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「お母様は悪役令嬢」  作者: 輝く泥だんご
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第97話 完璧なコミュニケーション

 その頃、八十八重宇段大天幕の、最奥に近い位置にある第六天幕。


 そこは、ノキ=シッソの思考そのものが具現化したかのような、静謐で、しかし宇宙の全ての情報が収束する超次元的な執務室だった。物理的な書類の山など、この空間には存在しない。帝国全土から送られてくる膨大な情報は、無数の永久尽界の魔法陣となって彼の周囲を漂い、彼が視線を向けるだけで、その全てが瞬時に処理・決裁されていく。


「…さて、と」


 ノキは、空間に不釣り合いな一脚のパイプ椅子に深く腰を下ろすと、先ほどまでのドミニエフとの交渉で生じた膨大な量の契約関連データ、そして淵晶帝の動向から予測される未来の分岐パターン、その全てを、瞬きするほどの時間で処理し終えた。彼の思考速度の前では、帝国の官僚機構が一月かけても終わらない作業が、文字通り一瞬で完了する。


 完璧な処理を終え、彼は一つ、満足げに息をつくと、通信端末を起動した。呼び出し先は、第十七天幕で奮闘するミントだ。


 ホログラムスクリーンに、疲労の色を隠せないミントの姿が映し出される。

「やあ、ミントちゃん。君のその瞳、帝国の未来を憂うあまり、潤いを失ってはいないかな? 大丈夫、このノキお兄さんが、君の心にも帝国にも、たっぷりと『潤い』を与えてあげるからね!」


 ノキは、心からの善意と激励のつもりで、満面の笑みを向けた。彼の頭の中では、これは部下の労をねぎらう、完璧なコミュニケーションのはずだった。

 

 通信の向こうで、ミントの緑羽がわなわなと震えるのが、ホログラム越しにも見て取れた。

「…首席補佐官。何か、ご用件でしょうか。手短にお願いします」

明らかに声のトーンが三段階は低くなっている。


「おや、つれないなぁ! 君たちの働きぶりは、我が主の御庭を彩る、最も美しい仕事だと、私はいつも感謝しているんだよ!」

ノキは、純粋な称賛の言葉を続けた。


「そこでだ! 君たちの素晴らしい能力を、さらに帝国に示す、絶好の機会を用意したんだ! 先日成立した、淵晶帝陛下と『友の会』との、あのちょっとリスキーな『取引』なんだがね」

彼は、身を乗り出し、まるで素晴らしいプレゼントを披露するかのように、得意げに話し始めた。

「あの契約、陛下の単独名義では、利帝国、いや淵晶帝が得る利益ばかりが大きすぎる。それでは、我が主の御庭全体の『バランス』が崩れてしまう。そうだろう? そこで、私が考えた最高の『利益の再分配案』であり、そして『安全装置』なんだが、契約主体を『利帝国皇室及び天花教団』の共同名義に修正する! これで、たとえ淵晶帝陛下が力を持ちすぎても、教団…つまり、私が最終的な手綱を握ることができる。完璧なプランだと思わないかい!?」


 彼は、自らの計画の合理性と、それによって主の庭の調和が保たれることへの自信に満ち溢れていた。


「この、帝国の未来のバランスを守るための、最も重要で、最も繊細な法的手続きを、君たち『百薬』に任せたいんだ! これは、君たちの能力を、私が、そして天花教団が、どれほど信頼しているかの証でもある!」


 それは、彼なりの最大限の信頼の表明であり、部下への栄誉の付与のつもりだった。

しかし、その言葉を受け取ったミントは、一瞬、完全に無表情になった。そして、次の瞬間には、営業用の完璧な笑みを顔に貼り付けた。


「…首席補佐官。そのご判断、合理的であると拝察いたします。しかし、その手続きは極めて複雑かつ、淵晶帝陛下への慎重な根回しが必要となりますが」


「ああ、その点も抜かりはないよ!」

ノキは、ミントの懸念を先読みし、さらに得意げに続ける。


「陛下には、先ほど私から『帝国の資産価値を最大化し、天花教団との連携を円滑にするための事務的な最適化』として、既に説明済みだ! 彼女も、帝国の利益以上に、天花教団との良好な関係を望むなら、反対はしまい。後の、こまごまとした、しかし最も重要な実務は、君たちの腕の見せ所というわけさ!」


「どうだい? 我が主、醉妖花様と骸薔薇様にお仕えする、帝国で最も信頼厚き庭師たちにこそ、ふさわしい仕事だろう?」


 彼の言葉には、一点の曇りもない。彼は本気で、これが「百薬」にとって最良の任務であり、彼女たちの能力を正当に評価し、信頼を示す最善の方法だと信じているのだ。

その、絶望的なまでの認識のズレを前に、ミントの完璧な笑みが、ピクリとも動かなくなった。


「…御意。首席補佐官様のご期待に、必ずや応えてご覧にいれます」


 その声は、驚くほど平坦で、感情の起伏が感じられなかった。


「うん、それでこそだ! 何か問題があれば、いつでも私に相談したまえ。君たちの助けになるなら、どんなことでもしよう!」


ノキは、満足そうに頷くと、心からの笑顔で通信を切った。


 後に残された第十七天幕では、ミントが、貼り付けたような笑顔のまま、手元にあった強化セラミック製のペンを、音もなく粉々に握り潰した。

その指先から、サラサラと白い粉がこぼれ落ちる。

「…さて、と」

 彼女は、立ち上がると、指令室にいる部下たちへと、いつものように明るい、しかしどこか虚ろな声を張り上げた。

「みんな、聞こえたわね? 首席補佐官様からの、とっても『やりがいのある』お仕事よ! さあ、帝国法と天花教団法、両方の条文を全部引っ張り出して、最高の『最適化』を始めましょうか!」


 宇宙の未来を左右する壮大なゲームの裏側で、今日もまた、上司と部下の、悲劇的で、しかし決定的なすれ違いが、帝国の歴史を動かしていくのであった。

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