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「お母様は悪役令嬢」  作者: 輝く泥だんご
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第105話 『…肯定する』

 その、あまりにも真摯で、あまりにも真っ直ぐな「協力」の申し出に、今度は醉妖花たちが言葉を失った。


「貴殿らが『エルドラド・レゾナンス』を成し遂げたあの現象、あれは、私が今まで観測した、いかなる現象よりも美しい『調和』の形だった。私は、その『美』が、この宇宙から失われることを望まない。それを守るためならば、私は、評議会の意向に背いてでも、この力を振るおう」


それは、英雄の誓いだった。


 しかし、その高潔な誓いを、凍てつくような静寂が打ち破った。


 醉妖花の瞳の色が、静かに、しかし絶対的な力を持って赤と金に変わったのだ。

 顕現した骸薔薇は、ヴィクターを睨みつける。しかし、その瞳に宿るのは、単純な憎悪ではない。深い、深い悲哀と、そして、避けられぬ運命を見つめる絶対者としての、冷徹な光だった。

「…その誓い、見事なものだ、英雄よ」

 骸薔薇の声は、気品に満ち、そしてどこか物悲しい。

「だが、お前は知らぬのだな。自らが、この宇宙に最も美しい『花』を咲かせるための『土と水』その全てを食い尽くし、『花』を枯らし尽くす『悪』そのものであることを」


「何…?」

ヴィクターの思考回路が、初めて理解不能な情報に直面する。


「お前のその高潔な魂、その英雄としての在り方こそが、『さいなまれる大樹』がお前という『媒介者』に与えた、最も巧妙で、最も悪質な『擬態』。お前は、善意を以て他者を救い、信頼を得、そして、お前が救ったその全てを、無自覚のうちに、大樹の根へと誘うのだ」


 骸薔薇の言葉は、ヴィクターの存在意義そのものを、根底から否定した。

「お前の申し出は、受け入れられぬ。我が娘たちの旅路に、お前のような『歩く災厄』を同行させるわけにはいかねぬ」

 それは、拒絶でありながら、同時に、自らの宿命を知らぬ者への、あまりにも残酷な真実の宣告でもあった。


 ヴィクターは、初めて、沈黙した。


 骸薔薇の言葉を「否定」できない。なぜなら、彼自身、自らが真樹の苗木、つまり忌み枝であることを知っているからだ。ただ、その力が「さいなまれる大樹」という存在に繋がる。


 それは彼がこれまで『英雄』として他者に求められていたこと自体が、他者を食い尽くすための誘惑であったことを意味する。


 彼は、己が忌み枝であるという原罪を、求められた英雄的な行動を成しえることによって贖おうとしてきたのかもしれない。しかし、その英雄的な行為自体が、英雄を求めた者たちを最終的に破滅させる。その根源的な矛盾を、目の前の絶対者に、いとも容易く断定されたのだ。


 その、英雄が英雄でなくなった瞬間の、絶望的な沈黙を破ったのは、ローラだった。

 

 彼女は、骸薔薇とヴィクターの間に、静かに立った。

「…だとしても」

ローラの声は、震えていなかった。

「だとしても、今のあなたは、私たちを助けたいと思ってくれている。その心に、嘘はない。…そうでしょう?」


彼女は、ヴィクターに問いかける。


「…肯定する」

ヴィクターは、苦悩の末に、そう答えるしかなかった。


「ならば、賭けてみない?」

ローラは、微笑んだ。

「あなたが、あなたの宿命に打ち克てるかどうか。あなたの英雄としての魂が、骸薔薇様の言う『大樹』と戦えるのかどうか。その答えを、この旅の中で、私たちに見せて」

それは、契約でも、取引でもない。

 一人の人間から、苦悩する英雄への、純粋な「信頼」の表明だった。

 

 骸薔薇は、ローラの、あまりにも無防備で、しかし絶対的な強さを持つその言葉に、ため息をついた。

「…好きになさい。だが、もし彼が『大樹』としての本性を現した時は、私が自らの手で、その存在を宇宙から消し去る」

 それは、骸薔薇なりの、最大限の譲歩であり、そして、ローラへの信頼の証でもあった。

 ヴィクターは、顔を上げた。そのヘルメットの奥で、彼の思考ユニットは、生涯で最も複雑で、最も困難な問いと向き合っていた。

「…感謝する」

彼は、ローラに、そして、彼に試練を与えた骸薔薇に、深く、深く一礼した。

「この身が『大樹』であるならば、その全てを以て、貴殿らの守護木となってみせよう。それが、私が私であるための、唯一の証明だ」


絶対的な威圧感を放っていた醉妖花の瞳から、赤と金色の光がすうっと引き、元の深く澄んだラピスラズリの色へと戻った。骸薔薔の顕現が終わり、主導権が再び醉妖花へと還ったのだ。

