第三話 こんな気持ち知らない
王太子ミュリオと婚約し、将来妃となることが決まったビアトリクスは王宮で自由気ままに暮らしている。
その間に殺した人間の数は百では足りない。
和平合意は行ったものの、彼女は人間に容赦しない。
彼女が龍人族である故、偏見や陰口、それどころか真正面から文句を言う者も多かった。そして彼らの末路は、血飛沫で幕を閉じる。
人間はなんと愚かであろうか、とビアトリクスは思っていた。
龍人であれば己の立場を弁え、己より強者である存在には決して楯突こうとはしない。それは父も同様であり、だからこそ彼女の暴挙を止められないのである。
今まで一切咎められることなく生きてきた彼女にとって殺しは寝食と同様に当たり前のことだったし、どうしてそれが人の国で悪とされるかは甚だ謎だった。
今日も邪魔な虫を退治しようとしていると、ミュリオがやって来る。
「ビアトリクス嬢!」
「何じゃ。またそなたか。己の公務とやらに浸っておれば良かろうに」
「君がまた流血沙汰を起こそうとしていると聞いてな。……彼女は確か侍女のアデリナだな。どうしたのだ」
「お許しくださいっ。わたし、わたしっ、閣下に脅されたんです。従わないと実家の男爵家を潰して家族を殺すって……」
ビアトリクスの前に跪き、許しを乞うているのはビアトリクスにあてがわれたばかりだった侍女。
彼女はビアトリクスの暗殺を企み、急に襲い掛かってきたので返り討ちにして殺そうとしていたところだった。
「閣下とは誰のことなんだ」
「……ハング侯爵閣下、です」
「わかった。処罰はしっかりしよう。ビアトリクス、彼女を許してやってほしい」
「ふん」
ビアトリクスは気に入らない。
どうして自分の命を狙おうとした愚かな人間を許さねばならぬのか。本当は八つ裂きにしてやろうかと考えていたくらいなのに。
だが、ミュリオの真剣な眼差しに射抜かれ、彼女は爪を納めてしまった。胸の中でなんとも形容できない感情が吹き荒れる。ああ、調子が狂う。
この男はおかしい。なぜ自分を恐れず当たり前のように物申すのか。自分が殺される可能性に思い至っていながら、どうして。
わからないのが苛立たしくて、吐き捨てるように言った。
「取るに足りぬ愚物にめくじらを立てる妾ではない。妾の爪で喉を掻っ切られたくなくば今すぐ視界から消え去ることじゃな」
「あ、ありがとうございます……!」
ビクビクしながらも頭を下げた侍女は、大急ぎでその場を離れていく。
そしてその後ろ姿を見遣りながら、ビアトリクスはミュリオに問いかけた。
「妾を害そうとする者がおるらしいな。人間ごときが舐めるでないわ。……そなた、ハング侯爵家とやらは何処じゃ?」
「どうするつもりなんだ」
「決まっておろう。妾の力を愚民に知らしめるまでよ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ハング侯爵はこの国の宰相だった。
若く有能と広く知られていたが、その裏では色々腹黒いことを企んでいたり、多くの下級貴族家を手中に収め、脅して意のままに操っていたりした。
しかしそんな彼はある日、突然の襲撃に命を落とすことになる。天罰……いいや、龍の怒りによって。
「そなたがハング侯爵で相違ないな?」
「りゅ、龍姫ビアトリクス様。本日はどのようなご用件で」
命を狙っていた相手が向こうから己の屋敷を訪れたことに驚きつつも、侯爵はできる限りにこやかに答える。
向けられた鋭利な爪に震えなかったことはさすがと言えるだろう。だが彼の顔色は真っ青だった。
「妾の命を狙った侍女がそなたの企みだと吐いたのでな。妾自ら裁きを与えてやろうと思ったのじゃ、喜ぶが良い」
「……何の冗談ですかな? 私が貴女様のお命を狙う理由など何も」
「くだらん言い訳をするでない」
――その直後、侯爵の青白い顔を彼女の爪が切り裂いた。
つぅっと顔面を流れ落ちる一筋の紅。目を見開き、自分が何をされたのか理解してからようやく悲鳴を上げる侯爵。だがビアトリクスの手は止まらない。
「な、何をする!」
侯爵家の護衛の男数人がビアトリクスに飛びかかろうとしたが、尾の一振りですぐに払い除けられ、屋敷の外に放り出されるという始末。その騒ぎを聞きつけてやって来た侯爵夫人はふらりと気を失い、令嬢は声も出ない様子で崩れ落ちた。
「これほどのことで屈するとは情けない。今すぐ始末をつけても良いのじゃが、そなたらを殺めるとまたあれがやかましいのでな」
「ぶばば……ばば」
何かを喋ろうとするも、唇に縦一筋の傷があるため喋ろうにも声が出ない侯爵だったが、その目だけで大体彼が何を言いたいかはわかった、
しかし悲痛な訴えも虚しく、あっという間に右腕が落とされる。そして意識を失った彼を地面に打ち捨て、ビアトリクスは呟いた。
「つまらぬ。妾に戦いを挑むならもっと力をつけて参れ」
彼女が立ち去った後すぐに王国騎士団が駆けつけて侯爵一家は捕縛。
その後騎士たちによって屋敷の捜査がなされ、侯爵がクーデターを企んでいたことが判明し、侯爵は死刑、夫人と令嬢は娼館送りになったという。だがビアトリクスにとってそれらはもはやどうでもいいことだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そして翌日、王宮の庭園にて、ビアトリクスは最も苦手とする男と向き合っていた。
言わずもがな彼女の婚約者のミュリオ王太子である。
「我が王国騎士団がいらないほどの健闘ぶりだったと聞く。本当に君はすごいな」
「当然じゃ。わざわざ妾を賞賛したとて何も褒美は出て来ぬぞ?」
「ありがとう。これからはぜひともその力を善きことのために使ってもらいたいと思う」
「…………」
強気な態度で出ても、善性しか感じられないミュリオ王太子と触れ合うとおかしな感覚に襲われ、それ以上悪びれることができなくなる。
だから仕方なしにため息を吐き、「考えてやる」とだけ言った。
「君はきっとこの世の誰よりも強い。頼りにしているよ」
憎らしいほどに輝いた王太子の微笑みが眩しく、ビアトリクスは目を逸らしてしまう。
ああ、この気持ちは一体何なのだろうか。
おかしいということだけはわかる。だが、これが果たして何であるのか、ビアトリクスは知らなかった。こんな感覚は初めてで戸惑ってしまう。長く彼と一緒にいるとさらに変になりそうで、彼女はその場を立ち去った。