第二話 龍の姫と王子の婚約事情
龍の国に力を求めて訪れた者があった。
それは愚かで哀れな人間の男。彼は古い文献から龍の国のことを知り、龍王との面会を望んだ。
「龍の王よ。私の話を聞いてはくれないだろうか」
しかし彼の前に現れたのは、王ではなくその娘のビアトリクスであった。
「不純なる人族め。こちらの許可なしに勝手に我が国へ入るでないわ。今すぐここを立ち去るが良い」
「貴女は……」
「今すぐ立ち去れと、そう言った」
ビアトリクスは男の首を刎ねた。
高貴なる龍の国に汚物が存在するのは許せない。警告はした。それに従わなかったから仕方がないのだ。
だがビアトリクスは男の生首を抱え上げ、それを見つめながら首を傾げる。現在、龍の国は特殊な結界の力で鎖国しているはず。なのになぜ外部の人間が入り込めたのだろう。これは父に報告しなければ、と思い、すぐに城へ向かった。
龍の王はビアトリクスの話を聞いて渋い顔をした。
男がどうやら、外の世界のとある王国で反乱を企んでいた賢者と呼ばれる人物らしいことが判明したのである。
別にそれだけなら放っておく手もあった。
しかし賢者が残した資料などのせいで龍の国の存在が外に漏れ、多くの人間が押しかけてくるようになった。
賢者のような特別な人間でもない限り結界は破れないが、それを果たした者がいた。英雄だ。彼は賢者と共に過去に魔王という存在を倒した、人間の中では一番の強者だった。
「ほぅ、面白い。妾が相手してやらんでもないぞ」
「ビアトリクス、やめろ。ややこしいことになる」
「父上は妾のことをなんと心得る」
「……」
返ってきたのは沈黙だけで、龍の王は無言のまま人間の英雄、そして国王との面談に向かった。
ビアトリクスはついていこうかと考えたが、やめた。どうせつまらない話し合いだ。わざわざ関わってやる必要もない、と。
そして数時間後――。
「お前を人の国へ嫁がせる代わり、和平合意を結ぶこととなった」
などと、馬鹿げたことを言う父王を前に、ビアトリクスは静かに腹を立てていた。
何なのだ。一体何があったというのか。
賢者を殺した代償? 人の国の安定が崩れたからそれを守らなければならない? 人の国との関わりは龍の国にも益をもたらす?
そんなことはどうでもいい。全てねじ伏せて奪ってしまえば良いではないか。
「しかしこれは決定事項なのだ」と龍の王はいつになく強く言う。気に入らなかったがそこまで言うのなら仕方がない。
だからビアトリクスは一言、父に懇願……否、命令した。
「どうせ人の国で妾に勝る者などおらぬであろう。父上、条件に付け足すが良い。妾の機嫌を損ねた者はそっ首を落とす――とな」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「高貴なる妾が人族へ嫁ぐとはなんたる侮辱か。相手がろくでもない者であれば容赦はせぬぞ」
人の国へ飛んでいき、婚約相手の男がいるという王城へやって来たビアトリクス。
彼女が城の中庭に降り立つと、すぐに声がかかった。
「ようこそ! 君が私の婚約者となる人だな。私は王太子ミュリオだ。よろしく」
「…………。妾の名はビアトリクス・ドラグラニである」
ビアトリクスは何事もなかったかのように名乗ったが、その実内心では人生で初めて驚愕していた。
何なのだ、この男は。キラキラと輝く金髪。碧く澄んだ瞳。そしてこちらの奥底まで見透かすような視線。今までに出会った類のない人間だった。
「種族は違うが、君とはこれから仲良くしたい」
「妾への不敬は龍人族への不敬となす。命が惜しくばそのつもりで接するが良かろう」
そもそもビアトリクスは人間の小国の王子を自分の婚約者にされたこと自体不敬だと思っていたのだが、彼を前にそれを言う気はなぜか失せていた。
「わかった、ビアトリクス嬢。気をつけよう」
爽やかな笑顔を見せながらこちらに手を差し出す彼に、ビアトリクスはなんとも言えない感覚を得る。
その感情が何故に芽生えたものなのか、彼女にはわからない。わからないまま、王太子の手を振り払った。
「妾に気安く触れようとするでないわ」
「……今、君の方から私に触れたと思うのだが」
「それは妾の意思である。揚げ足をとるな」
これが龍姫ビアトリクスと、人の国の王太子であるミュリオの出会い。
二人はこの日、婚約者となった。