「さて、方針は決まったね」


醉妖花は、場の空気を仕切り直すように両手を軽く叩いた。

「私たちの次の目的地は、亡霊鏡教の聖都星『フェルゴ・クリムゾン』。ヴァーミリアの救出が最優先目標だ。問題は、どうやってそこまで行くかだけど…」


その問いに、それまで沈黙を貫いていたヴィクターが、改めて口を開いた。


「…我が存在、『False Harbinger』の機能を使用することを提案する」

彼の合成音声は、変わらず平板だったが、その言葉には、自らの価値を証明しようとする確かな意志が込められていた。

超長距離時空跳躍ワープを用いれば、物理的な距離と、亡霊鏡教の哨戒網を無視し、目標宙域近辺まで、最短時間で到達可能だ」


「…確かに、それが最も合理的だろうね」

醉妖花は、少しの逡巡の後、その提案を受け入れた。

「では、編成を決めよう。エレーラ、セレフィナ、そしてバステ。君たちには、この聖域『原初の泉』に残ってもらいたい」


「なっ、我らも共に行くのじゃ!」

エレーラが即座に反論する。

「姉さまを救うのに、指をくわえて待っておれと申すか!」


「違うよ、エレーラ」

醉妖花は、優しく、しかし諭すように言った。

「君たちには、もっと重要な役目がある。この聖域の守りを固め、私たちが残した守護の理を、君たち天花の力でさらに増幅させてほしいんだ。そして、この聖域に残された古代の知識を解析し、亡霊花ヶに対抗するための、新たな切り札を探してほしい。私たちが前線で戦っている間、この星そのものを、そして私たちの帰る場所を守ってくれるかい?」

 

それは、信頼の言葉だった。エレーラは、姉を救いたいという気持ちと、この星を守るという使命の間で葛藤したが、やがて、セレフィナの無言の頷きに促されるように、唇を噛み締め、深く頷いた。


「…わかったのじゃ。必ずや、この聖域を守り抜いてみせる。じゃから…必ず、姉さまを…!」


「約束するよ」

醉妖花は、力強く応えた。

「では、行こう。ローラ、月跡、ほたる、そして…ヴィクター」

エレーラたち天花との、再会とヴァーミリア救出の固い誓いを交わした後、五人の新たな一行は、赤い結晶の門をくぐり、再びメタリックレッドの砂漠へと降り立った。


 一行の合意を得て、ヴィクターは静かに一歩前に出た。彼がその場に佇んだまま意識を集中させると、その漆黒の人型の身体が淡い光を放ち始め、周囲の空間が微かに歪む。次の瞬間、彼の身体そのものが、まるで流体金属のように滑らかに波打ち、自己組織化するようにその体積を増していく。元の数倍にまで膨張したその姿は、もはや人型の戦闘兵器ではなく、小型のコルベット艦にも匹敵する、流線型の漆黒の塊となっていた。それは、単なる機械の変形ではない。ヴィクターという存在そのものが、仲間たちを迎え入れるために、自らの肉体を再定義しているかのようだった。


「へぇ…」

ほたるは、その異様な光景に、感嘆とも呆れともつぬ声を漏らした。

やがて、変貌を終えたFalse Harbingerの側面装甲が、滑らかに融解するように開き、内部へと続く光の通路を形成した。


「どうぞ」

ヴィクターの合成音声が、一行を促す。

彼らが足を踏み入れたのは、コックピットという無機質な空間ではなかった。そこは、ヴィクターの永久尽界によって生成された亜空間であり、壁面には微かな光の回路が脈打ち、まるで巨大な生命体の胎内にいるかのような、静かで不思議な感覚に満ていた。


「なんだか、こいつの腹の中にいるみたいで気色悪いぜ」

ほたるが、落ち着かない様子で周囲を見回しながら呟いた。


「ここは操縦室ではない。貴殿らを安全に輸送するために、私の存在領域の一部を客室として一時的に定義し直した空間だ」

ヴィクターの声が、空間全体から響くように聞こえた。


「長距離航行における、精神的負荷を最小限に抑えるための措置でもある」

ローラは、その言葉の裏にある、彼なりの気遣いを垣間見た気がした。彼女は、空間の中心に佇むヴィクターの人型の部分へと歩み寄ると、真っ直ぐにそのヘルメットを見つめた。


「よろしくね、ヴィクター。あなたの旅が、これからは少し、賑やかになるわ」

その、あまりにも屈託のない言葉に、ヴィクターの思考回路が、ほんの一瞬だけ、フリーズした。


「…肯定する」

彼は、また同じ言葉を、それだけを返すのが精一杯だった。


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