたからだ。
「……貴殿らは……」
ヴィクターは、されるがままになっていた。
拒絶することも、振りほどくこともしない。
ただ、自らの胸に押し付けられる彼女たちの「重み」を、戸惑いながらも、どこか神聖なものとして受け止めていた。
「私たちは、貴方に会うために、全てを捨ててきたの」
最後に、ダイヤモンド・カイがヴィクターの前に立った。
彼女の瞳は、どんな宝石よりも硬く、美しく輝いている。
「弊社(Arcane Genesis教団)は退職したわ。これからは、貴方という個人事業主が、私たちの新しい『就職先』よ」
それは、愛の告白であり、忠誠の誓いだった。
その、あまりにも騒がしく、しかし幸福な光景を、醉妖花は玉座から頬杖をついて眺めていた。
「……ふふ。私の庭が、随分と賑やかになったものね。ローラ、貴女のお気に入りの英雄様は、随分とおモテになるようよ?」
醉妖花がからかうように水を向けるが、ローラは苦笑して首を横に振った。
「やきもちは焼かないわよ、醉。……彼があんな風に困った顔をするなんて、初めて見たもの。なんだか、見ていて安心するわ」
だが。
その幸福な時間は、無粋な警告音によって引き裂かれた。
『――警告。離反プロトコルを検知――』
『――資産管理コード:Quartz Gestalt。所有権の放棄は認められません――』
12人の姉妹たちの動きが、一斉に止まった。
彼女たちの美しい瞳から輝きが消え、代わりに、苦痛と絶望の色が浮かび上がる。
「あ、が……ッ!? なに、これ……熱い……!」
アメシストが、胸を押さえて崩れ落ちる。
「システムに……強制介入……!? 『ご婦人方』の……呪い……!?」
アイオライト・シータが、自身のコアに走る亀裂のようなノイズを解析しようとするが、思考が追いつかない。
彼女たちの義体の表面に、Arcane Genesis教団の紋章が、焼き印のように赤く浮かび上がり、明滅を始めたのだ。
それは、教団が「所有物」の逃亡を防ぐために仕込んでいた、最悪の自壊コード。
『――戻りなさい、お人形たち。貴女たちの魂は、教団の所有物です――』
『――抵抗するならば、その機能ごと初期化します。A7諸共ね――』
空間に直接響く、教団の上位存在「ご婦人方」の、冷酷極まりない思念。
それは、姉妹たちを物理的に破壊するだけでなく、彼女たちを「自爆兵器」としてヴィクターにけしかけようとする、悪意のコードだった。
「いや……嫌よ……! 私は、ヴィクターを傷つけたくない……!」
ローズクォーツが、必死にヴィクターから離れようとする。だが、身体が言うことを聞かない。彼女の手が、意思に反して凶器へと変形し、ヴィクターの喉元へと向けられる。
「っ……!」
ローラが、反射的に駆け出そうとした。
彼女の「観測」の力が、姉妹たちを縛る因果の鎖を視認したからだ。
だが、その手は醉妖花によって優しく制された。
「待って、ローラ。……ここは、彼に見せ場を譲りましょう」
醉妖花の視線の先。
「――手出し無用」
低い、しかし鋼のような響きを持った声が、場を制した。
ヴィクター・フェイザーだった。
彼は、自分に向けられたローズクォーツの凶器の手を、恐れることなく、優しく掴んだ。
「……ヴィクター……さん……? 逃げて……!」
「逃げる必要はない」
ヴィクターは優しく云った。
「彼女たちは、私の元へ来た。ならば、彼女たちの管理権限は、私が持つ」
彼は、虚空に右手をかざした。
その掌に、一切の色を持たない「虚無」の刃が形成される。
それは、物質を斬るものではない。
因果を、契約を、支配を、理不尽な運命を断ち切る、概念切断の刃。
「Arcane Genesis教団。……貴殿らの『調和』には、彼女たちの『愛』を許容する余地はないと判断した」
ヴィクターは、その刃を、姉妹たちと、遥か彼方の教団本部を繋ぐ「見えない鎖」へと向けて、振り下ろした。
「ならば、ここで絶縁する」
【虚無切断】
音はなかった。
だが、その場にいた全員が、何かが決定的に「切れた」音を聞いた気がした。
姉妹たちの身体に浮かんでいた赤い紋章が、ガラス細工のように砕け散る。
彼女たちを縛っていた自壊コード、強制介入プログラム、そして教団への隷属義務。
その全てが、ヴィクターの「虚無」によって、「存在しないこと」にされたのだ。
ローズクォーツの手が、凶器から、元の柔らかな人間の手へと戻る。
アメシストの苦痛が消え、アイオライトの思考ノイズが晴れる。
『――接続、消失……!? A7、貴様、何を……!?――』
