第七話 龍の姫VS黒猫獣人
龍姫ビアトリクスは王太子ミュリオに婚約破棄されるのではないか?
王宮の中ではしきりにそんな噂が囁かれている。
腹が立つが、だが事実かも知れないとビアトリクスは思う。
ミュリオが婚約破棄などしてこようものなら何をしてしまうのか、自分でもわからなかった。ただ言えることはそうなれば彼を奪うためにとんでもない事態を引き起こす可能性があること。
龍人族は愛情深く、一度伴侶と求めた相手は何があっても諦めないという。一度恋心を自覚してしまった彼女は、後戻りできないことを感じていた。
――これはなんとしても、あの黒猫獣人に勝利し、彼の心を手に入れねばなるまい。
ビアトリクスはもしかすると人生で初めてくらいの固い決意を抱いた。
しかし自分のやり方では限界があるのは思い知らされている。そこで彼女が頼ったのはビアトリクスを『恋する乙女』と称した侍女だった。
「そなたは例の女のことをどう思っておる?」
「モフモフちゃんですか? 可愛い子だって聞きますけど、婚約者のいる殿方に近づくことはどうかと思いますよね。……わたしにビアトリクス様を殺させようとした人と同一人物の命令で動いているのかも知れません」
「なぜじゃ? あの侯爵とやらは叩き潰したであろう」
「首謀者は別にいるのじゃないでしょうか」
確かに、黒幕に値する人物がいてもおかしくはない。本当は聞き出したかったが、彼女から今それ以上を聞き出すのはどうやら難しそうだ。
だが、アデリナがまだモフモフちゃんの虜になっていないというなら道はある。
「あの娘は汚らわしい魔族じゃ。魔族などにあれの心を奪われるのは妾は許せぬ。妾に知恵を貸せ」
「えっ。魔族って討伐されたはずじゃあ」
「まずは妾の言葉に応える方が先じゃ」
「……わかり、ました。それでわたしはどんな協力をすればいいのですか?」
魔族が存命していると聞いて随分困惑した様子だったが、ぎりぎり取り乱すことはなくアデリナが問い返す。
ビアトリクスは静かに答えた。
「なに、簡単なことよ。あの姑息な女の正体を暴き、懲らしめる方法を考えよ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
正直、人殺しに何の抵抗も感じないのは今も同じだ。
だがミュリオに嫌われるのも、それが原因で婚約破棄などされるのも癪だった。だから彼女は、殺しを行わずにモフモフちゃんの本性を日の目に晒すことにしたのだ。
今日も今日とてミュリオに身を寄せる彼女を見つけると、ビアトリクスは彼らの前に姿を現し、言い放った。
「黒猫獣人の娘よ。妾はそなたに決闘を申し込む」
モフモフちゃんも、そしてミュリオにもあまりに急な発言と思えたことだろう。
モフモフちゃんは首を傾げ、震える真似をしながら言った。
「ビアトリクス様。それは一体どういうことですの?」
ぴこりぴこりと尻尾が動いている。それがこちらへの挑発のように思えた。
「その男に相応しいのは妾であるかそなたであるかを公の前で証明するのじゃ。無論、妾が敗した場合は引き下がってやろう。そなたにとっても悪くない話であろう?」
「少し待ってくれ、ビアトリクス嬢。君はか弱い令嬢に剣を振るえと言うのか?」
「ふっ、か弱い? 妾の前で意地の悪い笑みを見せた女がか弱いわけがなかろうに。……妾はそこまで寛容ではない。直ちに答えよ」
モフモフちゃんの方もミュリオの攻略を急いでいたのか、それともビアトリクスに勝つくらい余裕だと考えたのか。
彼女は悩みに悩んだ末――というのを演出しつつ、ビアトリクスの提案に頷いた。
「大丈夫ですわ殿下。必ず勝って見せます」
そう言って、まるで恋人同士がするような熱烈なキスをしようとしたモフモフちゃん。
人の、仮にも婚約者である妾の前で行うとは随分な度胸よな、と思いながらそれを見ていたビアトリクスだったが、直後、ミュリオの予想外の行動に驚くことになる。
「すまない。私の婚約者はビアトリクス嬢なんだ。彼女がたとえ君をどれだけ虐げていたとしても、それだけは変わらない事実だ」
――妾をさらに惚れさせる気なのか、この男は。
呆気に取られるモフモフちゃん、そして興奮で顔が赤くならないようにと努めるビアトリクス。
ミュリオはそんな女二人の心情など知らず、キラキラオーラを放ち続けていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そして決闘当日。
彼女愛用の着物を着込んだビアトリクス、その一方で全身を思い切り露出し、ふわふわな胴体の毛と猫の頭部をしたいつもとはまるで違う姿のモフモフちゃんが立ち、向かい合っていた。
他の者たちには彼女がどんな姿に見えているかは知らないが、本来の姿があれなのだろう。二足歩行であることを除けば猫にしか見えない。
彼女からは甘い匂い、おそらく魅了効果のある濃厚な香りが漂い、さすがのビアトリクスでも頭がくらくらするほどだった。これではきっと人間たちは彼女の虜になってしまうだろう。
だがビアトリクスは負ける気がしなかった。
いくらモフモフちゃんが姑息な手を使おうが関係ないのだ。なぜなら勝負は一瞬で決まるのだから。
「始めるが、良いな?」
「あなたじゃわたしに勝てっこないわよ、龍姫様」
「それはこちらのセリフじゃ」
いつもの怯えた演技の時とは似ても似つかない、二人になった時だけ見せる艶っぽい笑みを浮かべるモフモフちゃん。
そういえば彼女の本名を知らないな、とどうでもいいことを思いながら、ビアトリクスは彼女めがけて襲いかかっていった――。
しかしそれから壮絶な戦いが行われて城の闘技場が失われる、なんてことにはならなかった。
ビアトリクスが本気を出していればそうなっただろう。だがその必要性すらなく決着がついてしまったのである。
一撃目、振るった鉤爪の攻撃を華麗なるジャンプでかわされたビアトリクス。だが彼女の本命の攻撃は別にあったのだ。彼女が胸の谷間から取り出したのは光り輝く盾。宙返りして地面に降り立つモフモフちゃんに駆け寄り、それを力一杯叩きつけた。
当然、盾は武器になりにくい。武器にして戦う者も稀にいるが、それにはかなりの技量が求められる。
ビアトリクスはその技を極めていないし、鉤爪で攻撃した方が何倍も確実だ。ならなぜそんなことをしたかと言えば、その盾が普通のものではなかった故である。
その盾は、かつてビアトリクスが殺めた人間……英雄と呼ばれた男の持っていた物で、魔物の術に対抗する力が秘められているのだ。そんなもので殴られたモフモフちゃんはたまったものではない。「にゃっ!?」と叫びながら吹っ飛び、闘技場の砂の地面に倒れ込んだ。
「装飾が気に入った故取っておいた盾が役立つとはな。……じゃがこれも妾の力のうちよ。魔族の娘、そなたの術は今解けた。もはやどの愚か者もそなたに味方せぬであろう」
「なんですって!?」
情けない声を上げるモフモフちゃんに突き刺さる周囲の視線。
それから一瞬で騒ぎは広がり、闘技場中がどよめいた。
「ああ、小気味いい」
ようやく邪魔者を排除できた。そのことに、ビアトリクスは久々に気分良くなって口角を吊り上げる。
そして最前列で自分たちの決闘を見ていた人物――婚約者の元へ向かった。