102話 『手術は、終了です』
「…素晴らしい。見事な適合性です」
ノキの口元に、初めて満足げな笑みが浮かんだ。彼の両手は、今や無数の光の糸そのものとなって高速で動き始めている。分解された益雄の永久尽界の断片を「縦糸」とし、神の体組織から鋳造された永久尽界情報を「横糸」として自らの糸に繋ぎ編んでゆく。
人ならざる神を宿すための、新たな「器」が、この宇宙に存在しなかったはずの新たな設計図に基づいて、静かに、そして着実に、編み上げられていく。
やがて、最後の光の糸が編み込まれ、手術台の上には、形の上では元のままの瑚沼崎益雄の肉体が横たわっていた。しかし、それはまだ魂の宿らぬ、神の力を受け入れるためだけに再構成された、完璧な『器』に過ぎない。
「第一段階、完了。これより、第二段階、『魂の焼入れ』に移行します」
ノキの声は、先ほどよりもさらに一段、緊張の度合いを増していた。
「元帥殿、お願いします。最初の流入量は、規定値の3パーセントから」
「承知した」
暁鐘統合元帥は、再生されたばかりの腕とは別の、残る五本の腕のうちの一本を、手術台の上の益雄の『器』へと翳した。
その掌の中心から、先ほどとは比較にならないほど純粋で、凝縮された「闇」――神威の奔流が、器の中にある益雄の魂へと直接注ぎ込まれた。
「ぐ…ッ…!!」
肉体という緩衝材を介さず、魂の核に直接叩きつけられる神威は、存在そのものを焼却する絶対的な苦痛。魂が蒸発し、霧散する寸前、
――彼の本質が、牙を剥いた。
生存本能の極致として覚醒した「人喰い」の衝動が、自らを滅ぼさんとする神威の奔流に、内側から喰らいついた。炎の中心で、その炎そのものを燃料とするかのような、矛盾した現象。魂の表面が焼かれながらも、その奔流の先端を僅かに喰らい、己の糧とする。
「…流入量、3.2パーセントへ引き上げ。魂の表層崩壊率と、エネルギー吸収率のバランスを維持してください」
ノキの口調は変わらず平坦だったが、その極度の集中を示すかのように、彼の背後で展開されている永久尽界の天球儀の回転が、ほんの僅かに、しかし知覚できるほどに速まった。 彼の永久尽界は、今や益雄の魂の状態をプランク時間単位でモニタリングし、その僅かな変化を読み取り、元帥へと指示を送り続ける、超高精度の観測装置と化していた。
「焼かれては喰らい、喰らっては強くなり、さらに焼かれる」
その、常人ならば一瞬で精神が崩壊するであろう苦痛のサイクルを、益雄の魂は、ただひたすらに、しかし驚異的な速度で繰り返し始めた。
注ぎ込まれる神威の奔流は、徐々にその勢いを増していく。それは、ノキの指示によるものだけではない。益雄自身が、その力を「喰らう」ことに適応し、より多くの「糧」を求め始めている証拠だった。
「…ふむ。適合性は、計算通り。いや、魂の強化効率が予測値を3.1%上回っている。」
ノキの口調は、驚きも喜びもなく、ただ淡々と計測結果を読み上げる機械のようだった。彼の思考は、この手術の成功という前提条件をクリアした上で、次のステップへと移行していた。
「許容範囲内の誤差。しかし、この上昇率は無視できない。彼の『器』には、まだ余白があるということか。ならば、その余白は、来るべきリスクに備え、完全に埋め尽くさなければならない」
彼の目的は、ただ一つ。主の庭を脅かす可能性のある、あらゆる脅威を排除できる、完璧な「駒」を完成させること。そこに、個人的な好奇心や探求心が入り込む余地は、一切ない。
「元帥殿! さらに流入量を引き上げます! 彼の魂が許容できる最大負荷まで注ぎ込み、潜在能力を限界まで引き出す!」
ノキの指示は、執刀医の冷静さを保ちながらも、有無を言わせぬ響きを持っていた。それは、益雄や元帥が既に理解し、同意している、この手術の本来の目的を再確認する合図でもあった。
暁鐘統合元帥は、無言で頷き、翳した掌から放たれる神威の奔流を、さらに太く、力強いものへと変える。それはもはや、魂を鍛えるための慎重な「焼き入れの炎」ではなく、全次元そのものを燃料とするかのような、全てを熔解させる絶対的な熱量の奔流。
しかし、益雄の魂は、もはやその灼熱に悲鳴を上げることはなかった。
彼は、その圧倒的な力を、もはや「苦痛」ではなく「心地よい熱」として受け入れ、歓喜と共に、その全てを喰らい尽くさんとしていた。
人ならざる神の器に、人ならざる神の魂が宿るための、最後の仕上げ。その冒涜的な儀式は、佳境を迎えようとしていた。
人ならざる神の器に、人ならざる神の魂が宿るための、最後の仕上げ。その冒涜的な儀式は、佳境を迎えようとしていた。
益雄の魂が、歓喜と共に神威の奔流を喰らい尽くしていく。注ぎ込まれる全次元の熱量と、それを上回る速度で吸収していく「人喰い」の本質。その二つの絶対的な力が、ついに完全なる均衡点に達した。
奔流はもはや、器を満たすのではなく、器そのものと一体化し、その内部で完璧な循環を始める。熱は収まり、歓喜は鎮まり、魂の叫びは絶対的な静寂へと変わった。
「…完了」
ノキの、ほとんど吐息に近い呟きが、医局の静寂に響いた。
その合図を受け、暁鐘統合元帥は翳していた掌を静かに下ろす。彼の手から放たれていた神威の奔流は、まるで幻であったかのように、跡形もなく闇の中へと吸い込まれていった。
手術台の上には、穏やかな寝息すら聞こえてきそうなほど、安らかな表情の瑚沼崎益雄が横たわっていた。しかし、彼から放たれる存在感は、もはや以前の彼とは比較にならないほど、静かで、そして底知れないものへと変質していた。
ノキは、自身の背後に展開していた永久尽界の天球儀を、音もなく収束させる。そして、手術台の傍らにあるコンソールを一瞥した。そこに表示されているのは、再構築された益雄の、あらゆるパラメータを示す無数のデータ。その全てが、彼の計算した設計図通りの、完璧な数値を示していた。
「…『器』と『魂』の完全なる同期を確認。全てのパラメータは、許容範囲内に収束しました」
ノキは、執刀医としての最後の仕事として、淡々と事実を告げると、血も汚れもついていないラテックスの手袋を、静かに脱ぎ捨てた。
「手術は、終了です」
純白の光に照らされた医局で、人造の神は、静かに降臨した。




