第五話 龍の天敵現る
「今度、私と一緒に夜会に出てみないか」
ある日、王太子ミュリオにそう提案されたビアトリクスはピクリと眉を上げた。
「……夜会とは一体何じゃ?」
「君の国にはそういう風習はないのか。夜会は、華やかな衣装を着て歌って踊る夜の宴会のことだ。そこで君には貴族たちと友好関係を深めてもらいたい」
「妾が愚かなる者たちに心を許すとでも思っておるのか? くだらん。どうせその相手とやらは妾を目の敵にしているのであろう?」
「だが君は将来王妃となる。民に、そして貴族に信頼されてこその王妃。だから友好関係を今のうちに築いておくことが必須なんだ」
「王妃、か」
ビアトリクスにはまだ実感がない。
広大なる龍の国の姫という地位からこんな小国の王妃にまで落ちるのかと思うとなんだか釈然としなかったが、王太子ミュリオの横に立って国民たちに平伏させるその絵面は悪くないと考える。
「妾は宴会とやらに興味がある。此度ばかりはそなたの言に乗せられてやるとしよう。感謝するが良いぞ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
龍の国の一般的な衣装は、着物と呼ばれる物である。
王宮でもずっと着物を着ていたのだが、さすがにパーティーに着物は似合わないということで彼女の元にミュリオから夜会用のドレスが届けられた。ビアトリクスにとって初めて纏うドレスは新鮮だった。
肩が丸出しになった白銀のドレス。
動き回る度にふわりと膨らむスカートが可愛らしく揺れている。そしてそのスカートには群青の宝石が散りばめられていた。
「ふむ、ドレスも悪くない」
「とってもお似合いです、ビアトリクス様」
「そなたの着付けはなかなかにうまい。褒めて遣わす」
着付け係のアデリナ――あの時ビアトリクスの命を狙った侍女だが、気に入ったので仕えさせている――にそう言うと、ビアトリクスはさっさと歩き出した。
もちろん向かうのはミュリオ王太子の元である。妾の美貌を見せつけねばな、と彼女は意気込んでいた。
そしてちょうどいいところに彼はやって来た。ビアトリクスを迎えに来たのである。
「やあ、ビアトリクス嬢。どうだ、ドレスは気に入ってもらえたかな?」
「なかなかじゃな。これでこそ妾に相応しき装いというものよ」
「そうか。それは何よりだ。今から馬車でパーティーに向かうが、構わないだろうか?」
「そなたと同じ馬車に乗れと申すか」
「君と私は婚約者同士だから当然のことだ」
この男と同席するのかと思うと、またもや胸になんとも形容し難い感情が広がる。
しかしビアトリクスはそれを見て見ぬふりをして、「そういうものか」と頷いた。
夜会が開かれるのは、とある公爵家の屋敷であるらしい。
馬車での道のりは半日ほどかかり、その間中ずっとビアトリクスは近距離でミュリオに話しかけられ続けていた。
人の国の貴族社会のしきたりのついての話だとか、竜の国の文化はどういうものなのか聞いてみたいと言われたりなど、何が楽しいのか嬉々として延々と喋るのだ。ビアトリクスが気のない返事を繰り返しても、である。
つくづく妙な男だ、と彼女は思う。だがなぜか不快ではない。それが不思議でならなかった。
そんな時間が続いて、馬車はやっと夜会の会場に到着した。
「ビアトリクス嬢、エスコートさせていただいても?」
「良かろう。本来であれば高貴なる妾に触れるなど不敬に値するが、今回は特別許してやるとする」
馬車を降り、ミュリオにエスコートされながらビアトリクスは屋敷の中へ向かう。そして夜会が行われているホールに入った途端、彼女に周囲の視線が突き刺さった。
「見てくださいまし、ミュリオ殿下の隣に立っていらっしゃる美しい女」
「彼女が例のドラグラニ龍王国のお方?」
「しっ、近づかない方がよろしいですわよ。彼女の血染めの姫君の異名をご存知でしょう」