虚空に響いていた「ご婦人方」の思念が、狼狽と共に遠ざかり、完全に途絶えた。
ヴィクターは、姉妹たちを縛る鎖を断ち切ると、静かに教団の存在する宇宙の方角へと背を向けた。
そして、その場に崩れ落ちそうになったローズクォーツを支えながら、明確に告げた。
「貴殿らは、もはや教団の道具ではない。……私の、大切なパートナーだ」
その言葉に、姉妹たちの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
それは、データのエラーではない。
自由と、愛と、そして自分たちを選んでくれた「ヴィクター」への、溢れんばかりの感情の露呈だった。
「うわぁぁぁん! ヴィクターぁぁぁ!!」
「一生ついていくわ! 覚悟しなさいよ!」
再び、歓喜と涙の抱擁がヴィクターを襲う。
だが今度は、その光景を邪魔する無粋なノイズは、どこにもなかった。
ローラは、その光景を見て、満足そうに頷いた。
そして、ヴィクターの元へと歩み寄る。
姉妹たちの歓喜の輪の外側で、ローラはヴィクターと視線を合わせた。
「かっこよかったわよ、ヴィクター」
ローラは、いたずらっぽく、しかし敬意を込めて言った。
「自分の大切なものを自分で守る。……やっと、本当の意味で『自分の足』で立ったのね」
ヴィクターは、姉妹たちに揉みくちゃにされながらも、ローラに向けて深く頷いた。
「……貴殿の助けがあったからこそだ。感謝する、ローラ殿」
「ねえ、ヴィクター!」
その時、アメシストがヴィクターの腕の中から顔を出し、ローラをまじまじと見つめた。
「このちっこい子、だあれ? もしかして、ヴィクターの新しいお気に入り!?」
姉妹たちの一斉の視線がローラに集まる。
嫉妬、好奇心、警戒。様々な色の視線。
ローラは怯むことなく、胸を張って答えた。
「私はローラ。ヴィクターの……そうね、ただの『友人』よ。貴女たちの大切な『人』が道に迷わないように、ちょっとだけ手助けしただけの」
その言葉に、ダイヤモンド・カイが進み出た。
彼女はローラの瞳を覗き込み、そこに宿る瑠璃色の輝き――ヴィクターの魂を繋ぎ止めた力の残滓を感じ取った。
「……そう。貴女が、彼を『繋ぎ止めて』くれたのね」
ダイヤモンドは、ローラの手を取り、その甲に口づけを落とした。
「感謝します、ローラ様。貴女がいなければ、私たちはヴィクターを失っていた。……これからは、私たち姉妹も貴女の力になりましょう」
「ええっ、ちょっ、様とかやめてよ!」
慌てるローラを見て、姉妹たちがクスクスと笑い出す。
「ヴィクターの恩人は、私たちの恩人だもんね!」
「仲良くしてあげるわ!」
賑やかな笑い声が、古城に響く。
「……ふん」
一部始終を見ていた醉妖花は、満足げに鼻を鳴らした。
「自分の『物』は自分で守る。……最低限の器量は持ち合わせているようね」
彼女は、ノキを従え、ヴィクターと姉妹たちの方へと歩み寄った。
その足元では、平伏した亡霊花ヶの影が、恭しく道を開けている。
「ヴィクター・フェイザー。そして、騒がしい水晶の小鳥たち」
醉妖花の声に、姉妹たちがハッとして顔を上げ、ヴィクターが姿勢を正す。
「貴方たちは、帰る場所(教団)を失った。……違うかしら?」
「……肯定する」
ヴィクターが答える。
「我々は、教団の教義に反逆した。もはや、彼らは我々を『排除すべき敵』として認識するだろう」
「そうね。あの無粋な『ご婦人方』とやら、私も気に入らないわ」
醉妖花は、扇で口元を隠し、妖艶に微笑んだ。
「敵の敵は、私の愛しい下僕。……歓迎してあげるわ、Arcane Genesisの亡命者たち」
彼女は、両手を広げた。
その背後には、紫星城の威容と、服従した亡霊花ヶの影、そして彼女を崇める利帝国の軍勢が控えている。
「私の庭は広いのよ。小鳥の十羽や二十羽、そしてその止まり木の一本、何も問題ないわ」
「その代わり……存分にさえずり、存分に踊り、木陰で私を楽しませなさい。いいわね?」
その、あまりにも傲慢で、しかし圧倒的な包容力を持つ提案に、ダイヤモンド・カイが一歩進み出た。
彼女は、ドレスの裾をつまみ、カーテシー(臣下の礼)をとった。
「契約成立。……我らQuartz Gestalt、及びヴィクター・フェイザーは、これより醉妖花様の『庭』に生けるものとして、その音と武威を捧げます」
「よろしい」
醉妖花は頷き、そして、宇宙の彼方を見据えた。
「亡霊鏡教。Arcane Genesis教。……私の庭を荒らそうとした代償、高くつくと思いなさい」
今生の悪役令嬢、醉妖花の瞳が、赤と金の光を煌めきを放つ。




