104話 『提案』
ルビークロスの夜明けは、新たな冒険の始まりを告げる、希望の光に満ちていた。
「さて、皆」
醉妖花は、集まった仲間たちを見渡し、静かに、しかし力強く宣言した。
「この星の危機は、ひとまず去ったわ。でも、私たちの戦いはまだ終わらない。次なる目標は、亡霊花ヶの本体、そして、その力の源泉である『大い-なる虚無』の謎を解き明かすことよ」
彼女の言葉に、全員が頷く。混沌とした戦いを経て、彼らの結束はより強固なものとなっていた。その力強い宣言に、ほたるも月跡も、次なる戦いへの覚悟を新たにする。
しかし、その希望に満ちた空気の中で、エレーラだけが、か細い声で、しかし切実に問いかけた。
「…姉さまは…ヴァー-ミリア姉さまは、どうなるのじゃ…?」
その一言が、場の空気を変えた。誰もが、彼女の悲痛な想いに胸を痛め、言葉を失う。
醉妖花は、エレーラの涙に濡れた瞳を真っ直ぐに見つめ返した。彼女の表情からは、先ほどまでの指導者としての厳しさが消え、代わりに、美しい花が萎れていくのを悲しむような、純粋な憐れみが浮かんでいた。
「そうね…。美しい花が、醜い呪いに汚されているのは、私も見ていて愉快ではないわ」
彼女は、まるで自分に言い聞かせるかのように、静かに呟いた。
「醉…」
ローラが、心配そうに醉妖花の顔を覗き込む。ローラのその表情を見て、醉妖花の瞳に、ふっと柔らかな光が灯った。
「それに、ローラ。あなたも、悲しい顔をしている」
醉妖花は、そっとローラの手を取った。
「私とあなたの冒険でしょう? 私たちの旅路に、涙は似合わないわ。あなたの悲しみの原因は、取り除いてあげないとね」
彼女はローラにだけ微笑みかけると、改めてエレーラへと向き直った。その表情は穏やかだが、その瞳の奥には、何者にも覆すことのできない絶対的な意志が宿っていた。
「決めたわ。私たちの冒険の次の目的は、ヴァーミリアの救出よ」
「えっ…?」
その場にいた誰もが、エレーラでさえも、その言葉に耳を疑った。
月跡が、冷静ながらも驚きを隠せない声で問いかける。
「お待ちください、醉妖花様。亡霊花ヶに魂ごと喰われた者は、もはや再生は不可能とされています。それは、この宇宙の理のはず…」
「理?」
醉妖花は、心底おかしそうに、くすくすと笑った。
「そんな窮屈なもの、私たちの冒険には必要ないわ。月跡、忘れたの? 私の隣に誰がいるのかを」
彼女は、ローラの肩を優しく、しかし誇らしげに抱き寄せた。
「ローラがいるじゃない。彼女の『観測』は、ただ未来を確定させるだけじゃないわ。『過去に確定した事象』すらも、『そんな悲しいことは、最初からなかった』ことにしてしまえる。そして、私の無限の魔力でその力を増幅すれば、消えた魂を永久尽界のノイズの中から探し出して、元の美しい形に戻してあげることくらい、簡単なお化粧直しのようなものよ」
それは、神ですら不可能とする領域への、あまりにも自然で、しかし絶対的な自信に満ちた宣言だった。
「それに…」
醉妖花の瞳に、遊び相手を見つけた子供のような、純粋な好奇心の光が灯る。
「亡霊花ヶ…面白いことをしてくれるじゃない。私の大切なローラを悲しませて、私の冒険の邪魔をするなんて。どんな花なのかしら。一度、じっくりと観察して、私の庭にふさわしいかどうか、この目で見定めてあげないとね」
その言葉は、もはや怒りや復讐心ではない。底知れない興味と、自らの美学に基づいた「調和」への意志表示だった。
「本当…なのじゃな…? 姉さまを…救えるのじゃな…!?」
エレーラの震える声に、今度はローラが力強く頷いた。
「ええ。難しいかもしれない。でも、私と醉がいる。だから、大丈夫。あなたのお姉さんが、笑顔を取り戻す未来を、私が『観測』してみせるわ」
ローラの力強い言葉と、醉妖花の絶対的な自信が、仲間たちの心を一つにした。
「へっ、面白くなってきたじゃねえか!」
ほたるが笑う。
「…やってみせる価値はあるようね」
月跡もまた、その唇に微かな笑みを浮かべた。
「よし、決まりね!」
醉妖花は、高らかに声を上げた。
「目標、CrimsonSand教主聖都星**『フェルゴ・クリムゾン』**! 亡霊鏡教の無粋な亡者どもをお掃除して、ヴァーミリアという美しい花を取り戻すわよ! さあ、私たちの冒険の続きを始めましょう!」
それは、絶望的な状況下で下された、無謀とも思える決断。しかし、その決断こそが、彼女たちの絆を、そして未来を切り開く、最も「美しい」一歩となるのだった。
「じゃが、どうやって『フェルゴ・クリムゾン』へ向かうのじゃ?」
エレーラが、逸る気持ちを抑えながら、最も現実的な問いを投げかけた。
「あれは、このルビークロスから隔てた場所にある。しかも、今は亡霊花ヶの亡者どもがうろついておるはずじゃ」
「そうね…」
醉妖花は、顎に指を当て、思案する。
「前回のように、私とローラの力で空間跳躍するのが一番早いわ。でも、今の『フェルゴ・クリムゾン』は、亡霊花ヶの力の渦中にある。そんな場所に直接跳べば、座標が乱れて危険なだけでなく、到着と同時に敵のど真ん中に飛び込むことになるかもしれない」
彼女は、皆の顔を見渡し、結論を告げた。
「少し時間はかかるけれど、安全な航路を選んで、通常の空間航行で向かいましょう。まずは、この星系を脱出して…」
その、最も合理的で、しかし時間のかかる選択肢が提示された、まさにその時。
聖域の入り口、赤い結晶の門の前に、何の前触れもなく、漆黒の人影が静かに立っていた。
「…その必要はない」
その声は、感情を排した無機質な合成音声。ヴィクター・フェイザーだった。
彼は、いつからそこにいたのか、誰にも察知させることなく、一行の会話を聞いていたかのようだった。
「ヴィクター・フェイザー! アンタ、まだいたのか!」
ほたるが、反射的にⅢ両刃双の大鎌を構える。
月跡もまた、銀色の瞳に鋭い警戒の色を浮かべた。
ヴィクターは、彼らの敵意を静かに受け止めると、まず、自らの胸元に手を当て、恭しく一礼した。それは、Arcane Genesis教の流儀ではない、彼個人の敬意の表明だった。
「貴殿らの次なる目的、理解した。亡霊花ヶという宇宙の『不協和音』を排除し、失われた魂を救済しようというその意志は、私が信じる『調和』の理念とも合致する」
彼の言葉には、以前の冷徹な観測者の響きはなく、共通の敵を前にした、一人の戦士としての共感が込められていた。
「そこで、提案をさせて頂く」
ヴィクターは、顔を上げた。
「このヴィクター・フェイザー、貴殿らの戦力の一つの駒となることを許可願いたい」