「ああ怖い」
ヒソヒソと囁かれる声。本人たちは小声のつもりなのだろうが、龍人族であるためにあらゆる感覚が鋭いビアトリクスには丸聞こえだった。
しかし今害虫退治をしてはドレスに血がついてしまう。それにミュリオにガミガミと説教をされるのも嫌だったので、黙認することにした。
「君を私の婚約者として多くの貴族に紹介したい。ビアトリクス嬢、行こう」
「わかった。存分に妾の偉大さを見せつけてやろう」
ミュリオに連れられるまま、ビアトリクスは貴族たちへの挨拶回りを始めた。
彼女を恐怖の眼差しで見つめる者、好奇心からなのか積極的に寄って来る者、敬いの気持ちを見せて深ぶかと首を垂れる者。
ビアトリクスを見た彼らの反応はそれぞれ違っていたが、皆が嫌でも彼女の威厳を肌で感じ取っただろう。彼女のことを絶対に逆らってはいけない存在だとわかったに違いない。冷たい美貌を前に身を震わせ、「あなたは神か」と戯けたことを言っていた者も二、三人はいた。
「妾は今日、機嫌が良い。妾に背くことがないと誓うのであればそなたらの振る舞いを見逃してやるとする。さもなくば――」
「ビアトリクス嬢。王妃には苛烈さも必要だが、優しさや包括力も欠かせない。そこを見せつけてこそ慕われる王妃になるんだ」
「いちいちやかましい男じゃな。つまり妾に知人を作れと、そう言いたいのじゃろう?」
「その通りだ。私は私で少し話のある人物がいる。その間、ビアトリクス嬢は向こうのテーブルで料理を楽しみながら話していてくれるとありがたい」
人間と親交を深めるか否かはともかく、夜会の食事には興味がある。
ビアトリクスは「なるべく早く戻って来るのじゃぞ」と言ってミュリオから身を離し、料理のあるテーブルに行こうとし――。
「……ん?」
背後から何やら嫌な気配を感じて振り返った。
そこにあったのはビアトリクスが離れた一瞬の隙を狙って王太子ミュリオに擦り寄っていった令嬢の姿。
どうやらミュリオはかなりの人気があるらしい。確かに人間にしては美しい部類の顔立ちはしているし、今までも王宮の中でさえ雑魚女たちが言い寄ろうとしていたのでそれを不思議には思わない。
ならばなぜそこに違和感を感じたのか――それはその令嬢が普通ではなく、人間ではなかったからである。
「……誰じゃ、あいつは」
桃色のドレスを纏った、黒髪の少女だ。
いや、少女というのは正しくないのかも知れない。その少女は人間でないことは明らかだったのだから。
ドレスの裾からは漆黒の何か……尾のようなものが突き出している。頭上に動物の耳のようなものが生えており、ぴこぴこと動いていた。
ビアトリクスはスッと目を細め、「うむ」と唸った。
あれはおそらく魔族だ。面倒なことになった、と。
魔族というのは長年人の国を襲い、その度に人族との戦いを繰り返す愚かな生物である。
龍人族は彼らと関わらないために長らく鎖国していたと言っても過言ではない。真正面から戦って勝てない相手ではないが、搦め手やら何やら卑怯な手ばかりを使うのが魔族のやり方だ。実際、数百年前に起こった龍人族と魔族の戦いはどちらが勝ったとも言えない終結になったと聞く。龍人族にとって魔族は唯一天敵と言っていい存在だった。
近年になって魔族は人間の英雄によって討伐されたと聞いていたが、所詮人間の所業とだけあって詰めが甘く、生き残ったに違いない。だがそれがなぜこの場にいて、ビアトリクスの許しもなくミュリオにまとわりついているのだろうか。
胸の中に湧き上がるねっとりとした不快感と苛立ち。
ビアトリクスは牙を鳴らし、魔族の娘と何やら言葉を交わすミュリオを見ていられなくなって彼の元へと駆け戻り、静かな怒りを込めて言い放った。
「そなた、そこの男……妾の婚約者に何の用があって近づいておる。命が惜しくなくば直ちに失せよ、汚物が」
その瞬間、夜会の空気がぴたりと凍りついた。