第六話 龍の姫は初恋に戸惑う
ミュリオに女が寄り付くのははっきり言って不快感しかない。
どうせ父が勝手に決めた婚約者。彼が何をしようがビアトリクスには関係ないはずなのに、どうしてそんな感情を抱くのか、ビアトリクス自身はよくわかっていなかった。
わからないままに今まで彼にまとわりつく羽虫を徹底的に叩き潰してきたが、今回ばかりは我慢ならない。
ただでさえ許し難い魔族の娘である上、それにミュリオが絆されてしまったなど。
許せるはずがなかった。
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魔族の娘の本性が見えるのは、どうやらビアトリクスだけのようだった。
いいや、その言い方は正しくない。周囲の人々にも正しく彼女の姿は見えている。ただ、彼女を魔族と認識できないだけで。
魔族は相手の心に作用するような術を得意とする。
古龍の再来と言われるビアトリクスにはそんなチンケな術は通じないが、普通の龍人であれば惑わされてしまうほど強力らしい。
魔族の中で特に厄介なのは黒猫獣人なる種族。誰もを魅了する魔性の毛、甘やかな声、しなやかさのある体。その全てを持って相手を虜にするだけでなく、本来なら抱くはずの違和感などを感じさせないようにするのだ。
彼女は間違いなく、黒猫獣人だった。
「そなた、そこの男――妾の婚約者に何の用があって近づいておる。命が惜しくなくば直ちに失せよ、汚物が」
早く追い払い、後で拷問してでも問い詰めなければ。
そう考えての発言だったが、その一言は却って状況を悪くした。
「ビアトリクス嬢。ガット男爵令嬢は卑しい気で私に近づいて来たんじゃない」
「そうですわ。ビアトリクス様って噂通りお怖い方なんですね」
「私の婚約者がすまない」
「いえ、大丈夫です」
などと言いながら、ミュリオの手を取ってうっとりと微笑む黒猫獣人の少女。
男爵令嬢という肩書きが嘘か本当かは知らないが、とにかく彼女が魔族だということは確かだ。汚らわしい手で自分の婚約者に触れられたことが許せず、ビアトリクスは彼女を突き飛ばした。
「どういうつもりかは知らぬが、二度と妾の前に現れるでない。次はないとそう思え」
しかしこれがいけなかった。
令嬢を突き飛ばす。その行為はキラキラした正義の塊のようなミュリオにとって許せないことだったのだろう。
悪いのは魔族の娘だというのに、ビアトリクスはミュリオに糾弾された。
「君はあちらで話していてくれと言っただろう! もちろん君が嫉妬しているのはわかっている。だが君の理不尽は見過ごすことができない!」
そこからミュリオはビアトリクスのことをそっちのけで黒猫獣人娘を休憩室まで運ぶと、夜会が終わるまで戻って来ることはなかった。
「足を痛めた」と泣いてミュリオに寄りかかって連れられて行った彼女。でもビアトリクスは確かに見た。彼女がニヤリと黒い笑顔を浮かべていたことを。
これがビアトリクスと彼女の戦いの始まりだった。
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ミュリオとビアトリクスの仲は、それから少し険悪になった。
なぜなら、ミュリオが執拗に謝罪を求めてくるからだ。しかしビアトリクスは謝る気はない。だって悪いのは彼女なのだ。そして悪の元凶である黒猫獣人娘は、あの日以来毎日のように王宮に現れるようになっていた。
普通、貴族の中で一番身分の低い男爵家の娘である……という肩書きの彼女は、身分にこだわる人族の国では城に入れないはず。
なのに気づいたらごく当然と言った様子でそこにいて、ビアトリクスが睨みつけると「きゃあ怖い」と言いながらミュリオに涙目で訴えかけ始めるのだ。腹立たしいことこの上なかった。
もちろんあらゆる手段で排除しようとした。
だがその全てを掻い潜りしぶとく生き残っていた。かといって彼女が魔族と告げても誰も信じはしない。
「嫉妬は見苦しい」、そう言われるだけだ。
黒猫獣人はいつしか『モフモフちゃん』などと呼ばれて親しまれるようになっていた。
その猫耳に触れた途端癒される気持ちになるのだとか。元よりビアトリクスが倦厭されていたせいもあって、どんどんモフモフちゃんは人気者になっていった。
モフモフちゃんが信頼を集める度、ミュリオが彼女のことを庇護する度、どうしようもなく虫唾が走る。
たかが人間の男一人が何なのだ。魔族の娘が何なのだ。そう思う。そのはずなのに、ミュリオが他の女に優しくしていると感情の暴走を抑えられなくなる。
もしもミュリオが言っていた通りこれが嫉妬なのだとしたら、とビアトリクスは考える。
つまりそれは彼のことを想っていることになるのではないか?
「まさか」
そう言って鼻で笑いたかったが、不思議と合点がいってしまう。
普段は何があっても我を貫き通すのに、ミュリオに言われた時だけ弱腰になってしまうこと。そしてあのキラキラオーラに当てられた時に胸の中に湧き出す変な感情の意味。
しかしそれでもビアトリクスは信じられなかった。
――高貴なる妾が自分が色恋に浮かれているなど、あるわけがなかろう。
だからそれを他人の口から確認したくて彼女は、例の元暗殺者な侍女アデリナに聞いてみた。
だが帰ってきた答えは。
「恐れながらビアトリクス様、あなた様は誰がどう見ても恋する乙女の目をしていらっしゃいます」
初恋への完全なる肯定だった。
ここにきて初めて自分の感情の名前を理解し、そして受け入れざるを得なくなったビアトリクスはただただ困惑する。自分があの王太子に恋? あり得ない。なのに確かに事実が存在するという違和感。ドキドキとどうしようもなく高鳴る胸、興奮で薄紅に染まる頬。そしてあんな男ごときに惚れたのかという自分への激しい怒り。
要するに彼女はここに来てようやく自覚した初恋に戸惑いまくっていたのである。
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「……今更気づいたのか」
一方で遠く離れた地にいる龍の王ベラドーンは愛用の宝玉に映る娘の姿を眺め、呆れ混じりにそう呟きながら娘の恋を応援していたのだが、当のビアトリクスにとっては全く知らないし興味もないことだった。